短編小説「荘川桜と父のお守り」
藤岡 陽子

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※コロナ禍で取材ができないため、今回は藤岡陽子さんによる短編小説を掲載します。写真:かくた みほ(2018年7月発行の本誌54号の写真を再利用しています)

御母衣ダム湖畔の中野展望台に立つ荘川桜。

作家 藤岡 陽子/ 写真家 かくた みほ

トンネルをひとつ抜けるたびに、山の奥へ奥へと呑み込まれていくようだった。車の窓から見える草木に春の瑞々しさが溢れ、西の空には赤味を帯びた夕暮れの風景が広がっている。こんな時でなければ、目の前の美しい景色にどれほど感動したことだろう。倉元希未(のぞみ)は運転席の父に気づかれないよう、小さくため息をつく。
「希未、お腹はすいてないのか? 昼ごはんは食べたのか」
ハンドルを握る父が、鼻歌の合間に聞いてくる。父に会うのは昨年の四月以来なので、一年ぶりになるだろうか。
「平気。新幹線の中でお弁当食べたから」
本当は朝に食パンを一枚食べたきりだったが、小さな嘘をついた。一人暮らしをしている千葉のアパートから、父が単身赴任する岐阜まで、電車を乗り継いでおよそ六時間。JR高山駅に降り立ったのは、夕方の五時半頃だった。
「そうか、じゃあこのまま御母衣(みぼろ)ダムに直行するぞ。それにしてもどういう風の吹き回しだ? お父さんの仕事場が見たいなんて」
「……うん、なんかふと思ったんだよね。そういえば大人になってからは一度もダムに行ってなかったなって……。ごめんね、急に『いまから行く』なんて言い出して。お父さんも仕事あるのに……」
「いや、大丈夫だ。今日の勤務は五時までだから問題ない。ああそうだ、夜ごはんは地元産のそば粉を使った、荘川そばを食べに行こう。美味いんだ、これが」
曲がりくねった山道に沿って父がハンドルを切るたびに、希未の体も頼りなく左右に揺れる。話さなくてはいけないことがあるのだが、こんな笑顔で迎えられると、どう切り出せばいいかわからなくなる。

「希未、着いたぞ。……どうした、そんな暗い顔して。車に酔ったのか?」
156号線沿いの駐車場に車を停めて、父が先に外に出た。後から降りると、ひやりとした風が全身を吹き抜けていく。山深く分け入ったからか、もう四月の末なのに外気は肌寒いくらいだった。
「わ……なにこれ」
御母衣ダムに到着したのだと思ったら、駐車場から少し歩いた先に見えてきたのは大きな桜の木だった。薄桃色の花が、夕陽を透かしてゆらゆらと揺れている。
「荘川桜(しょうかわざくら)だ。樹齢四百五十年余りともいわれるアズマヒガン桜だけど、毎年こうして見事な花を咲かせてくれる。この桜の管理は発電所がしてるんだぞ」
父が胸を反らせ、自慢げに微笑む。
「綺麗……。樹齢四百五十年なんて、すごい生命力」
満開にはまだ少し早いようだったが、蕾のほとんどが開き、周りの空気を淡い桃色に染め上げている。
「いまはダムの底にある荘川村から移植されたんだ」
「移植かあ……。荘川桜は強い桜なんだね」
桜のおかげで、沈んでいた気持ちがほんの少し浮き立つ。
「わあ、ここからダム湖が見える」
二本のアズマヒガン桜を背に、希未は敷地を囲う柵のそばまで歩いていく。柵に体重を預けるようにして眼下をのぞけば、青緑に光る豊かな湖水が見えた。山から下りてきた風が、桜の枝葉をさらさらと鳴らしている。
「御母衣ダムは、総貯水量が日本で五番目に大きなダムなんだ。ちょうどこの季節は、白山(はくさん)から雪解け水が流れ込んでくる」
父が隣に並び、柵に手をかけた。
希未が生まれる前から、父は電力会社に勤めていた。全国各地の水力発電所に赴任し、二年、三年、長い時は四年ほど実家を離れることもあった。父が単身赴任している間は寂しかったけれど、母や弟と赴任先を訪ねるのは楽しくて、その頃の思い出はいまも忘れずに残っている。 
「御母衣ダムはお父さんが生まれたのと同じ、昭和三十六年の一月に運転を開始したんだ。できた当初は東洋一のロックフィルダム、二十世紀のピラミッドとも呼ばれてたらしくてな。多くの電力を生み出し、日本の経済成長期を支えてきたんだ」
お父さんの仕事場が見たい、と言ったからか、父が丁寧に御母衣ダムの説明をしてくれる。昔からそうだった。父の赴任先に遊びに行くと必ず、ダムや発電所のことを詳しく教えてくれた。幼い頃は専門用語が難しすぎて、半分も理解できなかったけれど、父がこの場所で懸命に働いているのだということはわかった。

