心のバリアフリーを浸透させる車いすラグビーの躍進
坂木 萌子 × 岸 光太郎
Global Vision

フリーアナウンサー
坂木 萌子
車いすラグビー日本代表ヘッドコーチ
岸 光太郎
スピーディな動き、激しいコンタクトプレーで観客を魅了する車いすラグビー。
日本代表チームを率いる岸光太郎ヘッドコーチは、年齢も性別も障がいの程度も異なる多様な選手をどのように束ね、どんな戦略で勝ちにこだわるチームへと変貌させたのか。
前ヘッドコーチの思いを受け継ぎ 勝ちにこだわるチームへ
坂木 岸さんが車いすラグビー日本代表ヘッドコーチに就任されたのは2023年8月でした。ケビン・オアー前ヘッドコーチからのバトンを、どのような思いで受け取られたのでしょうか。
岸 実は2023年の春ごろから、ケビンの体調が芳しくなく、後任をどうすべきかの話が持ち上がっていました。でも、まさか私がヘッドコーチをやるとは夢にも思っていなかったので、オファーを初めていただいた時、戸惑いや不安の気持ちのほうが強かったですね。
坂木 それでも、最終的には引き受けられた。
岸 周りから「やってみたらどうだ」と後押しされたこともあって、とりあえずまずはパリ2024パラリンピック競技大会(以下、パリ2024大会)までの1年間頑張ってみようと腹をくくりました。
坂木 岸さんにヘッドコーチを引き継いでほしいと思う方が、周囲にたくさんいらっしゃったということですね。
岸 その点について実際のところはわかりませんが(笑)。でも私は選手としてケビンの近くで長くプレーをしてきたので、今度はヘッドコーチとしてチームに貢献すべき時が来たのだと思いました。
坂木 岸ヘッドコーチによる新体制のもと練習がスタートしたわけですが、チームとして新たに取り組むべきこと、逆にケビンヘッドコーチの指導を継承していくべきこと、それぞれどのように分析されましたか。
岸 これまでケビンが進めてきた戦略については疑問を持つ要素がなかったので、そこは踏襲しようと考えました。例えば「2ハード2ソフト」と呼ばれるディフェンス。選手4人のうち2人が相手のボーラーに対してプレッシャーをかけ、あとの2人はエリアを守り、ボールを出しにくい状況をつくるというものですが、こうしたディフェンスの強化は継続していきました。
そのうえで、これまで以上に勝ちにこだわるチームへと成長するためには、プレーの精度を高める必要があると考えました。例えば、車いす操作やボールのハンドリングといった基礎的な動きをあらためて見直すなど、精度にこだわったプレーを追求するという意味です。
坂木 それは、選手として数々の大舞台を経験されてきた岸さんだからこその戦略と言えるでしょうか。
岸 確かに、これまでの選手経験を通して、勝敗を分けるのはプレーの「細部」だという実感は持っていました。
さらにこれまで以上に気を配りたいと考えたのは、選手とのコミュニケーションの密度です。車いすラグビーの日本代表は男女混成のチームで、年齢は20代から40代にわたり、障がいの程度も人によって大きく異なります。こうした多様なメンバーが集まれば、おのずと見えない壁が生まれる場合もあるため、コミュニケーションの重要性をより一層意識しました。
坂木 チームの中にはこれまで一緒にプレーしてきた仲間もいらっしゃると思いますが、指導する際に、どうやって伝えようかと悩むことはありませんでしたか。
岸 むしろ当初は、躊躇せず端的に伝えすぎて怒られたことがありました。ケビンは素晴らしいヘッドコーチだったうえ、基本は英語でのコミュニケーションだったこともあり、選手と適度な距離感が保てていたのかもしれません。それが、選手と近い立場で、日本語で指示を出すヘッドコーチに代わったわけですから、選手たちが思い描いていたヘッドコーチ像とは大いにギャップがあったはずです。
坂木 そのあたりは、どのように解消されたのですか。
岸 とにかく、対話を重視しました。心がけていたのは、私の思いを伝えること、それに対する選手の意見をしっかり聞くこと。粘り強くコミュニケーションを重ねることが鍵になったと思います。
