ダイバーシティとインクルージョンが織りなす未来
渡部 肇史×坂之上 洋子

新春対談

J-POWER社長

渡部 肇史

経営ストラテジスト

坂之上 洋子

米中日を股にかけた華麗な経歴でダイバーシティを体現し、ひたすら「ギブ」する仕事の流儀はインクルージョンの使徒のよう。
今、格差と分断と対立が世界の人に揺さぶりをかける中で、あえて対極にいる人同士が話し合うための「結び目」なりうるこの方に、多様性と寛容さに満ちた共生社会へ至る道筋と、誰とでもうまくいく仕事の流儀を聞いてみた。

1度きりの人生やりたいことをやりきる

渡部 昨今、企業経営にとって「ダイバーシティ&インクルージョン(編集注:「多様性とその受容」などと訳される。様々な背景や属性、志向を持つ人たちが共生できる環境を整え、組織や社会を活性化し、新たな価値を生み出すのが狙い)」という言葉が重みを増して、多様な人財を採用し、かつ融合させて組織の活性化を図るといった意味で使われます。私も大いに共感するところがあり、このテーマで有用なご示唆を頂戴したいと、坂之上さんに白羽の矢を立てさせていただきました。
坂之上 いきなりハードルが上がって緊張します(笑)。
渡部 まずご経歴に関して、坂之上さんは米国の大学留学から、現地での就職、転職、起業と着々とキャリアアップを図られました。また、職種も建築コンセプトデザイン、Eコマース・マーケティング、ブランディング、経営戦略と、ダイバーシティを絵に描いたような職歴を重ねておられます。
坂之上 そうご紹介いただくと、私がバリバリのキャリアパーソンと勘違いされそうなので補足させてください。私は20歳ぐらいまであまり勉強もせず過ごしてきました。そんな自分がキャリアをここまで積めるとは、まったく思いもしませんでした。人生が一変したのは、19歳の時です。母を癌で亡くして、「本当に人生は一回しかないんだ。やりたいことは全部やらないともったいない」、そう思ったんです。
渡部 お母様の願いでもあったのでしょうね。そこから本腰を入れて勉学にいそしまれた……。
坂之上 はい。ただ、そうは言っても学問の土台があやふやでしたから。母の看病を通して、病院で大病と闘う多くの方々を見る機会があり、自分も一番不得手なものに立ち向かおうと思い、本気で英語を始めました。NHKの「基礎英語」からです。
渡部 その時から何年と経たぬうちに渡米し、まさに英語の大海に身を投じて、米国のビジネス界で大いに躍動されました。いかにダイバーシティに富んだ米国とはいえ、非ネイティブの坂之上さんが成功をつかみ取るまでには紆余曲折もあったかと思います。
坂之上 はい。万事とんとん拍子に運ぶはずもなく、大変でした。ただ何か問題にぶつかったときにも英語と同じで「自分で教材を探して自分で学ぶ」ということを泣きながらやりましたね。いちいち大学に通いなおす時間もなかったですし、学位を修めずとも、働きながら独学で勉強する、必要なら図書館に過去の資料が網羅されていますし、ネット経由で最新研究論文を取り寄せることもできますから。
渡部 たしかに上の学校に学び、それで良しとしてかえって視野や個人としての可能性を狭めている時もありそうです。
坂之上 今の職業や職種に悩みや不満があって、新しい仕事に興味があっても、その分野は大学で勉強していないから無理と諦めてしまう人が多いでしょう?それが個人の可能性を狭めてしまっていると思います。一見して尻込みするような仕事でも、本気で、勉強しながらとり組めば、いつの間にかやれるようになれる、そう思います。

いつも笑顔で淡々と「2つのギブ」を実践

渡部 ところで、坂之上さんは仕事に取り組む流儀として、華々しい職歴を通じてずっと「2つのギブ」を実践してこられたとか。米国流の「ギブ&テイク」のやり取りとは、趣が違いそうですが。
坂之上 1つめの「ギブ」は、仕事から得た手柄や評価を、惜しみなく気持ちよく他の人にあげることです。
もう1つの「ギブ」は、常に相手の要求を上回った仕事を返すことです。「何の見返りも求めず」です。いつも笑顔で淡々とこの2つをやり続けたことが後々の信頼関係を築く礎になりました。
渡部 「ギブ」を「テイク」に優先させるのは、むしろ日本人の発想に近い気がしますけど、その積み重ねが人の心を動かすことに国境はないと……。
坂之上 私が最初に就職した米国の建築事務所で、初めて大きな案件のコンセプトデザインを任された時にこんなことがありました。慣例では制作者自身がプランを依頼主に提案し、通ればプロジェクトマネジャーを務めるのですが、私は案を考える役目に回り、提案は同僚に託したのです。ネイティブスピーカーの彼がプレゼンしたほうが発注成功率が高いと、私が判断したからです。そして、実際にコンペに勝利しました。
でも、慣例通り手柄はすべて同僚のものとなり、彼だけが昇格しました。
渡部 それでもにっこり微笑んで、やり過ごされたのですね。
坂之上 はい。私はアシスタント時代から自分が社長だと思って、会社全体の利益を考えて物事を捉えるようにしていました。会社にとっては、受注が一番大事なことですから。実は後日談があり、私がニューヨークに引っ越しした際に、その時の社長が強力に後押ししてくれて、トップの事務所に破格の給料で転職できたのです。私は本当に一番下っ端のアシスタントでしたから、社長とはほぼ話もしていないんですよ。だから本当に驚きました。
渡部 今のエピソードの中に、米国の企業風土に根を張った「ダイバーシティ&インクルージョン」を垣間見た気がします。その帰納として、組織も人財も活性化していく典型のようなお話でした。
坂之上 米国で私が一番驚いたのは、顧客が「モータウン」というアフリカ系米国人のアーティストを多数輩出したレコードレーベルで、いわば米国を代表する国民的音楽に関するプロジェクトのコンセプトを日本人の私に任せたことです。例えば、日本の伝統芸能にまつわる仕事を外国人に託すのは余程のレアケースでしょう? 実力主義が徹底された米国では、人種や国に関係なく普通なのだと身をもって知りました。

