短編小説「風車は今日も回っている」
藤岡 陽子
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※コロナ禍で取材ができないため、今回は藤岡陽子さんによる短編小説を掲載します。
写真:かくた みほ(2019年4月発行の本誌57号の写真を再利用しています)
作家 藤岡 陽子/ 写真家 かくた みほ
飛行機が熊本空港に着陸し、スマホの設定を機内モードから通常モードに切り替えたとたん、着信音が鳴り出した。画面を見れば、「運動部 小出デスク」の文字が浮かんでいる。
翔平は鳴ったままのスマホをリュックの底に深く押し込んだ。だが、まるで居留守を使っていることをわかっているかのように、着信音はしつこく鳴り続けている。
さて、いまから……どうしよっか。
むしゃくしゃして、とりあえず故郷に帰って来たが、ここから先の展開は考えていなかった。会社を辞める。昨日の夜にそう決めたものの、親は許してくれないだろう。
重い足取りで出口に向かって歩いていると、
「あの、甲斐翔平さん……ですかね」
と後ろから声をかけられ、振り向くと見覚えのある男が立っている。
「おまえ……ゴッチ?」
人間の記憶は不思議なものだ。いまのいままで完全に忘れていた顔や名前、あだ名までが、ほんの数秒で思い出される。
「ああ、やっぱり翔平だった。歩き方でわかったたいね」
ゴッチこと後藤雄介が、昔と変わらない人懐こい笑顔を向けてくる。ゴッチは同じ西原村で生まれ育った幼馴染みで、小中高校の同級生だ。高校を卒業して以来だから、10年ぶりの再会になるだろうか。
「東京から帰省して来たと? 遅か冬休みね?」
屈託なく聞いてくるゴッチに、「まあそんなとこ」と曖昧に返し、いまが1月下旬であることに気づく。年末年始ならともかく、平日の昼間にふらりと帰ってくる会社員というのはたしかに妙だ。
「おれもいまから村に戻るとよ。一緒に乗っていかんね」
母親を空港まで送って来たところだと、ゴッチが車のキーを目の前で揺らしてみせる。ここで翔平に会えるなんてタイミングがよかった、と嬉しそうに笑っている。
ゴッチが運転するワゴン車が、県道206号線をのんびりと走っていく。阿蘇南外輪山の西の麓に位置する西原村は、熊本空港から5キロメートルほど離れた場所にある。人口はたしか、6,000人ほどだったろうか。
「ゴッチ、今日仕事は?」
「今日はたまたま非番たいね」
高校卒業と同時に熊本を離れた翔平とは違い、ゴッチは県内の大学に進学した。まだ小さな頃から、「自分は一生この村で暮らすけん」と宣言していたが、実際にその通りの人生を歩んでいるので、そこはもう感服する。
「おれんち、ずっと『スポーツ日報』とっとるとよ。翔平の記事も毎日読んどっばい」
「あ……ああ、サンキュ」
「スポーツ日報」は、翔平が勤めるスポーツ新聞社だった。23歳の時から6年間、運動部でプロ野球の記者として働いてきた。新人の頃から東栄イーグルスを担当し、昨年からはチーフを任されていたのだが……。
「実家まで直接行ってよかね?」
県道206号線から県道28号線に入り、西原村役場の近くを通り過ぎた辺りで、ゴッチが聞いてきた。
「あ、ちょ……と、コンビニに……寄ってこうかな」
このまま実家に帰っても、なにをどう話せばいいのか。熊本まで戻ってきたくせに、実家に顔を出す勇気を持てずに戸惑っていると、
「急がんなら、ドライブでもするね?」
言い澱む翔平の様子からなにかを感じ取ったのか、ゴッチが実家とは逆方向、俵山の麓に向かってハンドルを切った。
曲がりくねった山間の道を走り、ゴッチが運転するワゴン車が向かった先は俵山展望所だった。
「おおっ、懐かしい! やっぱいい眺めだなー」
目の前に広がる緑のうねりに、翔平の口から思わず大きな声が漏れる。西原村のシンボルでもある俵山は、1,095メートルの低山だが、春夏秋冬どの季節も美しい。春になると野焼きの芳ばしい香りが漂い、夏は瑞々しい緑、秋はススキの群れが空気を金色に揺らし、冬にはうっすらと雪が積もる。展望所からは阿蘇五岳も、北外輪山も、南外輪山も、阿蘇谷も南郷谷も一望でき、翔平が生まれて初めて雲海を見たのも、流れ星を見つけたのもこの場所だった。
