希望をつないで未来をひらく
藤岡 陽子
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秋田県にかほ市とにかほ第二風力発電所を訪ねて
J-POWERにかほ第二風力発電所は、秋田県にかほ市の仁賀保高原にある。東北第2の高さを誇る鳥海山と日本海を望む自然あふれる美しい町を、旅して歩いた。
作家 藤岡陽子/ 写真家 竹本りか
緑輝く仁賀保高原と芭蕉が訪れた八十八潟
たどり着いた仁賀保(にかほ)高原は、真夏の光を吸い込んで輝くような緑にあふれていた。
東北第2の高さを誇る鳥海山を南東に望み、眼下には日本海。
雲を背に羽根を回す風車の下でにかほ市内を眺めれば、緑色の絨毯のような水田が広がっている。
米どころらしい田園風景が美しいにかほ市ではあるが、実は昔この辺りは、潮が満ちれば隠れ、引けば現れる、八十八潟という景勝地だったそうだ。
にかほ市内にある蚶満寺(かんまんじ)には、象潟(きさかた)で島めぐりをした松尾芭蕉の句碑があると聞き、俳人が見た景色を歩いてみることにした。
蚶満寺は853年に慈覚(じかく)大師によって創建され、かつては北条時頼や西行法師も訪れた由緒ある古刹である。芭蕉が旅の途中で立ち寄った1689年の象潟は、遠浅の入り江になっていたという。
ところが1804年に大地震が起き、地面が隆起。入り江を満たす海水は消え去り、趣のある風景も九十九島を残すだけとなった。
蚶満寺の山門前にある旧参道には、いまも残るいにしえの島を巡る経路案内標識「島めぐりコース」が立てられている。この標識に沿って歩いていけば、水田の間にかつての島が丘として残る姿を見ることができる。芭蕉が船から眺めた島々を歩いて回るのもまた、ほかにはない粋な時間であった。
ブナの異形巨木群あがりこ大王を探す
JR象潟駅から車で20分ほど走った先には、中島台レクリエーションの森がある。鳥海山麓の北側に位置するこの森には「あがりこ」と呼ばれるブナの異形巨木群があり、その中でも樹齢300年以上ともいわれる「あがりこ大王」を拝むため、森の中を散策した。
地図によるとあがりこ大王が生えている場所まで、スタート地点から片道およそ40分。鳥海山の伏流水が湧き出る森の中を、整備された木道を頼りに、清らかな水音を聞きながら進んでいく。
森には江戸時代から戦後まで炭焼に使われていた窯の跡なども残っており、自然と共生していた古人の営みを感じられた。
そして歩くこと40分。ようやく出合えたあがりこ大王は、周囲7.62mといわれる幹から、湾曲した太い枝をにょきにょきと伸ばし、まさに森の王者として鎮座していた。
仁賀保出身の創業者 会社設立に込めた想い
凪いだ夏の日本海を背景に立つ近代的な建物は、「TDK歴史みらい館」である。
こちらでは日本有数の電気機器メーカーTDK株式会社に関する展示を見学できると聞き、訪ねてみた。
「TDKが創業されたのは、1935年です。創業者である齋藤憲三が仁賀保町の生まれだったこともあり、いまでも秋田には拠点となる工場がいくつかあります」
と館内を案内してくださったのは、館長の武内隆之さん。
創業当時は、東京工業大学電気化学科に所属していた加藤与五郎博士と武井武教授が発明した「フェライト」を実用化するという事業からスタートしたという。
フェライトとは、そもそもなんなのか――。
化学知識のない私にはさっぱりわからず、武内さんに質問すると、
「フェライトとは磁性材料のこと」
だそうで、テレビやパソコン、携帯電話、ハイブリッドカーなど幅広い電気機器に用いられているらしい。
「創業者の齋藤憲三も、電子化学についての知識はありませんでした。ですが貧しい地元を活性化したい、その一心で行動を起こした人だと伝えられています」
近隣の山林を伐採して炭の販売をしたり、アンゴラウサギを育て、刈り取った毛を織物工場に出荷したり。憲三は次々にアイデアを出しては失敗を繰り返した苦労人だったらしい。だがフェライトの製造販売は軌道に乗り、やがて会社は日本を代表する電子機器メーカーへと成長していった。
「多くの方に気軽に入館してもらい、いろいろな体験をしながら学んでほしいと思っています」
武内さんには、この館の存在が創業者の想いと会社の歴史を伝承し、次世代を育てるきっかけになればという願いがある。
仁賀保を訪れた際には、秋田弁を話すロボットが来訪者を出迎えてくれるこの素敵な施設に、ぜひ足を運んでいただきたい。
ジャージー種の魅力発信 土田牧場の挑戦は続く
くりくりとした大きな瞳に、思わず手で触れたくなるような淡い茶褐色のフサフサとした毛並み――。
仁賀保高原にある土田牧場では150haの農地に約200頭のジャージー牛が飼育され、いまや年間十数万人が訪れる人気の観光スポットになっている。
