荘川桜を語り継ぐ者たち
半世紀前の移植当時を知る者たちの貴重な証言で綴る「荘川桜の思い出」。
語り部(壱)
多田昇さん
profile:大正14年兵庫県生まれの多田昇(ただのぼる)さんは、昭和27年に設立されたばかりのJ-POWERに入社。すぐに御母衣勤務となり、以来11年近くの長きに渡り、御母衣ダム開 発計画から発電開始までを現地で見届けてきた。荘川桜移植前後の当地の様子や、移植に関わった人々との思い出について語っていただいた(取材=2010年10月21日、本店にて)。
語り部(弐)
内藤重明さん
profile:昭和6年愛知県生まれの内藤重明(ないとうしげあき)さんは、昭和20年代半ばに豊橋市の造園会社「庭正造園(以下「庭正」)」に入社。「東海一の植木職人」と呼ばれた丹羽政光氏に弟子入りした。昭和35年、親方とともに、根を掘り起こす作業から活着させるまで、荘川桜の「奇跡の大移植」に携わった。(取材=2010年12月9日、庭正にて)
語り部(参)
丹羽英之さん
profile:昭和36年愛知県生まれの丹羽英之(にわひでゆき)さんは、豊橋市の造園会社「庭正造園(以下「庭正」)」の植木職人・丹羽政光氏を祖父に持つ。昭和35年に荘川桜の移植に携わった祖父だったが、その4年後に不治の病で帰らぬ人に。それから時は流れ、現在、J-POWERの依頼を受けて荘川桜の手入れを担当しているのが、「庭正」を継いだ英之さんである。(取材=2010年12月9日、「庭正」にて)
語り部(四)
林子平さん
profile:昭和2年岐阜県大野郡荘川村(現・高山市荘川町)生まれの林子平(はやししへい)さんは、豊かで美しい飛騨の大自然とともに生きてきた。その故郷が、御母衣ダム建設によって湖底へ沈む計画が持ち上がってからというもの、林さんや村の人々は、激動の日々を送ることになった(取材=2011年1月17日、岐阜市内の林さん宅にて)。
語り部(伍)
柴橋明子さん
profile:笹部新太郎氏による、桜に関する膨大な収集物「笹部さくらコレクション」を、西宮市からの寄託を受けて管理保存しているのが、白鹿記念酒造博物館。そこで柴橋明子(しばはしあきこ)さんは、担当学芸員としてこのコレクションの調査研究に携っている。今回は、膨大な資料から読み解く、荘川桜移植当時における笹部氏の「思い」を、柴橋さんにうかがった。(取材=2011年5月27日、白鹿記念酒造博物館にて)。
語り部(六)
宮田譲吉さん
profile:高碕達之助の実弟が存命である。32歳年下で、大正6年生まれの宮田譲吉(みやたじょうきち)さんがその人だ。宮田さんが物心ついた折には、すでに高碕は製缶会社「東洋製罐株式会社」を設立する実業家として活躍していた。宮田さんが若かりし日には、高碕の仕事を手伝い、たびたび叱責された思い出もあるとか。そんな畏敬(いけい)の兄と、兄が移植に尽力した荘川桜について語っていただいた(取材=2011年9月20日、大阪府高槻市・高碕邸にて)。
語り部(七)
岩田規夫さん
profile:昭和8年生まれの岩田規夫(いわたのりお)さんは、高碕達之助の姉の孫にあたる。高碕達之助が故郷・高槻市で衆議院議員選挙に出馬した際、岩田さんは秘書として約2週間、選挙運動に帯同した経験を持つ。そんな岩田さんに、政治家・高碕達之助の素顔と、荘川桜の思い出を語っていただいた(取材=2011年9月20日、大阪府高槻市・高碕邸にて)。
語り部(八)
牧尾空祥さん
profile:高碕家の菩提寺である高槻市の法光寺。その前住職であり、昭和4年生まれの牧尾空祥(まきおくうしょう)さんには、寺で高碕達之助と接した思い出がある。高碕が名を隠して釣鐘を寄贈してくれた秘話や、高碕の人柄ゆえに生まれた荘川桜移植の偉業について、高碕家の仏壇にある、高碕の遺影の前にて語っていただいた(取材=2011年9月20日、大阪府高槻市・高碕邸にて)。
語り部(九)
高碕三起子さん
profile:高碕家の現当主である高碕康司さんの夫人であり、高碕達之助が伯叔父にあたる高碕三起子(たかさきみきこ)さん。幼少の折、生家を訪れた高碕達之助との、2人きりの懐かしい思い出がある。それは、荘川桜移植にも通じる、自然をこよなく愛する高碕が垣間見せた素顔だった。(取材=2011年9月20日、大阪府高槻市・高碕邸にて)。
語り部(拾)
杉野明俊さん
profile:岐阜県高山市堀端町にある照蓮寺(しょうれんじ)の第26世住職である杉野明俊(すぎのみょうしゅん)さん。寺は御母衣ダム建設以前には大野郡荘川村(現・高山市荘川町)にあったが、重要文化財に指定されている本堂とともに現在の場所へと移転した。かつて境内に植えられており、いまは村が沈んだダム湖を見下ろす高台に立っている「荘川桜」の思い出を語っていただいた。(取材=2011年12月20日、岐阜県高山市・照蓮寺にて)。
語り部(拾壱)
石高治夫さん
profile:実業家であった高碕達之助と同郷で、高碕が創業した東洋製罐株式会社に昭和9年に入社した石高治夫(いしだかはるお)さん。のちに、やはり高碕が起こした日本フエロー株式会社の代表取締役社長となり、公私ともに高碕と多くの時間を共有し、戦前戦後の混乱期、そして復興期を歩んできた。明治45年生まれ、今年で満100歳を迎えた石高さんに、2人の故郷・大阪で、高碕氏や荘川桜の思い出を語ってもらった。(取材=2012年1月31日、大阪府豊中市内のホテルにて)。