気象情報から始まる防災教育の第一歩
早田 蛍

Opinion File

気象と防災に関する専門知識を使って「災害で人が亡くならない街づくり」を目指す早田さん。

命を守る防災教育気象予報士の新たな使命

2020年7月、西日本から東日本まで広く大雨をもたらした「令和2年7月豪雨」。熊本県など、特に九州地方においては記録的な降水量が観測された。

熊本県出身の気象予報士で防災士の資格を持つ早田蛍さんは、その2週間前、母校の八代市立坂本中学校で防災教室を開いたばかりだった。

この町にはどんな災害リスクがあるか、大雨が降ったらどうするか、いつどこに逃げるのか、日頃からどんな備えをしておくか。ハザードマップ(※1)を見ながら生徒たち自身に考えてもらい、話し合いながら理解を深めていくワークショップ形式の講座。その様子は地元のケーブルテレビ番組でも紹介され、豪雨の前日にも放映されていたという。

「私自身もSNSで注意を呼びかけていましたが、番組を見てくださった方々や、講座を受けた生徒たちやご家族が早めに行動を起こしてくれたと聞きました。後日、校長先生に伺うと、家や車が流されてしまった子もいるものの、命は全員が助かったと。生徒たちが率先して、妹や弟、お年寄りを避難させていたという話を聞き、防災教育の大切さを改めて胸に刻むことになりました」

気象予報士というとお天気キャスターのイメージが強いと思われるが、それだけが活躍の場ではない。

2022年8月現在、気象予報士の登録者数は全国で1万1273人を数えるが、このうち気象庁の「令和2年度気象予報士の現況に関する調査」に回答した約半数の属性を見ると、個人や民間の予報業務許可事業者(※2)で働く人は全体の約9%に過ぎない。

大半はメディアを含む民間企業や自治体、教育機関、公的団体などに広く散らばり、無職の人や学生も約17%に上る。その一方、気象予報士の資格や知識を役立てたい業務としては、「地域における防災活動」がトップで約39%、続いて「教育活動」(31%)、「防災・安全・危機管理など職場の防災対策」(30%)となっている。

まだ人数は少ないが、早田さんもそうした防災・教育分野に自らの道を求める気象予報士の一人。NPO法人(特定非営利活動法人)「防災WEST」(※3)の一員として、また個人としても、九州エリアを中心に気象・防災に関する講演、ワークショップ、お天気教室などの活動を続けている。地域の人々を招いて公民館でのセミナー、企業の職場研修や大学等の公開講座でのワークショップ、子どもたちや教職員に向けて小中高校でのお天気教室や防災教室と、自然災害の脅威を人々が身近に感じるようになったのにつれて早田さんの出番も広がりを見せているという。

熊本地震が教えてくれた国家資格を活かす道

早田さん自身、幼い頃から災害とは隣り合わせの生活を送ってきた。生まれ故郷の坂本町は球磨(くま)川の下流域に広がる緑豊かな山村地帯だが、大雨が降るとたちまち川があふれ、道路の冠水や土砂災害が毎年のように起こる土地。いつか生死にかかわるほどの大災害がやって来たらどうしよう。そんな不安を抱えながらも、天気予報で大雨が予測できれば命を守ることもできるはずと、子ども心に思っていた。それが、やがて気象予報士を目指すことにつながる原体験だ。

「高校生になって地学の授業で気象のおもしろさに触れた時、気象予報士という職業が具体的な夢に変わりました。実現したのは大学4年生。8度目の挑戦でやっと合格できました。実は高校を出ていったんは就職したのですが、気象予報士になる夢を諦めきれず、大学でみっちり勉強する決意をしたんです」

晴れて気象予報士となった早田さんが、実際にその資格を活かして防災に関する普及・啓発活動に本腰を入れることになったのは、それから4年後の2016年である。気象予報士の職にはなかなか恵まれず、結婚や出産もあってしばらく仕事から遠ざかっていた時期だった。その年の4月14日、あの熊本地震(※4)が故郷を襲う。