日本では珍しいジャージー種を育てる酪農家であり、牧場を観光地にまで発展させた土田雄一さんに話を聞かせていただいた。
「仁賀保高原に移住してきたのは1988年、いまから34年前のことでした。あの頃、冬はマイナス26度になってね……。妻とふたりで必死に働きましたよ」
妻の陽子さんがいなければ、自分ひとりでここまではできなかった。「妻の力が60%、自分は40%です」と土田さんが目を細める。
土田さんが見慣れない茶色い毛並みの牛を初めて目にしたのは、小学3年生の時だった。
ある日、酪農振興策の一環として国から貸し出されたジャージー牛が1頭、家にやって来た。その日からジャージー牛の世話は9歳の土田さんに任されることになる。
「朝、小学校に行く前に乳しぼりをするんです。それでできた牛乳を農協の集乳所に納めてから、登校しました。小さな子どもが5kgほどある牛乳缶とランドセルを背負うんですから、大変でしたよ」
それでも頑張れたのは、ジャージー牛への愛情があったからだと土田さんは話す。その時牛に芽生えた愛情と興味は薄れることなく、山梨、北海道、米国の農場での学びを経て、故郷での牧場開設を実現させた。
仁賀保高原への移住当初は36頭だったジャージー牛の数を増やし、乳製品や肉類の販売、レストランを開業するなどの事業が成功。栄養価の高い牛乳への信頼は確実に顧客を増やし、いつしか牧場経営は安定していった。
自分が追ってきたのは「夢ではない」と土田さんは言う。
「夢は挫折することがあるけれど、希望はなくならないからね」
土田さんがつないできたのは目の前にある小さな希望であり、その光源を見失わずに努力を続ければ、いつか自分の見たい景色にたどりつけると教えていただく。
小さな希望をつなぐ――。
混沌とした世の中と、先行きが見えない日々にくじけそうになっていた私に、土田さんの言葉が優しく強く、心に残る旅となった。
風車を健全に回す 冬季雷への対策も
秋田富士ともいわれる鳥海山を望みながら、車は標高500mの仁賀保高原を上っていく。
高原には「にかほ第二風力発電所」の風車が18基あるのだが、取材に訪れたこの日は一部の風車が運転を停止していた。
高橋正幸所長によると、今年の6月になんらかの不具合が発生し、調査の結果、第17号機の開閉器に故障があると判明。取材当日は、第17号機のタワー内部に設置されている特高スイッチギヤを交換している最中だった。
忙しい時に取材に訪れたことを恐縮していたところ、高橋所長が、「いえいえ、まれなトラブルだったんですよ」と穏やかな笑顔で応えてくださる。故障の箇所が特定された日から、第17号機の運転は停止していたという。
「風車は人がほぼ介在しなくてもいいのが特徴なんです。風が弱いと自動的に止まりますし、暴風制御も自動的にやってくれるんで」
高橋所長によると、現代の風車は「手がかからない」のだという。今回のようなトラブルは珍しいそうで、その場に立ち会えたことはある意味、学びになったかもしれないと感じた。
とはいえ日本海沿岸の仁賀保高原は、冬季雷で有名な地域だと聞いた。
「落雷検知で風車は止まりますが、ダメージを受けたら修理をしなくてはいけません。年末年始や大雪の日でも現地の点検はしていますよ」
と高橋所長。
どれだけ世の中が大変な時でも誠実に電気をつくり続け、私たちの暮らしを支えていただいている所員の方々への感謝を再認識する。
私の発電所見学の体験が、日本で暮らすみなさまの共感につながればと願う取材となった。
にかほ第二風力発電所
発電出力:41,400kW
運転開始:2020年1月
所在地:秋田県にかほ市
Focus on SCENE 高原で育つ茶色のめんこい牛
ジャージー牛は英仏海峡にあるジャージー島原産の牛。イギリス王室御用達の牛として、主に乳牛として育てられているが肉もおいしいことで知られる。そのミルクはホルスタインなどに比べて濃厚で、乳脂肪率5%、無脂乳固形分率は9%を超え、飲むだけでなくチーズやヨーグルトなどの乳製品の製造にも適している。毛は茶色で体格は小柄、人懐こく寄ってくる“めんこい”牛だ。秋田県仁賀保高原に広がる土田牧場では、約150haの広大な牧場に約200頭のジャージー牛が飼育されている。
文/豊岡 昭彦
写真 / 竹本 りか
PROFILE
藤岡 陽子 ふじおか ようこ
報知新聞社にスポーツ記者として勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年、『いつまでも白い羽根』で作家に。最新刊は『空にピース』(幻冬舎)。その他の著書に『満天のゴール』、『おしょりん』など。京都在住。