食品保存の知恵と伝統の味を守り続ける
株式会社鮒佐

匠の新世紀

株式会社鮒佐
東京都台東区浅草橋

素材に味がしみた瞬間を目で見極め、敷きざるを上げると、湯気がもうもうとあがる。

ご飯のお供として定番ともいえる佃煮。
現在のような醤油味の佃煮の原型をつくり出した店が東京都台東区にある。
一子相伝で伝統の味を守り続ける同店を訪ね、伝統を守り続けることの難しさやものづくりにかける思いについて聞いた。

良質の醤油との出合いで佃煮が生まれた

株式会社鮒佐代表取締役社長
大野佐吉さん

東京都台東区浅草橋にある株式会社鮒佐は、醤油味の佃煮の原型をつくった店として知られる(※諸説あります)。同社社長の5代目大野佐吉さんは、佃煮の誕生について次のように語る。
「佃煮というのは、江戸時代に佃島(東京都中央区)で生まれたことから佃煮というのですが、売りものにならない小魚がもったいないと、漁師たちがそれを塩煮にして保存食にしたものと言われています。
1862年(文久2年、明治元年の6年前)に、当店の初代大野佐吉が、小魚を種類ごとに分け、当時は高級品だった醤油と砂糖を使って調理した佃煮を考案し、この場所で売り出したのが当店の始まりです」
初代佐吉が生まれた頃には下総(現在の千葉県)で良質の醤油がつくられるようになっていた。船橋出身の初代佐吉はこれを利用し、川で獲れたフナに醤油を付けて焼く“鮒のすずめ焼き”を売っていたが、塩煮の佃煮と出合い、これに醤油を用いることを思いついた。
鮒佐の佃煮は、長期保存ができ、味もよいことから評判となり、店は繁盛した。その後、小魚だけでなく、ごぼう、海老、昆布などを加え、もっとも多い時には20種類以上の品を揃えたという。

職人任せにせず社長自ら現場に立つ

JR浅草橋駅から徒歩3分のところにある鮒佐。歴史を感じる重厚な看板が目を引く。
店頭に立つ5代目大野佐吉さんと長男の真徳さん。
明治時代の掛け紙(包装紙)には白魚漁の様子と当時の品書きが掲載されている。

鮒佐には「家業に誠実たれ」という家訓が伝わるが、大野さんはこれに従い、社長業のかたわら、今も毎日製造場に立つ。
実際に佃煮をつくる作業を見せていただいた。同店では現在も、“へっつい”(かまど)で製造を行っている。
最初にかまどに火を着け、鍋の上に竹でできた敷きざる(煮ざる)をセット。生醤油と継ぎ足しのタレを鍋に入れ、煮汁が高温になったところで素材を投入。火加減を見ながら、ときおりタレを加え、素材を煮ていく。途中で砂糖を加え、素材が煮上がったタイミングを見極め、敷きざるごと引き上げて、盆ざるにあければほぼ完成だ。この間、約30分(しらすは約20分)。この短い時間が素材の味を最大限に引き出すことのできる時間だ。
大野さんは22歳の時から、30年以上にわたって、この作業を続けてきた。
「子どもの頃から手伝いをしてきましたが、一人前になるには時間がかかりました。タレや砂糖を入れる頃合い、素材を引き上げるタイミングなどは教えられても自分のものになりません。自分でやってみて、納得したものは忘れません」
驚くのは一切、味見をしないことだ。
「舌で判断すると、その日の体調によって味がぶれます。タレの泡立ち方や照りなどを見て、味覚ではなく視覚で判断するのです」
素材を煮上げたあとのタレは桶に戻し、次の製造に利用する。当時は貴重だった醤油や砂糖を一切無駄にしないとともに、各素材の出汁がタレに追加され、時を重ねるにつれて、複雑な味になっていく。鮒佐の佃煮はこのタレがあってのもの。大量生産するとタレが“疲れる”ため、店売りだけに徹している。

昭和22年から継ぎ足しのタレでじっくりと煮込む。
煮上がったごぼう

安全な保存食としての佃煮の滋味と味の深み

調理に使用したタレはざるでこして再び使用する。
燃料は薪。強い火から柔らかい火まで調節が可能。
5種類の佃煮の詰め合わせ。

鮒佐の佃煮は、市販の佃煮に比べると塩気が強い。それは塩分を使って防腐剤を入れずに衛生状態を保つという日本人の知恵だ。
「佃煮は主役ではなく、ご飯やお酒などと一緒に食べるものです。ですから、佃煮の量を自分で調整しながら楽しむものです」
実際、ご飯多めで食べると素材の味がしっかりと味わえるのが鮒佐の佃煮。一般的な甘い佃煮とは一線を画す伝統の味だ。
「お店でお客様から、お豆腐に載せて食べるとおいしいとか、夏場の暑い時はご飯に氷水 をかけて一緒に食べるとおいしいとか教えていただきます。つくっている我々も知らなかった食べ方ですね」
現在、通年でつくっている佃煮はごぼう、あさり、海老、しらす、昆布、穴子の6種類。これに9月下旬から11月上旬ごろは季節限定で小はぜが追加される。埋め立てや湾岸整備などにより、江戸前の素材の入手が困難になり、現在使用している食材も、各地から質のよいものを取り寄せたものだ。さらに、食材だけではなく、鍋や敷きざるなどの道具も、これまでと同じものを手に入れるのは難しくなっている。
最後に大野さんに、五代目としてのこれからの抱負を聞いた。
「伝統の味をしっかりと守り後世に伝えていきたいと思います。我流に走って新しいものに挑戦するよりは、のりやはまぐりなど、今はなくなってしまった品を復活させたいと思っています」
鮒佐のものづくりには、自然の恵みを無駄にしない“もったいない精神”と、食材を大切にしながら、安全に長期保存する日本人の知恵が隠されていた。

取材・文/豊岡 昭彦 写真/斎藤 泉

PROFILE

株式会社鮒佐

1862年(文久2年)創業の佃煮専門店。醤油を使った現在のような佃煮の原型をつくった店。創業者の初代大野佐吉さんが“鮒のすずめ焼き”を販売していたことから「鮒屋の佐吉」と呼ばれ、それが店名の起源となった。当主は代々大野佐吉を名乗り、現在5代目が社長を務める。