先人の知恵が生きる風光明媚な城下町
~愛媛県宇和島市・愛南町と南愛媛風力発電所を訪ねて~
藤岡 陽子

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愛媛県宇和島市・愛南町と南愛媛風力発電所を訪ねて

宇和島城は藤堂高虎によって築城され、宇和島藩2代藩主・伊達宗利が現在の層塔型の天守に改修。現存天守12城のひとつである。

J-POWER南愛媛風力発電所は、愛媛県南西部の宇和島市にある。この地域は南予と呼ばれ、江戸時代には宇和島藩が領地を治めていた。漁業や果樹農業が盛んな城下町を、のんびりと歩く旅に出た。

作家 藤岡陽子/ 写真家 竹本 りか

白くそびえ立つ宇和島城 天守から城下町を眺める

標高約73mの丘陵に築かれた宇和島城を目指して、城山の登山口に立った。すると天守に至る道は2通りあり、一つは急こう配の苔むした石段で、もう一つは緩やかな山道だった。
最短距離なら、石段だな……。
終点が見えない長い石段を見上げ、ここは迷わず山道を選ぶ。
約400種類もの草木が生い茂るといわれる城山はひんやりと涼しく、心地のよい空間だった。クスノキなどの巨木が多く見られるのには理由があり、この城山はおよそ300年間火災がなく、伐採からも守られてきたという。
山道を登りきると視界が一気に開け、天守に続く石段が現れた。ここには太陽を遮る樹木が少なく、石段を一歩一歩、額に汗をにじませ上っていく。
最後の一段を踏みしめた先には宇和島城の天守が、白く眩しくそびえ立っていた。

宇和島伊達家の成り立ち 和霊神社に祀られた御霊

秀宗の家老・山家清兵衛が祀られる和霊神社。7月下旬に和霊大祭が、うわじま牛鬼まつりと同時開催される。
宗紀が書屋(しょおく)として使っていた天赦園内の春雨亭(はるさめてい)。
遊子水荷浦の段畑。山の傾斜に2mほどの石垣を積み上げ畑地にしている。

宇和島市内を散策していると、宇和島伊達家に縁ある歴史的建造物にしばしば出合った。そもそもなぜ東北の大名である伊達家が、宇和島と縁を持っているのか。
そこには興味深い歴史がある。
宇和島伊達家の藩祖である伊達秀宗は、伊達政宗の長男として誕生し、将来は仙台藩主となるべく大切に育てられたという。だが4歳の時に政治的意向で豊臣秀吉の元へ差し出され、秀吉没後は12歳で徳川家の人質になる。
秀宗は時代の潮流に乗せられ10代を過ごしたが、過酷な運命はこれに終わらず、21歳の時には仙台伊達家の後継の座を、弟である伊達忠宗に奪われてしまう。
その4年後、還る場所を失った秀宗は、政宗の計らいで徳川家から10万石を与えられ、宇和島藩主となった。
和霊町に秀宗の家臣であった山家清兵衛(やんべせいべえ)を祀(まつ)る和霊(われい)神社があると聞き、訪ねて行った。
清兵衛は、元は政宗の家臣であり、秀宗が宇和島に入った当初から仕えた功臣であった。だが秀宗は監視役としての清兵衛を疎ましく思い、上意討ちにしたと伝えられている。しかしその後、秀宗の身辺で不幸が続き、清兵衛の魂を鎮めるために和霊神社が創建された。
和霊神社の大鳥居は、石造りでは日本一の大きさを誇り、掃き清められた境内には清廉な空気が漂う。その明るさに今世(こんせ)では清兵衛がすべてを赦し、宇和島の地を見守っているのだと感じられた。

和霊神社の大鳥居。
南予に伝わる牛鬼(うしおに)。和霊神社では毎年7月23・24日には「和霊大祭」が斎行される。
伊達博物館に建てられた8代藩主、伊達宗城の銅像。
「天赦園」と刻まれた石碑。文字は宗紀自らが書き遺した。
清らかな滝や奇岩が幻想的な薬師谷(やくしだに)渓谷。
紫電改展示館に保存される戦闘機「紫電改」。
愛媛県最南端の高茂岬(こうもみさき)。晴天の日には九州が一望できる。
遊子水荷浦の段畑から宇和海を見下ろす。
宇和海に沈んでいく夕陽。空気がオレンジ色に染まり、その美しさに目を奪われる。

