荘川桜を語り継ぐ者たち

語り部(壱)ダム建設と桜の移植を陰ながら支えた御母衣の主

多田昇さん

profile:大正14年兵庫県生まれの多田昇(ただのぼる)さんは、昭和27年に設立されたばかりのJ-POWERに入社。すぐに御母衣勤務となり、以来11年近くの長きに渡り、御母衣ダム開 発計画から発電開始までを現地で見届けてきた。荘川桜移植前後の当地の様子や、移植に関わった人々との思い出について語っていただいた(取材=2010年10月21日、本店にて)。

第4回ダム建設と桜の移植を陰ながら支えた御母衣の主(4)

高碕達之助の希望は、自らを「桜男」と名乗る笹部新太郎へと託された。

多田さんは、昭和34年11月の死守会解散式当日に、高碕をその眼で見て、桜との出会いも写真に収めている。

それから一冬越した昭和35年の春、多田さんは、移植のための視察に訪れた桜研究の第一人者である笹部と出会っている。また、植樹作業を担当した庭正造園主の丹羽政光とも交流があった。

多田さんが字配りをした記念碑(写真1)。石は庭正造園が寄贈したという。「咲けとこしへに」という高碕の願いが刻まれている。

「笹部先生はね、岐阜までジープでお迎えに行ってね、4、5時間かかるし、途中で休みますから、その間にジープの車内でいろいろと間近にお話をされて。なにを話したかまでは憶えていませんが、愉快な先生でしたね。それから庭正さんは、移植したあとに手入れもやっておられたから、仲良くなってね。珍しい花など送ってきてくれましたよ。それに、荘川桜記念碑(写真1参照)の石を土木の担当者と二人で、庭正さんがある豊橋から渥美半島の先まで見に行ったりもしました。この形がいいんじゃないかと、碑の型紙を取りまして、本店に持って行って、字配りなんかをした思い出がありますよ」

高碕が光輪寺の老桜と出会ってから約1年後の昭和35年11月、移植作業が開始された。

枝葉のほとんどが伐採され、裸になって運搬された桜を眼にした多田さんは、その痛々しさに、ふたたび花を咲かせるようになるのか、不安を抱いたという。

「樹齢400年とも500年ともいわれる大きな桜ですよね。幹の余力で葉は出るだろうけど、樹全体が生きるかどうかは、2、3年は経ってみないとわからないだろうなと。だから移植後、私たちは見守っていましたよ」

手入れについて、「葉水をかけて枯らしてはいけない」と笹部から指示されたが、移植された場所には水がなく、夏場の撒水に多田さんは苦労をしたという。

「庭正さんが手入れもされていましたが、ずっとついておられるわけではないから、夏の暑い時期はしょうがないから、会社のみんなで行って葉水をかけました。でも葉水といってもね、あれだけ大きい樹木だとなかなかかけられないから、沢を堰き止めて水を確保して、消防ポンプ持って行って、バーっとかけるわけですよ。当時は、この荘川桜は、枯らしたら「お手打ち」になるよ、枯らしちゃならんといわれていたんですね。そりゃもう、なんとしても芽が出て、花を咲かせたいという思いでした。そんなわけですから、私もあの桜には愛着がありますね」

荘川桜移植50周年──。

平成の世になっても、「お手打ち」の荘川桜は、元気に花を咲かせている。

観光名所となった荘川桜のもとを、多田さんは、ときおり仲間とともに訪れる。

荘川桜を「人生の思い出の柱」と語る多田さん。

「御母衣へ行ったときは、バスの中で、桜について説明しろといわれてやりましたが、ガイドさんより上手だといわれて(笑)。あれだけの老桜が、新芽をふきだして、花を咲かせてね。最初に咲いたときには、まだ幹の力だよ、根が張ったかどうかわからないよ、なんて心配したものでした。それが50年、よく生きたもんですよ。移植前の樹齢は400年とも500年ともいわれていますが、移植時にほとんど枝が切られてしまったわけですから、一度はゼロになったと思うんです。ダムの底に沈んでいたはずですが、人々の思いによって、こうして甦って、今年もまた花を咲かせてくれている。ゼロから50年も生きてくれたことに、感慨ありますね」

多田さんが手掛けた荘川桜記念碑には、高碕達之助が、裸になった桜を見上げながら詠んだ句が刻まれている。

ふるさとは 湖底(みなそこ)となりつ うつし来し
この老桜 咲けとこしへに

これからも、「とこしへに」、J-POWERが、御母衣の人々とともに、荘川桜の手入れをしてゆく。

後輩たちに、多田さんは、どんな思いを託すのだろうか。

「歴代の発電所長さんが、あれは絶対に枯らしちゃならんよ、手入れせんとだめよ、とおっしゃっていると思うんですね。やはり、いまでも荘川桜は『お手打ちの桜』だと思うんですよ。J-POWERや御母衣の人たちが守ってきてくださった50年。立派だと思いますね。これからも、それこそ『とこしへに』という期待が強いです」