コーヒーから始まる共生のパートナーシップ

Opinion File

「美味しさの追究」が高じて2002年に研究所を開設。生豆の品質に関する科学的評価に向けて今も研究が続く。

世界へと通じる奥深き「コーヒー学」の実践

堀口珈琲発祥の地に立つ世田谷店(写真)をはじめ、都内に4店、中国・上海に1店を構える。2019年6月には一般見学も可能なミュージアム機能を備えた焙煎施設「横浜ロースタリー」が始動した。

「ご注文は、生ハムとセミドライトマトのアメリカンサンドでございますね。2番のブレンドがよく合いますよ」
店員の薦めに従い、運ばれてきたサンドイッチとコーヒーで束の間の寛ぎを楽しむ。なるほど、素人には表現が難しいが、ドライトマトと生ハムのしっかりとした味わいに軽やかなコーヒーの飲み口が絶妙だと思う。
店頭の壁には、この店オリジナルのブレンドを豆の焙煎度合いや風味によって9つに分類したチャートがある。2番のコンセプトは、FLOWERY & JUCY「華やかな香り、ジューシーな味わい」。聞けば、コーヒーは生豆の産地や品種、焙煎のしかたによって味わいが変わり、可憐な甘みやフルーティーさが楽しめるものもあるという。
ここは東京都世田谷区、都心から電車で20分ほどのベッドタウンに位置する株式会社堀口珈琲の直営1号店。代表取締役会長で、併設する堀口珈琲研究所の代表も務める堀口俊英さんが1990年に開業した店だ(当時の名は「珈琲工房ホリグチ」)。住宅街の小さな喫茶店ながら、当初から店舗で焙煎し、小売りも卸売りも手掛ける多角経営を実践、他店との差別化を図ってきた。
「40歳での脱サラ開業には戦略が必要でした。喫茶だけでは経営が不安定だと思ったので。ただ、コーヒーの美味しさとは何か、風味とは何かを徹底して追究したい気持ちもあった。だから開業前の3年間は猛勉強です。毎日のように焙煎や抽出の練習に明け暮れて。ですが、100軒の喫茶店を巡れば100通りの淹れ方があり、何が正しいのかわからない。美味しさの捉え方も価値観もまちまちに見えて、もっと客観的に判定するための何かが必要だと思った。それを突き詰めることが、今でも続く私のテーマになりました」
主観的な意味での美味しさは、個人の好みの問題だから致し方ない。では、客観的な美味しさとは。それは生豆の品質の良し悪しに左右され、よい豆を使い、適切な方法で焙煎、抽出したときに得られる風味の感覚であるに違いない。そう考えた堀口さんは、当時まだ一般にはよく知られていなかった高品質の「スペシャルティコーヒー(※1)」に特化する方針の下、その豆の選別にこだわると同時に、コーヒーそのものに関する知識の習得、香りや風味を評価するテイスティングスキルの訓練にも没頭。産地と風味の関係性は、ワインの醸造学に知識を求めた。
「そういう試行錯誤が10年ほど続きました。あの頃はほとんどの喫茶店でごく普通の、今ならコマーシャルコーヒー(※2)と呼ばれる汎用品の豆が使われていて、同じブランドでも仕入れのたびに味が違ったりしました。産地からの流通過程の状態が影響するわけですが、これでは美味しさどころか香味の安定性も望めません。なんとか最適のものを探し当てようと、よさそうな生豆は片っ端から試してみるような日々でした」
堀口さんによれば、コーヒーの風味は焙煎や抽出だけでなく、産地や栽培環境、品種、精製や乾燥の仕方、選別、輸送・保管時の梱包材、コンテナ、保管方法など様々な要因により、千差万別に異なってくるという。それらについて理解を深めることは、もはやコーヒーを学問・科学の対象として究める行為にも等しく、「コーヒーを学べば世界が見える」が堀口さんの持論となった。
「コーヒー産業の裾野は非常に広く、従事する人の数も経済規模も膨大です。優に700年を超えるとされる歴史に文化、栽培に関する農学や気候・地球環境のこと、産地の経済と生活・労働問題、成分や感覚に関する化学的検証、さらに健康食としての研究など、言い尽くせないほどの広がりがある。これらを体系的に整理して、コーヒーを起点にいろんなことを学ぶプログラムを高校や大学につくりたいと、私は本気で思います。若者のコーヒー離れを食い止めるためにも」
いわく「コーヒー学」の実践。堀口さんは実際、大学のオープンカレッジなどで学生や一般の人を相手にセミナーを開き、コーヒーの抽出やテイスティングの実習を通じてその奥深さを伝える活動も続けている。

