Home of J-POWER Vol.02
小説家 藤岡陽子とふるさとを旅する


神奈川磯子火力発電所
人・もの・文化が
交錯する
情熱の港街を歩く
〜神奈川県横浜市と
磯子火力発電所を訪ねて〜

人口約375万人の大都市ーー
神奈川県横浜市に、J-POWER「磯子火力発電所」がある。
鎌倉時代から鎌倉の外港として栄え、今も食・文化・娯楽施設と様々な観光資源をもつ横浜の街を旅して歩いた。
01小高い丘の上で
横浜港を見渡す
柔らかな朝の陽射しが、坂道を照らしていた。
ここは横浜市中区の山手町。車窓から見える景色はどこか海外の街のようで、かつてはイギリスやフランス軍の居留地であったことを感じさせる。
空につき出すカトリック山手教会のエメラルド色の屋根。米国の宣教師が創立した女学校に通う、みず色のセーラーカラーに黒いりぼんの女学生。
山手と呼ばれるこの辺りには、洗練された異国の風景があたりまえのように残っている。
坂を上りきったところに、目指していた「港の見える丘公園」があった。展望台に立てば横浜港を見渡すことができ、心地よい風が吹きぬけていく。
今から163年前の嘉永6年(1853年)。米国から黒船に乗ってペリーがやってきた。そしてその6年後に横浜港が開かれ、日本と世界との貿易が始まる。
もちろんそれよりずっと昔、時は鎌倉時代より、金沢区の「六浦湊」は海外貿易の拠点であった。だが安政6年(1859年)の横浜開港によって、さらに豊かな文化が世界各国から流れ込んできたことは歴史が語るところだろう。
潮風にまじって、草木の甘い香りが鼻先を過ぎていく。展望台のすぐそばには「ローズガーデン」が広がり、それぞれ優美な名前がつけられたピンクやオレンジ、黄や白のバラたちが、秋空の下に咲きほこっていた。

藤岡 陽子 ふじおか ようこ
報知新聞社にスポーツ記者として勤務した後、
タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。
2009年『いつまでも白い羽根』で作家に。
最新作は『はれたらいいね』。
その他の著書に『海路』『トライアウト』
『ホイッスル』がある。京都在住。
02食糧難の時代を
支えた中華街

手を散策した後は、山下町にある横浜中華街を歩く。
開港を機に来住した中国人によって生まれたチャイナタウンは、今もその熱気をみせつける。
金や赤を施したきらびやかな朝陽門――東門をくぐりぬけると、そこはもう別世界。食べ物屋、雑貨屋、衣料品などを売る店が軒を連ね、視覚と胃袋を刺激してくる。軒先では湯気の上がる肉まんや焼き小籠包が並び、どれもみな美味しそうだ。
戦後、食糧難の時代にも、「この界隈にはなんでもある」と言われ、食糧や物資を日本人、外国人関係なく提供し続けたという中華街。そのつき抜けた活気に、山手とはまた違う外地の雰囲気を味わう。
03広大な三溪園
時代の空気蘇る

浜の“洋”を楽しんだ後は、しっとりと“和”も堪能したい。
「三溪園」は、5万3,000坪の敷地をもつ日本庭園。明治末から大正の時代にかけて活躍した貿易商、原三溪氏が私財を投じてつくったものだというから驚かされる。
園内には室町から明治にかけての建物が当時のままに佇み、その時代の空気を伝えてくる。
なかでも「旧矢箆原家住宅」は江戸後期の民家で、内部を見学することもできると伺い、しばしの間、江戸気分を味わった。
囲炉裏のある台所や水仕事をするみずやなど、広々とした家屋の一間一間をゆっくりと眺めていく。
お膳(丸膳)、ポット(湯筒)、弁当箱(組めんば)、財布(銭入れ)、鍋(汁つぎ)――日常を営むささやかな道具が、まるで今日使われるかのように人の手を待ち、田舎の祖父母の家に遊びに来たかのような思いになる。
昔の時間に触れると、自分がその時代に生きていたわけではないのに懐かしく、そしてもう会うことの叶わない人を思い出すのはどうしてなのだろう。
三溪園から車で10分ほど走った金沢区には「朝夷奈切通」と呼ばれる古道があり、この道が六浦湊と鎌倉を結んでいたのだと知る。
切りたった崖の狭間を自分の足で歩いてみると、行商人たちの息遣いが聞こえてきた。

