立場の違いを受け入れて互いの共通点に目を向けよ
渡部 肇史×ブルース・ミラー AO

Global Vision

J-POWER会長

渡部 肇史

元駐日オーストラリア大使、豪日交流基金理事長

ブルース・ミラー AO

南半球にある大きな大陸からやって来た知日家の元外交官はその実、数々の困難を潜り抜けて得た大局観と、細やかな目配りとを併せ持つ方である。「何十年もかけて築いた信頼関係も、壊れるのは一瞬」との至言が、胸を突いた。

日豪間のかけ橋に徹した45年来の「巡り合わせ」

渡部 本日は、日豪交流のキーパーソンとして長く活躍してこられたブルース・ミラーさんに、互いの立場や価値観などの違いを超えて、上手につながり合うことに関してお尋ねしたいと思います。その本題に入る前に、ミラーさんの来歴として40年以上にも及ぶ日本とのつながりをご紹介くださいますか。

ミラー 正確を期せば45年の付き合いになります。高校時代に初めて日本を訪れて以来、日本の文化や社会との出合いには、数え切れないほど多くの「巡り合わせ」を感じています。

渡部 その初来日を皮切りに、大学時代には日本に1年間留学もされ、オーストラリア政府に就職後は駐日大使館の政務担当公使などを歴任、駐日大使も務められました。

ミラー この間のトピックがあまりにも多過ぎるので、忘れないうちに最初の質問への答えを述べさせてください。
国と国がつながるには、言葉や文化、政治、経済など広範な領域にわたって密に交流し、相互理解を深めることが何より大事です。それが十分でないと、往々にして互いの立場の違いや利益相反などを声高に主張し合ってしまう。相違点を盾にとっていがみ合う前に、ものの見方や価値観の共通点にまず注目してほしいと思います。

渡部 なるほど。実は私も、J-POWERに入社してから2度ほど海外赴任を経験しましたが、行ってしばらくは言葉や習慣の違いに戸惑うばかりでした。でも、その国のしきたりや社会の成り立ちに身体ごと馴染んでいくと、この点は日本と変わらないとか、根っこは同じだと分かってきた気がします。

ミラー それこそが相互理解の出発点です。もう結論をテーブルに載せたので、安心して話を先へ進めましょう(笑)。私が日本という国に興味を抱いたきっかけは、祖父とその妹たちが1930年代に訪日した折のエピソードを、幼い私によく語って聞かせてくれたことです。その原体験があって私が11歳になった時、今度は父が、外国語を学ぶならヨーロッパの言語ではなく、先々を見据えてアジアの言語にしてはどうかと助言をくれました。

渡部 その2つが重なって、日本への親近感が育まれたと……。

ミラー たった2分間の父との会話が、私の人生を一変させました。それもおもしろそうだと思っていた17歳の私に、国際交流基金の研修プログラムというチャンスが訪れ、日本語を勉強する決心がついたのです。

渡部 その後に留学生、さらに外交官として日本とのつながりを深めていった中で、ご自身が日豪両国のかけ橋になると強く自覚されたのは、どのタイミングでしたか。

ミラー 様々な機会がありましたが、一番印象深いのは駐日大使として赴任し、天皇(現上皇)陛下に信任状を捧呈する儀式に臨んだ時です。皇居の宮殿「松の間」で今と同じエピソードを私が披露したら、陛下は「お父上には先見の明がありましたね」とおっしゃって、そのお言葉が心の奥底に響いたのをよく覚えています。

東日本大震災後に着任 非常事態にもルールを重視

渡部 駐日大使としての着任は東日本大震災後で、知日家のミラーさんといえども、大使館の仕事を切り盛りするのに困難を強いられたのではないかと思います。

ミラー 私の着任は2011年8月で、大震災の起こった3月から5カ月ほど経っていました。東日本大震災直後からオーストラリアは東北地方の被災地での救援活動に取りかかり、オーストラリアのギラード首相は当時世界の指導者の誰よりも早く日本を訪れました。当然、大使館のスタッフもてんてこ舞いの日々で、実は、その彼ら自身も巨大災害を目の当たりにして大きなトラウマを抱えていました。ですから私の最初の任務は、日本の方たちと同じように激しく動揺する大使館スタッフに心身のケアを施すなどして、大使館の業務や機能を平常通りに戻すことだったのです。

渡部 国と国の垣根を越えて人や物資を動かすとなると、やはり国際的ルールや事前の取り決めに則った手続きや、細部に至る調整が必要になるのでしょうね。

ミラー 法治国家であれば規範やルールに従うのが前提になります。あの震災の折にこんな出来事があったそうです。オーストラリア政府は、震災直後2日と待たずに救援物資や捜索活動のために空軍の輸送機3機の派遣を決定しました。ところが日豪間には、日米間にあるような軍事面での地位協定がなかったので着陸許可が得られないと……。