堀口珈琲世田谷店のエントランス。写真右は堀口さんとスタッフが独自に開発したブレンド分類マップ。堀口さんが追究する美味しさの「見える化」の一つ。左は、同店が販売するコーヒー豆。ブレンドだけで9種類ある。

生産者と品質を脅かすコーヒーの2050年問題

コーヒーを通して見える「世界」の中には、愛飲家でなくても看過できない現象がある。業界でいわれる「2050年問題」はその一つだ。堀口さんはこう話す。
「端的にいえば、気候変動問題です。地球温暖化が進んでコーヒー生産地(※3)の気温や湿度が上がり、降雨量も変わっていく。これがコーヒー豆の収穫量や品質に深刻なダメージを与えます。このまま放置すれば、2050年には生産に適した土地が半減するだろうともいわれています。
コーヒーの木は、温暖な気候で雨期と乾期がはっきりした土地でよく育ち、昼夜の寒暖差が大きい、標高の高い場所のほうが味がよくなるとされています。温暖化で夜の気温が下がらなくなれば、全体的な品質低下が起こります。雨期・乾期のバランスが崩れて栽培に支障を来し、病虫害も増えて生産量が減る。そうなると、生産者の生活が苦しくなりコーヒー農家が減っていく。その先は、どうなると思いますか?」
コーヒーの消費量はアジア圏を中心に増加傾向にあり、国際コーヒー機関(※4)の統計によれば、2019年の世界の総消費量は約1007万トンで5年前の約1割増し。今後も中国市場などで増え続けるものと見られている。一方で、気候変動による栽培適地の減少は避けられない。となれば、標高の低い場所でも比較的よく育つ低品質・低価格の品種の生産量を増大する傾向が強まり、これがまた取引相場の下落を招いて農家の生活を圧迫する。ワールド・コーヒー・リサーチ(※5)などの研究機関が品種改良に取り組んだりしているが、厳しい現実に変わりはない。
「コーヒー生産者の7割か8割は2haほどの耕地しか持たない零細農家で、相場の低迷は死活問題です。だからこそ、生産者の収入増につながる質の高いコーヒーの市場を育ててきたというのに、これでは元の木阿弥になりかねません。品質が下がれば、やがては消費も落ちていくでしょう」
コーヒーの栽培種には大きくアラビカ種とカネフォーラ種(ロブスタ種)があり、豊かな風味と酸味が特徴のアラビカ種は高級品から汎用品まで幅広く使われ、市場全体の約6割を占める。カネフォーラ種は苦みが強く、主に安価なレギュラーコーヒーや缶コーヒー、インスタントコーヒーなどに使われる。近年、大量消費や自由貿易の加速による価格競争の激化でディスカウント市場が膨らみ、カネフォーラ種の比率も高まる傾向にある。低価格市場にももちろん守るべき生産者の存在があるためバランスが重要だが、全体として高級品と汎用品の共存を図り、生産者の利益確保と生活向上を推し進める必要がある。
堀口さんらが先鞭をつけ、今世紀に入る頃から日本でも注目され始めたスペシャルティコーヒーの背景には、産地特有の風味や品質による差別化のほかにもそうした事情があった。温暖化の影響を受けやすいのも、気候の変化や病害虫に弱いアラビカ種のほうである。

「農業と科学」で挑むあくなき美味しさの追究

高品質のコーヒー豆を安定的に仕入れるため、世界各地の生産者と直接パートナーシップを結んでいる(左端が堀口さん)。
「最高の生豆のために最善を尽くす」が堀口珈琲のモットー。バイヤーが自ら産地を訪れて選んだ生豆を使用する。