「天赦園」に込められた想い 懸命に生きた先の憩いの庭園

7代目藩主・伊達宗紀(むねただ)の隠居所としてつくられた名勝天赦園(めいしょうてんしゃえん)に、立ち寄ってみた。
天赦園という名称は、政宗が晩年に詠んだ漢詩にちなんだもので、
「若い頃から戦いに明け暮れたが、世が平和になってみると白髪の老人である、老後は天も赦してくれるだろうから楽しんで暮らそう」
という内容から「天」と「赦」を用いたといわれている。
約3,400坪の園内では花菖蒲が開花を迎え、艶やかな紫色の花を眺めながら、隠居生活を楽しむ宗紀の優雅な姿に思いを馳せた。

宇和島伊達家の家紋について説明する学芸員の伊藤絵理さん(右)。
安岡蒲鉾店のじゃこ天。魚の配合にこだわり、朝一番に仕入れた魚を原料にしている。
9代藩主・伊達宗徳夫人、佳姫の婚礼道具「花菱月丸扇紋散蒔絵女乗物(はなびしつきまるおうぎもんちらしまきえおんなのりもの)」。ゴージャスな内装にも注目したい。
伏見城内の障壁画を屏風に改装した伏見御殿屏風。秀宗が豊臣の元で過ごした頃の暮らしぶりがうかがえる。
3代目の安岡弘和さん(左)。「あしが強い(弾力がほどよく、しなやかな)蒲鉾づくりを目指しています」。
手作業で魚をさばく従業員の方々。

段畑つくった先人の知恵 伊達博物館で歴史を学ぶ

宇和島市の西側は宇和海に面しているが、東側はすぐ背後に鬼ヶ城(おにがじょう)連峰が連なり、海岸部からわずか5~6kmで高度1,000m級の山が迫っている。そのせいで畑地にできる平地が少なく、昔から急斜面に階段状の畑をつくるなどして作物を収穫してきた。その段畑はいまも残り、宇和海に面する遊子水荷浦(ゆすみずがうら)の段畑は重要文化的景観に選ばれている。
「伊達秀宗が宇和島の藩主になったのは1614年ですが、初めてこの地に入った時は急峻な山々を見て驚いたかもしれませんね」
そう語るのは宇和島市立伊達博物館の学芸員、伊藤絵理さん。初代秀宗から現代まで13代続く伊達家の歴史を教えていただいた。
博物館では幸運にも秀宗の軌跡をたどる「苦労兎秀宗(くろうとひでむね)」が開催されていて、館内には秀宗の産着や懐剣、豊臣秀吉からの賜り物などが数多く展示されていた。
「宇和島で伊達家のお殿様といえば、8代目の宗城(むねなり)公が有名です。ですが宇和島藩の基礎を築いた初代秀宗公のことも広く知っていただければと考えています」
こちらの博物館では宇和島市内の小中学校の子どもたちを対象に「出迎え事業」、「出前授業」、「夏休み子どもプロジェクト」などを開催し、地元の歴史を伝えている。
流転の海を越えて宇和島にたどり着いた秀宗は、68歳で没したとされる。だが伊藤さんたちの働きかけもあり、いまなお宇和島の藩祖として、地元の人たちの中で生き続けていた。

