地球全体の共生につながる動物の多様性保全活動を
小菅 正夫
Opinion File
動物園の成り立ちと歴史 国内外の違いとは
英国のロンドン動物園(※1)、米国のブロンクス動物園(※2)、ドイツのベルリン動物園(※3)、日本の上野動物園(※4)……。世界を見渡すと、近代都市の真ん中に堂々と位置し、人々に親しまれてきた動物園が多数ある。それは何故なのか。
赤字のため閉鎖寸前だった旭山動物園(北海道旭川市)を立て直した名物園長であり、現在、円山動物園(同札幌市)でも数々の改革を手掛けている小菅正夫さんは、その理由を人間が抱く自然への思慕だと考える。
「もともと私たちは自然の中で暮らしてきました。直接狩りに関わる動物だけでなく、鳥の声を聞き、様々な小動物を見かけたり、気配を感じたりする中で生きてきたのです。都市生活で失った、そうしたものを取り戻したいという思いがあるから、人間は動物園をつくったのでしょう。おもしろいことに、時代や地域を問わず、昔から私たち人間は、動物のコレクションに強い興味を抱いていたのです」
一般的に動物園というと、近代的な研究や教育を目的としてつくられた動物飼育施設を思い浮かべる。しかし、珍しい動物をコレクションするという発想そのものは、かなり古くからあった。メソポタミア文明やインダス文明、さらには中国文明や中央アメリカのアステカ文明でも、人間は乖離してしまった自分の一部である自然を求めるように、動物を集めて飼ったのだ。
「紀元前4世紀のギリシャ人哲学者アリストテレスは、集められた動物を見て『動物誌』を書いています。なぜなら、『動物誌』には、ギリシャには本来生息していないラクダやゾウ、ライオン、クマなども登場していますから」
大航海時代に入ると、動物のコレクションはさらに広がった。何しろ、ビデオや写真などがない時代のこと。世界の果てから連れてきた動物こそが、冒険や覇権の証だったのだ。
16世紀から18世紀頃のヨーロッパにおいては、権力者が自らの権力をアピールするために、メナジェリー(小動物園、動物飼育展示場)がつくられた。各国の王が貴族などに自慢するための私的な施設である。
「幕末、ヨーロッパ視察に訪れた一団も、メナジェリーを訪れています。その際、福沢諭吉が日本にもつくろうということで、『動物園』という訳語を当て、湯島の博物館の付属施設としてつくったのが、後の上野動物園です。それまで花鳥茶屋でクジャクを眺めるぐらいの経験しかなかった日本人にとって、上野動物園は大変な人気でしたが、それは、新しい見世物を喜ぶ感覚でした」
一方、当時のフランスでは、すでに動物園は動物学のための施設という考え方があり、動物が死んだら標本として博物館に収めるという意識も芽生えていたという。
動物園は「かわいい、おもしろい」と動物を愛でるだけの、ただ見る人を癒すだけの施設であってよいのか。小菅さんは、今こそ、動物園のありかたと野生動物の多様性保全について考えてほしいとメッセージを発信する。
「キリンやライオンも絶滅危惧種に指定されています。そうした絶滅を防ぐため、日本の動物園も、動物学を基礎とした生物多様性の保全活動という方向に舵を切らなければならない。日本とは関係ない遠いところの話だから知らないでは済まされません。世界中の動物園と一緒に地球全体の野生動物との共生を考え、歩調を合わせるべきなのです」
現場の工夫や試みが魅力ある動物園を生む
1995年、日本最北の動物園・旭山動物園の園長に就任した小菅さんは、閉園に追い込まれそうな動物園の改革に取り組んだ。
「飼育係は、動物の魅力をよく知っています。彼らが普段感じている『動物ってすごいぞ!』というものをお客さんに見てもらおう、動物の魅力を感じてもらおうという熱い思いから、様々な企画が生まれました」
飼育係が担当の動物について解説する「ワンポイントガイド」、夜行性の動物の行動を見ることができる「夜の動物園」などの企画が始まった。さらに、「行動展示」(※5)のための施設建築にも着手した。