坂木 私は中学、高校とバスケットボール部のキャプテンを務めたことがあるのですが、選手同士では仲が良かったのに、キャプテンになった途端、何も言えなくなってしまって。結果、チームが弱くなってしまった経験があります。ですから、一緒に戦ってきた仲間にどのように指導されたのか、とても興味がありました。
岸 元々はチームメイトですから友人という関係性もあるのですが、ヘッドコーチとなってからは、あくまでもプレーで評価するという姿勢を忘れないようにしています。また、キャプテンだから、年長者だから、ハイポインター(主に攻撃の選手)だから、といった理由で意見を受け入れることはありません。「君の意見はわかった。でも、それを受け入れるかどうかは、一度選手同士で話し合ってみてほしい」と、まずは対話を促すようにしています。
坂木 選手間のコミュニケーションも大切にされているのですね。


「普段通り」のプレーで悲願の金メダルを獲得
坂木 岸さんは、日本代表チームを「金太郎飴のようなチーム」と表現されていましたね。
岸 伝えたい意味が上手く伝わらず、選手たちから「どういう意図なのか」とすごく怒られたんです(笑)。
坂木 そうでしたか。でも、どのようなメンバーの組み合わせでも勝負できる、という意味ですよね。
岸 そういう意味で言ったつもりです。通常はベストのラインアップ(選手の組み合わせ)、2番手以降のラインアップなどを想定しますが、その戦力にはどうしても差が出てしまいます。でも日本代表チームは、どのラインアップでも自分の"仕事"を遂行できるマルチな選手ばかり。もちろん、試合に向けて、どんな組み合わせでも最大限の力を発揮できるような練習をこなしました。
坂木 パリ2024大会で印象的だったのは、やはり米国との決勝戦です。第1ピリオドで3点のリードを許しましたが、どんなお気持ちで試合をご覧になっていたのでしょう。
岸 立ち上がりが悪くて大丈夫かなと心配しましたが、実際のところ、試合が始まればヘッドコーチができることはほとんどないのです。ヘッドコーチの仕事は、試合を迎えるまでの"準備"に尽きます。もちろん、選手交代の際に戦術を伝えることはありますが、試合中にコートの外から声をかけても届かないことが多い。そういったこともあり、試合中はコートの中の4人で考えてプレーするよう伝えています。3点リードされましたが、必ず追いつけると選手たちを信じて試合を見守りました。
坂木 日本代表選手といえば、キャプテンの池透暢(ゆきのぶ)選手、エースの池崎大輔選手の、いわゆる「イケイケコンビ」がメディアでも話題でしたが、チーム最年少の橋本勝也選手の活躍も印象的でした。
岸 橋本選手は終始タフなプレーでチームを引っ張り、こちらの期待以上のプレーをしてくれ、決勝ではチーム最多の19トライを挙げました。前回の東京大会で満足のいくプレーができなかった分、その喜びはひとしおだったでしょう。決戦を戦い抜いて、本当にいい顔をしていましたね。
坂木 パリ2024大会を控えた記者会見で、岸さんは「目標はあえて言わない」とおっしゃっていました。その真意はどこにあったのでしょう。
岸 これまで日本代表は、優勝を意識しすぎるという弱みがあると分析していました。パラリンピックでは、リオデジャネイロ、東京の2大会連続で銅メダルに留まり、準決勝の壁が立ちはだかっていました。そのような状況下で私が「目標は金メダル」と言ってしまうと、それが足枷(あしかせ)となり、肝心の足元が見えなくなるかもしれない。普段通りにプレーすれば結果が出ると信じていたため、あえて金メダルという言葉は封印していたのです。
坂木 悲願とも言える金メダルが決まった瞬間、どんなお気持ちでしたか。
岸 選手たちが歓喜する顔や、会場の応援団のみなさんが涙を流して祝福してくださる姿を見て、言葉にならないくらいの喜びを感じましたが、それ以上に安堵の気持ちが強かったかもしれません。ケビンの思いを継いで、形にすることができたと。
坂木 金メダル獲得へとチームを率いてこられましたが、チームづくりで大切にしていたのはどのようなことでしょうか。
