“ただめし”でも黒字の未来食堂へようこそ
小林 せかい

Opinion File

懐古的な「食堂」という単語とまだ来ていない「未来」を組み合わせた未来食堂。新しいけれど懐かしい感じがするネーミングが好評だ。

飲食業界の常識を覆す型破りな発想が話題に

古書店が軒を連ねる東京・神田神保町。その一角に立つビルの地下1階に、ちょっぴり変わり種の定食屋がある。2015年9月のオープン以来、テレビや新聞、インターネットなどで話題になり、他県や海外からもお客さんが足を運ぶ「未来食堂」だ。
店主の小林せかいさんはITエンジニアから飲食業に転身した異色の経歴の持ち主。
そのため従来の業界の常識にとらわれない独自の発想で、これまでにない数々の仕組みをつくり出してきた。
例えば、12席あるコの字形のカウンターでは昼も夜も季節に合わせた日替わり定食1種類のみを提供する。内容はメインのおかずとおばんざいの小鉢が3種類にスープとご飯。悩んだり時間をかけて注文しなくても席に着いて5秒ほどで定食が出てくる。ご飯はカウンターに用意されたおひつから自分の好きなぶんだけよそうスタイル。お代わりも自由だ。
時間の限られたランチタイムにこの早さはビジネスパーソンにとってありがたいし、原則1人で店を切り盛りしている小林さんにとっても効率がいい。実際、未来食堂のランチの回転率は平均4.5回転と高く、「最高で10回転、回したこともある」と小林さんは話す。
だが、未来食堂に従業員やアルバイトはいない。その代わり「まかないさん」と呼ばれるお手伝いの人が入れ代わり立ち代わりやって来て、接客や調理補助、掃除などを行う。これが50分手伝うと、1食900円の定食が無料になるというユニークなシステム「まかない」だ。もし自分が食べなければ、その1食を「ただめし」として別の誰かに譲ることもできる。
「ただめし券が店の入り口に貼ってあるので、どなたでも自由に剥がして使っていただけます」と小林さん。お金がなくて困っているけれど、外でご飯が食べたいという人のために始めたそうだ。
さらに未来食堂には夜になると「あつらえ」というシステムもお目見えする。定食を食べる際、もう少し何か欲しいという時、一律400円の小鉢を2種類まで注文できる仕組みだ。その場合も決まったメニューはなく、冷蔵庫にある食材と調味料リストを手渡され、自分の体調や気分に合わせて食べたいものを伝えればいい。例えば「胃が疲れているから、さっぱりした味付けの野菜料理」とか、「今日は寒いから体が温まるピリ辛料理」という具合だ。
割烹や寿司屋などのシステムに「おまかせ」があるが、それとは違うと小林さんは説明する。
「おまかせは、店側がオススメの食材や調理法を決めて料理をしますが、あつらえはお客さまが主体で、その時に望むものを望む味付けで召し上がっていただきます。また、おまかせは料金が不明瞭ですが、あつらえは料金が明確なので、初めてのお客さまにも安心してご注文いただけると思います」
そしてもう1つ、「さしいれ」というシステムも未来食堂ならでは。これは夜の時間帯、カウンターに並ぶアルコール類やジュースを自由に飲むことができるという仕組み。なんだか嘘のような話だが、実はこれ、飲み物を持ち込むお客さんの持ち込み料代わりなのである。
未来食堂では飲み物の持ち込み料を現金でもらわない代わりに、例えばワイン1本の場合は2本、缶ビール2本の場合は4本持ってきてもらい、その半分を店に置いていってもらっている。これを他のお客さんがご相伴にあずかるというわけだ。
このアイデアは、もともと小林さんがお客さんからいただく差し入れを、他のお客さんにちょくちょく振る舞っていたのが始まりで、「せっかくなら、この善意をシステム化できないか」と考え、生まれたという。
どれも見たことのない仕組みばかりだが、小林さん本人に奇をてらったつもりはない。それどころかむしろ、「人と人とが生身で接していた時代の懐かしさを感じる、新しいようで古いシステムだ」と小林さんは考える。