「動物が活発に動く目的は、食べる、繁殖する、危険から逃げるの3つです。ところが、動物園ではこれらが常に満たされていますから、あまり動かず、寝てばかりいることになってしまう。そこで、その動物が野生で生きている環境を模した施設をつくりました」
水中トンネルでペンギンの遊泳を見せる「ぺんぎん館」、鉄柱に渡された綱を伝って餌をとりに行く「オランウータン空中運動場」、大迫力のダイビングが目の前で見られる「ほっきょくぐま館」……。動物たち本来のイキイキとした動きや素晴らしい能力を間近に見られる行動展示に、たちまち人気が集まった。斬新なアイデアでイメージを一新した旭山動物園は、入場者数をぐんぐん増やし、ついには日本有数の動物園(※6)となったのだ。
「行動展示は、人間が芸を仕込むショーではなく、動物の生態に合わせるもの、つまり動物ファーストです。例えば、キングペンギンの散歩は、もともとの生息地では毎日海まで出かけて狩りをする習性を活かしています。また、オランウータンの高所移動も、野生で見られる木々の枝から枝へと移動する技です」
こうした行動展示には、多額の予算が必要となる。例えば野生のオランウータンが暮らしているのは、30〜40mの大木で成り立つジャングル。飼育勉強会では、本物の木を植えるべきだが、無理なら鉄製でも……と、みんながあれこれアイデアを出し合った。それをもとに、小菅さんが市役所の予算要求の場に立った。
通常は、B4の紙に文字のみで書いた企画書を読み上げるのだが、それでは他の企画に埋もれてしまうし、行動展示の魅力を十分に伝えることができない。そこで、小菅さんは、ペンギンの群れが泳ぐ映像を編集して流し、「市長、この中に入ってみたいと思いませんか?」と問いかけた。その言葉に、市長が顔を上げた。
「そんなこと、できるの?」
「できます」
そうして2000年に完成したのが、ぺんぎん館だ。館内に入ると360度見渡せる水中トンネルがあり、ペンギンが飛んでいるように泳ぐ姿を観察することができる。
「市民の貴重な税金を動物園だけに使っていいわけはないので、妥協点を見つけることも園長としての大切な仕事です。中には残念ながら断念した企画もありますが、野生で暮らすのと同様、動物がイキイキと心のハリを持って生きている、そんな動物園であり続けることが大切だと考えています」
地球の自然や生き物との共生を考えて行動変容を
小菅さんは、09年に旭山動物園を定年退職。その後、15年に札幌市環境局参与に就任すると、円山動物園の改革でも辣腕をふるった。円山動物園は、北海道を代表する総合動物園である。しかし、マレーグマなどが急死する不幸が重なったため、顔見知りだった元園長から協力を要請されたのだ。
「最初に行ったのは、飼育員の専門職員化でした。動物園に必要なのは、常に動物のことを考え、ずっと一緒に生きていく飼育員であり、獣医です。動物園の基礎は現場にありますから、それまでの2〜3年ごとに異動するシステムは、現場にそぐわないのです」
数名の専門職員募集に対して、全国から100名以上の応募があった。当時、現場で働いていたスタッフにも試験が課され、合格しなかった場合は他部署へ異動となった。
こうして、荒療治ではあったが、動物専門員制度がスタート。現場の一人ひとりが動物園のありかたを考えて仕事をする形へと変えていった。
「円山動物園は、もともと原始林の中にあり、トガリネズミなど小さな動物が数多く暮らしています。地域で生きているそうした動物を目に見える形で飼育し、繁殖して命をつないでいくことも大切な役目です。一方で、総合動物園として世界の動物を飼育・繁殖し、種の保存に関わっていることから、生物多様性の保全を世界に発信する総合動物園であるべきだとも思っています」