岸 プレーの部分では、先ほどもお話しした通り、細部にこだわる練習を積み重ね、メンタル面では試合に向けた準備を大切にしようと伝えました。例えば、テーピングをすること、普段の基礎的な練習をこなすこと。すべてが本番につながる重要な準備です。目の前のことを一つひとつ大切にすることで、試合当日も「今日は勝つぞ」ではなく「いい準備をして試合に臨もう」という心持ちが生まれ、いつも通りのプレーにつながります。実際に、試合では選手たちから「普段通りにやっていこう」と声が出ていますし、延長戦など厳しい局面では、「練習してきたことだけをやればいい」と声を掛け合う場面もあって、頼もしく感じています。
坂木 選手の意識づくりにもつながっているのですね。車いすラグビーの金メダルは、多くの人に勇気を与えたのではないかと思います。
岸 日本人が世界を相手に戦えることを示すことができ、他の競技も含め、日本人がさらに活躍できる可能性を感じていただけたのではないでしょうか。次は自分たちも、と奮起するきっかけになればうれしいです。

会場で体感してほしい車いすラグビーの魅力
坂木 岸さんご自身についてもお伺いしたいのですが、そもそも車いすラグビーとの出合いはいつ頃だったのでしょうか。
岸 私は、1995年、大学生の時に事故で受傷しました。当初リハビリテーションセンターに入っていたのですが、退所する際、体育の先生に体力づくりに適したスポーツがないか相談したのです。その先生が車いすラグビー連盟の役員をされていたこともあって、薦められたのが車いすラグビーでした。ちょうど、車いすラグビーがパラリンピックの種目になるかもしれないと言われていた頃で、興味を持って試合を見に行ったのです。
埼玉県所沢市の国立障害者リハビリテーションセンターで開催された大会でしたが、車いす同士がぶつかり合う迫力に圧倒されました。普段使っている車いすとは全然違う競技用車いすの格好よさにも惹かれました。元々機械が好きだったので、これに乗ってみたいという思いが高まって、練習に参加するようになったのです。
坂木 実際にプレーするようになって、いかがでしたか。
岸 競技のおもしろさに一気に魅せられましたね。試合を通して全国各地に友人が増えたことも大きな収穫でした。いろいろな人に会えることが楽しくて、ここまで長く競技を続けてこられたのかもしれません。
坂木 競技生活はもうすぐ30 年になりますね。あらためて、車いすラグビーの魅力はどんなところにあると思われますか。
岸 やはり激しい接触プレーに多くの人が魅了されるのではないでしょうか。さらに、戦略性があるところも大きな魅力です。車いすラグビーは障がいの程度によって選手の持ち点が変わります。コートに出る4名の選手の合計点は8点と決まっているので、誰を投入するかによって、守備を手厚くした布陣、攻撃に特化した布陣などが生まれます。
坂木 頭脳戦の部分も多いのですね。選手の持ち点が異なるということですが、岸さんご自身はローポインター(主に守備の選手)でいらっしゃいますね。
岸 ええ。ローポインターは基本的にはトライすることはあまりなく、縁の下の力持ち的な存在です。相手ディフェンスの壁となってトライするための道をつくったり、相手のハイポインターの進路を塞ぎ、車いすから前方に突き出ているバンパーでブロックしたり、相手の動きを先読みして邪魔をする役割です。私は0.5点で持ち点が一番低いプレーヤーなので、3点の選手などを止めた時は非常にうれしいですね。
坂木 それは、観客としても大いに盛り上がる場面ですね。先ほど練習の様子を拝見しましたが、ものすごい迫力ですね。タックルの音にも驚きました。
岸 そうでしょう。車いすがぶつかる音、タイヤがパンクする音、あとは、金属と金属がぶつかって焦げたような匂いがすることもありますよ。現場でしか体感できない迫力がありますから、ぜひ多くの方に、試合に足を運んでいただけたらと思います。
オフの息抜きはインターネットで情報収集
坂木 ラグビー以外では、何をするのがお好きですか。
岸 興味のあることについてインターネットで検索をするのが楽しいですね。ニュースサイトや雑学サイトなど、時間を忘れて見てしまいます。
坂木 雑学といえば、6歳になる私の息子は雑学好きで、YouTubeで得た知識をクイズで出してくるのです。6歳にしてはなかなか難しい問題だったりして、最近少々しんどく感じることもあります……。
岸 その話、興味があります(笑)。どんなクイズを?