希未が、勤めていた神奈川の私立高校を退職したのはいまから四年前、二十五歳の時だった。
地元の短大を卒業してから五年間、事務員として働いていたのだがふと、別のことをやってみたくなったからだ。学校事務の仕事が嫌になったわけではない。ただ、青春の最中にいる生徒たちと接しているうちに、自分にもまだなにかできるんじゃないかと思うようになったのだ。
「私、客室乗務員になりたいの」
だが希未がそう打ち明けた時、同居する母は「なに言ってんの」と笑って取り合ってはくれなかった。「いまからじゃ無理でしょ。もういい年なんだから、そんなことより結婚相手を真剣に探しなさい」と流された。ただそれも予想通りの展開で、希未にしても親の反対を押し切ってまで挑戦する勇気はなかったのだ。
だがそんな希未の背中を、父が押してくれた。
『いいんじゃないか。お父さんはやればいいと思う』
父には転職のことを話していなかったのに、母が伝えたのか、単身赴任先から電話がかかってきたのだ。普段は父が直接電話をかけてくることなどめったにないので、最初に声を聞いた時は何事かと思った。
「え、でも……私もう二十五歳だよ。これから勉強して、もし本当にCAになれたとしても三十前になっちゃうよ」
なりたいとは言ったものの、なれない可能性もある。いや、なれない可能性のほうが圧倒的に高い気がする。そう弱気になっていた希未に、「やりたいことがあるならやったほうがいい。年齢なんて関係ない」と父は言った。人生は一度きりだから、と励まし、決して安くはない専門学校の学費も援助すると言ってくれた。それから二年間、希未は勉強し、二十八歳の夏に国内の格安航空会社の採用試験に合格した。一年ごとの契約社員だったが、それでも十分ありがたかった。

「仕事はどうだ? まだリモートが続いているのか」
荘川桜を眺めた後はダムに移動し、父と並んで堤体の上の道路を歩いた。ダム湖に魚がいるのだろう。さっきから何羽かの鳥たちが、羽を大きく広げて水面すれすれを飛んでいる。
「そうだね……。月に一回、オンライン会議があるくらい。新人訓練も延期になってて……」
憧れていた航空業界はいまとても厳しい状況で、今年は客室乗務員の採用を中止した会社もあれば、現職の乗務員を別の業種に出向させている所もあるという。希未にしても内定式以来、一度も出社しておらず、上司や同期とも実際には会えていなかった。
そして昨日、あの通告があった。
「ねえお父さん……私、会社をやめようと思う。CAをあきらめようと思う」
やっとの思いで口にすると、父がその場で立ち止まった。
「急に……どうしたんだ」
両目を見開いて驚く父から顔を逸らし、希未は青緑色の湖水に視線を伸ばした。昨日、通告を受けた時から頭に浮かんでいた言葉を口に出したことで、絶望がさらに深まる。
「昨日ね……会社から新人の私たちに連絡がきたの。運航規模が完全に戻るまでは、訓練を再開しないって……。それで、希望退職をするか、訓練が再開するまで休業するか……。どちらかを選ぶようにって打診を受けたの」
休業を選択しても、もし訓練が再開されなかった場合は解雇となる──。オンラインで流れてきた文章には、そんな但し書きも添えられていた。
「私もう、今年で三十になるでしょ? 休業っていっても、いつまで続くかわからないし、解雇されることもあるの……。どこか別の再就職先を探して、地に足をつけて働かなきゃと思って……」
いまから一年前は、まだ気楽に考えていた。入社式は中止になったけれど、すぐにまた元通りになると思っていた。訓練の延期が決まった時ですらさほどの危機感はなく、通勤のために新しく借りた千葉のアパートで、初めての独り暮らしを楽しんでいた。  
だが事態は自分が考えていたより厳しいものだった。一度つかんだ夢を手放す苦しさは、言葉では語り尽くせない。時代のせいだ、運が悪かったと片づけるには、悔しすぎる。内定式の日に採寸した制服も、いまだ送られてこない。
落胆する父の顔を見るのが怖くて、希未は湖面から目を離せなかった。父も黙りこんだきり、なにも話さない。湖面を飛んでいた鳥が一羽、水中に顔を潜らせる。だが頭を上げた嘴に魚の影はなく、鳥はそのまま曲線を描き、薄暮れの空に消えていった。
長い沈黙の後、
「希未、いまから少しだけ、お父さんの社員寮に寄ってくれないか。見せたいものがあるんだ」
と父がためらうように言ってくる。希未は小さく頷き、下を向いたまま、先を行く父の背中について歩いた。

