「共有価値」を創造する次世代通信規格5G
伊本 貴士

Opinion File

日本の「5G元年」に向け開発競争の正念場

「5G投資に5年で3兆円弱 ドコモなど通信4社」(4月9日)、「米スプリント、4都市で5G開始」(5月31日)、「楽天とNEC5Gで提携発表」(6月5日)──。
いずれも日本経済新聞の報道だが、例年6月に閣議決定される政府のIT戦略(※1)の策定を前にして、情報通信系の話題が引きも切らずの状況だ。その目玉は、次世代モバイル通信規格「5G」。現行の第4世代(4G)に比べて最大100倍の速さといわれるこの規格を商用に供するために、官民を挙げて国内通信網の整備を進めることが、今年のIT戦略の重点課題になると目される。
総務省ではこの4月、通信4社(NTTドコモ、KDDI、ソフトバンク、楽天モバイル)に対する5Gの電波の割り当てを決定。これを受けて政府は6月初め、全国の道路に設置された約20万基の信号機を4社に開放し、5Gの基地局として活用する方針を明らかにした。すでに米国と韓国が世界に先駆けて5Gのモバイル通信サービスに踏み切る中、巻き返しを期す日本にとって基地局整備は喫緊の課題となっている。
日本政府はなぜ今、5Gの普及を急ぐのか。企業などに対してIT関連の技術コンサルティングを行うメディアスケッチ株式会社代表取締役の伊本貴士さんは、来年に迫った東京オリンピック・パラリンピックの開催を大きな要因のひとつに挙げる。
「5G先進国としての日本の技術力を世界中に知らしめる。オリンピック・パラリンピックは、その絶好のチャンスです。全国規模では難しいにしても、少なくとも東京で現実味のある5Gの世界観を実感できるとなれば、海外へのPR効果は絶大でしょう。5Gを使った何か画期的なサービスを、日本に来た外国人に体験してもらえるといいのですが」
伊本さんによれば、1980年代に始まった第1世代(1G)から現在の4Gに至るまで、モバイル通信の技術は主に携帯電話での利用を想定して開発されてきたという。だが今、世界が5Gに期待しているのは、単に「スマートフォン(以下、スマホ)の通信スピードが素晴らしく速くなった!」などといった次元の話ではない。
「例えば、オリンピック・パラリンピックの競技会場から、360度あらゆる角度で試合の様子が見られる映像をリアルタイムで配信し、視聴者がそれを自由に切り替えながら観戦するといった使い方などはすぐに思いつきますね。これは5Gでなければできません。動画データの容量は非常に大きいので。それに、スマートグラスやVRゴーグル(※2)が5Gでインターネットに直結し、スマホやパソコン、テレビがなくても好きな場所で動画が楽しめるようにもなるでしょう。街に出れば、5Gを通じて膨大なデータを間断なく処理しながら走る自動運転のバスが目的地まで運んでくれる、そんな近未来の世界です」
それはつまり、時計やメガネやアクセサリー、身の回りの様々な家電製品、交通機関、医療機器、工場のロボットなど、社会のあらゆるモノがインターネットに接続するIoT(Internet of Things)の世界にほかならない。要するに5Gは、携帯電話のためではなく、「来るべきIoT時代の重要な基盤」(総務省「情報通信白書」)として開発された通信規格であり、「あらゆる産業で活用し、今まで見たこともないような新しい製品やサービスを生み出すための技術」(伊本さん)なのである。
「4Gまでの通信料の大半は個人の携帯電話利用だったのですが、おそらく5Gでは法人利用が主流になると私は見ています。5G由来の新ビジネスが次々に生まれ、巨大マーケットが出現する可能性があるのです」
だからこそ、世界市場の覇権争いにしのぎを削る米国と中国が5Gでも主導権を握ろうと躍起になり、多種多様な企業が一番乗りを目指して競争を繰り広げているのである。5Gによって創出されるビジネスの市場規模は、2025年度には日本だけで約13兆円に上るとする試算もある(※3)。

