産業遺産が残る町で石炭の未来を語る
藤岡 陽子

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福岡県北九州市と若松総合事業所・若松研究所を訪ねて

洞海湾に架かる若戸大橋。1962年に開通し、北九州市の若松区と戸畑区を結んでいる。

J-POWER若松総合事業所・若松研究所は、福岡県北九州市若松区にある。洞海湾と響灘に囲まれ、かつては日本最大の石炭積出港として賑わい、いまも美しい産業遺産が残る港町を旅して歩いた。

作家 藤岡 陽子/写真家 大橋 愛

若松を石炭の積出港に 洞海湾の開発が始まる

初夏を感じさせる健やかな風を真正面から受けながら、若戸大橋のたもとに立った。
東洋一の夢の吊り橋。
北九州市若松区と戸畑区を結ぶこの橋が開通した1962年当初、美しい橋を称してそんなふうに謳われたと聞く。
夢の吊り橋。
夢の──。
若松の歴史を紐解くと、確かに「夢」という言葉がただの絵空事ではない存在感をもって立ち上がってくる。
「若松の開発が始まったのは1890年のことです。それまでは1000人ほどが暮らす小さな漁村だったんですが、洞海湾を石炭の積出港にしようという声が炭鉱主たちから上がりましてね」
と若松の歴史を説明してくださるのは「わかちく史料館」の中堀俊雄館長だ。
史料館を開設した若築建設株式会社は洞海湾の開発を一社のみで手がけ、いわば若松とともに歩んできた企業でもある。
「川のように細長かった洞海湾に港をつくったことで、筑豊炭田から運ばれてきた石炭を関西や海外に船で送れるようになりました。炭鉱が下火になってからは鉄鉱石がそれを補い、工業の発展を支えてきたんです」
中堀館長の言葉から、この地で北九州工業地帯の一角を支えてきたという自信が溢れる。
史料館には当時の写真や開発着工指令書、帳簿や築港設計図などが展示され、開拓者たちの熱量を存分に感じることができた。
史料館を後にして、再び洞海湾沿いを歩いていく。歴史を知ってから町を散策すれば、古めかしい建物に自然と目が留まってしまう。
若松南海岸通りには大正時代に建てられた旧古河鉱業若松ビル、石炭会館など産業遺産がいまも堂々と豪奢な姿で残り、石炭積出港時代の栄華を伝えていた。