飼育動物の福祉の向上には十分すぎるほど配慮しなければならない。動物福祉に関するよい例が、ミャンマーから来た4頭のアジアゾウだ。野生のゾウは主に木の枝や葉っぱを食べるため、餌は地面ではなく高いところに置く。また、わざとリンゴを地中50cmのところに埋めて、ゾウ自身に探させる。ゾウは足や鼻で砂を蹴ったり掘ったり、そのリンゴを食べようと活発に動く。ゾウ舎では、そうしたゾウ本来の行動を観察する場を提供するとともに、飼育係の解説や写真展示などを通じて、ゾウを取り巻く社会や自然環境、さらには密猟や保護活動など、ゾウと暮らす人々のことも伝えている。
「北海道大学との共同研究で、ゾウがミャンマーでした糞、円山動物園に到着したばかりでした糞、その半年後の糞を比較したところ、その中の腸内細菌の、なんと半分が変わっていました。こういう基礎データがあれば、将来、ゾウの赤ちゃんが生まれたとき、腸内細菌をミャンマーの状態に戻してからミャンマーに返すということもできるはず。こうした研究や飼育・繁殖などの活動を通して、円山動物園は、動物との共生、自然との共生に一定の役割を果たしているのです」
今、小菅さんが力を入れているのは、アニマルウェルフェア(※7)に基づき、動物の幸せを優先した飼育施設を整え、種の保存、環境教育の場として動物園を積極的に役立てるための条例の制定である。動物の多様性と保全に資するという使命を持つ動物園がその責任を十分に果たすために、ぜひとも条例が必要なのだという。
「魅力あふれる動物園には、訪れるたびに新しい発見や学びがあります。地域の動物、世界の動物を見ているうちに、私たち人間はどれほど多くの動物と共生しているか、その事実に気づくでしょう。そうすれば、地球上の多くの命とともに生きていくために、人間の経済活動や生活スタイルを見直す行動変容にもつながっていくはずです」
そんな動物園の考え方に賛同してくれる人が増えれば増えるほど、人間と自然の共生はうまくいき、生物多様性保全の実現につながっていく。できることから、少しずつ。北の2つの動物園を舞台に、小菅さんの奮闘は続いていく。
取材・文/ひだいますみ 写真/ご本人提供
KEYWORD
- ※1ロンドン動物園
1828年開設の、世界で最初の科学動物園。科学的研究のために動物を収集していたが、1847年に一般公開された。 - ※2ブロンクス動物園
都市部にある動物園としては世界最大級の規模を誇る動物園。 - ※3ベルリン動物園
1844年、ドイツで最初に開園された動物園。第2次大戦後再建され、現在は約1,400種、約19,000頭の動物が飼育されている世界最大級の巨大動物園。 - ※4上野動物園
上野恩賜公園内に在る東京都立動物園。1882年3月20日開園の、日本で最も古い動物園。 - ※5行動展示
動物の生態に合わせて飼育環境を整え、生来の能力を発揮させて自然な行動を誘発する展示方法。 - ※6日本有数の動物園
2004年7月には、月間の来園者数日本一を達成、2006年には有料入園者数日本一を記録。 - ※7アニマルウェルフェア
動物のストレスをできる限り少なくし、行動要求が満たされた健康的な生活を送らせる飼育方法。欧州発の考え方で、日本では「動物福祉」や「家畜福祉」と訳される。
PROFILE
小菅 正夫
札幌市環境局参与
円山動物園担当
こすげ・まさお
札幌市環境局参与(円山動物園担当)。元旭川市旭山動物園園長。1948年、北海道生まれ。北海道大学獣医学部卒業後、1973年に旭川市旭山動物園に入園。飼育係長、副園長などを経て、1995年園長に就任。一時は閉園の危機にあった旭山動物園を再建し、日本最北にして日本一の入場者を誇る動物園に育て上げた。2015年より現職。北海道大学客員教授。『生きる意味って何だろう? 旭山動物園園長が語る命のメッセージ』(角川文庫、2008年)『「旭山動物園」革命―夢を実現した復活プロジェクト』(角川書店、2006年)などの著書の他、ドキュメンタリー映画『生きとし生けるもの』を監修。