渡部 受け入れ側の日本も混乱の極致で、せっかくの救援の申し出に即応できなかったのかもしれませんね。

ミラー たとえ非常時でも日本のルールを満たす対応を――と駐日大使館を挙げて各方面と協議を重ね、ようやく法的な根拠を探し当てたのです。結局、それで空軍機の派遣が1日遅れましたが、そうした互いのギャップを埋め合わせるための惜しみない労力が、最後にものを言うことがしばしばあるわけです。

渡部 そういう局面でこそ、国同士の折衝にあたる誰かが一歩踏み出すなり、法の枠組みを超えて決裁することがあってもいいような気がします。日本の国や人々と日々接する中で、意思決定に時間を取られ過ぎると感じたり、手続きの煩雑さに戸惑ったりすることはありませんか。

ミラー お付き合いが長くなるにつれて大概のことは理解できるようになりました。良く言えば法治国家そのものであり、悪く言えば官僚主義的に過ぎると感じないわけではありませんが、昨今ではむしろ、日本側の都合をどうやって説明し、本国側に納得してもらうかのプロセスがより重みを増しています。互いの立場の違いを埋め合わせ、上手に懸案事項を解決に導いていくことが、大使館や私のような立場の者の役目であって、それでこそ国と国をつなぐ、真のかけ橋たり得るのだと思います。

両国間での契約の遵守と草の根の交流が友好の礎に

渡部 ミラーさんは外交官として日本以外の国へ赴任した経験もお持ちです。ものの見方や価値観が驚くほど異なる国もあったと思いますが、違いを心得ながら共通点を見出すための行動原理はあるのでしょうか。

ミラー 私がオーストラリアの外務貿易省に入って最初の任地が、イラン・イラク戦争がまだ終結していない頃の駐イラン大使館です。現地へ赴いてからペルシャ語を覚える大変さは日本語の比ではありませんでしたし、とにかく困難と身の危険にさらされる勤務を重ねる中で、どんな交渉事もこちらの都合だけでは進まず、相手方にも都合があるのだと身に染みて学びました。

渡部 私の少ない経験でも、母国語以外の言葉を習得することの利点の一つに、その言葉を操る人たちのロジックの違いとか、発想や考え方の違いが分かってくるということがありそうですね。

ミラー まさにそれが異文化に触れることの効果・効能であって、同じ交渉のテーブルに着いている人間同士でも、自分の慣れ親しんだ言語・文化・価値観に基づいた着眼点と、相手方の言語・文化・価値観に基づく着眼点とでは、まるで別物であるという認識からスタートするべきなのです。言い換えると、自国と相手国の立場を違えてしまう理由の第一は、各々の着眼点が異なるからだと分かったことが、私が約40年の外交官人生から得た一番の収穫ではないかと思っています。

渡部 まずは、互いの立場の違いをよく認識すること。そして、その違いを踏まえた上で互いの共通点に注目することが大事と、冒頭でミラーさんはおっしゃいました。例えば、日豪交流を将来にわたって継続・発展させる上で、日本とオーストラリアの人々が知っておくべき両国の共通点といえば、どんなことが挙げられるでしょうか。

ミラー 端的には両国ともに法治国家であり、民主主義国であり、憲法を遵守する国である点が共通していて、世界秩序に対して同じような見解を持つが故に、おのずと国益が一致する分野も多くなるわけです。であればこそ政治、経済、貿易、軍縮などの各分野で協力・協調関係を築いてこられましたし、民間ベースの交流や人々の往来を含めて友好関係を発展させ続けています。これも言い方を変えると、両国間で結んだ契約の遵守を重んじ、それを土台にして信頼関係を揺るぎないものにしたことが一つ。もう一つは、草の根の交流が盛んになって両国関係を盤石にした点も見逃せません。

渡部 そもそも日本人はオーストラリアが好きで、雄大な自然や伸びやかな風土など、日本にはないものに惹かれるのだと思います。

ミラー それはオーストラリア人も同じで、例えば北海道スキーツアーが憧れの的であるのがその証左です。そして私がいつも不思議に思うのは、日本人もオーストラリア人も自国に対してあまり自信がない点も共通していて、GDPが世界3位の国なのに「島国根性」を自認する日本人が少なくない一方で、オーストラリア人の多くは人口の少なさから「小さい国」と認識している節があります。

渡部 あれほど広大な国土を有しながら、小さい国と……にわかには信じ難い思いです。

ミラー 人口の9割までが総面積の1割に住んでいるという実態も背景にはあると思います。GDPが世界12位の国にしては、国際社会への影響力を自ら過小評価しがちです。ただし自国を過信しないからか「謙譲の精神」を持ち合わせているのも、日豪の両国民に相通ずる感覚と言えるかもしれません。

