ミルクとワインで町興し 挑み続ける高原の町を歩く
藤岡 陽子
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岩手県葛巻町とグリーンパワーくずまき風力発電所を訪ねて
グリーンパワーくずまき風力発電所は岩手県岩手郡葛巻(くずまき)町にある。総人口6,000人余りの山間の小さな町ながら、年間約50万人の来訪者を誇る「ミルクとワインの町」を知る旅に出た。
作家 藤岡陽子/ 写真家 大橋 愛
寒冷地という逆境が酪農郷への第一歩に
盛岡市内を出発しておよそ1時間。山あいの道を上ってきた車が、くずまき高原牧場に到着した。
視界いっぱいに広がる大草原の敷地はなんと350ha。飼われている牛の数は約2,500頭、羊や山羊の姿も見える。
青々と続く牧草地。その斜面で牛たちが草を食むのを眺めながら、思いきり深呼吸した。
目を閉じれば草が揺れるサラサラという音が聞こえてくる。
なんて、いい気持ちなんだろう。
ここへ来てまだ数分しか経っていないのに、体のすみずみまで透明なエネルギーが満ちていくのがわかる。
かつてこの辺りは宿場町として栄えたという。三陸産の海産物や塩を盛岡や秋田に運ぶ“塩の道”でもあった。だが冷湿な風、山背(やませ)の通り道であり、冷害地帯となる厳しい自然環境は米作や畑作に適さず、土地の人は苦労を重ねてきた。
そしてそんな逆境から暮らしを守るために始まったのが、酪農だ。
明治25年にホルスタイン種を導入して牛飼いを始め、それが「東北一の酪農郷」と呼ばれる町の礎になったとされる。
30万本の白樺の群生 信仰の場であった七滝
町の歴史を胸に刻みつつ、いくつかの観光スポットを散策した。
初めに向かった先は日本最大級と名高い、平庭高原の白樺林。約30万本の白樺の木が群れになってそそり立つ様子はあまりに幻想的で、しばし言葉を忘れてしまう。
パシパシと落ち葉を踏みながら森の中へと入っていく。空に伸びる細い枝が、青空に繊細な模様を描き、淡い光が白い幹に乱反射していた。レース編みの中にいるような光景に心が浮き立ち、ささいな悩みが一気に吹き飛んでいく。
さらに町の北部へと車で移動すれば、「七滝」という段々に連なっていく滝があると聞いた。
遊歩道の手前にある駐車場に車を停めて、川に沿って歩いていくと空気が少しひんやりしてくる。
水が跳ね、ほとばしり、落ちる音。川の流れに逆らって1つ目の滝、2つ目の滝と足を進め、行き止まりになったところで落差43mの大きな滝が現れた。
古くは信仰の場所として参拝客で賑わっていたというが、いまは人知れずひっそりと在る七滝。
小さな祠や地元の人の手によってきれいに掃き清められた東屋だけが、突然の来訪者を出迎えてくれた。
高原牧場の始まり 酪農に懸けた願い
「ミルクとワインの町」は、町のキャッチフレーズである。総人口6,000人余りの小さな町ながら酪農とワインで成功し、いまでは年間約50万人の来訪者を誇る葛巻町。
ミルクとワイン。この二大産業の成り立ちを知るために、くずまき高原牧場とくずまきワインを訪ねることにした。
まず初めにお会いしたのが葛巻町畜産開発公社の高宮晴彦さん。高宮さんは「くずまき高原牧場」を立ち上げた時からの職員で、牧場の変遷をその目で見てきた人でもある。
「葛巻町畜産開発公社は、昭和51年に設立されました。町民が出稼ぎしなくてもいいように、東北一の酪農の町にしたいという当時の町長の願いが牧場経営の始まりでした。その願いが、国の広域農業開発事業から補助金を受けたことで実現に向かったんです」
当初の職員は、高宮さんを含めた10人。まだ10代だった当時の高宮さんは、トラクターオペレーターとして牧草地の管理に携わった。
「成功の秘訣? それはやっぱり小岩井農場から経営のできる人が指導しに来てくれたからでしょうね。初代と二代目の専務が牧場づくりの基礎をきっちり教えてくれたんですよ」
公社のあるくずまき高原には350haの牧草地を切り開き、牛舎を建てた。さらに標高約1,000mの上外川高原と袖山高原の2カ所にも牧場を開発し、いまでは1,100haの牧場運営に成功している。
昭和50年代には町内の酪農家全部で約4,000頭だった牛も現在は1万頭を超えるほどに。公社は、町内や全国の酪農家からメスの子牛を預かり、妊娠牛にまで育ててから返すという預託事業も軌道に乗っている。さらに牧場のミルクで製造された乳製品は、くずまきブランドとして全国的な人気商品に成長した。
「設立以来41年、牛を育てるだけでなく、ホテルやチーズづくりなど、事業を一つひとつ増やし、100人を超える人を雇用できるまでになりました」
という高宮さん。それは牧場立ち上げ当初からの切なる願いであった。活気ある牧場の原動力と余裕は、一つひとつの夢を実現してきたからなのだという気がした。
