グローバル社会へ第一歩を踏み出そう
村井 暁子

Opinion File

知のジャングルの奥に社会起業家の虎の穴

総長自ら「知のジャングル」を標榜する京都大学とは、一体どんなところ?
そんな物見高い気分で足を踏み入れた京都大学吉田キャンパスは、個性を張り合う建物群といい、足早に行き交う学生たちの発する熱気や自由な気風といい、なるほど外の静けさから切り抜かれた「異境」を思わせた。
一角にある京都大学経営管理大学院の研究室で、特定准教授 村井暁子さんのお話を伺ううち、ここでの教育実践が受講生を触発する知的刺激に満ち、世界をつなぎ社会に貢献する「人財」開発を目指している様子が垣間見えてきた。
「私が受け持つ『グローバル社会起業講座』は、SDGs(※1)に代表されるグローバルな課題の解決に、ビジネスを通じてチャレンジする社会起業家(※2)の養成を目指しています。受講生は一人ひとりがユニークで貴重な存在です。そこに私自身のキャリアから得た理念や方法論を注ぎながら、『人財』の原石に磨きをかける気持ちで日々接しています」
この講座を通じた教育実践に、村井さんは以下の3つのステップを設けている。
(1)日々起きているグローバルな問題に目を向ける
(2)それが他人事でなく自分の問題と認識し、臨場感を持つ
(3)自分に何ができるかを具体的に考え、行動する
社会起業家を育てるプログラムの創設者で、米国でも高い実績を上げる久能祐子氏とともに講座を開設して2年目。自由闊達さと実践主義をモットーに英語で行う授業は、社会起業への意欲やモチベーションが高い受講生たちと双方向のやり取りで活況を呈するという。
「講師としての心掛けは、受講生がやる気になる環境、題材、刺激を常に提供し続けること。各自各様の問題意識で、身近で解決したいSDGsにかかわるテーマを見つけ、将来的に実現に漕ぎつけそうな起業案を作成、最終授業で試験やレポートのかわりに『ピッチ』してもらいます。グローバルな問題に対してどう考え、どんなアクションを起こすべきか||授業の中でそう受講生に問いかけ、同時に自分自身にも問うていきたいのです」

大学院留学の2年間をやり直せるものなら

転職の末につかんだ職場は理想的だったが、それまでの紆余曲折の中にも得るものはあったという。

東京で生まれ育った村井さんは高校3年時に米国オハイオ州の高校へ1年間ホームスティで留学。日本の大学を卒業後に大学院留学を思い立ち、再び渡米。ここで選んだフレッチャー法律外交大学院での2年間が、その後の進路に決定的な方向性を与えることになる。
「フレッチャーは、各国政府の外交官を輩出する一方、ビジネス分野にも力を注ぐ大学院でした。所在地は米国屈指の学園都市ケンブリッジに隣接し、近くのハーバード大学やMIT(マサチューセッツ工科大学)などと単位互換制度もあり、知的雰囲気と学究的な刺激に溢れていました」
そもそも国際関係に傾倒したのには、かつて日本ユネスコ協会連盟などに職を得ていたお母様の影響が大きい。アジア各国から来日した研修生を夕食に招いたり、夜遅くまで英語やフランス語の文書を読みながら仕事をこなす姿に感じ入るところがあった。いつか自分も国際協力の仕事がしたい、その第一歩を踏み出すための留学だったのだが、大学院生活はその実現を引き寄せもすれば、道のりのリアルな厳しさ、険しさを教えもした。
「実社会で何年か経験を積んでから大学院へ行くべきでした。クラスメイトたちは最低2~3年、長い人は10年近く社会経験を重ね、就職志望やスキルアップ、キャリアチェンジなど具体的で明確な目的意識を携えて学びに来ていました。だから、講義を聴くだけでなく、積極的に自分の考えや意見を述べ、自らの経験に基づいて議論を戦わせていく。学生自身も授業に貢献しないと良い評価は得られないと知り、自分の吸収できることの限界も感じました」
当時の大学新卒者は数人。その一人だった村井さんは、語学に加えて社会経験がないことでも引け目を感じることが多かった。目的意識が薄弱なまま留学したことを今でも悔やむ。
「もしもう一度人生をやり直せるなら、あの2年間はやり直したいですね(笑)」