「新しい価値」の創造でIoT時代の幕が開く

5Gの通信速度は最大で毎秒20Gbps(ギガビット)。「2時間の映画が3秒でダウンロードできる速さ」とされている。しかし、それだけではIoTの基盤としては不十分。加えて次に挙げる2つの特徴が、5Gの真価を高めていると伊本さんは言う。
「1つは、通信の遅延がほとんど起こらないこと。どんなに速い能力を備えていても、回線が混雑している時に通信が途絶えたり遅れたりしたのでは、信頼できるサービスとはいえません。リアルタイムで本来のスピードを維持できることが重要です」
この超低遅延のメリットは、医療現場での遠隔治療を考えると納得がいく。例えば、離島の診療所に置かれた手術用ロボットを都市部の病院から遠隔操作したり、現地まで出向けない経験豊富な医師が、遠隔地から送られてくる手術映像を見ながらアドバイスをしたりといったことが5G通信で可能になる。この時、超高精細で大容量の動画送信が必要になるが、もし回線の混雑で少しでもタイムラグが生じようものなら、患者の命にかかわる一大事だ。絶対に遅延することなく送信できるという、その保証があって初めて遠隔手術が現実味を持つ。それが伊本さんのいう、「5Gがもたらす新しい価値」である。
「もう1つは、同時に接続できるデバイス(端末)の数が飛躍的に増えること。災害時に携帯電話がつながりにくくなることがありますが、あれは接続数が多すぎて飽和状態に陥ったから。5Gでは、基地局あたり現在の約100倍の接続台数を目指しています。ですから、携帯電話だけでなく、自動車や家電などの様々なモノが同時に大量に、なおかつ直接に5Gとつながるわけですね」
情報通信研究機構(NICT)は昨年3月、5Gの多数同時接続に関する実証実験(※4)で、1台の基地局に約2万台の端末が接続できることを確認した。災害時の防災倉庫や避難所を想定し、5G通信で支援物資の位置や中身を把握したり、避難者にウェアラブル端末を着けて遠隔地で健康状態をチェックしたりできることも確認したという。
こうした実証実験はすでに多くの企業や自治体、学術機関などの連携で進められている。株式会社小松製作所(コマツ)と株式会社NTTドコモは共同で、遠隔地の建設現場などで無人の建機を操作する試みを実施。熟練作業員が安全な場所から鉱山などの危険な現場で経験を生かせる可能性も見えてきた。
「5Gの実用化を引き金に、社会全体が大きく変わろうとしています。ですが、私自身にも想像すらつかないような新しい事業、ユニークな使い方が出てこなければ、5Gは成功したとはいえないと思っています」

