伝統技術に絢爛豪華なる革新を
有限会社モメンタムファクトリー・Orii

匠の新世紀

有限会社モメンタムファクトリー・Orii
富山県高岡市

壁掛け花器(商品名「on the wall」)。右から斑紋孔雀色(赤)、斑紋純銀色(銀)、斑紋ガス青銅色(青)と斑紋黒染色(黒)。

江戸時代初期から400年続く銅鋳物の伝統を受け継ぐ富山県高岡市で、革新的な着色技術を開発した企業がある。
大正時代創業の着色工房の3代目が行った革新とは?

400年の伝統を持つ着色技術を現代に活かす

モメンタムファクトリー・Oriiでは、銅や真鍮ならば、どんなものにも着色が可能。写真は帯留。数十色以上の着色ができる。
有限会社モメンタムファクトリー・Orii
代表取締役
折井宏司さん

富山県高岡市は、銅鋳物生産で日本でのシェア90%以上といわれる銅器の町だ。その起源は、加賀前田家2代目当主・前田利長公が高岡城を築き、1611年(慶長16年)に7人の鋳物師(いもじ)を現在の高岡市金屋町へ住まわせたのが始まりといわれている。

高岡銅器は、仏具のほか、銅像などのモニュメント、街灯などに利用されているが、伝統工芸の多くがそうであるように職人の分業によって製造されている。高岡銅器では、鋳造、溶接、研磨、彫金、着色などの専門の職人がおり、それぞれが担当する仕組みだ。

今回紹介する有限会社モメンタムファクトリー・Orii代表取締役の折井宏司さんは、銅器の仕上げ段階の「着色」を専門とする企業の3代目。折井さんの祖父が創業した折井着色所は、高い技術力を持つことで知られ、長野県善光寺で使用される仏具や、皇居の二重橋の照明灯に携わった実績を持つ。

その技術を途絶えさせてはいけないという思いから、26歳で東京のIT企業を退職し、高岡市に戻ってきた。

「私が1996年に、父の経営する折井着色所に戻ってきた時には、すでに銅鋳物業界の不振は始まっていたと思います。近い将来に業界が縮小していくのは目に見えていました」

危機感を持った折井さんが実行したのは、基本に返ることだった。着色について自社で学ぶだけでなく、銅器製造全般について基礎から学ぶことにしたのだ。折井さんは、高岡市デザイン・工芸センターに通い始めた。高岡市デザイン・工芸センターは、銅器や漆器などの伝統工芸に関する人材養成や製品開発の研究、ワークショップなどを行っている公営の施設である。

「着色の前段階の造形を知らないと、クライアントの要望に的確に応えることはできませんから」

高岡市デザイン・工芸センターで2年間学んだことで、折井さんはものづくりの楽しさを知り、自分でも一からつくってみたいと思うようになった。そして、チャレンジしたのが新しい着色方法の開発だった。その革新性について、折井さんは「圧延板を使用したこと」だと語る。

「圧延板なら、テーブルの表面に貼ることもでき、インテリアなどにも活用できるので、市場が広がるのではないかと考えました。さらに、ホームセンターでも購入でき、他社に製造してもらう必要がないため、実験を繰り返すのに都合がよかったのです」

高岡銅器業界が長い歴史の中で生み出して来た「煮色(にいろ)」、「鉄漿(おはぐろ)」、「焼青銅(やきせいどう)」などの着色技術は、米ぬかやお酢、日本酒、梅干し、大根など、毒性のない弱酸性や弱アルカリ性の素材を使い、高温にすることで金属表面に化学反応を起こさせる。

「従来の鋳物への着色は、5mm以上の厚みのあるものが対象でした。私が使っている圧延板は、0.6mmとか0.8mmとかの薄い板ですので、同じ手法で着色しようとすると、板が変形し、極端な場合には板が溶けてしまいます」

従来の着色は、1,000℃以上に熱する必要があったが、圧延板のような薄い素材で、変形しない程度の低い温度で化学変化を起こすことはできないのか。

折井さんは、市販の圧延板を使用し、様々な条件下で圧延板への着色を試した。薬品を変え、濃度を変え、薬品の順番を変え、温度を変えて、来る日も来る日も実験を繰り返した。ある時には有毒ガスが発生してしまったこともあるという。まさに、現代の錬金術師である。