 

日本流の「根回し」がインクルージョンを促す

渡部 それは無論、ご本人の力量を見定めた上での抜擢に違いありませんが、坂之上さんの「ギブ」する精神や行動が緩やかに周囲の人に伝わり、絆を深めたのも事実でしょう。そうしてみると、もともと同質性が高く、多様性に乏しい日本社会にもインクルージョンが浸透していく素地がありはしないかと思うのですが、いかがでしょう。
坂之上 海外で、一番役に立った日本的手法は「根回し」でした(笑)。激論を闘わす米国流の会議で、私は出席者を個別にコーヒーに誘っては事前に内容の説明を丁寧にしてました。英語も下手ですしね。すると、激論の中で、私の案件だけがすんなり通るんですよ(笑)。社長がすごい、と誤解してくれて出世しましたよ。
渡部 なるほど、虚を衝くような成り行きですね。また米国社会を総体として眺めると、インクルージョンに逆行する不寛容さが浸潤していく一方で、それにカウンターを当てるように、寛容さに向かって動き出す人やマインドが必ず現れる印象があります。そういう寛容性のダイナミズムが、今日本の社会では現れにくくなっている気がします。
坂之上 今、米国での分断は、豊かで教育を受けているグループと、貧しくきちんとした教育も受けられず、海外の知識も持っていないグループとの二極分化です。インクルージョンに関して言えば、前者にはダイバーシティを受け入れて活用する素地がありますが、後者には極端な排他主義にも走りかねない危うさを孕んでいると思います。
渡部 その点、中国の市民社会はどうなのでしょう。
坂之上 私の知る限り、中国でも経済的格差による二極分化の傾向があらわになってきており、「ダイバーシティ&インクルージョン」が進む層と、進まない層の間で分断が生じ始めています。今はとても難しいですが、米国も中国も日本も多くの人の行き来、つまり観光や文化交流、もちろん、ビジネスでの交流が一番インクルージョンを底上げすると思っています。

ブータン王国の健康調査大臣との会合で現地を訪問。(写真は坂之上氏からの提供)

身近なギャップ解消への意識づけ、動機づけを

渡部 これまでのお話を踏まえて、企業経営にとっての「ダイバーシティ&インクルージョン」に話を戻しますと、我々が慣れ親しんできた日本的な論理や手法に懐疑の目を向け、負の側面は正直に認識し、改めるべき点をきっちり改めていかねばなりませんね。
坂之上 ここに興味深いデータがあって、例えば国連機関による2021年度版の「世界幸福度報告書」で、日本の幸福度は149カ国中56位で先進諸国の最低レベルなんです。しかも特にランクを押し下げている項目が「人生の自由度」と「他者への寛容さ」なのです。
渡部 幸福度での「人生の自由度」と「他者への寛容さ」の低迷は、ほぼそのまま「ダイバーシティ&インクルージョン」の進捗停滞を示していそうで、かなりショッキングです。多様性への対処だけでなく、それを包み込む寛容さは今の我々日本人の大きなテーマではないでしょうか。
坂之上 そうなんです。「他者への寛容さ」の低迷は真剣に議論しないといけない問題ですよね。同調圧力とか、違う意見の人を叩くとか。あと、もう1つ、世界経済フォーラムが公表している「ジェンダーギャップ(男女格差)指数2021」を見ると、日本は156カ国中120位、G7参加国の中で最下位なんです。日本のジェンダーギャップは深刻で、米国どころか中国にも後れを取っています。文化大革命後、中国社会では男女が対等に渡り合う機会が増して、今や女性の従業員や役職者が半数を超える職場も多くあります。女性も働かないと生きていけない事情があったと思うのですが、男女平等への前進には違いありません。
渡部 職場のジェンダーフリーは我々にとって極めて重要な課題です。坂之上さんからご覧になって、この国でそれが思うように進まない理由はどこにあるとお考えですか。
坂之上 そもそも、社会全体が女性はこうあるべき、という「べき論」があって、その固定観念に縛られているんだと思います。ここでも「他者への寛容さ」が低くなっているんですね。女性は子どもを産むと働き方をどうしても変えなくてはいけない時期が出てきます。でも今までの習慣から離脱しようとすると、バッシングされてしまう。男性の何倍もの覚悟と忍耐力が強いられるんです。
渡部 企業経営の面からは、雇用制度を柔軟にしたり、女性登用を促す施策を整えたりしてジェンダーギャップを取り除くための組織改革に、さらに拍車をかけねばなりません。もっと職場に引き寄せた話では、例えば男性だけで決めたルールが、女性も加わって議論すると、それは違うのではないかと異論が出たりします。そうした行き違いにハッと気付いて、自分の身の回りからギャップ解消への意識づけ、動機づけを進めたいですね。
坂之上 そういう視点を持って動いていただけることはものすごく心強いです。

