風待ちの港町で挑む人々に出逢う
~広島県竹原市と竹原火力発電所を訪ねて~
藤岡 陽子

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広島県竹原市と竹原火力発電所を訪ねて

忠海港からフェリーで約15分で行ける大久野島。「うさぎ島」とも呼ばれ、島内にはたくさんのうさぎが生息している。

J-POWER竹原火力発電所は広島県竹原市にある。古くから瀬戸内の交通の要衝であった竹原は江戸時代に製塩と酒造で栄え、いまもなお観光の名所である。歴史の面影を残した情緒豊かな港町を旅して歩いた。

作家 藤岡陽子/ 写真家 かくた みほ

忠海港からフェリーで約15分うさぎが暮らす島へ

竹原市内にある忠海(ただのうみ)港を出発したフェリーは、凪(な)いだ瀬戸内海を滑るように進み、大久野(おおくの)島に着岸した。港を出発してわずか15分の航海が、日常とは別世界の離島へと誘ってくれる。大久野島は周囲約4kmの小さな島で、「うさぎ島」と呼ばれる竹原でも人気の観光スポットだ。
フェリーを降りて島に上陸すると、茶色や白色、灰色の柔らかな毛を持つうさぎたちが木のねもとや芝生の上、あちらこちらでピョンと跳ねていた。
島内にはたくさんのうさぎが生息しているそうで、それが「うさぎ島」の名前の由来でもある。
「おいで、おいでー」
近づくと、一羽、二羽と、うさぎたちが集まってきた。人に慣れていて、犬のように立ち上がってエサをねだる様子がなんとも愛らしい。

島で感じた平和の大切さ 歴史伝える毒ガス資料館

人に慣れているのか、人がいるところに集まってくるうさぎたち。
朱色の普明閣は、西方寺本堂横の高台に立つ。
たけはら町並み保存地区の本町通り。通り沿いには歴史を感じさせる建造物が並ぶ。

いまでは島内に宿泊施設があるほどの観光名所になっている大久野島だが、重厚な歴史があることにも少し触れておきたい。
かつて大久野島は日清・日露戦争時に瀬戸内海の防衛の要地となっていた期間があるという。そのため島にはいまも砲台の跡が残っている。さらに1929年から1945年には毒ガス工場が建てられ、人知れず毒ガスや信号筒風船爆弾が製造されていた。そうした歴史は島の中心部にある毒ガス資料館を訪れると詳しくわかり、館内では当時の記録や毒ガスの製造に使用された備品の数々を目にすることができる。
毒ガス製造を秘密にするため、戦時中は日本地図から消されていたこともある大久野島。だが戦争の爪痕が残る島を、地元の人々が長い年月をかけて、愛される島へと変えていった。
大久野島のうさぎたちは可愛い。けれど癒やしだけではない、平和であることの幸せを感じられる貴い時間が、この島には流れていた。

うさぎの耳の形をした集音器。
休暇村のカフェで買える「うさぎのはなくソフトクリーム」。
大久野島にある毒ガス資料館。
本町通り沿いの家で目にした竹細工の花器と美しい花。
ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝と妻・リタの銅像。政孝は竹原出身で、本町通り沿いには実家の竹鶴酒造がある。
ピースリーホーム バンブー総合公園にある竹の館。
竹原市の竹林。
竹を割る竹原市竹工芸振興協会のみなさん。
瀬戸内海に沈んでいく夕日。放流した稚魚たちが無事に大きく育ちますようにと、願いをこめる。