同じ頃、堀口さんは優れたコーヒー農家と生豆を求め、産地との直接取引に乗り出した。日本で輸入品に目を凝らすだけでは埒(らち)が明かない。風味はもとより、トレーサビリティ(※6)にも信頼のおける本物のスペシャルティコーヒーとの出合い、農家とのパートナーシップ構築のための挑戦だった。
「こちらもバイヤーとしての信頼を得るために、ある程度の量を仕入れる必要がありました。そこで、仕入れた生豆を共同で使うべく自家焙煎店の開業セミナーを開き、徐々に仲間を増やしていきました。LCF(Leading Coffee Family)というグループをつくり、10年間で約100店の開業を支援。セミナーも年間100回はこなしました。今では約120店舗のネットワークになっていますが、これも結局、パートナーシップ。信頼関係なんですね。いい豆を使って、お客様に感動していただきつつ、お互いに成長していく。それが今も変わらない基本理念です」
堀口さんが挑戦し、今も探究を続けていることがもう一つある。コーヒーの品質と風味に関する理化学的な分析と評価である。
脂質、有機酸、アミノ酸、ショ糖など、コーヒーは他の食品に比べて味に影響する成分を多く含み、それらの組み合わせが織りなす風味も複雑だ。スペシャルティコーヒー協会(※7)が定めた規格では品質はテイスティング(カッピング)によって判定されるが、それは人間の感覚によるものであり、成分にまで踏み込み、理化学的数値から客観的に品質と風味を関連づける方法はほとんど行われていない。海外の官能評価ではカバーされていない、日本人特有の旨味や苦味の感覚をどう評価するかという問題もある。
堀口さんはこの未知の領域を開発するため、経営の一線を退き、2015年に66歳で東京農業大学の研究生に。翌年には修士認定試験にパスして大学院環境共生学博士後期課程に進学、19年に博士号を取得した。
「とはいっても、まだ『学びてのち足らざるを知る』(※8)の心境ですね。コーヒーは農業と科学だと確信して堀口珈琲研究所を立ち上げてから20年が経ち、大学院まで出たものの、複雑怪奇で終わりは見えません」
だが、5年後か10年後、もっと先でも必ずいつか、コーヒーの品質に科学的アプローチで迫る機運が高まるはずだと信じている。そのときは今よりもっと美味しさの「見える化」が進み、価格ではなく品質と美味しさで選ばれるコーヒーの世界が愛好者を増やし、消費者と生産者を結ぶパートナーシップも太く強くなっていると、期待を寄せている。

取材・文/松岡一郎(エスクリプト) 写真/竹見脩吾

KEYWORD

  1. ※1スペシャルティコーヒー
    生産地での栽培管理や品質管理が適正になされ、欠点豆(発酵、虫食い、欠け、未成熟など)の混入が極めて少なく、生産地特有の風味に優れたコーヒー。
  2. ※2コマーシャルコーヒー
    コモディティコーヒー、メインストリームコーヒーなどとも呼ばれる。
  3. ※3コーヒー生産地
    コーヒーベルトと呼ばれる、赤道を挟む北緯25度~南緯25度の地域に集中する。主な産地はブラジル、ベトナム、インドネシア、コロンビアなど。
  4. ※4国際コーヒー機関
    International Coffee Organization(ICO)。全日本コーヒー協会のWebサイトでICOによる一部の統計資料が見られる。
  5. ※5ワールド・コーヒー・リサーチ
    World Coffee Research(WCR)。米国に本部を置く非営利団体。高品質なコーヒーの供給を将来的にも維持するための研究開発をコーヒー生産国の研究機関などと共同で国際的に進めている。
  6. ※6トレーサビリティ
    流通経路。コーヒーの場合、生産国・地域、農園主、栽培・精製方法、梱包材、輸送方法、通関日、保管方法などが追跡可能であること。
  7. ※7スペシャルティコーヒー協会(SCA)
    1982年に米国で発足。日本スペシャルティコーヒー協会(SCAJ)は2003年設立。スペシャルティコーヒーの啓蒙・普及に努め、生豆の品質評価、官能評価などを行う。
  8. ※8学びてのち足らざるを知る
    東京農業大学の創設者・榎本武揚の言葉。

PROFILE

堀口 俊英
堀口珈琲研究所代表

ほりぐち・としひで
堀口珈琲研究所代表、株式会社堀口珈琲代表取締役会長、日本スペシャルティコーヒー協会理事、日本コーヒー文化学会常任理事。1948年生まれ。2019年3月、東京農業大学大学院環境共生学博士課程卒業(環境共生学博士)。1990年、東京都世田谷区で珈琲工房ホリグチを開業。2002年には堀口珈琲研究所を設立し、コーヒーの栽培・精製と香味に関する研究に着手。自家焙煎店の開業支援、セミナー運営、スペシャルティコーヒーの生豆輸入販売なども行う。近著『THE STUDY OF COFFEE』(2020年、新星出版社)ほか著書多数。