「私が素人だったからこそ、遊び心を持って突飛な挑戦ができたのだと思います。すぐに着色業を継いで職人になっていたら、固定観念に囚われてできなかったでしょう」

こうした試行錯誤を6カ月ほどくり返した頃、後に斑紋孔雀色(はんもんくじゃくいろ)と呼ばれる赤褐色のまだら模様が偶然に出現した。折井さんは「これだ!」と思ったが、過程が記録されていなかったため、その色を正確に再現するまでにさらに数カ月、トータルで1年以上の時間がかかった。

だが、このような作業を通して、温度の調整と薬品の濃度によって、どのような色や模様ができるのかが感覚的にわかるようになってきた。折井さんは、最初にできた斑紋孔雀色(赤)に加え、斑紋ガス青銅色(青)、斑紋純銀色(銀)などをつくり出し、現在では基本となる12色に加え、さらに組み合わせによって数十種類もの色を発色させる技術開発に成功している。

中でもファンが多いのが、地中海の色のような明るいブルーの斑紋ガス青銅色で、「オリイ・ブルー」と呼ばれ、同社を代表するカラーとなった。

斑紋ガス青銅色の着色方法は、まず銅の圧延板にぬかみそ(弱酸性)を塗る。
ガスバーナーで加熱した圧延板を水に浸ける。
表面にまだらな模様が現れたところで、特殊な溶液を塗布する。時間が経つと酸化して青銅色に変化。
左から、焼き入れ直後の圧延板、時間が経過したもの、アンモニア液(強アルカリ性)にかざしたもの。
アンモニア液の上にかざすと、鮮やかな青色に変化する。
ガスバーナーでぬかみそを塗った圧延板を約800℃に加熱。ちなみに、銅の融点は1084.6℃。

地道な努力でファンを増やし他業種とのコラボも

新しい色ができたからといって、それが最初から売れたわけではない。実は何年にもわたる地道な活動によって、次第に認知度があがっていったのだ。

2005年に東京・有明で開催されたギフト商品を扱う展示会に、高岡鋳物業界の若手グループで参加。それを数年続けたが反応は芳しくなかった。

大きな反響があったのは、展示会に参加して5年目、折井さんに単独ブースを出すチャンスが訪れ、インテリア製品や雑貨などの様々な新製品を開発し展示した時だ。

「単独ブースで、自分の世界観を表現できたことが大きかった」

と折井さんは言う。

全国展開する有名インテリアショップが興味を持ってくれて、そこから取引が始まった。次第に取引先が増え、インテリア雑誌が取材に来るなど、ようやく世間に知られるようになっていき、他業種とのコラボレーションも行えるようになった。

新潟県燕市のステンレスメーカーや福井県鯖江市の漆器メーカーとのコラボで、新しい商品も生まれている。

「同じ業界とコラボするよりも、違う業界と協力し合う方が、市場が広がるだけでなく、新しいアイデアも生まれてくるのです」

と折井さんは話す。

2008年には有限会社モメンタムファクトリー・Oriiを設立。2010年に初めて社員を一人採用。その後、年に1〜2人の社員を採用し、今は折井さんを含めて16人の社員がいる。人材募集に応募してくるのは、デザインを学んだ人やものづくりをやりたいという若者が多く、現在は社員にも商品企画を提案してもらっている。

こうした活動の成果がこのコロナ禍であった。女性社員からの提案で、ネット販売に適したリーズナブルな価格のアクセサリーを開発・販売したのだ。

「高価な商品はネットではなかなか売れません。そこで、既存のアクセサリー部品を仕入れて、それにオリジナルの着色を施した製品を開発しました。これが大当たりで、コロナ禍にもかかわらず会社の売り上げを伸ばすことができました」

400年の伝統を持つ着色技術が時代に合わせて改良されながら、次世代に確実に受け継がれている。

置き時計“time and space”シリーズ。着色した真鍮板にスクリーン印刷で数字を印字している。
福井県鯖江市の漆器メーカーと共同で開発した腕時計。
どんな大きさの銅板でも着色できる。写真は畳一畳分ほどの圧延板。
コロナ禍中に発売して人気商品となったアクセサリー。
着色所の入り口。ドアは斑紋孔雀色、表札は斑紋ガス青銅色で。

取材・文/豊岡 昭彦 写真/斎藤 泉

PROFILE

有限会社モメンタムファクトリー・Orii

前身の折井着色所は、大正末期に現社長の祖父が創業、2008年に有限会社モメンタムファクトリー・Oriiに。2015年、「The Wonder500」に認定、「ものづくり日本大賞」優秀賞受賞、2017年、「はばたく中小企業・小規模事業者300社」に選定、「グッドデザイン賞」を受賞。