ファシリティドッグとともに子どもと家族の闘病を支える
森田 優子

Opinion File

森田さんと2代目のアニー。アニーは、プリンセスのような可愛さが人気。新しいコマンドをすぐに覚える賢さがある。

病院に常勤する小児医療チームの一員

子どもの入院患者にそっと寄り添い、辛い治療を手助けする犬がいる。病院に常勤する「ファシリティドッグ」だ。
日本では2010年1月、静岡市内にある静岡県立こども病院で初めて導入された。目的は小児がんをはじめとする難病の治療に専門的なトレーニングを積んだ犬を介入させ、入院中の子どもと家族の心の安定や治療意欲を促すというもの。当時の日本では前例のない試みだった。
「ファシリティ」は「施設」を意味し、ある特定の施設において常勤で活動する犬を「ファシリティドッグ」と呼ぶ。
「活動場所が病院なので、正式には『ホスピタルファシリティドッグ』と言います。ファシリティドッグの普及が進む米国では、病院だけでなく、特別支援学級などの教育機関や裁判所でも、たくさんの犬たちが活躍しているんです」
そう話すのは、ファシリティドッグに指示を出す「ハンドラー」の森田優子さんだ。
森田さんは「認定特定非営利活動法人シャイン・オン・キッズ」(※1)に在籍し、かつて看護師だった経験を生かして、日本で第1号のファシリティドッグ「ベイリー」(※2)と約2年間、静岡県立こども病院に勤務した。
その実績が買われ、12年7月にベイリーと神奈川県立こども医療センターへ異動。6年後にはベイリーが医療現場から引退したため、森田さんは新たに「アニー」をパートナーに迎え、現在も神奈川県立こども医療センターに勤務している。
「アニーと私は24時間生活をともにし、週5日、平日の朝9時から夕方4時まで常勤(※3)しています。カルテから情報収集し、治療計画に沿って様々な業務にあたるんですよ。例えば薬を飲むのが苦手とか、食事が進まないという子に付き添って応援したり、手術を不安に感じている子に寄り添って手術室まで一緒に移動して不安を和らげたりします。親御さんと離ればなれの入院生活で寂しい思いをしている子や治療で辛い思いをしている子のベッドで添い寝をしたりもします」
病院で活動する犬にはセラピードッグもいるが、ファシリティドッグとは活動方法や形態、ハンドラーの条件、ブリーディング(繁殖)、育成基準など複数の点で異なる。
セラピードッグは入院中のレクリエーションやQOL(クオリティ・オブ・ライフ)の向上を図る「動物介在活動」が目的なのに対し、ファシリティドッグは「動物介在療法」という、治療行為を補助する役割も担う。そのためシャイン・オン・キッズのハンドラーも5年以上の臨床経験を積んだ医療従事者(看護師、臨床心理士など)に限られ、資格取得には適性を見極める一次選考と研修・審査による二次選考を通らなくてはならない。対するセラピードッグは飼い主がハンドラーで、訪問型のボランティアが一般的だ。
森田さんは09年にハワイ州マウイ島の使役犬育成施設(※4)で2週間の研修を受け、犬の心理学や生態学、60種類以上あるコマンド(指示)とハンドリング技術、感染予防や日常のケアといった知識を習得した。セラピードッグは、良好な健康状態としつけができている家庭犬であれば基準をクリアできるが、ファシリティドッグの場合、血統を50代以上遡り素質のある候補犬が専門的なトレーニングを受け、適性を見極めた上で活動を始める。また、犬種はゴールデン・レトリバー種かラブラドール・レトリバー種にほぼ限られる。
ベイリーやアニーも子犬の頃からハワイで1~2年の育成トレーニングを積み、ハンドラーの森田さんとの研修を修了後に日本にやって来た。

日本初のファシリティドッグ・ベイリーのトレーニング風景。ハワイの育成施設では様々な環境で動じないために多くの経験を積んだ。

長く辛い入院治療で笑顔になれる時間を

レトリバー種は盲導犬や介助犬に多い犬種だが、その適性について森田さんは、
「もともと水鳥猟で、ハンターが撃ち落とした水鳥を回収(=retrieve)してくる犬なんです。人に従うのが好きで友好的です」
と説明する。
犬のことを話す森田さんの口ぶりは愛情たっぷり。子どもの頃から動物が大好きで、母校の静岡県立大学では医療や教育の現場に犬がかかわる「動物介在介入」(※5)が卒業研究のテーマだった。
ファシリティドッグ・ハンドラーに興味はないかと声をかけてくれたのも、大学の恩師だったそうだ。
「シャイン・オン・キッズの発足は、創設者で理事長のキンバリ・フォーサイスが、動物介在介入の研究で知られる熊坂隆行先生に、ファシリティドッグ・プログラムの日本での普及について相談を持ちかけたことがきっかけです。日本在住の彼女は、もうすぐ2歳になろうとしていた息子のタイラーを白血病(※6)で亡くしました。その経験とタイラーが最期まで病気と闘った勇気を、小児がんのお子さんや親御さんのために役立てたいと考えていた時、米国で浸透しつつあったファシリティドッグ・プログラムのことを知ったのです」
キンバリ理事長は、日本の医療は世界屈指の高水準だが、入院治療中の子どもの気晴らしや楽しみ、苦しむ家族へのサポートが足りないと感じていたという。もっと子どもたちが笑顔になれる時間があったら、張り詰めた親の心も楽になるのではないか。
実は森田さんも看護師時代、同じような思いを抱いていた。
「好きな食べ物や飲み物の持ち込みができなかったり、病棟外への散歩もできないなど、辛い入院生活で楽しみがほとんどないお子さんや、わが子の姿に胸を痛める親御さんを日々見ていた私は、もし病棟に犬がいたら、病院という場所の空気が変わるかもしれないと期待しました」
こうしてハンドラーになる道を選んだ森田さんはハワイの研修施設でベイリーとともに研修を受け、“二人”は晴れて日本初のファシリティドッグとハンドラーになった。