国際機関で働く機会は3度も巡り来て

大学院で修士号を得た村井さんは、日本政府が国際機関での勤務を希望する若者を支援するJPO派遣制度の適用を受け、国際連合開発計画(UNDP)のブラジル現地事務所に勤務。3年目にニューヨークのUNDP本部へ移る。だが、仕事上の理想と現実のギャップに悩み、この際、民間企業で働くのもよい経験とシティバンク銀行に転職した。
「そこでリクルーターとして働くうちに人事や人財開発のおもしろさに目覚めました。以後のキャリアの大半を人事畑で過ごすことになるターニングポイントになったと思います」
その後、クレディ・スイス信託銀行で営業職を経験した後、国際連合児童基金(ユニセフ)の人事担当職に採用されニューヨーク本部に勤務。
「大学院後の11年間は試行錯誤の連続でした。特に銀行の営業職に就いた時は、2カ月でこれは自分がしたいことではないと自覚し、自分が本当にやりたい仕事は何か、考え抜きました。私にとってはどういう目的のために仕事をするかが、生活の糧を得るのと同様に大事で、その私にとっての『何のため』は、世界の貧富の差の是正や、機会や繁栄の共有にささやかでも貢献するということだと再認識しました。同時にそれが、大学院時代にのめり込んだ開発経済学(※3)という学問上の原点への回帰にもなりました」
今度こそ勤め上げようと思う矢先、またしても村井さんに転機が訪れる。ユニセフでの仕事がそれに符合しなかったわけではない。基幹事業は発展途上国の子供と母親の支援で、目的がはっきりしており、そこで人事、組織の仕事から入り、いくつかの途上国の現地事務所で、現場のニーズにあった仕事をしながらキャリアを積んでいくことを想定していた。しかしその時届いた「世界銀行が人事のプロを探している」という誘いを村井さんは受けることになる。
「世界銀行は発展途上国の経済を支える上で枢要な役割を果たします。途上国政府への融資が主務ですが、お金を貸すことは手段で、真の目的はクライアント国が貧困撲滅に向けてより効果的な政策がとれるよう対話をしていくことで、活動分野もマクロ経済、保健、教育、インフラ開発、環境保護など多岐にわたっています。キャリアも、人財育成や人事戦略といった分野の専門性を深めていけると予想されました。散々悩んだ末にこのオファーを受け、本部のあるワシントンDCへ赴きました」

人事戦略の請負人からコーチングのプロへ

世界銀行入行後の村井さんは、水を得た魚のような活躍ぶり。18年間の在職期間のうち、最も長く在籍した「欧州中央アジア局」の人事チームでは、ソビエト連邦崩壊後、市場経済移行という大きな変革期にある旧ソ連や東欧諸国のクライアント国ごとのニーズを満たす人事戦略づくりに携わった。さらには融資先の成長度合いに応じて人事戦略を見直すことなどにも精通していった。
「特に印象深いのが、シンガポール政府と組んでインフラ事業本部を立ち上げた案件です。新たな人財確保のニーズに応え、半年間の任期で、わずか6人の代表事務所を40人規模の専門家集団に成長させることができ、ひときわの達成感がありました」
この世界銀行に在職中、村井さんは米国ジョージタウン大学のリーダーシップ・コーチング認定プログラムを修め、国際コーチ連盟(※4)の「ACC認定」も取得した。
コーチングとは自発的行動を促すコミュニケーションの手法で、近年はビジネス分野で、特にリーダーに欠かせないスキルのひとつとして重要視されている。
「コーチングは私の最も得意とする分野で、実務経歴の後半部分はこれで勝負してきたと言っても過言ではありません。京都大学経営管理大学院の講座でもそれは同じで、コーチングのプロとして、日本人も含めた多様な国籍、様々な経歴を経て在籍している、有為な人財の才能開花をお手伝いしたいのです」
村井さんは、日本人は「こうあらねばならぬ」という行動規範に縛られやすく、本来は得意なはずの能力を眠らせたまま、仕事や勉学に活かせていないケースが多いという。その眠れる才能を呼び覚まし、各人の得意な方法でチャレンジする意欲や自信を喚起することが、「人財」を育むためのポイントだ。