原料は朝仕入れた生魚 骨も皮もすべて生かす

海の幸が有名な宇和島市だが、中でも「じゃこ天」は地元の名産品である。1952年(昭和27年)の創業以来、魚肉ねり製品を製造販売する安岡蒲鉾店を訪れ、工場を見学させていただいた。
「うちではその日の朝に仕入れた魚を手作業でさばき、じゃこ天やかまぼこをつくっています。生魚を一尾ずつさばく作業は手間がかかりますが、そうすることでほかにはない美味しさが出せるんです」
工場を案内してくださった安岡弘和さんは、安岡蒲鉾店の3代目。創業者の祖父の代から「とにかく美味しいものをつくる」という信念で伝統の味を守り続けている。
工場で製造されるのはじゃこ天、かまぼこ、ちくわ、つみれ等だが、原料になる魚の種類はそれぞれ違う。じゃこ天になる「ほたるじゃこ」は小骨が多いため、スーパーではほとんど見かけない魚らしい。
「骨が多くて食べにくい魚も、宇和島では捨てないんですよ。こうやってさばいてすり身にすると、骨も皮も食べられます」
魚肉ねり製品を製造することは漁師の暮らしを守り、地域の活性化にも繫がると安岡さんは話す。
工場では魚をさばくところから石臼ですり身にし、成形、加熱、冷却の工程を見学した。すり身をつくるのに石臼を使うのは、冷たさを保つためだと教えていただく。
魚は朝一番にその日獲れ立てのものを仕入れるので、漁獲量によっては足りないこともあるという。その場合は他の魚を使うので味が必ずしも一定ではないが、それも味わいのひとつ。魚の配合はつくり手の力量に左右され、それが各店舗の特色、宇和島にしかない味にもなっている。
そういえば宇和島港は、秀宗が現在の樺崎に御台場を設置したのが始まりという記録が残っている。
運命に翻弄された秀宗は、絶望を胸に抱きこの地に入ったかもしれないが、でもそれはいっときのこと。後の人生は領地の発展に尽力したに違いない。そして先人たちが思い描いた豊かな未来は、町も海も山も美しい、いまの宇和島に繫がっていた。

自然を把握し安全を守る新エリアに新たな10基

観音岳の尾根沿いに立つ風車は全部で12基。山を駆け上がってくる風を受け、電気を起こす。

標高約500~600mの観音岳の尾根沿いに、南愛媛風力発電所の12基の風車が立ち並んでいた。新緑の季節、朗らかなウグイスのさえずりを聞きながら、城戸拓也所長に施設を案内していただく。
「風車は月1回の月例巡視点検と、年に2回の定期点検をしています。それ以外にも例えば落雷があったと思われる時など、そのつど不具合がないか確認しています」
落雷、という言葉を聞き、山中だとしばしば起こる天災だろうと心配になった。でも雷のたびに12基全部を点検していたら、どれだけの時間がかかるのだろう……。
「いえいえ、全部は点検しませんよ。風車の運転が止まった時点で連絡が入りますから、エラーが出た号機だけを確認するんです。それぞれの風車に直撃雷検出装置というものが設置してあり、それを見れば落雷の有無がわかります」
城戸所長にタワーの根元についている装置を見せてもらい、納得する。風車にはこうして迅速に、安全に、故障の有無を確認できる仕組みがあるのだと安心した。
愛媛は温暖な気候だというイメージがあるが、台風もくれば夏には大雨も降るという。発電所は高地に立っているので冬は雪も積もり、車での移動は細心の注意が必要になる。
城戸所長に「いちばん気をつけていることはなんですか?」と問うと、即座に「作業員の安全です」と返ってきた。
「朝、おはようと顔を合わせ、夕方無事に帰ってもらうことが私の仕事です」
そんな言葉の裏に、自然を相手に働く緊張と慎重さを感じた。
発電所はさらにエリアを拡大し、新しい10基を建設中。運転開始予定は2025年なので、その頃にまた、南予の港町を訪れたい。

施設を案内してくださる城戸所長(左)と筆者。
タワー内の様子。正面はエレベーターに続く梯子。
タワーの下から約80m先のブレードを見上げる。
発電所の事務所の外観。
事務所内にある制御室。
事務所1階には点検などで使用する用具が整理整頓されている。
事務所に隣接する変電所。風車から22kVで送られてくる電気を66kVに昇圧し送電線で送る。
タワー内への出入り口。
タワー内には計器類のほか、上部への梯子などが設置されている。
タワーの先に設置されたナセル。
落雷の有無を確認するための直撃雷検出装置。

南愛媛風力発電所
発電出力:28,500kW
運転開始:2015年3月
所在地:愛媛県宇和島市

PROFILE

藤岡 陽子 ふじおか ようこ

報知新聞社にスポーツ記者として勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年、『いつまでも白い羽根』で作家に。最新刊は『リラの花咲くけものみち』。その他の著書に『満天のゴール』、『おしょりん』など。京都在住。