坂木 先日は「学校の教室は左側に窓があると決まっているんだけど、なぜだと思う?」と聞かれまして。
岸 それは、太陽の光の入り方が関係していますか。
坂木 まさに、正解です。一般的に右利きの人が多いので、ノートを取る時に影にならないように、ということらしいのです。こういう雑学を仕入れてはクイズを出してきて、私が答えられないと喜ぶという……。
岸 息子さんと仲良くなれそうな気がします(笑)。つい人に言いたくなってしまうんですよね。私も周囲から嫌がられているのかもしれない。
坂木 お休みの日は、そのように情報収集されることが多いのですか。
岸 ヘッドコーチは事務作業も多いので、そういった作業をまとめて片付けたり、試合のビデオを見たりもしています。その合間に、インターネットで息抜きをしています。往々にして、息抜きの時間が長くなってしまうのですが……。
障がいのある人の光のような存在に
坂木 日本代表チームの活躍は、障がいのある方への理解を深める一助になるのではないかと感じますが、岸さんご自身は、車いすラグビーを通じて社会にどのようなことを伝えたいと思っていらっしゃいますか。
岸 今回のパリ2024大会は、本当にたくさんの方に応援していただきました。障がいがあっても、スポーツを通して人を熱くすることができることを知ってもらえたのではないでしょうか。車いすラグビーが障がいのある人にとって日々を頑張るための目標となるような「光」のような存在になればうれしいです。
近頃はバリアフリー化が進み、以前と比べて車いすユーザーが外出しやすい環境が整ってきました。でも一方で、障がい者に対してどう接すればいいのか、戸惑う人が多いという印象はぬぐえません。ハードのバリアフリーは進んでも、人の心などソフトの面ではまだ発展途上と言えるかもしれません。車いすラグビーを通して障がいのある私たちのことを知ってもらうことで、そうした壁が少しでもなくなることを願っています。
坂木 岸さんは海外に遠征する機会も多いと思いますが、日本と比べてアクセシビリティの違いを感じますか。
岸 日本との違いは、海外では気さくに声をかけてくれる人が多いことでしょうか。例えば、スロープがない場所では、「手伝えることはない?」、「車いすを担ぐよ」などと声をかけてくれる。最近は日本でも声をかけてもらう回数が増えましたが、もっと心のバリアフリーが進展すればいいと思います。
坂木 ヘッドコーチとして、またプレーヤーとしてもご活躍中の岸さんですが、次の目標をお聞かせください。
岸 どんな立場であっても、車いすラグビーを楽しむことを忘れずに、車いすラグビーの発展のためにできることがあれば、力を尽くしていきたいと考えています。
坂木 現役選手をいつまで続けたい、というお考えはありますか。
岸 いつまで、という期限は決めず、コートで動ける限りはプレーを続けたいと思っています。それほど、車いすラグビーが楽しくて仕方がないのです。おそらくここが、自分にとって唯一無二の居場所なのでしょう。

(2024年10月23日実施)
構成・文:脇 ゆかり(エスクリプト) 写真:竹見 脩吾
※ J-POWERは日本パラスポーツ協会に協賛しています。

PROFILE
岸 光太郎(きし・こうたろう)
車いすラグビー日本代表ヘッドコーチ。1971年、埼玉県生まれ。1995年、交通事故により頸椎を損傷し車いす生活に。リハビリセンターで車いすラグビーと出合い、1998年から競技を始める。パラリンピックは2012年のロンドン大会、2016年のリオデジャネイロ大会に出場、リオでは銅メダルを獲得。2018年の世界選手権では金メダル、2019年のワールドチャレンジでは銅メダルを獲得した。2023年8月に日本代表ヘッドコーチに就任。クラブチームAXEの現役選手としても活躍中。

PROFILE
坂木 萌子(さかき・もえこ)
フリーアナウンサー。1987年、高知県生まれ。中学・高校ではバスケットボール部に所属。早稲田大学商学部卒業後の2009年、さくらんぼテレビジョン入社。翌年フリーアナウンサーに転身し、主に日本テレビ系列各局の番組でキャスターとして活躍。現在はBS日テレ「森田健作アワー人生ケンサク窓」番組進行役、「コーポレートファイル」ナビゲーターなどを務める。