山ぶどうで町興しも 苦節続きのワイン造り
旅の最後に向かった先は「くずまきワイン」の製造工場である。
葛巻町のワインは一般的なぶどうではなく、山ぶどうを使用しているのが特徴で、その製造過程を見学させていただいた。
果汁を搾る圧搾や、赤ワインをタンクに入れて発酵させる醸造。どの過程も初めて目にする作業ばかりで、知らず知らずのうちにテンションが上がってしまう。どこからかほんのり甘い香りが常に漂ってくるので、ワイン好きにはたまらない頬の緩む時間となった。
「ワインづくりは町興しのために始まったんです。地元に自生している山ぶどうを使って、何かできないかと」
今年で創立32年となる会社の成り立ちを聞かせてくださったのは株式会社岩手くずまきワインの漆真下(うるしまっか)満さん。初期の頃は山ぶどうの酸っぱさが裏目に出て「葛巻のワインは美味しくない」との評判に肩を落としたという。
だが山ぶどうを使う製法を諦めることはしなかった。なぜなら町民にとって山ぶどうは「お産後の女性や病人のお見舞いに持っていく」ほど滋養のある果実。実際に山ぶどうの成分を検出した結果、鉄分やポリフェノールの含有量がぶどうやブルーベリーより高いという事実も証明されている。
「利益が出るまでは大変でした。でも山ぶどうの量を変えてつくるなど改良を重ねたんです」
やがて漆真下さんたち職員の努力は実を結び、業績は右肩上がりになっていく。平成28年度には年間4億5,000万円を超える売り上げがあり、今では誰もが認める町の主要産業となっている。
「山村には、人間になくてはならないものが残っているんです。それを自分たちは追究しています。私たちがやっていることは山を循環させるということなんです」
という漆真下さんの言葉が印象的だ。確かにワイン造りも牧場での牛飼いも、山を活かし、山を守っていくことに違いない。
山を循環させる。
そのシンプルな営みこそ、この町の強さなのだと教えてもらった。
大切なのは日々の点検 高地ならではの風力発電
葛巻町にある事業所を出発し、のどかな田園風景を車で走ることおよそ40分。標高1,000mを超える上かみ外そで川がわ高原に、「グリーンパワーくずまき風力発電所」の白い風車が間隔を空けて並び立っていた。
「風車は全部で12基あります。1基あたりの発電出力は、1,750kW」と風車を見上げながら説明してくださるのは佐瀬見司所長。
年間で約5,400万kWの予想発電量があり、これは約1万6,000世帯分の電力消費量に相当する。
佐瀬所長に「所員の方の重要な任務は」と伺えば、設備の巡視点検や補修工事だと教えてくださった。
点検は5月から7月にかけての1年点検、10月から11月にかけての6カ月点検、さらに1カ月に1回の巡視点検があり、1基につき半日を費やすという。さらに風車が止まるなどのトラブルが発生すれば、随時補修工事も行われる。
「冬場は雪が積もるので、途中からはスノーモービルで移動します。一番手前の風車から奥の風車までたどり着くのに1時間。変電所までだと2時間かかる時もあります」
冬期は風車の中でもマイナス5℃から10℃まで気温が下がるというのだから、どれほど大変な作業なのかと頭が下がる。
ふと、地上に送電線が見えないことを不思議に思いたずねてみれば、「ここは標高が高いので風が強く、樹が揺れるんです。それに牛の放牧地でもあるから、景観にも考慮してるんですよ」と佐瀬所長。
送電線は土の中に埋没させて通しているのだと知り、自分の知らないいろいろな配慮がされているのだと感心する。風車と高原と牛の見事な調和。そして遥か先に望んだ岩手山の美しさが、心に残る見学になった。
グリーンパワーくずまき風力発電所
所在地:岩手県岩手郡葛巻町
発電所出力:2万1,000kW(1,750kW×12基)
運転開始:2003年12月
Focus on SCENE 北の高原に広がる白樺林
岩手県葛巻(くずまき)町と久慈(くじ)市の境界にある標高約800mの平庭高原。約369ha に31万本以上もの白樺林が広がる日本最大級の白樺自生林だ。白樺林を縦断する国道281号は、江戸時代には太平洋岸の久慈や野田でつくられた塩を牛に積み、山間部の盛岡まで運んだため、「塩の道」や「べこ(牛)の道」と呼ばれた。国道281号の両側には、約4kmにわたって白樺林が続き、10~11月上旬は、白樺に加え、カエデやモミジなどの木々が紅葉する見事な景観を楽しむことができる。
文/豊岡 昭彦
写真 / 大橋 愛
PROFILE
藤岡 陽子 ふじおか ようこ
報知新聞社にスポーツ記者として勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年『いつまでも白い羽根』で作家に。最新作は『満天のゴール』。その他の著書に『海路』『トライアウト』『手のひらの音符』がある。京都在住。