「礼法のこころ」を日々の内なる規範に
小笠原 清基×鹿内 美沙
Global Vision
弓馬術礼法小笠原流 三十一世宗家嫡男
小笠原 清基
フリーアナウンサー、日本舞踊西川流名取
鹿内 美沙
鎌倉期以来の道統を受け継ぐ小笠原流。三十一世宗家嫡男である小笠原清基氏は、武家の礼法・式法を守りながら、伝統文化の変革にも一家言を持つ。その背筋の伸びた佇まいに、この国で生きていく人の「範」が映し出される。
無駄を削ぎ落とした動きの美を追い求めて
鹿内 初めに弓馬術礼法小笠原流(※1)とはどのようなものか、ご紹介いただけますか。
小笠原 今から830年ほど前、初代小笠原長清が源頼朝公に、礼法と弓術、弓馬術の3つを教え、師範となったことから小笠原流は始まっています。以来、代々足利・徳川将軍家の指南役を務めてきました。明治維新後は古来の礼式を近代生活に適応させつつ、流鏑馬(やぶさめ)(※2)に代表される弓馬術、弓術、儀礼など伝統文化の継承、普及にあたっています。
鹿内 つまり、武家の礼法を現代に伝える家系なのですね。初代から数えて、いま何代目ですか。
小笠原 三十一世宗家の小笠原清忠が私の父です。
鹿内 次期宗家の清基さんで32代目……門外漢の私にも歴史の重みがずしりと胸に響きます。小笠原流の礼法にはどういった特徴があるのでしょう。
小笠原 鎌倉幕府が開かれた頃、文化の中心は京都でしたので、公家の礼法を参考にして武士らしく質実剛健な形に整えてきました。単に力を誇示し民心を従わせるのではなく、人として礼節が必要だとの考え方があったと思います。
鹿内 武家の礼法には誇り高い心の持ちようだとか、「武士は食わねど高楊枝」といったやせ我慢を強いるようなイメージもありますけども。
小笠原 武家の礼法はとてもシンプルで、実用、省略、美しさの3つが基本です。戦いを本分とする以上、道理にかなった動きを常に心掛け、省けるところは極力省き、そこに美を求めていく。それができれば、相手方にも失礼が及ばないと自らを律するのです。
鹿内 単なる応接のマナーや、マニュアル的な手順などとはまったく別モノのようです。無駄を削ぎ落とした動きの美を追い求めていくような……。
小笠原 要は、日常の立ち居振る舞いで粗相が起きないためにはどう動くべきか、その考え方が重要なのです。例えば食事の作法で、食膳の左側にあるものを右手で取りに行くと、食器に触れて音を立てたり、袖口を汚したりして粗相が起きやすくなる。だから左手で取りに行く、その動作が美に映るように考え尽くされたものが礼法とお考えください。
鹿内 効率よく、しかも美しく動くという考え方を、弓を引く動きに応用すれば弓術になり、さらに馬に乗る動作まで含めれば弓馬術になる、という理解でよろしいでしょうか。
小笠原 おっしゃる通りです。小笠原流では、実用、省略、美を重んじる礼法をベースにして、その上に弓術、弓馬術といった武家の式法を位置づけています。
立つ、座る、歩くなど6つの基本体を修める
鹿内 私の日本舞踊の習い始めは、舞扇子をどう開くかばかり教わりました。小笠原流では何から習うのですか。
小笠原 立ち方、座り方、歩き方、おじぎの仕方、物の持ち方、回り方といった基本体を修めていただきます。日常の動作はそれら6つの組み合わせですので、例えば食事作法で腕の運びや箸使いは良くても、猫背であっては美が損なわれますから、まずは基本の姿勢から稽古するという指導になります。
鹿内 おじぎの仕方なども難しいですよね。時と場所に応じて深さを変えなければならないとか。
小笠原 実は、屈体の角度はあまり本質的な問題ではありません。それより多くの方が頭を下げるのはゆっくりでも、起こすのが早すぎるので、呼吸のリズムを相手に合わせてゆっくりした動作を心掛けると、より気持ちが通じます。もう1つ、おじぎの動作の一部始終をどのタイミングで写真に撮っても、ちゃんと絵になっていることも重要ですね。
鹿内 日舞でも同じように教わりました。動きの点と点を結んだ線が美しくなるように舞いなさいと。礼法と聞いて、自分とはかけ離れた世界かと思っていましたが、実は日常の動作を改めて考え直してみることなのですね。
小笠原 家庭のしつけと同じで、私たちがお教えするのは日本人としてごくあたり前のことばかりです。それができなくなっている自分に気が付いて、礼法を習いに来られる方が多いのではないでしょうか。
鹿内 実際に通って来られる方々に特徴はありますか。