ファシリティドッグは一緒に闘う“戦友”

最初に勤務した静岡県立こども病院では驚きの連続だった。
「点滴や採血の時に、パニックになって泣いてしまう子が、そばにベイリーがいると泣かずにできたんです。小児がんの影響で目が見えなくなってしまった子でしたが、ベイリーのふわふわの体に触れ存在を感じると、不思議と落ち着きました。ただじっとそばにいるだけで安心感を与えられるなんて人にはなかなかできないことですから、ベイリーってすごいなと感心しました」
ファシリティドッグがいると、なぜ子どもの行動は変わるのだろう?
「いつも病棟にいるファシリティドッグのことを、一緒に病気と闘う“戦友”のように感じているのだと思います。だから、絆のあるアニーが応援してくれるからがんばろうと思えるのではないか」
と森田さんは分析する。
こうした実績を積み上げてきたファシリティドッグ・プログラムは静岡県立こども病院と神奈川県立こども医療センターに加え、19年8月には東京都立小児総合医療センターでも運用中だ。さらに21年7月1日より国立成育医療研究センターで新ハンドラー・新ファシリティドッグの活動が開始され、現在は国内4病院に導入されている。
ほかにもファシリティドッグ・プログラムに関心を寄せる病院はあるが、導入を検討する際に課題になるのは、動物による感染症や事故への懸念、運営経費のことだ。
しかし、導入から11年を経た静岡県立こども病院では、ファシリティドッグに起因する感染症は一件も発生しておらず、犬が患者や医療従事者を噛んだりする事故も一切起きていない。
運営費については初年度経費(※7)として約1,200万円、2年目以降は継続経費として約1,000万円がかかり、現在はシャイン・オン・キッズが調達した助成金や寄付金と、病院側からの一部負担金で賄っているが、コロナ禍で寄付金は減少、安定したプログラムの提供のためには企業や個人の方からの寄付などの資金調達が必須だそうだ。
「亡くなる直前でも、アニーに会いたいと言ってくれたお子さんがいました。病院に駆けつけた時には、その子はもう周りの状況がわからない状態でしたが、その子のお母さんは『最後の願いを聞いてあげられた』と、とても喜んでくれました。その時私は、ファシリティドッグは必要だと強く感じました。人が犬を必要とし、犬もまた人を必要とする双方向の信頼関係が、人間同士に限らない共生の形ではないかと思います」

入院治療中の子どもたちと遊んだり、添い寝をしたりするアニー。親や医療スタッフからの信頼も厚い。入退院を繰り返す子どもが「アニーがいるから」と再入院を嫌がらないケースもあるという。アニーの散歩は毎日1時間以上、オフの時は海や山で思い切り遊ぶ。

取材・文/高樹ミナ 写真提供/NPO法人シャイン・オン・キッズ

KEYWORD

  1. ※1認定 特定非営利活動法人シャイン・オン・キッズ
    日本に初めてファシリティドッグ・プログラムを提供した団体。前身は2006年7月創設のタイラー基金。2012年7月からは認定 特定非営利活動法人シャイン・オン・キッズとしてプログラムの普及活動をしている。
  2. ※2ベイリー
    日本初のファシリティドッグ。2010年から約8年間、医療現場で活動し、19年からは国内初のファシリティドッグ育成事業に携わる。20年10月1日、12歳で惜しまれながら亡くなった。
  3. ※3平日の朝9時から夕方4時まで常勤
    ファシリティドッグへの負担を配慮し、1時間ごとに1時間の休憩を取ることが国際基準で定められている。よって1日の実働は3~4時間程度。訪問患者数は10人程度。
  4. ※4使役犬育成施設
    使役犬は、人間とともに働く犬のこと。「職業犬」とも呼ばれる。古くは牧畜犬や牧羊犬、現代では高度な訓練を受けた盲導犬や警察犬、麻薬探知犬などがいる。米国には多くの育成施設がある。
  5. ※5動物介在介入
    動物介在活動と動物介在療法の総称。日本では「アニマルセラピー」と呼ぶケースが多いが、英語圏では動物の治療と誤解される可能性があることなどから、使用には注意が必要。
  6. ※6白血病
    血液のがん。赤血球、白血球、血小板が作られる過程で何らかの異常が発生し、血液や骨髄の中でがん細胞が増える病気。急激に進行する急性白血病とゆっくり進行する慢性白血病がある。
  7. ※7初年度経費
    ハンドラー人件費および交通費、ファシリティドッグ飼養管理代、定期健診・獣医診療費などの通常の運営費に加え、犬の譲渡・研修費、研修のための渡航滞在費、輸送料・関税などが含まれる。

PROFILE

森田 優子
認定NPO法人シャイン・オン・キッズ
ファシリティドッグ・ハンドラー

もりた・ゆうこ
ファシリティドッグ・ハンドラー。静岡県函南町生まれ。静岡県立大学看護学部看護学科卒業。国立成育医療研究センターでの勤務を経て、2009年にNPO法人シャイン・オン・キッズに就職。プログラムリーダーとして2010年から静岡県立こども病院で活動を開始した。2012年より神奈川県立こども医療センターで活動中。