「お、風車だっ。おれらの風車が回ってる」
そしてなにより一番の自慢は、俵山を背に立つ、この白い風車。九州最大級といわれる風力発電施設、「阿蘇にしはらウィンドファーム」が運転を開始したのは、翔平が小学6年生の時だった。
「実はここ、おれの仕事現場ったいね」
ゴッチが風車を指差し、ニヤリと笑う。
「え、どういうこと?」
「おれいま、発電所で働いとるとよ。電力会社に就職して、それでいまは風力発電の仕事をしとると」
翔平は大きく目を見開き、青空をかき回す風車の羽根と、ゴッチの顔を交互に見比べた。ゴッチがこの場所で働いていると知り、両方の腕にざっと鳥肌が立つ。
あれは、この村で風力発電が始まって、まだ間もない頃だった。
「おれ、大人になったら風車に関係のある仕事がしたか」
12歳のゴッチが、そう言っていたのを翔平は憶えていた。
俵山に風車が建てられた当初はゴッチに限らず、子供たちはみなその巨大な設備に圧倒された。本物の風車を初めて見た時の衝撃は、いまも忘れられない。高さ60メートルの支柱の先にある、長さ33メートルもの羽根。その羽根が風を受けてぐるぐると回る迫力は、子供の想像を遥かに越える壮大さだった。
運転を開始したその年から、発電所の所長さんが一年に一度、「風の子塾」という学習教室を開いてくれた。「風の子塾」では風力発電や風車の仕組みを学ぶことができ、村の子供たちはこの白く美しい機械が電力を生み出す不思議に、魅了されたのだ。
「ゴッチ、おまえすごいな……。夢を叶えたんだな」
風車を「カザグルマ」と言ってしまい、クラスのみんなに笑われていたゴッチの恥ずかしそうな表情がふと頭に浮かんだ。6年生全員で俵山に登り、10基の風車を見学した時の、放心したようなゴッチの顔も、たったいま思い出した。
「そんな、大それたことじゃなかよ」
風車を見上げ、ゴッチが照れたように眉を下げる。
「いや、すごいよ。子供の時の願いを実現してるんだ」
「うん、まあ。おれは風車がすごく好きだったけん。だけん仕事は楽しかかな。翔平は? 翔平も仕事、順調?」
ゴッチにそう聞き返されて、言葉に詰まる。2週間ほど前までは順調だった。それまではたしかに、楽しかった。でもいまは……。
「おれ、会社辞めるんだ。いろいろあって」
まさか翔平がこんなことを言い出すなんて、思ってもみなかったのだろう。ゴッチの顔から笑みが消える。
あの一件が起こったのはいまから半月ほど前、ようやく正月気分が抜け、スーパーに七草粥の材料が並ぶ時期だった。
翔平はいつものように東栄イーグルスの球団事務所に顔を出し、記事になるようなことはないかと職員たちと雑談を交わしていた。
プロ野球のシーズンが終わり、ストーブリーグと言われるこの時期はネタが少なく、記事を書くのも一苦労なのだ。
だがその日は、とてつもないビッグニュースをつかんだ。
東栄イーグルスの看板投手、稲森一也が今季限りで引退するという情報だった。球団の関係者がひそひそ話し込んでいるのを、翔平と「毎日スポーツ」の新人記者が偶然聞きつけたのだ。
(よっしゃー。こりゃ一面ネタだぜ)
翔平はすぐに、本人に直接取材することにした。稲森一也といえば高卒から東栄イーグルスにドラフト1位で入団し、昨年でプロ20年目を迎えたベテラン選手だ。20代の半ばで一度、メジャーリーグに挑戦し、その後はまた古巣に戻って中継ぎやストッパーとして活躍した。人気も、実績も、知名度も申し分ない。稲森の引退ニュースは球界はもちろん、世間を騒然とさせるのに十分だった。
自宅はわからないが、稲森が通っているトレーニングジムを知っていたので、翔平はそこに「毎スポ」の記者と一緒に張り込むことにした。
そして寒空の下に張り込んでから、九時間後。
翔平はついに、ジムに現れた稲森をつかまえることができた。
「稲森さん、大変失礼ですが、少しお話を聞かせていただけませんか」
翔平たちに気づいた稲森は、顔を強張らせながらも取材に応じてくれた。引退の理由は右肘の故障。これまでも何度か怪我を繰り返し、手術も受けてきた古傷の再発が原因だった。
「38歳という年齢を考えても、ここが限界だと思ったんだ」
と稲森はまさに今日、引退を決意したことを打ち明けてくれた。