江戸時代から昭和の建造物 情緒漂う「町並み保存地区」

うさぎを満喫した後は、「町並み保存地区」へと車で移動する。遠くに見える水平線に視線を延ばしながら沿岸部を走ること十数分。再び日常を忘れるような情緒ある町並みへとたどり着いた。
石畳の本町通りを、ゆったりと歩いていく。
通りの両側には江戸時代から始まった製塩業や醸造業、北前船の廻船問屋などで財を成した豪商の屋敷が建ち並ぶ。
漆喰の壁に本瓦葺(ほんかわらぶき)。軒下のカラフルな飾り物や玄関先にそっと置かれた竹細工の花器。ハートやクローバーの形にくり抜かれた格子など、家屋の細部に趣向が凝らしてあるのが見ていて楽しい。
江戸時代の建物以外にも1929年に建てられた竹原書院図書館(現在は歴史民俗資料館)なども残り、過ぎ去った遠い時代の空気に触れさせてくれる。
本町通りから高台に続く石段を上がり、西方寺の境内へと向かった。境内からさらに上に続く小径を歩いていけば、寺の観音堂である普明閣が現れる。1758年に建築されたという普明閣の舞台からは、かつて風待ち港としてにぎわった竹原の町が一望できた。

竹細工の作品を片山さん(右)に見せていただく。「瀬戸内海クルーズ船『ガンツウ』に採用されたスツールです」と片山さん。
敷地内に積み上げられたカキ養殖用のホタテの貝殻。ここにカキの幼生を付ける。
千代紙でカラフルに装飾された二連の風車。
竹細工体験で四海波かごづくりに挑戦。竹ひごを1本ずつ組み込んでいくのは根気がいるが、心が落ち着く。
センター内で飼っているカニの雌。4月になったら水温を上げて、連休明けに卵をふ化させる。
生後約50日のアユの稚魚。1匹が0.5gになったら出荷する。

竹原の伝統工芸を守る まちなみ竹工房の気概

玄関に飾られたカラフルな竹細工の風車に惹かれ、足を止めた。玄関先に掲げられた表札には「まちなみ竹工房」と刻まれ、予約なしで竹細工体験ができるようなので、おじゃましてみた。
「私たちの竹工房は、竹原市竹工芸振興協会が母体になっています。市内に工房が3カ所あり、120名ほど在籍する会員たちが持ち回りで運営しているんですよ」
と出迎えてくださったのは職人で事務局長の片山一廣さん。体験コースでつくれるのは竹とんぼや風車、花かごなどで、私は四海波(しかいなみ)と呼ばれる花かごを選び、作業場に腰を下ろした。
「竹は軽いし強いし、水気をうまく処理すれば何年も使える丈夫な素材です。教えてもらうとけっこういろいろつくれるもんで、みんな楽しんでやっていますよ」
工房の前身は、かつて竹原にあった職業訓練校の竹工芸科だったと片山さんが教えてくださる。訓練校がなくなってからは、地元の伝統工芸品を守ろうとする有志で工房を立ち上げた。
驚いたのは、広島市内にあるマツダスタジアムに設置されている竹のトンネルが、竹原市竹工芸振興協会の作品だということだ。職人が竹原市内の竹藪から竹を切り出し、ひごに加工したものが、センターボード裏のアーケードとして活用されているという。
偶然にも取材に訪れた2日後に竹ひごづくりが行われると知り、現場を見学させていただいた。青空の下、竹と格闘するみなさんの姿は生き生きと眩しく、清楚で素朴な竹にも似た力強さがあった。

漁師を支える栽培漁業 放流した稚魚への想い

竹原火力発電所の近くにある「広島県栽培漁業センター」を訪れて、栽培漁業についての話を聞かせていただいた。
「センターでは魚やカニなどをふ化させ、少し大きくしてから漁業協同組合に提供しています。提供した稚魚は海に放流され、成魚になるのを待って漁獲されるんです」
施設を案内してくださった開発担当部長の松原弾司さんは子どもの頃から魚が好きで、下関の大学で水産を学んだ後、センターに就職したという。 
施設内ではメバル、カサゴなどの稚魚が、巨大水槽の中で群れになって泳いでいた。その小さな生命の輝きに圧倒されると同時に脆さも感じる。たとえばキジハタの稚魚はふ化してから2日間エサを食べないと死んでしまうと聞き、愕然とした。
「32年間この仕事をしていますが、毎年気づきがあります。提供した稚魚が大きく育ち、『たくさん獲れるようになったよ』と漁師さんに言われると嬉しいですね」
と語る松原さんの顔には、好きなことを仕事にしている充足感と、漁業を支える使命感が滲んでいた。
飼育されていた稚魚は2.5~3.5cmで出荷。そして放流された稚魚が海で育ち、大きくなって漁師さんのもとに戻ってくる。時間も手間もかかる作業の上に漁業が成り立ち、私たちの暮らしがあることを学んだ。
すぐに形にはならなくても、この頑張りはいつかどこかで報われる。
努力は時間を超えて結実する。
毒ガスの島が癒やしの島へと変わったように。伝統を守る想いがスタジアムのアーケードをつくったように。見えないくらい微小な卵が、見事な海の幸となって食卓を彩るように。地道に緻密に未来のために、小さな挑戦を重ねる。
私もそんな気概を持って生きたいと思った。