「当時、夫の転勤で宮崎県で暮らしていたので私自身は難を免れたのですが、実家の親族や友だちが被災して苦しんでいるのに、何もしてあげることができなくて。町は瓦礫(がれき)の山、避難所には多くの人が身を寄せて、人手や物資を求めています。でも、私には生後7カ月と2歳の子どもがいて現地には行けない。こんな時のために取ったはずの気象予報士の資格も役立てられません。ただ悲しくて悔しくて、無力感に包まれました」

思えば、合格率約5%の難関を突破して気象予報士の資格を手に入れても、誰もがすぐにそれを活かせるわけではない。早田さんも子育てをしながら働ける気象関係の仕事を探したが、子どもがいることなどを理由に断られることが多かった。予報業務だけが気象予報士の役割ではない、まだ広く認識されていないが、自分はこの資格で必ず防災に貢献する道を開く。この時改めて心に決めた。

折しも、所属していた日本気象予報士会からの依頼で防災講座にかかわる機会があり、同じ志を持つ九州在住の気象予報士たちとの知己を得て、2016年9月に防災WESTの前身となる組織を結成した。

備えなければ生まれない いざという時の行動

熊本県がWebサイトで公開している「くまもとマイタイムライン」。Web上で記入しながらオリジナルシートを作成できる。

早田さんたちが力を入れる防災講座とはどんな内容なのか。「令和2年7月豪雨」の1年後、その時の体験をもとに前出の坂本中学校で行われた防災教室の様子から、一部を以下に紹介する(詳細は同校ホームページに記載、※5)。防災WESTのメンバーが講師を務め、地域の電力会社のスタッフも協力した。

◎研修1

7月豪雨を分析し、タブレット端末を使って線状降水帯発生のメカニズムや河川の水位などを調べ、球磨川氾濫の原因について学ぶ。発電の仕組みも道具を使って体感。

◎研修2

体育館で避難所開設・運営の疑似体験。設備班、食事班、道具班、生活班に分かれて行動。最後に班の代表者が自分たちの仕事を紹介し、活動内容を全員で共有。

◎研修3

居住地域ごとに編成した班で、災害時の避難行動を時系列にまとめたマイタイムライン(※6)を作成。ハザードマップを見ながら避難先を確認し、各自の避難計画を発表。

以上はプログラムの一例だが、ふだんの活動では、「気象情報の種類と意味」、「避難情報に基づく行動の仕方」、「ハザードマップの見方」を三本柱として、講師の話を聞いて受講者が基本的な知識を得たら、大雨などを想定したシミュレーションで行動のイメージをより具体化し、最後に自分たちが考えたことを発表し合って共有している。

いずれにしても重要なのは、「自分や家族の命を守るためにどう行動するか」という視点、そして「それを自分自身で考えること」だと早田さんは言う。どんな災害がどこで起き、どれくらいの危険が予想されるのか、その状況は地域ごとにまったく異なる。だから、何かの資料に載っている行動計画の見本や他人がつくった計画を真似たりしても、絶対に安心はできないのだ。

「備えておく防災グッズにしても避難するタイミングにしても、こちらから『こうしてください』とはあまり言いません。自分の考えを書いた付箋をワークシートにどんどん貼ってもらったりして、具体的な行動を引き出してあげることが大事。自ら行動しないかぎり命を守れないのが、災害なんです」

とはいえ、防災計画を自分で考えるというのは存外に難しい。例えば、災害の発生が予想される時、自治体や気象庁は警戒レベルを5段階に分けて防災情報を発信する。「マイタイムライン」では、その段階に合わせて具体的な行動をワークシートに記していくのだが、自分の住む地域の事情をよく把握し、家族とも話し合っておかないと、なかなか書けるものではない。

「おそらく、ほとんどの人が初見で書くことはできないでしょう。そのこと自体が、今の防災教育の課題なんです。学校でも家庭でも書き方が分からないし、教えられない。これを何とかしたいと思っています」

公民館などで地域に根差した活動を展開(熊本県八代市坂本町鶴喰地区で)。

「知る」ことを起点につながり広がる防災の輪

そこで今、早田さんらは熊本県とともに、マイタイムラインを活用した防災教育の教材づくりを進めている。昨年来、県内20校余りの小中高校・特別支援学校で行った防災教室の模様を動画に収め、必要な資料を加えて編集したオリジナル教材だ。