社員寮に入るのは、何年ぶりのことだろう。
「なんか、さっぱりしてるね」
散らかっているかと思ったら、部屋はきちんと整理整頓されていた。家具はテレビと小型冷蔵庫とタンス、部屋の真ん中に置かれた円卓くらいしかない。
「まあな。この部屋はくつろぐだけの場所だからな」
でもコーヒーくらいは部屋で飲めるぞ、と父が冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、電気ケトルのスイッチを入れる。   
「希未は、お母さんが病気になった時のことを憶えてるか?」
父が丁寧な手つきでサーバーにドリッパーを取り付けているのを見つめながら「もちろん憶えてるよ。でもどうしたの、突然」と返す。そういえば父は昔からコーヒーが好きで、たとえ時間がかかってもこんなふうに一杯ずつ抽出していた。
「お母さんから電話で『がんになった』って言われた時、お父さん、頭の中が真っ白になってその場で立っていられなかった」
「うん、私も同じ……。足が震えたよ」
当時のことは忘れられない記憶として、いまもはっきりと刻まれている。あれは、希未が高校二年生の時だった。うら寒い冬の夕方、部活を終えて帰宅すると家の中が真っ暗で、どこからか母のすすり泣く声が聞こえてきたのだ。
「お母さん、どうしたの?」
リビングの電気を点けると、母がダイニングテーブルの前に腰かけ、肩を落としてうな垂れていた。
「お母さん、なにかあったの」
もう一度尋ねると、母は、病院でがんの告知を受けたことを掠れた声で告げてきた。希未は母ががん検診を受けていたことも、その後で精密検査をしたことも知らなかったので、状況を理解するまでしばらくなにも話せなかった。
「大丈夫だよ、お母さん。必ず治る」
でも最後はそう言い切ったのを、憶えている。弟の慶介はその時まだ小学六年生だったので、母が入院すると聞くと、めそめそと泣いていた。祖父母に頼りたくても、母の両親は早くに亡くなっていて、父の実家は遠く離れていた。だから希未は誓ったのだ。 
お母さんの病気が治るまで、この家は絶対に私が守ると。
父が淹れてくれたコーヒーを口に含むと、芳ばしい香りが鼻に抜け、体の芯が温まる。
「これ、希未がお父さんに送ってくれたメールなんだ」
部屋の隅に置いてあるタンスから、父がぶ厚い紙の束を取り出してきて、希未の前にそっと置く。
「え、なんのメール? ……ああ、懐かしい。やだなお父さん、こんなの持ってたの?」
黒色の紐で綴られたA4サイズの用紙には、希未が父にメールした文章が印刷されていた。母が闘病していた頃、希未は父の単身赴任先にほとんど毎日メールを送っていたのだ。
『今日は、抗がん剤治療の日でした。吐きけがひどいって弱音を吐きながらも、お母さん、なんとか耐えました』
『お母さんの頭から、髪が生えてきました! 直毛ではなく縮れ毛なのが不思議。あと一か月もすれば、お父さんの毛量を確実に超えるでしょう(笑)』
『慶介がなんと赤ちゃんがえり。お母さんの隣に布団を敷いて寝始めました。もう中学生なのに、野球部に入ったくせに、家ではめそめそしてまーす』
メールの日付は、母が手術を受けた二月から、およそ一年半に及んでいた。まさか父が自分の送ったメールを印刷して、こんなふうに手元に残しているなんて思いもしなかった。
母は手術を受けた後、一年間にもおよぶ抗がん剤治療を乗りこえ、病気を克服した。希未は十二年前に自分が書いた文章を読みながら、わが家の最大の危機を思い返す。
「お母さんなんだ」
コーヒーの入ったカップを持ち上げ、父がぽつりと口にする。
「え? なにが?」
「おまえの夢を……CAになる夢を応援しようって言ったのは、お母さんなんだ」
夜、この部屋で缶ビールを飲んでいるところにお母さんから電話がかかってきた。希未が学校事務の仕事をやめて、客室乗務員になりたいと言い出した。自分は応援しようと思っている。調べると、採用試験のための勉強をする専門学校があるらしい。私は希未をそこに通わせてあげたいんだけど、許してくれますか?  
母からある日そんな連絡がきたのだと、父が目を細める。
