荘川桜を語り継ぐ者たち

語り部(拾壱)荘川桜移植の発案者・高碕達之助に仕えて

石高治夫さん

profile:実業家であった高碕達之助と同郷で、高碕が創業した東洋製罐株式会社に昭和9年に入社した石高治夫(いしだかはるお)さん。のちに、やはり高碕が起こした日本フエロー株式会社の代表取締役社長となり、公私ともに高碕と多くの時間を共有し、戦前戦後の混乱期、そして復興期を歩んできた。明治45年生まれ、今年で満100歳を迎えた石高さんに、2人の故郷・大阪で、高碕氏や荘川桜の思い出を語ってもらった。(取材=2012年1月31日、大阪府豊中市内のホテルにて)。

第4回荘川桜移植の発案者・高碕達之助に仕えて(4)

昭和34年の晩秋、日本フエロー株式会社(以下、日本フエロー。現・東罐マテリアル・テクノロジー株式会社)の取締役に就任した石高治夫さんは、創業者であり、J-POWERの初代総裁も務めた高碕達之助から、荘川桜の移植について聞かされた。それは、経営者という立場で見れば、莫大な資金を要する、しかも成功の可能性が低い、危険な挑戦のようにも思えた。

移植が成功したあとの荘川桜を、石高治夫さんは2度、現地まで足を運んで見にいったという。伐(き)られたはずの枝を伸ばした満開の桜を見つめながら、高碕達之助の精神に思いをはせた。

「移植には、莫大な費用がかかると聞きました。現代ではなく、昭和34年当時ですから、桜を救うのにそんな費用をかけるなんて、考えられませんでしたよ。なのに高碕先生は、なんとかして、死に物狂いで、桜を生かしたいとおっしゃってね。どんなことがあっても、助けてくれと。もう、算盤勘定、損得の問題じゃないんです。あの移植は、高碕先生の根性がそのまま入っていた事業だと思いましたよ」

ダムの底に沈むはずの桜を、どうしても生かしたいというその移植の話だけでは、なぜ高碕がそこまでいうのか、石高さんは解せなかったという。だがその背景には、桜の老木が、ダムのために村を失う村民たちの心の拠りどころであったと知るに及び、納得できたという。

「あの桜は、樹齢400年の桜というだけでなく、ダムの底に沈む村に暮らしていた人々自身の魂が込められた大切な桜なのだと知りました。高碕先生は、動物を愛されていたのと同じように、植物にも非常な愛情を持っておられましたから、あの桜を、ダム建設のために枯らすわけにはいかないという思いもおありだったのでしょう。でも、それだけでなく、桜にこめられた村民たちの気持ちを理解されていたんだと思いますよ」

母校の大先輩で、自身が勤めた会社や自身が経営に携わることになった会社の創業者で、衆議院議員で、大臣など国家の要職をも歴任した高碕達之助。その彼が、最晩年に、全身全霊を賭して挑んだのが、二本の桜の移植だと聞いたとき、石高さんは、あらためて高碕という人物の偉大さに感服したという。

「あの荘川桜というものは、まさに高碕イズムがこめられた移植だったのではないでしょうか」

高碕の死後、石高さんは、荘川桜を2度見にいった。

「大きな桜でね。あれだけのものは、普通の桜とは違いますものな。よくぞ、あんなに大きな桜を、上へ引っぱって、上げられたもんやなと。あの移植は、ほんとうに立派なものです。枝も伸びていて、満開の桜が綺麗でした。うちに写真があるんですよ」

掲げられているのは高碕達之助の書『心如水』。石高治夫さんが手にしているのは、高碕の形見となった鰐の剥製。

高碕が創設し、石高が代表取締役社長を務めた日本フエローは、大阪工場の他に、昭和37年には小牧工場が、昭和47年には九州工場が、それぞれ操業を開始して現在に至っている。

その2つの工場には、高碕の銅像が建っており、その背景として植えられているのは、実生から育てられた荘川桜の二世であるという。そして昨年には、同社の創業60周年を記念し、さらに3本の荘川桜二世が、30本ほどのソメイヨシノとともに植樹された。

今年で満100歳を迎えた石高さんの自宅にも、高碕との思い出が、いまでも大切に保管されている。

一つは、高碕が衆議院議員選挙に初めて当選したとき、その礼にと、陰ながら支えてくれた石高さんに、一幅の書が贈られた。いまも石高さんの自宅の座敷に掛けられているその一幅には、『心如水』と書かれている。

「『心、水の如し』という、立派な書です。高碕先生ご本人の心と一緒で、清々とされていますね」

そして、もう一つは、高碕が亡くなる直前に、形見として直接手渡された品である。

「高碕先生は、鰐(わに)を飼っておられたのです。その鰐が死んだから、石高くん、貰ってくれと、剥製をね、わざわざ先生ご自身の手から直接いただいたのです。大切な鰐だったのでしょうね。私も、いまも高碕先生のシンボルとして、自宅で大事に保管しています」

自然を愛し、そして、人を愛した高碕達之助。

その精神は、いまも荘川桜という2本の老桜に、また、人々の心に、宿されている。