「今春これが完成したら、先生たち自身の授業に取り入れて、防災教育を進めてもらえたらと願っています。全国の学校や自治体でも参考にできるものにしたいですね」

子どもが動けば、大人の動きも変わる。そのためにはまず、こうした教育を通じて「知ること」が大切だと早田さんは訴える。

「2018年の西日本豪雨(※7)では、事前に気象庁が『西日本を中心に記録的な大雨になる恐れがある』と異例の記者会見を開いたにもかかわらず、人々の避難につながらず多くの人が逃げ遅れで大きな人的被害となりました。天気予報や気象防災情報の意味と使い方を知らなければ、自分や大切な人の命は守れない。坂本中学校の生徒たちが自らの行動で示してくれたように、正しい知識を身につければ、いざという時に冷静な判断ができるのです。そのことを伝えたくて、子どもたちには簡単な実験器具を使って、雨や雷や竜巻の仕組みといった、気象現象を体験的に知ってもらうワークショップも開いています。そこで学んだことを家に帰って家族に話してもらい、一緒に防災のことを考える。そうやって地域の小さな芽が、だんだんとつながってくれたらと思います」

地域に根を下ろす活動を続ける理由はそれだ。その功績が認められ、2019年に日本気象予報士会石井賞(※8)、2020年に福岡管区気象台長賞(※9)を受賞した。

「まだちゃんとした成果も出した実感がないのに、賞までいただいて戸惑いました。でもこれは、もっと頑張れ、もっとつながれっていう応援賞なんだと信じています」

早田さんと防災WESTの活動の場はもう、全国に広がりつつある。

県内外の小中高校、特別支援学校などで行う防災ワークショップ。気象情報などに関する基本的な知識は教えるが、災害に備えて何をするか、災害時にどう動くかは自分たちでアイデアを出し合うのが原則。気象現象に関する実験も子どもたちに人気のメニュー。

取材・文/松岡 一郎(エスクリプト)、写真/竹見 脩吾

KEYWORD

  1. ※1ハザードマップ
    自然災害による被害の予測を地図化したもの。
  2. ※2予報業務許可事業者
    気象業務法に基づき気象庁長官の許可を得て、気象や地象、洪水などの予報業務を行う事業者。民間の気象情報会社など。
  3. ※3防災WEST
    災害から命を守るため、気象情報を得る方法、使う方法を広く伝えることを目的に活動するNPO法人。
    WEST:Weather Educational Specialist Team
    http://bosaiwest.starfree.jp/
  4. ※4熊本地震
    2016年4月14日に熊本県益城町で震度7を観測した地震に始まり、16日にかけて熊本県・大分県で震度6を超える複数回の地震が続いた。
  5. ※5坂本中学校ホームページ
    https://jh.higo.ed.jp/sakamoto/
  6. ※6マイタイムライン
    住民一人ひとりのタイムライン(防災行動計画)を記したスケジュール表。2015年9月の関東・東北豪雨で被災した栃木県・鬼怒川流域での経験をもとに考案された。
  7. ※7西日本豪雨
    2018年6月28日以降、台風7号や梅雨前線の影響によって西日本を中心に発生した集中豪雨。正式名は平成30年7月豪雨。
  8. ※8石井賞
    一般社団法人日本気象予報士会が選定する、支部活動・サークル活動における顕著な功績に対する賞。
  9. ※9気象台長賞
    気象庁が6月1日の気象記念日に表彰する気象業務に貢献した個人・団体に対する賞。国土交通大臣表彰、気象庁長官表彰、気象庁次長表彰に続くもの。

PROFILE

早田 蛍
気象予報士・防災士

はやた・ほたる
気象予報士、防災士。NPO法人防災WEST(気象予報士活動有志会)所属。熊本県八代市出身。福岡大学経済学部在学中の2012年に気象予報士の資格取得。結婚・出産を経て、2016年9月に防災WESTの立ち上げに参加、防災に関する普及・啓発活動を開始する。現在、九州を中心に講演、ワークショップ、お天気教室などを通じて気象情報に基づく防災教育などを行っている。2019年6月、一般社団法人日本気象予報士会より石井賞、2020年6月、気象庁福岡管区気象台より台長賞を受賞。