「お母さんが、積み立ててきた個人年金を解約してもいいかって聞いてきたんだ。専門学校の学費に充てたいからって。自分は一度反対してしまって言い出しづらいから、『希未にはお父さんが学費を出すことにしといて』ってな」
専門学校の学費は、自分の預金と、足りない分は分割払いでなんとかするつもりでいたのだ。それを父が「学費はお父さんのへそくりで出すから」と言ってくれた。希未の預金はこれから先、なにかあった時のために残しておきなさいと。
「お母さんな、自分が病気になった時、希未がそばにいてくれたことをいまでもずっと感謝してるんだ。本心を素直に口にできない人だから、希未には言えてないかもしれないけどな。それに自分のせいで、おまえの進路の選択肢を狭めたんじゃないかとも思ってる。それはお父さんも同じ気持ちだ」
高校三年生の進路相談で、希未は迷わず実家から一番近い短大を選んだ。その頃の母はまだ本調子ではなかったし、慶介も中学に上がったばかりで家事をする人が必要だったからだ。朝の弁当づくりや、体力がいる掃除や洗濯などは希未が引き受け、母が寝込んだ時は食事もつくった。でも自分では当たり前だと思っていた。わが家の危機なんだから、手助けするのは当然だと。
「なあ希未、訓練が再開するのを気長に待ってみたらどうだ? CAをあきらめるなんて言わないで、チャンスを待ったらどうだ」
「でも……運航規模が100%元の状態に戻るまで、訓練は再開しないって通告されたんだよ? 再開しなかった時は解雇になる。気長に待つなんて……できないよ」
「その時は、その時だ。もし解雇になったら、その時点で次のことを考えればいいじゃないか。また別の航空会社の採用試験を受けたっていいんだ。可能性がゼロでないなら、待てばいいさ」
お父さんが北海道の糠平(ぬかびら)発電所に赴任していた時のことを憶えているか、と父が聞いてくる。
「糠平にいた頃は年に二回、飛行機に乗って遊びに来てくれたよな。その時、まだ小さかった希未が言ってたんだ。『大人になったら、私も飛行機の中で働くお姉さんになりたい』って」
そんな昔のこと、すっかり忘れていた。自分にはやりたいことなんてない、ずっとそう思っていた。CAを目指そうと思ったのも、二十五歳になって急に人生に焦り出しただけなのだと。
「希未がCAになりたいって言い出した時、お父さん、なんか妙に嬉しくてな。幼い頃の夢を叶えようとしているんだと思って」
空になったカップを手に、父が立ち上がる。二杯目を淹れにいったのかと思って見ていると、またタンスの引き出しからなにか取り出してきた。それはお菓子の空き缶で、蓋を開けると中には古い便箋が何枚も束ねられている。
「すごい、こんなものまで」
ところどころ擦り切れ錆びたスチール缶に収められていたのは、幼い頃、希未や慶介が父に送った手紙だった。手紙といっても下手な字は読みづらく、ところどころ鏡文字になっている。
缶の中から一通の手紙を取り出し、父がテーブルの上に載せる。
『おとうさんだいすき おしごとがんばって のぞみより』
手紙には青と緑のクレヨンで、そう書かれていた。
「この箱に入っている手紙は、お父さんのお守りだ。ここまで働いてこられたのは、希未や慶介がいてくれたからだと思ってる。単身赴任している間はいつも希未がお母さんを助けてくれて、お父さんは安心して仕事を続けてこられた」
青と緑のクレヨンで書かれた手紙は、希未もよく憶えていた。小学校に入学した春、父が高知の魚梁瀬(やなせ)ダムに転勤になったのだ。すごく悲しくて、でも父のほうがもっと寂しいだろうなと思って手紙を書いた。青と緑を使ったのはダムの湖水の色だからだ。
「あきらめるなんて言わずに、チャンスを待ったらどうだ」
父がさっきと同じことを繰り返す。
「でも……いいのかな。三十前の娘が、こんなふらふらと中途半端な状態で……。お父さんは恥ずかしくない?」
「恥ずかしいわけがない。ここまでなにもしてこなかったわけじゃない。一生懸命に頑張ってきた三十年間だ。お父さんとお母さんが、今度は希未を支える番だ」

