体を癒やし、心を潤す 鳴子温泉郷の温もり
〜宮城県大崎市と鬼首地熱発電所を訪ねて〜
藤岡 陽子
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J-POWER鬼首(おにこうべ)地熱発電所は、宮城県大崎市にある。鳴子火山群を有し、温泉資源が豊富なこの地域は鳴子温泉郷と呼ばれ、奥州三名湯の一つでもある。こけしの産地としても有名なこの地を旅した。
小説家 藤岡 陽子/ 写真家 竹本 りか
100mの断崖絶壁 大崎市の鳴子峡で紅葉狩り
大崎市にある鳴子峡レストハウスの展望台に立ち、胸いっぱいに秋の空気を吸い込んだ。
目の前には色づいた樹々の葉に覆われた深さ100mの大峡谷が広がり、その見事な色彩に心を奪われる。
紅赤(べにあか)、緋色(ひいろ)、茜色(あかねいろ)、金赤(きんあか)、朱色(しゅいろ)、金茶(きんちゃ)、橙色(だいだいいろ)、伽羅色(きゃらいろ)──。
日本には昔から色を表す言葉は数多くあるけれど、秋色の葉のすべてを識別することはできないだろう。色彩の濃淡は限りなく、光によっても見え方を変え、そして明日はまた少し違う風合いになっている。
秋から冬へ。季節の移ろいを感じさせるのもまた、紅葉の役割なのかもしれない。
彩られた鳴子峡に架かるアーチ型の大深沢橋は遊歩道につながっていて、およそ2.6kmにわたる大峡谷を散策できるという。




国内有数の温泉地鳴子温泉郷を歩く




紅葉の名所として知られるこの地域は、国内有数の温泉地でもある。鳴子温泉、鬼首温泉、東鳴子温泉、川渡(かわたび)温泉、中山平温泉を合わせて鳴子温泉郷と呼び、奥州三名湯の一つとして全国に名を馳せる。大崎市にはどうしてこんなにたくさんの温泉があるのだろう。
町を歩きながらふと、そんな疑問が頭に浮かんできた。
調べてみると、この地域には鳴子火山群が広がっていて、地下数kmから十数km辺りに1,000℃を超える高温のマグマ溜まりがあるという。マグマ溜まりによって温められた地下水が源泉となり、温泉に使われている。
また、温められた地下水が地表に近い場所にある場合、断層などで生じた割れ目から自噴することがあるらしい。それを間欠泉というのだが、鬼首温泉にある「鬼首かんけつ泉」という施設を訪れ、温水の自噴をこの目で見てきた。
施設内には弁天、雲竜、二つの間欠泉があり、一定の間隔で温水を噴き上げていた。
弁天はおよそ15m、雲竜は4〜5mくらい温水を噴出するのだが、初めて見る光景に、地球のエネルギーを感じた。
私が立っているこの下に、マグマ溜まりがあるのか……。
火山国日本で暮らしながら、これまで地学に触れる機会が少なかったので、新鮮な感覚だった。




岩出山伊達家の学問所旧有備館の歴史を知る



岩出山地区に伊達家ゆかりの史跡「旧有備館および庭園」があると聞き、足を向けた。
出迎えてくださったのは、岩出山公民館の職員である大森翔太さん。約4,200坪もの敷地を優雅に歩きながら、岩出山と伊達家のつながりを教えていただいた。
「伊達家は初代仙台藩主の伊達政宗公の時代に、本拠地を米沢から岩出山に移していたんです」
1590年に豊臣秀吉が断行した領地の配置替えによって、当時24歳だった政宗公は1591年から仙台に移るまでの約12年間、岩出山を拠点にしていたと大森さんが教えてくださる。
「じゃあ、岩出山は伊達政宗公が壮年期を過ごした場所なんですね?」
「いや、ほとんどここにいなかったようですよ。京都にいたり、朝鮮出兵していたりで」
大森さんはそう言って微笑むが、岩出山と伊達家の縁は永く続く。
「旧有備館は、1677年に岩出山伊達家第2代当主の伊達宗敏が建てたものです。その時は伊達家の隠居所だったようですが、幕末の1850年頃から学問所として使ったと言われています」
いま残っている建物は、儒学の口頭試問の場であった御改所(おあらためどころ)(主屋)と、家臣などの控えの間に使われた附属屋の二棟。御改所の襖を開け放つと回遊式池泉庭園が望め、春夏秋冬、美しい景色を眺めることができる。
「風のない日は御改所が池に逆さまに映り、とても美しいんですよ。その様子を、儒学者の佐久間洞巖が対影楼と名付けています」
庭園の池に入ってくる水はすぐ近くを流れる内川のもので、政宗公が整備したと伝えられる。
旧有備館に別れを告げたその足で裏手にある岩出山に登ると、城の跡地に伊達政宗公の銅像がそびえ立っていた。
鳴子の伝統工芸品こけしと歩む人生