再エネ移行にも活かせる日豪パートナーシップ

渡部 もう一つの視点として、J-POWERが属するエネルギー産業界においても、日豪両国はこの上なく密接で良好な関係を保っています。日本の一次エネルギーの3割がオーストラリアを供給源としており、小資源国の宿命ともいえる「電源のベストミックス」を構築する上で、また我々に課された使命である電力安定供給を達成する上でも、両国のパートナーシップをこれまで以上に発展させていかなければなりません。

ミラー 同感です。単なるビジネス交流の域にとどめず、日豪は互いに資源調達に関して地政学上、常に戦略的に考えて歩調を合わせていく必要があります。なぜなら政治的、経済的に安定しているオーストラリアを資源の調達先とするのは日本にとって得策ですし、かたやオーストラリアにとっても、日本からの投資がなければ鉄鉱石も、石炭も、天然ガスも十分には開発できなかったことを記憶に留めるべきでしょう。

渡部 今日、世界的潮流として化石燃料から再生可能エネルギーへのシフトが進む中でも、実は日豪のパートナーシップには大きな可能性とポテンシャルが内在していると感じています。特に、双方が国家目標に掲げている「カーボンニュートラルの実現」へ向けて、すでに両国間で官民挙げての共同開発プロジェクトが多数立ち上げられており、そのうちのいくつかにJ-POWERも積極的に参画するなど、ますます日豪交流を深めようと動き始めています。

ミラー その点については、両国間でどういう分野で協力するべきかを考え、協議する段階から私も興味深く見守っているつもりです。エネルギー分野で有望な取り組みの一つが、CO2の回収・貯留を行う「CCS(CO2回収・貯留)」であり、さらに有効利用まで可能にする「CCUS(CO2回収・有効利用・貯留)」などの技術開発をスピードアップして、いち早く社会実装の段階へ進むことを望んでいます。

渡部 カーボンニュートラル実現の切り札と期待されている「水素エネルギー」も、日豪双方の持ち味を活かして取り組む価値がある分野ですし、現に「褐炭水素プロジェクト」のような形でアウトラインが定まりつつある案件もありますね。

ミラー そうした有意義なパートナーシップから着実に成果を上げるには、なんといっても両国間に揺るぎない信頼関係を築くことが欠かせません。いくら技術や資本を持ち合わせていても、信用ならない相手国と手を組むのではリスクが大き過ぎる。そして信頼関係というのは、築くのに何十年もかかるのに、壊すのはあっという間です。政治家だけでなく官僚にも、企業にも、その認識を持つことが必須であると、私は声を大にして言っておきたいですね。

渡部 ありがとうございます。最後に1点だけ、この国と長く関わってきた間に「日本人は変わった」と思われる点はありますか。

ミラー そうですね……転職する人が増えたとか、家族観が変わったのではと感じたりもしますが、何かが革命的に変わるのではなく、年月の経過とともに一歩ずつ変わっていくのが、すなわち日本流なのだろうと。

渡部 では逆に、変わらないと思われるところは?

ミラー 今のご質問のそのままに、自分が外目にどう見えているか気になって仕方がないところ。でも安心してください。本当はオーストラリア人も似たようなもので、外目を気にしすぎる国民ですから(笑)。

(2023年5月12日実施)

構成・文/内田 孝 写真/吉田 敬

カーボンニュートラルへ日豪連携で挑むJ-POWER

J-POWERにとってオーストラリアは1980年代、日本初の海外炭を用いた火力発電所の運転開始時から、燃料炭の調達先として欠かせぬパートナーである。以降、炭鉱開発、研究開発や技術支援など多岐にわたって業務提携を結ぶなど一貫して協力関係を深めてきた。
そして今、時代の要請であるカーボンニュートラル実現のため、褐炭から水素を製造するプロジェクトに積極的に参画。低炭素化のための最先端技術の社会実装や、水素社会への道を拓く水素製造やサプライチェーン構築に向けた実証試験などを多面的に展開している。また、オーストラリアでの再生可能エネルギー開発・運営にも関与している。

オーストラリア国クイーンズランド州にあるキッドストン揚水発電所(k2-Hydro)の建設予定地。(写真提供:GENEX POWER LIMITED 社)

PROFILE

ブルース・ミラー AO(Bruce Miller AO)

1961年生まれ。17歳の時日本の国際交流基金による研修プログラムで初来日。シドニー大学に進学後の1982年、日本の関西学院大学に1年間留学。1986年、外務貿易省に入省。首相内閣省、在日オーストラリア大使館政務担当公使など要職を歴任し、2011~17年駐日オーストラリア大使を務める。2017年、国家情報評価庁長官を務める。2018年、第一生命ホールディングス顧問、同社のオーストラリア子会社であるTAL Daiichi Lifeの社外取締役に就任。同年、オーストラリア国立大学上級政策フェローに任命、オーストラリア勲章受章。2020年、豪日交流基金理事長に就任。同年、秋の外国人叙勲として旭日重光章を授与される。

※ AO:Officer of the Order of Australia。オーストラリアの勲章制度における敬称の一つ。