脱炭素時代を生き延びる バイオマスという技術

竹原火力発電所の新1号機本館。白い外壁に若竹色のラインが青空に映える。

2020年6月に運転を開始した竹原火力発電所新1号機では、昨年8月から木質バイオマス燃料と石炭の混焼発電をスタートしたという。「混焼発電?」疑問に思う読者の方もおられると思うが、私もよくわからないので、大畑博資所長に詳しく教えていただいた。
「石炭はもともと木なんです。何億年も前に、木が熱や圧力で固められて石炭になったんですよ。つまり木質ペレットは、いちばん若い石炭ということなんです」
木質ペレットを10%混ぜると約8%のCO2排出量が削減されることが、現段階で実証されている。
実は8年前、私はこちらの発電所を見学したことがある。だが当時に比べて環境に対する規制はより厳しくなり、いま世界の多くの国が「CO2の排出量を実質ゼロに」という目標を掲げている。
竹原火力発電所ではそうした時代の潮流を受け、出力60万kWの最新鋭石炭火力発電設備である新1号機を建設した。さらに石炭が燃焼する際に発生する硫黄酸化物や窒素酸化物、ばいじんなどを大幅に減らすための最新装置も設置している。
「不確定要素が多い時代ですので、電力の安定供給をきちんと行いつつ、新しいことにも取り組んでいかなくてはいけません」
と大畑所長。木質ペレットを10%混ぜるという大規模混焼が可能になったことでまた次の課題が見えてきた、と表情を引き締める。
8年ぶりに訪れた竹原火力発電所が、未来を見据えた新しい挑戦をしていたことに勇気をもらった。
「課題があるから人間は知恵を出すんです」
と大畑所長が話すように、不確かな時代を生きる私たちは、挑戦することを諦めてはいけないのだと感じるルポとなった。

若竹色の垂直コンベアが木質ペレットを最上階まで送っている。
設備の説明をしてくださる大畑博資所長(左)と筆者。
14万トンの石炭が貯蔵可能な1号貯炭場の内部。
ボイラー棟に石炭を運ぶベルトコンベア。
微粉炭が燃焼する様子が見える。
新1号機のタービン。
60万kWの出力を持つ新1号機の発電機。
石炭に混ぜて燃やされる木質ペレット。現在使用されているのはスギ、ヒノキ、アカシアなど。
ペレットを供給する給木機。
オーストラリアから石炭を輸送してきた石炭船。
新1号機の性能が学べる展示施設。プロジェクションマッピングを使った説明が最先端。

竹原火力発電所
発電出力:1,300,000kW
運転開始:
新1号機 2020年6月
3号機 1983年3月
所在地:広島県竹原市忠海長浜

Focus on SCENE エデンの海の眺め

竹原市忠海(ただのうみ)町にある「エデンの海パーキングエリア」は、国道185号線沿いにある。若杉慧が1946年に発表した小説『エデンの海』の記念碑が立ち、展望台が設置されている。同作品は、忠海の女学校を舞台に女生徒と青年教師の恋と葛藤を描き、3度映画化された。舞台となった忠海沖の瀬戸内海を見渡せるこの地からは、晴れた日には四国の山々も見え、フォトジェニックなスポットとなっている。

文/豊岡 昭彦

写真 / かくた みほ

PROFILE

藤岡 陽子 ふじおか ようこ

報知新聞社にスポーツ記者として勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年、『いつまでも白い羽根』で作家に。最新刊は『空にピース』。その他の著書に『満天のゴール』、『おしょりん』など。京都在住。