小笠原 下は未就学児から上は80代の方まで幅広く、きっかけや動機も様々です。最近は、お子さんのうちからの修身にとか、グローバル社会で日本文化を語れる人間教育のためにといった動機が目立ちます。海外の方からのオファーで、日本の伝統文化として紹介される情報が玉石混交なので、どれが正しいのか整理してほしいと頼まれることもあります。
礼法をベースに弓術、弓馬術を武家の式法に
鹿内 そうした礼法をクリアして、弓術や弓馬術へと進む方もおられるのですね。私は乗馬も好きなので興味を引かれます。
小笠原 弓はもともと狩猟の道具であり、戦の武器であったわけですが、それを武家の式法に仕立てたのが小笠原流弓術です。正月の破魔矢(はまや)なども、大的式(おおまとしき)という弓術の儀式が元になっています。一方の弓馬術は、各地で行われる勇壮華麗な流鏑馬の神事をニュース画像などでご覧になることが多いと思います。
鹿内 実際に馬にまたがった自分を想像してみても、疾走する馬上で手綱も持たず、大きな弓を引いて横向きに的を射るなんて人間業とは思えません。一体どれだけ過酷な訓練を積めば、あんなアクロバティックな動きが身に付くのでしょう。
小笠原 むろん弓術を修めてからの話になりますが、馬の乗り方はほとんど教えません。やはり先程申し上げた、立つ、座る、歩くといった礼法をとことん稽古してもらいます。その中で現代人の多くが失っている、人間が本来備えているべき身体の中心の筋力を取り戻します。すると落馬をしても、多少のことではへこたれない身体をつくれるのです。
鹿内 礼法の稽古で、いわゆるインナーマッスルを鍛えるのですか。
小笠原 身体の左右の中心で、なおかつ上下の中心といえば腰しかありません。立ち姿から稽古を積み重ねて、腰を正しく使う動き方とか、余分な力を入れずに動く方法が身に付くと、馬上でどんな姿勢を取っても身体の傾きを補正して安定を保てるようになります。
鹿内 その域に達したら、実際の馬に乗って仕上げにかかると……。
小笠原 いえ、稽古の大半は木製の馬で行います。昨今は馬の頭数にも限りがありますし、儀式では初騎乗の馬を操ることも多く、どんな馬にも対応しうる基本を身に付けるには、むしろ木馬が適しているのです。
初心者のうちこそ、木馬と生き馬ではまったく条件が違うと感じますが、熟練・熟達するほど不思議なくらい感覚が似通ってきます。
鹿内 動かぬ木馬にまたがって疾走する馬上のバランス感覚が養えるなんて、にわかには信じがたい気もします。
小笠原 日舞にも「静中動、動中静」がありますでしょう。ピタッと止まった中に大胆な動きがあり、激しく動く中にシンとした静けさがある。要は、いかなる状況下でも正しく引けば当たる「正射必中」の極意を会得することなのです。
「流儀を教えることを生業としない」との家訓
鹿内 普段の暮らしぶりをお尋ねしたいのですが、次期宗家として流派の矢面に立たれる一方、清基さんは製薬会社に勤務する研究者としての顔もお持ちです。両方を立てるのは難しくないですか。
小笠原 ありがたいことに研究職なので勤務時間に融通が利くのと、会社や職場の方々の理解があればこそ今の生活を維持できています。
鹿内 家業を継ぐために今の職業を選ばれたと聞きましたが、本当はお医者様になりたかったとか。
小笠原 はい。小さい頃から流派内の幅広い年代の方々と接して、病気や死を身近に感じていたことから医者の職分に憧れたのも自然な流れかと思います。ところが、門人で医師をしている方に聞くと「次期宗家のあなたに両立は不可能」と即断され、せめて医療に近い仕事に就きたいと願って現職を得るに至りました。
鹿内 職場と教場とで、ご自身の立ち居振る舞いを使い分けるようなことはありますか。
小笠原 特に意識してはいませんけども、教場にいる間は礼法に則った動きをしますが、勤務先では周りの方々とあまり変わらないと思います。さもないと浮きますから(笑)。
鹿内 流派でのお立場を考えれば、あえて就職の必要はないとする価値観もあるかと思うのですが。
小笠原 その考えを退けたのが二十八世宗家の小笠原清務で、明治維新を機に「流儀を教えることを生業としない」との家訓を残しました。それ以前の固定的な身分制度から平等な世の中に様変わりして、各家庭のしつけも垣根を越えて行われるようになった。そこに近代にふさわしい礼法教育の可能性も開けたのですが、それをビジネスにしてしまえば顧客の確保を意図した流儀にねじ曲がりかねませんから、決して生業とせずという選択をしたのだと思います。