誰もがつながる社会へ鍵を握る「オープン化」

日経ビジネススクールなど、様々な講座やイベントでIoTの価値を啓蒙する。

5Gが普及した社会の先にある、想像もできないような未来。それを手にするには、越えなければならないハードルもある。伊本さんがその筆頭に挙げているのが、開発環境の「オープン化」である。
「一部の大企業や研究機関だけでなく、資金がないベンチャー企業や学生でも開発に参加できるような仕組みをつくることが、5Gの本当の価値を引き出すための必要条件だと私は思っています。
なぜかというと、高周波数で電波の飛ぶ距離が短い5Gには膨大な数の基地局が必要ですし、非常に高度な技術や機器を要するので投資金額が莫大です。それを回収するには、限られた業界や地域でしか使われない程度の市場規模では話にならない。先ほど申し上げたように、5Gがあらゆるモノにつながって、国全体で誰もが普通にそれらの恩恵にあずかれる状況が望ましい。でも、そこまで市場を拡げようとしたら、大企業だけの力ではとても足りません。中小企業や個人でも次々に5Gのサービスを世に問い、送り出せるような体制をつくらなければ追いつかないでしょう」
そして、そのためには、5Gを使って実証実験などに参加する際の権利や条件を可能な限り緩和してほしいと伊本さんは訴える。一部の通信会社や大手ベンダー、あるいは公的機関が持つ5Gに関する様々な規格や仕様、ハードウェアをオープン化する、つまり外部に対して開放する姿勢を求めているのである。それは伊本さん自身がかつてIoTに惹きつけられるきっかけともなった、こんな経験にも通じているようだ。
「数年前になりますが、それまでインターネットサービスの開発に携わっていた海外の一流のソフトウェア技術者たちが、いっせいにハードウェアの話を始めたことがあったんです。何だろうと思って調べてみると、アルデュイーノ(Arduino ※5)というイタリアで開発された制御装置を使って、ドローンやロボットなどの機械を自らつくることに夢中になっていたのです。その制御装置の仕様や回路情報が、ネットですべて公開されていたんですね。企業が工場でつくるはずの機械が、個人の手で簡単にできてしまう。私は同じソフトウェア技術者として衝撃を受けました。そして、世界が大きく変わろうとしているのを感じたのです」
世界市場を席巻するGAFA(※6)と呼ばれる巨大企業はどれも、その発端は見向きもされないほど小さな会社だった。だが、思いもよらない発想がそこから生まれ、のちに社会構造を変えてしまうほどのイノベーションを引き起こした。日本が5Gをめぐる国際競争を制するには、そうした奇跡が必然的に導かれるような環境が必要だ。
「実は、1Gから4Gまでの開発を牽引して、国際標準の規格を先導してきたのは日本の通信会社です。モバイル通信の技術開発は、いわば日本のお家芸。ここで負けるわけにはいきません。ただ、そうであればなおさら、オープン化です。自社の利益だけにこだわっている場合ではないと思います」
伊本さんがそう語る時、常に引き合いに出すのが米国の経済学者マイケル・ポーター教授らが提唱する経営理論「共有価値の創造」(※7)だ。企業は短期的な利益だけに目を奪われず、長期的な目線で社会に貢献することを考えるべき。その姿勢で社会的課題の解決にあたる時、企業の利益もまた自ずともたらされると説く。それはとりもなおさず、国際連合が推進するSDGs(持続可能な開発目標)の精神でもある。
思えば、機器同士が直接つながるIoTのネットワーク構造も、オープンな網の目の連繋に支えられている。それはモノだけでなく、組織や人も結びつける横のつながりなのだ。

取材・文/松岡 一郎 写真/竹見 脩吾

「エリアカバレッジ」を指標として、都市部だけでなく地方でも使えるようにすることが5G普及の鍵になるという。

KEYWORD

  1. ※1IT戦略
    安倍首相を本部長とする政府のIT総合戦略本部(高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部)の議論を経て、IT分野の重点策を閣議決定する。
  2. ※2スマートグラス/VRゴーグル
    カメラやディスプレイを搭載したメガネ型のウェアラブル端末。スマートフォンやパソコン、ゲーム機などに接続して映像を見る。VRは仮想現実(Virtual Reality)。
  3. ※35Gビジネスの市場規模
    「5G基地局市場の予測とキャリア・ベンダの戦略2019年版~動き始めた5G市場、予測モデルを使った市場予測と基地局展開のシナリオ分析~」(ミック経済研究所)による。
  4. ※45G多数同時接続の実証実験
    NICTワイヤレスネットワーク総合研究センターが総務省の委託事業として実施。
  5. ※5Arduino
    2005年にイタリアで開発されたデジタル制御装置。誰でもWebサイトから開発システムを入手し、電子工作やプログラミングを楽しむことができる。
  6. ※6GAFA(ガーファ)
    巨大IT企業のGoogle、Amazon、Facebook、Appleの4社を総称する呼び名。
  7. ※7共有価値の創造
    マイケル・ポーターらが『ハーバードビジネスレビュー』2006年12月号収載の論文で提唱。社会課題の解決により、企業が経済的価値と社会的価値をともに創造するという理論。

PROFILE

伊本 貴士(いもと・たかし)
メディアスケッチ株式会社代表取締役

メディアスケッチ株式会社代表取締役、サイバー大学専任講師、日経ビジネススクール講師、日経エンジニアリングスクール講師。1978年、奈良県生まれ。NECソフト株式会社、フューチャーアーキテクト株式会社を経て、2009年メディアスケッチ株式会社設立。IoTに関する企業への技術コンサルティング事業、人工知能エンジンの開発などを行う。経済産業省「地方版IoT推進ラボ」メンターなど役職多数。メディア・講演などで幅広く活躍中。著書に『ビジネスの構築から最新技術までを網羅 AIの教科書』(日経BP社)など。