04海の生きものとたわむれる
横浜・八景島シーパラダイス

横浜・八景島シーパラダイスの特色は、なんといっても海との距離が近いところ。施設内には海の生きものとふれあえる4つの水族館があり、広報催事担当の齋藤朋さん(取材当時)に案内していただいた。
「横浜・八景島シーパラダイスは『海・島・生きもの』の特徴を生かした海のエンターテインメン島なんです。海に関係するアトラクションが多いですし、海を眺められるような回転系のものを選んで設置しています」
と話してくださる齊藤さん。
横浜・八景島シーパラダイスを訪れるお客さんは年間およそ400万人で、昨年度は水族館に157万人ほどの人が足を運んだという。
「アクアミュージアム」で東日本唯一のジンベエザメ(取材当時)を眺め、「ふれあいラグーン」でイルカやアシカにふれていると、心が癒やされていくのがわかる。夜の8時から朝の7時半まで水族館内で過ごせる「グッドモーニング ドルフィン ファンタジー」を催したり、5万尾の鰯が泳ぐイリュージョンを企画したりと、イベントも盛りだくさんだ。
施設敷地内からはペリーが来航時に船を碇泊させた海域「アメリカン・アンカレッジ」を望むこともでき、ひと休みしながら遠い昔の一大事に思いを馳せるのもなかなか楽しい。
「わたしは外国が好きなので、施設がさらに発展し、国際的になればいいなと思っています。あ、これはわたし個人の思いですけど」
と微笑む齊藤さんが眩しく、国内屈指のエンターテインメント施設を担う心意気を感じた。
*2016年時点の情報です。最新の開館イベント情報は公式サイトをご確認ください。

05横浜名物崎陽軒
日本一の「シウマイ弁当」

京都で暮らすわたしにとって、できたてほやほやの「崎陽軒のシウマイ」はなかなか手に入らない憧れの存在。今回工場見学をさせてもらえるということで、なみなみならぬ気合が入る。
「全国で展開するというよりも、地元を中心とした販売に力を入れています。明治41年(1908年)の創業以来、横浜という街に育てていただいた企業ですから」
会社の歴史や工場内の説明をしてくださったのは広報担当の高井未希さん(取材当時)。人気の「シウマイ弁当」は神奈川、東京、千葉、埼玉、静岡のみの販売で、1日約1万9,000食を売り上げ、その数はなんと日本一だという。
創業に携わった久保久行氏の前職は、横浜駅の駅長さん。駅の軒を借りて餅やサイダーなどの販売を始めたのが店の始まりだとされる。
日本で初めて鉄道が開通したのは明治5年(1872年)。横浜駅(今は桜木町駅)と新橋駅間だったこともあり、横浜に集まる乗客たちの熱量が、崎陽軒の発展を後押ししたのだろう。
昭和25年(1950年)にはキャンペーンガールのはしりでもある「シウマイ娘」を結成し、駅のホームで相当数のシウマイを売り上げたとも知り、頬が緩む。ちなみにシウマイ娘になるには身長制限があり、158㎝以上。なるほどすらりとした美人が売り歩いたシウマイなら、殿方にはよりいっそう美味だったに違いない。
崎陽軒の歩んできた歴史はそのまま、横浜の街の姿に重なっていく。訪れた人々をびっくりさせ、わくわくさせるなにかが、この街には備わっている。港街のおもしろさ、たくましさ、そして新しさを満喫する旅ができ、幸せだった。
06コンパクトな
都市型火力発電所

磯子火力発電所の外観はとてもスタイリッシュで、パステルカラーの外壁を見上げ、「これが火力発電所なの?」という驚きから見学は始まった。
「発電所の屋上からは横浜ランドマークタワーが見えるんですよ。直線距離だと5.5㎞くらいですから」
小谷十創所長(取材当時)によると、都市部に建設されているがゆえの特徴的な設備が、この発電所にはいくつか備わっているという。
環境を守るため「乾式排煙脱硫装置」、「乾式排煙脱硝装置」、「電気式集じん装置」などで、発電に伴い排出される有害ガスのほとんどを除去しており、高さ200mの煙突からは煙がほとんど見えない。
さらに狭い敷地でも設置可能な日本初のタワー型ボイラーが導入されたり、クローバー型の石炭サイロを用いたりと、敷地を最大限に生かせる設備が備わっていることを教えていただく。
「環境保全、敷地の最大限の活用は、この発電所の優れたところです。それにくわえて発電効率の高さも磯子火力発電所の特色なんですよ」と話してくださるのはISOGOエネルギープラザの浅野勲館長(取材当時)。
発電所にある2台の発電機は、1台60万kWの出力があり発電効率の高さは世界最高水準を誇る。2台の発電機が1年稼働すれば、横浜市の年間使用電力量のおよそ3分の1を賄えるというのが衝撃的だった。
東京湾のコールセンターから発電所に石炭を運んでくる石炭船に乗せていただき、ジョイスティックと呼ばれる舵を握った。もちろんエンジンはかかっていないが、生まれて初めて船の操縦席に立って海を眺めた。
環境負荷低減とエネルギー効率向上を世界最高水準で両立したコンパクトな都市型石炭火力発電所の設備見学に加えて船の操縦まで体験させていただき、 心に残る一日となった。
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日本で初めて導入されたタワー型ボイラー。 -

小谷十割所長と浅野勲館長と筆者。