鹿内 そういう志の高さを代々継いでいこうとする覚悟の表れなのですね。
小笠原 祖父は大学で教育心理学を教えましたし、父も福祉関係の団体職員や教職を務めました。流派の仕事との二足のわらじが、どうにか様になってきたかと思います。
変えていくべきものと変えてはならないもの
鹿内 家庭のしつけはもとより、学校教育や生涯教育などの場でも「礼法のこころ」をもっと生かせば良いのにと思います。
小笠原 どんな分野、どこの流派といった括りを離れて、日本の伝統文化の全体観が身に付くような教養科目があって然るべきだとは思います。例えば、なぜ正月には餅を食べて初詣に行くのか、七五三や結婚式など人生の通過儀礼がなぜ大切なのか。大本の意味を知らずに過ごせば伝統的風習の形骸化をくい止めることができません。
鹿内 この国に生きる上での心得として、社会科で歴史を習うのと同様に、文化についても学ぶ機会が必要なのですね。
小笠原 伝統文化は限られた人のためにある特殊な世界ではありません。興味を持たれた方が好きな分野、好みの流派の門をたたけば誰でも受け入れてくれるはずです。
ただ1つ、我々受け入れる側の反省として、分野ごと、流派ごとに閉じこもって外部との交流を許さないという風儀があることには大いに改善の余地があります。
鹿内 家元制をとる日舞の世界にも、その傾向は見て取れます。
小笠原 理想を言うなら、日本の伝統文化という大枠の中で各分野、各流派が横のつながりを持ち、互いに協力できるところは協力して伝統文化全体への関心を高め、お弟子さんを紹介し合うことは心掛けるべきでしょう。日舞を嗜まれ、乗馬もなさる鹿内さんには流派の壁を突破する先駆けとして、ぜひ弓馬術をお勧めしたいくらいです。
鹿内 ケガをすると仕事ができないので、少し考えさせてください(笑)。小笠原流においては、もしもお弟子さんが他分野、他流派の門弟を兼ねたとしても、お咎(とが)めはないのですか。
小笠原 咎めるどころか奨励しています。私自身、子供の頃から剣道の道場に通い、お茶、お花、お香なども習いました。弓術では、小笠原流とは別に日へ置き流りゅうがありますが、あちらの道具をあえて使ってみて、相違点に気づく稽古をした時期もあります。ただし、それで小笠原流の式法を変えることはせず、何か足りない部分を補ってもらうような感覚ですね。
鹿内 なるほど。変えていくべきもの、変えてはならないものの境目がその辺りにありそうです。次期宗家として、先々への歩みをどう思い描いていらっしゃいますか。
小笠原 やはり日本文化を後世に正しく伝えていくことが何よりの使命で、幾久しく小笠原流はその主たる担い手であり続けたいと思います。
構成・文/内田 孝 写真/吉田 敬
KEYWORD
- ※1弓馬術礼法小笠原流
小笠原家は初代長清に始まる清和源氏の家系。その子孫によって道統が継がれ、後醍醐天皇に仕えた7代貞宗、常興が「修身論」「体用論」を著して流儀を確立。20代貞政は8代将軍吉宗の命により新儀式としての流鏑馬を制定。28代小笠原清務は流鏑馬を天覧に供すほか、明治12年8月、東京神田に弓馬術礼法小笠原教場を開き、門戸を一般に公開した。 - ※2流鏑馬神事
地上で弓を引く歩射に対し、馬上から弓を引く騎射の儀式として確立。国家安穏、五穀豊穰、病気平癒などを祈願する神事として広く定着した。小笠原流は鶴岡八幡宮、日光東照宮、笠間稲荷神社などの他、海外でも執行している。
PROFILE
小笠原 清基(おがさわら・きよもと)
弓馬術礼法小笠原流 三十一世宗家嫡男。1980年、小笠原流三十一世宗家小笠原清忠の長男に生まれる。3歳で弓馬の稽古を始め、小学5年から鎌倉・鶴岡八幡宮など全国各地の流鏑馬神事で射手を務める。大阪大学基礎工学部卒業後、筑波大学大学院人間総合科学研究科修了(神経科学博士)。製薬会社に研究員として勤務の傍ら、全国の門人らと各地で神事を執行している。NPO法人小笠原流・小笠原教場理事長。一般社団法人日本文化継承者協会代表理事。日本女子体育大学弓道部監督。
PROFILE
鹿内 美沙(しかない・みさ)
2007年、中京テレビ放送に入社。09年に第30回NNSアナウンス大賞で最優秀新人賞受賞。13 年に同社退職後はフリーアナウンサーとして活躍。趣味・特技は日本舞踊(西川流名取=西川扇華子)、乗馬。