2016年、世界銀行時代の友人たちとの1枚。村井さん(右から2番目)の得意分野であるコーチングを習得。

内向きの世なればこそグローバルに目を向ける

さて、「グローバル」という言葉や概念が世に広まるより先に「世界」へ飛び立ち、身をもってグローバル社会の体現者となった村井さんの目に、昨今の日本や日本人はどう映っているのだろうか。
「21年ぶりに住む日本に、まずは、『食事がおいしく安全、人は丁寧で真面目、本当にいい国だ』と安心し感動しました。が、しばらく経つと『この風儀に馴染めない人には息苦しかろう』と心配にも……。親切とおせっかいは紙一重だし、律儀さと窮屈の分かれ目も判然としない。言葉にしづらい閉塞感が漂う中で、国も人も内向きになっていくのを強く感じます」
だからこそ、内から外へ視線を転じて、グローバルな問題の解決に立ち向かう「人財」への切望が増すのではないか。
「日本の若者たちに私が勧めたいのは、どこか外国で1年間暮らしてみることです。留学でも、ボランティアでも、放浪でも、とにかく出かけて行って『違う世界があるんだ』と体験してほしい。いやな思いや苦労が多く、もう2度と外国に行きたくないと思ってもいい。いかに日本人が恵まれているか、日本が『いい国』かを認識する、意義ある経験だと思います。一方、さらに外国で学びたい、働きたい、となったら、その先の経験から得られるものは計り知れないですし、日本の知財や知見を外へ、また外から内へ、『つなげていく力』が加速されていくのではないでしょうか?」
外に目を向けることで、内なる自分に気づくことの大事さは、世代、年代を問わないはず。その第一歩を踏み出したい人に向け、村井さんに仕上げのコーチングをお願いした。
「私の講座で採用している『3ステップ』と基本は同じです。ステップ1、グローバルな問題に目を向け、ステップ2、我がこととして臨場感を感じることに焦点を当て、ステップ3、自分がその問題に対してできることを考えて行動に移す。
例えばペットボトルを大量に飲み込んだ鯨の写真が心に突き刺さったとします。自分ができることのひとつは、マイ水筒を携行してペットボトルゴミを出さない、という行動です」
そのうち、マイ水筒を持っていても、水を補給する水飲み場が、道やビル内にあまりないことに気づき、じゃあどうすればいいかと考え、それが、さらに一歩進んだ解決策、イノベーションにつながるというわけだ。
「大きくグローバルな問題解決に向けて、SDGs到達のため、まずは小さくても、あなたができる第一歩を踏み出しましょう。ざっくり1億人と推定される18歳以上の日本人がめいめいにそれを実行したら、ものすごい『つなげていく力』になっていくに違いありません」

取材・文/内田 孝 写真/竹見 脩吾

「グローバル社会起業論講座」の授業風景。今年度前期の受講者19名の大半を留学生が占め、出身国や年齢層が幅広い。

KEYWORD

  1. ※1SDGs
    持続可能な開発目標。2030年までの国際目標として17のゴール・169のターゲットから構成され、地球上の誰一人として取り残さないことを誓っている。
  2. ※2社会起業家
    社会の課題を、事業により解決する人のこと。社会問題を認識し、社会変革を起こすために、起業という手法を採る者を指す。社会的、環境的インパクトと経済利益の両方を生むことを目標とすることで、活動、効果の持続性をはかる。
  3. ※3開発経済学
    発展途上国の経済の現状や、今後の開発のあり方を考える経済学の一分野。先進国と途上国との経済的格差を是正するため、いかにして途上国の開発を促すかという問題意識から生まれ発展してきた。
  4. ※4国際コーチ連盟(International Coach Federation-ICF)
    アメリカ、ケンタッキー州が本部。コーチの職業倫理、competency (コンピタンシー、技量)を定義し、定義に基づき、メンバーや資格を授与する、コーチ界で権威ある非営利団体。コーチングスキルやアプローチに関する様々なトレーニングやセミナーも主催する。

PROFILE

村井 暁子(むらい・あきこ)
京都大学経営管理大学院特定准教授

東京に生まれ育ち、高校在学中に米国で1年間ホームステイ留学。上智大学法学部卒業後、米国フレッチャー法律外交大学院で修士号取得。国際連合開発計画ブラジル現地事務所を振り出しに、シティバンク銀行、クレディ・スイス信託銀行、国際連合児童基金(ユニセフ)に勤務。世界銀行在職中はシンガポールと韓国に駐在。2016年に18年勤めた世界銀行を退職。2017年秋から現職。専門分野はグローバル人材開発、リーダーシップコーチなどで「グローバル社会起業講座」を受け持つ。