2014 年にマララ・ユスフザイさんとともにノーベル平和賞を受賞したインドの子どもの権利活動家、カイラシュ・サティヤルティさんとの対談風景。(写真は坂之上氏からの提供)

フランスでの国際会議に出席した際の坂之上さん。(写真は坂之上氏からの提供)

対極にいる人たちが話し合う場をつくりたい

渡部 多様性の中で仕事をしていくと、組織としても個人としても学べることがたくさんある気がします。それ自体が社員や会社にとっての栄養や蓄え、日本的に言うと「肥やし」になると言いますか。
坂之上 本当に。そこがうまく回ると楽しいんですよね。多様な人の多様な意見や考えを調整するのは骨が折れるし、面倒くさくもあるけれど、それでも、いろんな人がいたほうが組織は、前進していくと思います。
渡部 多様な価値観を持つ人たちと仕事をしたい、付き合いたいと思うなら、自分自身のどこを変えて、何を心がけたらいいか秘訣はありますか。
坂之上 私の場合はいつも、自分は間違っているかもしれないと常に考えるようにしています。常識さえも疑うように、心をオープンにって自分に言い聞かせています。
渡部 私の期待をはるかに凌いで、楽しくもためになるお話を頂戴できました。あと2つだけ質問がありまして、実は、切り出すのがちょっと怖くもあるのですが、当社の「ダイバーシティ&インクルージョン」の進捗などについては、どうお感じになりましたか。
坂之上 正直に言ってもいいですか?
渡部 どうぞ、お願いいたします。
坂之上 実は、国の基幹産業である電力会社ということで、もっと四角四面な業態や、ガチガチの社風を想像していたんです。ところが、柔軟に色々多様性について考えられていることを伺い、発電所周りはハードな職場が大半なので、数的な男性優位は仕方ないにしても、女性活躍の場や機会の創出にもこんなに心を砕かれているのかと逆に驚きました。
渡部 もっと実践が伴っていく必要があると思っていますが、ありがとうございます。最後に、坂之上さんのこれからについて、何かプランはあるのですか。
坂之上 先刻のお話にもつながりますが、世の中にはそれぞれの立場で、色々な考え方をする人がいます。私は誰ともけんかをしたくない主義なので、様々な分野で対極にいる人たちの話し合いの機会をつくっていきたいですね。たとえ激しく対立しても、会って話せば「互いにここは譲れる」という結び目があるもので、そんな場を提供できる人間になりたいと思います。
渡部 素晴らしいですね。その前向きでポジティブなエッセンスを、次代を担う若者たちに向けたメッセージとしてお裾分けしてくださると、新年にふさわしい誌面になると思うのですが……。
坂之上 繰り返しになりますが、専門外の仕事でも、自分がやりたいことを諦めないでください。やりたかったら、今はネットもありますし自力で学べます。人生は一回きりですから、我儘にやりたいことやっていってほしいですね。
渡部 本日はありがとうございました。

(2021年11月4日実施)

構成・文/内田 孝 写真/吉田 敬

 

PROFILE

坂之上 洋子(さかのうえ・ようこ)

米国ハーリントン大学卒業後、建築コンセプトデザイナーを経て、Eコマース・ベンチャーのUS-Style.comマーケティング担当副社長。ウェブ・ブランディング会社Bluebeagleを起業しCEOに。同社を売却後、経営戦略ストラテジストとして独立。日本グローバルヘルス協会最高戦略責任者、東京大学非常勤講師、観光庁ビジットジャパン・クリエイティブアドバイザー等を歴任。現在は国際機関、官庁、企業、大学、社会起業家、NGO、NPOなどに向け、「どうすれば、社会に良いインパクトを与えることができるか」をキーワードに経営やコミュニケーション、ブランディングの戦略構築を指南している。2006年『ニューズウィーク』日本版の「世界が認めた日本人女性100人」に選出。