日暮れには、洞海湾に美しい工場夜景が浮かんでいた。

若松の歴史を伝えるわかちく史料館。

南海岸通りに建つ旧古河鉱業若松ビル。1944年まで石炭の受払業務を行っていた。

旧古河鉱業若松ビルの内部。エメラルド色の窓枠など、細部まで美しい。

1905年に建設された石炭会館。若松石炭商同業組合の事務所として使用されていた。

高塔山公園の展望台から望む夜景。

若松恵比須神社。

わかちく史料館に保存されている開発着工指令書。

中堀俊雄館長にわかちく史料館を案内していただく。

高塔山公園はアジサイの名所。

高塔山公園内にある河童封じの地蔵尊。河童伝説がいまも息づく。

健康と環境を守る無添加石けん

1910年に創業された地元企業「シャボン玉石けん株式会社」は無添加にこだわった石けんづくりをしている。今回は若松にある工場を訪ね、製造過程を見学させていただいた。
石けんアドバイザーの徳永佳子さんに、まずは無添加石けんについて教えてもらう。
「無添加石けんは牛脂、パーム油などの天然油脂が主な原料です。自然の成分からつくられる石けんは、排水として海や川に流れても微生物や魚の餌になるんです」
いわゆる合成洗剤はこうした天然油脂や石油を原料に、複雑な化学合成を経て生成された、合成界面活性剤を主な成分としたものなのだそうだ。
また石けんにはケン化法と中和法、2種類の製造方法があり、こちらの会社ではケン化法を採用している。ケン化法とは天然油脂(脂肪酸とグリセリン)に苛性ソーダ・苛性カリを加えて加熱するといった方法で、約1週間ほど釜で煮込むのが特徴だという。4~5時間ほどで完成する中和法に比べると時間と手間がかかるが、そのぶん保湿成分が残る利点がある。
釜炊き職人の篠原将広さんに、石けんを煮込む釜をのぞかせてもらった。今年で入社21年目になる篠原さんは「肌が弱くて皮膚科の先生からうちの会社の製品を勧められた」ことをきっかけにシャボン玉石けんの存在を知り、就職に繋がったという。
「健康な体ときれいな水を守る」
という企業理念を掲げ、先代の社長が商品をすべて無添加石けんに切り替えたのが1974年。当時は売り上げがそれまでの1%にまで激減した。それでも無添加にこだわり、環境を大事にするといった時代の風潮も追い風となり、いまでは年々業績を伸ばしている。
見学後に、無添加石けんを購入した。今日から私も「健康な体ときれいな水を守る」生活を始めようと思う。

五感を駆使して無添加石けんの仕上がりを確認する釜炊き職人さん。釜炊き職人になるまでに10年ほどのキャリアが必要。

無添加石けんの製造工程を説明してくださる徳永佳子さん。でき立ての石けんは柔らかくて温かかった。

若松の南二島に本社を構えるシャボン玉石けん株式会社。

ハイテク技術でトマト栽培 環境を守る最先端の農業

響灘に臨む広大な敷地に、カゴメ株式会社とJ-POWERが共同で出資・設立した響灘菜園があると聞き訪ねていった。この菜園の特徴は8.5haもの栽培面積を持つ大型温室であることと、温室内の温度や湿度、灌水などをコンピューターで制御しているというハイテク技術。次世代の農業を形にした最先端の菜園内を、響灘菜園株式会社の社長、猪狩英之さんに案内していただいた。
「うちの強みはトマトが育つ環境を1年中保てることです。そのおかげで大手スーパーやハンバーガーなど外食産業店に、年間を通じて安定供給ができています」
温室内の環境を管理することで、一定の品質を保つことができる。それがラウンドレッド、デリカトマトといったカゴメ独自のブランドトマトの栽培に繋がっているのだと猪狩社長は話す。
もう1つ、響灘菜園では農薬を極力減らすことにも力を注いでいる。ウイルスを媒介するコナジラミなどの害虫の天敵、タバコカスミカメを温室内に放ったり、虫を取る粘着テープを多数設置したり。
「害虫がいまどれくらい発生しているか、数を把握するようにしています。ただ農薬をまくのではなく、必要最低限に抑える工夫をするよう努めているんですよ」
最先端の農業というのは、コンピューターに頼るばかりではないことを、猪狩社長に気づかせてもらう。データを集めて分析し、いかに環境に負担をかけず農作物をつくるか。そうした創意工夫こそが最先端の農業だということだ。
「響灘菜園は、栽培を始めてまだ15年くらいです。私たちもまだ挑戦の途中です」
猪狩社長の言葉を聞きながら、少子高齢化によって農業従事者が減少する中、最先端をいく響灘菜園の挑戦が日本の農業を牽引してくれると感じていた。