発想の根底にある強烈な違和感

[未来食堂のシステム]
店の入り口に掲示された日替わりメニュー。

ITエンジニアだった小林さんが、なぜ飲食店の開業に至ったのか。特に技術力の高い有名企業に勤めていたこともあり、まったくの異業種への転身は不思議がられるという。
最初に「店を持ちたい」と思ったきっかけは15歳の時だった。
「小説を読もうと、1人でなんとなく足を踏み入れた人生初の喫茶店で、“大人”であり“個”である空間にものすごい衝撃を受けたんです。学校の自分でも家の自分でもない、そこに在る自分が受け入れられた感覚。当時、学校や家で何か問題があったわけではないけれど、15歳ってまだ子どもで、ほかに比べるものも少なかったのでしょう。とにかく自分は『いつかこんな店をやるんだ』と、すっと頭に浮かんできました」
そのインスピレーションが明確になったのは高校3年生時の家出体験。地元大阪から東京に出ていくつかの街を転々とする心細い生活の中で、ある日、アルバイト先の控え室で仕事仲間と食べた夕飯の「いただきます」のかけ声に涙が止まらなかったという。
「いろいろなことがわからなくなって家を飛び出して、見知らぬ街でひとりぼっちで。身を切られるほどつらかった。仲間といっても仕事場で一緒になるだけの名前も知らない人たちでしたが、ただそこに人がいることが、私にはものすごく尊いことでした」
これが食卓にこだわる原体験となったと同時に、これによって2カ月間の家出に終止符が打たれた。
そしてこの後、未来食堂誕生へと小林さんを加速させたのは自身の食生活だった。今でこそ料理の勉強のために他店を食べ歩く小林さんだが、もとは超の付く偏食で、大学時代は朝にざる蕎麦、昼と夜はシリアルで1年間過ごしたり、ある時期はすべてのおかずが人参料理だったり、会社員時代にも数カ月、ランチはヨーグルトのみで過ごすなど、いつも周囲から奇異に見られたり心配をかけたりしていたそうだ。
「自分にとっては“普通”でも、みんなと囲む食卓では“異物”になってしまい、心苦しかった」と小林さん。彼女の偏食ぶりは確かに周囲を驚かせたかもしれないが、その反応は彼女にとって強烈な違和感だった。
「子どもの頃から、いろいろなことに違和感を覚えてばかりです。私、それを絶対に忘れない。これは特技です。しつこいんですよ」
そう言って、からっと笑う小林さんはおそらく、数えきれないほどの違和感を発想の原動力にしてきた人だ。そのことは未来食堂のメッセージ「あなたの“普通”をあつらえます」や「誰もが受け入れられ、誰もがふさわしい場所をつくる」といった理念が物語っている。

情報をオープンにし知識や経験をシェア

未来食堂のシステムは1人でも店を回せるよう合理的につくられているが、ある部分では非合理的にも見えるのではないだろうか。例えば、「まかない」制度には従業員を抱えなくて済む気楽さと、不特定多数の素人をうまく使いこなさなくてはならないというジレンマが同居する。両方を天秤にかけた時、店主の負担のほうが大きいようにも思う。
「確かに人の理解力は様々ですからね。でも、できなければほかのことをお願いすればいいだけです。それにまかないさんは自由意思で参加してくれているので、私はその人のやりたいことを優先するというスタンス。無事にお店に来て帰ってくれたら、それでいいんです」
「まかない」はもともと、お金のない人でもご飯を食べられるようにつくったシステムだが、希望者の多くは飲食店を開くために修業したいとか、仕事終わりの気分転換と夕食を兼ねてとか、子どもが幼稚園に行っている間の暇つぶしなど、ただめしを目的に来る人はほとんどいないそうだ。ただし、小林さんはいちいち目的や身元をたずねないので、本当のところはわからないと言う。
「まかないさんのほうから話してくれた時は聞きますよ。特に将来、飲食店を開きたいという人の話とか。でも多くの場合、自分が何をしたいかというぼんやりとした絵しか描けていなくて、そこにかかわる人たちが何を思って参加してくれているのかが全然イメージできていません。アイデアを現実に落とし込むには、人間とは何なのかを細かく見て考えないと」
小林さんが未来食堂を始めるにあたり、会社を辞める時にはすでに屋号もコンセプトも決まっていて、退職の挨拶代わりに開店予定時期と100円割引券のメッセージカードを同僚に配ったという。また、開業1年前から準備段階をブログに綴り、それが後に本の出版にもつながった。開店後に世間の注目を集めることも織り込み済みだったそうだ。
どこか無防備な一面を持ちつつ、策士の小林さん。そんな彼女の未来食堂はオープンから約3年、黒字経営を続けている。月次決算や事業計画はウェブ上で公開されており、経営状態は一目瞭然だ。
原価を明かさないなどクローズドな体質の飲食業界にあって、この画期的な試みには、情報をオープンにして知識や経験をシェアすることで業界全体を発展させていくという、IT業界で学んだ文化が反映されている。実際、最近では未来食堂のシステムを真似た店が少しずつ出てきており、そのことを小林さんは歓迎している。
この稀代の店主に、最後の質問をぶつけてみた。未来食堂はなぜ、これほどまでに人々を惹きつけるのか?
「わかりそうでわからないからじゃないですかね。世間にはたくさんいい話があるけど、未来食堂は単純な美談で終わりません」

取材・文/高樹 ミナ 写真/竹見 脩吾

店の入り口付近にひっそりと貼られている「ただめし券」。
特注のおひつから好きなだけご飯をよそえる。
使われた「ただめし券」はファイリングされていて自由に見ることができる。
昭和レトロなインテリア。赤モケットのクッションの椅子は61年続いた名喫茶「新宿スカラ座」から譲り受けた。
ピカピカに磨き上げられた厨房。「ゴミ箱を磨けた時が一番楽しい」と小林さん。

PROFILE

小林 せかい
未来食堂店主

こばやし・せかい
未来食堂店主。1984年、大阪府生まれ。東京工業大学理学部数学科卒業。IT企業で6年半エンジニアとして勤めた後、1年4カ月の修業期間を経て、2015年9月、東京都千代田区一ツ橋に「未来食堂」を開業。飲食業界に新風を吹き込む仕組みが注目され、「日経WOMAN ウーマン・オブ・ザ・イヤー2017」を受賞。テレビ番組「カンブリア宮殿」「ガイアの夜明け」など多くのメディアに取り上げられる。著書に『未来食堂ができるまで』(2016年、小学館)、『ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由』(2016年、太田出版)、『やりたいことがある人は未来食堂に来てください』(2017年、祥伝社)などがある。