156号線沿いの展望台は、夜桜を見に来た人で賑わっていた。
目の前では白いライトに照らされた荘川桜が、昼とは違う幻想的な美しさを見せている。
「ライトアップされると、雰囲気が変わるだろう」
「うん……なんか凄味がある。樹木の生命が迫ってくる感じ」
父の部屋で話をした後、どうしてか無性に荘川桜を見たくなった。そう口にすると、父は「じゃあ行こう」と車を走らせ、再びダムの湖畔にある展望台まで連れて来てくれたのだ。
お父さんとお母さんが、今度は希未を支える番だ──。
父にそう言われ、希未は泣いた。でもひとしきり涙を流した後、心の中に強いものが生まれていた。それは、お菓子の空き缶に入っていた、父の「お守り」のようなものなのかもしれない。
「私もいつか咲けるように頑張ります」
桜を見上げたまま呟くと、夢が自分だけではなく家族のものになる。家族の危機なら、私はきっと乗りこえられる。
ダム湖側から強い風が吹いてきた。耳に心地よい葉鳴りとともに、花びらがひらひらと夜に舞う。隣に立つ父の体温を感じながら、希未はしばらく黙って、白く光る花びらを見つめていた。

※この作品は、フィクションです。登場する人物や団体は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。

御母衣ダムのダム湖は、総貯水容量3億7000万m3の巨大な人造湖。
アズマヒガン桜は、樹齢が長い桜として知られ、エドヒガン桜と呼ばれることも。
ゴツゴツとした幹は、樹齢450年の年月を感じさせてくれる。
満開の時期にはライトアップされる荘川桜。撮影/前川彰一
御母衣ダムは、岩石と土を積み上げたロックフィルダムだ。
御母衣ダムの取水塔。
高さ131mのダムの頂きから見下ろす御母衣発電所。
冬季の点検に使用されるヘリコプター。
通路の壁に並ぶ密閉母線。地上の変圧器に電気を送る導体が収納されている。
「御母衣ダム」と刻んである石碑。
御母衣ダムの湖畔にある「MIBOROダムサイドパーク」。
発電用水車(実物)。

御母衣ダム・発電所
所在地:岐阜県大野郡白川村
認可出力:215,000kW
運転開始:1961年1月

Focus on SCENE 日本最大級の五連水車

岐阜県を走る東海北陸自動車道の荘川ICで高速を降り、世界遺産で有名な白川郷に向かって5分くらい走ると、左手に巨大な水車が見えてくる。直径13mの巨大なものから直径3.6mの小さなものまで5つの水車が並ぶ。五連水車としては日本最大級で、2003年に観光施設「そばの里 荘川」がオープンする際にシンボルとしてつくられた。
高山市荘川町(旧荘川村)一帯は古来、蕎麦の産地で、中小の河川が多いことから明治時代までは水車で粉をひく様子がそこここで見られたという。御母衣ダムが建設される際、ダム底に沈むはずだった桜の古木が移植された樹齢450年の荘川桜まで、ここから5分ほどである。

文/豊岡 昭彦

写真 / かくた みほ

PROFILE

藤岡 陽子 ふじおか ようこ

報知新聞社にスポーツ記者として勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年『いつまでも白い羽根』で作家に。最新刊は『メイド・イン京都』(朝日新聞出版)。その他の著書に『手のひらの音符』、『満天のゴール』など。京都在住。本誌では、38号(2014年7月発行)より、「Home of J-POWER」を執筆。