鳴子温泉近辺を歩いていると、いろいろな場所でこけしに出合う。道路沿いに立っていたり、公衆電話ボックスの上に頭が載っていたり。
なぜこんなにこけしが?
鳴子温泉に1876年創業のこけし店があるというので、鳴子こけしの歴史を知るために訪ねて行った。
こけしのことを教えてくださったのは、「岡崎斉(ひとし)の店」の4代目となる岡崎斉一さん。現在75歳で、中学を卒業してから約60年間、こけしづくり一筋の職人さんだ。
「こけしづくりは、この地域で木製のお椀やお盆を挽いていた木地師(きじし)たちが子どもの玩具として手がけたことから始まりました。湯治(とうじ)に来た客が、子どものお土産に買っていったんですよ」
子どもの玩具としてつくられたこけしは、1940年頃になると大人たちの鑑賞、収集用として需要が高まった。その後1960年代の高度成長期に入ると多くの観光客が鳴子温泉を訪れ、土産として購入していった。当時は午前7時半から午後11時頃まで店を開けていた、と斉一さんが目を細める。
だが時代の流れは変わっていく。
「平成の初め頃からこけしの売れ行きが下がってきたんです。そこにコロナ禍がきて……」
そう話してくださるのは、妻の律子さんだ。
「なんとかしようと思って」
逆境を打破するため、律子さんはこけしグッズの販売に踏み切った。「岡崎斉の店」のこけしのイラストが入ったクリップや栞、便箋、孫の手、エコバッグなどを販売して売り上げを伸ばし、家業を守り抜いた。斉一さんが描くこけしの顔は世界に一つしかなく、その愛らしさはグッズとなって多くの人の手に届いている。
斉一さんがこけしの顔に絵を付けるのは夜8時から11時頃だという。静かな時間に心を鎮めて眉、目、鼻を描いていく。
「父や祖父から受け継いだ岡崎店の顔があるんです。うちのこけしは優しい顔をしてるんですよ」
いい時期も、苦しい時期もあった斉一さんの75年。それでも「こけしを通して多くの人に出会えてきたことがありがたいです」と満足げに頷く斉一さんと向き合っていると、一つのことを続ける覚悟と喜びの両方が伝わってきた。
秋の景色が日々変わっていくように、今日と同じ明日はこない。
それでも「明日はきっといいことがある」と信じて生きていけたら、人生は幸せだと思う。
鳴子温泉郷に心と体を温められ、明日に向かう勇気をもらった。
安全性を高めて2023年に再稼働

大崎市にある鬼首地熱発電所を訪れ、中富仁所長に基礎的なことから説明していただいた。
「地熱発電は地下にある高温高圧の蒸気を取り出し、タービンを回転させて発電するという仕組みになっています。蒸気でタービンを回転させるのは、火力発電と同じなんですよ」
鬼首地熱発電所の場合、深さ約1,500m付近に地熱貯留層があり、そこに高温高圧の蒸気や熱水が溜まっている。それらを生産井(せいさんせい)と呼ばれるパイプで取り出し、蒸気だけ発電に用いる。発電に使われなかった熱水と、使用後の蒸気は還元井(かんげんせい)と呼ばれるパイプで再び地下に戻す。
こちらの発電所が運転を開始したのは1975年のこと。2017年にいったん稼働を停止し、2019年から設備更新工事を始め、再稼働したのは2023年4月。見学した新設備は、5本ある生産井を一か所に集約し、従来の設備に比べ安全性が高められていた。
中富さんに地熱発電のメリットを尋ねると、
「火力発電所に比べ二酸化炭素の排出量が少ないこと、ほかの再生可能エネルギー、例えば太陽光や風力などと異なり、天候に左右されないことですね。あと純国産のエネルギーなので、海外から燃料が入ってこないなどのリスクに備えられます」
と返ってくる。ただ、自然相手なので危険があることを忘れてはいけない、と中富さんは語る。
現在、敷地内の巡視点検に使われている四足歩行ロボットを紹介してもらった。名前は「おにっぴー」で、地元の小学1年生が名付けてくれたそうだ。本物の犬のような「おにっぴー」の愛らしく軽やかな動きに、最後は笑い声に包まれる見学となった。











鬼首地熱発電所
所在地:宮城県大崎市
運転開始: 2023年4月
最大出力: 14,900kW
Focus on SCENE 夜に映える岩出山伊達家の学問所
宮城県大崎市にある旧有備館および庭園は、伊達政宗公の四男を祖とする岩出山伊達家の二代目宗敏が17世紀に建てたと伝わる。その後、隠居所として使われるようになり、江戸末期嘉永3年(1850年)頃には十代目邦直が郷学(学問所)として使用、藩内の師弟たちに儒学をはじめとする学問や武芸を教えたという。学問所としての歴史も備えた優美な庭園が現代まで伝わり、毎年秋に期間限定でライトアップされている。
文/豊岡 昭彦

写真 / 竹本 りか

PROFILE
藤岡 陽子 ふじおか ようこ
報知新聞社に勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年、『いつまでも白い羽根』で小説家に。2024年、『リラの花咲くけものみち』で吉川英治文学新人賞受賞。京都在住。最新刊は『森にあかりが灯るとき』。