西日本最大規模のトマト栽培施設。作業しやすいよう工夫されている。

収穫されたカゴメブランドの生鮮トマト。

響灘菜園を案内してくださる猪狩英之さん。菜園の内部は最新の栽培技術を導入した大規模ハイテク温室になっている。

火力発電の高効率化 次世代技術の開発

若松総合事業所・若松研究所は響灘に臨む広大な敷地にある。前身はJ-POWER初の石炭火力発電所で、1989年にその役割を終えた後、石炭利用を中心とした技術開発や新世代エネルギーの研究などに取り組んでいるという。
若松総合事業所の中村竜彦所長に、施設内を案内していただいた。
「事業所で行われている事業には火力発電所で発生した石炭灰による埋め立てや、太陽光発電・風力発電の実証などがあります。北九州市公募の洋上風力のプロジェクトに当社も参加しており、目の前の響灘の海上にたくさんの洋上風車が並ぶこととなります」
中村所長の説明を受け、石炭以外のエネルギーについての研究も施設内で行われているのだと知る。
施設内には火力発電所の運転を担うオペレーターを育成する訓練施設などもあり、事業所の業務が多岐に及ぶことを学ぶ。
さらにいま所内で実施されている研究開発について、若松研究所の早川宏所長に教えていただいた。
「2002年より酸素吹石炭ガス化複合発電(IGCC)というシステムに関する試験研究を行ってきました。これは石炭を酸素とともにガス化炉に入れて一酸化炭素と水素を主成分とする燃料ガスに変えた後、ガスタービンと蒸気タービンにより発電させるというシステムです。2つのタービンを回すことで発電の効率を上げるとともに、二酸化炭素を分離、回収することもできる技術です。現在はこの技術に燃料電池を組み合わせた酸素吹石炭ガス化燃料電池複合発電(IGFC)の開発研究をしているところです」
IGFCはガス化炉でつくられた石炭ガスをまず初めに燃料電池に通して発電し、その後でガスタービンと蒸気タービンを回すシステムだという。燃料電池を組み合わせることで、発電のさらなる高効率化を期待できると早川所長が説明してくださる。

響灘に臨む若松総合事業所・若松研究所。敷地面積は190ha。

太陽を追いかけて動く集光追尾型太陽光発電設備。

早川宏研究所長(右)、中村竜彦総合事業所長(左)と筆者。

石炭ガス化複合発電(IGCC)の試験設備。

J-POWERひびき風力発電所の風車。

集光追尾型太陽光発電設備。表面が立体的なのが特徴。

体内にオイルを含む微細藻類を培養する貯槽。

バイオエネルギーの研究 珪藻からオイルを抽出

中央に見える縦長の筒状のものが石炭ガス化複合発電(IGCC)の石炭ガス化炉圧力容器。

また、施設内ではこうした石炭を利用するシステム以外にも、バイオエネルギーの研究も進められていた。現在研究されているのは体内にオイルを含んだ海洋性の珪藻を繁殖させ、そのオイルを抽出するといった試み。施設内にはソラリス株、ルナリス株と名付けられた珪藻が丸い池のような設備で培養されていた。ソラリス株から抽出されたオイルに火を点けると確かに小さな炎が上がり、珪藻オイルが商用化すれば画期的なエネルギーになると感じた。
今回の見学は新エネルギー開発や進歩する発電の技術に圧倒されるものとなった。見学中に中村総合事業所長が「この場所は石炭のスタートであり、現在であり、未来なんです」と話してくださったのだが、確かに自分がこの目にしたものはエネルギーの未来であった。

石炭ガス化燃料電池複合発電システム(IGFC)に使用される燃料電池。

微細藻類から抽出されたオイル。

微細藻類が生み出すオイルに着火すると炎が上がる。

火力研修センターにはJ-POWERの各火力発電所、各号機の実機を模したシミュレーター施設が設置されている。

Focus on SCENE 岬の灯台につながる小径

北九州市若松区にある妙見埼灯台は、九州の北に広がる響灘に突き出す遠見ケ鼻という岬に立つ。灯台に到る小径は木々が生い茂り、そこを抜けると眼前に広大な海が広がる。江戸時代には福岡藩の遠見番所が設けられ、異国船の監視や難破船の救助に備えていた。1966年(昭和 41年)に完成した妙見埼灯台の塔高は10.5m。玄界灘から響灘を通り、関門海峡に抜ける船の目標としてその航行を見守る。遠見ケ鼻は夕日の名所で、近くにはテーブルやベンチも用意されている。

文/豊岡 昭彦

写真/大橋 愛

PROFILE

藤岡 陽子 ふじおか ようこ

報知新聞社にスポーツ記者として勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年『いつまでも白い羽根』で作家に。最新作は『海とジイ』。その他の著書に『手のひらの音符』『満天のゴール』がある。京都在住。