稲森の話に頷きながら、翔平は翌日の新聞の一面に、
『東栄イーグルス 稲森一也、今季限り引退!』
というド派手な見出しが躍る様を想像していた。胸が躍った。
最近なかなか大きなニュースが取れず、記事がつまらないとデスクから言われていた。でもこれで一発、真冬の花火を打ち上げられる。翔平は、その場で跳び上がりたいような気持ちになっていた。
だが取材を終えて帰ろうとしたその時、
「申しわけないんだが、まだ記事にしないでほしいんだ」
稲森が切実な声でそう頼んできた。明日の夕方、引退発表の記者会見をすることになっている。その会見までは公表したくない。自分の口から、自分の言葉で、引退を伝えたいんだ。だから記事にするのはその後にしてほしい、と稲森が頭を下げてきた。
翔平は「毎スポ」の記者と顔を見合わせ、腹の中を探りあった。
自分たちはニュースを抜くのが仕事だ。上からの評価もほしい。出世もしたい。だが新聞にすっぱ抜かれるのではなく、記者会見の場で堂々と発表したいという稲森の気持ちは、痛いほどわかった。
翔平は新人の頃からずっと東栄イーグルス担当で、その時すでにスター選手だった稲森は、雲の上の存在だった。だが彼は他のベテラン記者と分け隔てなく翔平に接してくれたのだ。それに、これまで稲森の活躍があったからこそ、記事をたくさん書かせてもらった。長く球団のエースを務めた、野球界をけん引してきた大投手が、自分たちのような若造に頭を下げてきたのだ。
「今回は稲森さんの願いを、聞き入れることにしないか」
気がつくと、そんな言葉が口をついていた。明後日までこの情報を外に出さない。協定を結ぼうじゃないか。そんな翔平の説得に、毎スポの記者は神妙に頷き、「わかりました」と返してきた。
「なのに次の日の『毎スポ』の一面に、稲森一也が引退する記事が出てたんだ。裏切った『毎スポ』の記者が悪いのか、信じたおれが悪いのか。その一件があってから、おれは上の人間に能無しのレッテルを貼られて……」
あの日の出来事をゴッチに話しているうちに、また沸々と怒りが湧いてきた。
「そっが、会社を辞める理由ね?」
ゴッチが気遣うように聞いてくる。
「いや、それだけじゃない」
運動部の関川部長に異動を言い渡されたのは、つい昨日のことだ。3月から販売部に行けと命じられた。そんな中途半端な時期に、ここまで畑違いの異動はそうそうあることではない。
「翔平は、販売部に行くとが嫌とね?」
「嫌っていうか……。おれはこんな……懲罰人事にむかついてるんだ」
異動を告げられた瞬間は、あまりにも腹が立って言葉が出なかった。目線を足元に落としたまま無言でいると、それを承認の沈黙だと受け取ったのか、関川部長が「じゃあそういうことだ」と肩をぽんと叩いてきた。販売部が嫌なわけではない。だがたった一度の失態で、これまで積み上げてきた6年間を白紙に戻すような人事が、翔平には許せない。
しばらくじっと黙って翔平の話を聞いていたゴッチが、
「翔平に見せたいものがある」
とぼそりと呟き、駐車場に向かって歩いていく。どこに行くかも聞かず、翔平は力なくゴッチの後ろをついていった。
道路のわきに車を停めると、ゴッチがゆったりとした足取りで風車のすぐ近くまで歩いていった。そしてわが子を紹介するような優しい声で、「こっが、うちの6号機」と風車を指し示す。
頬に吹きつける風は冷たかったけれど日射しは明るく、澄みきった空気が気持ちいい。
「翔平、おれさ、いまでも一日一回は、熊本地震のことを思い出すとよ」
2016年、4月16日の夜中に起こった本震は、震度7の脅威だったとゴッチが眉をひそめる。猛烈なタテ揺れが何度も繰り返し襲ってきて、翌日、風車の状態を見に行こうとしても道路が崩れ通行止めになっていた。ようやく風車の状況を見に来られたのは地震の7日後で、現場を目にした時は正直、復旧は難しいだろうと思ったとゴッチが語る。
「その時の地震で、この6号機だけが唯一、無傷だったとよ」
「他の風車は……停まったのか?」
「うん、10基あるうちの9基が損傷した。安全のためにブレードを下ろして支柱だけになった風車は、羽根をもぎ取られた鳥のごたったよ」
自分たちが子供の時から、風車は当たり前のように回り続けていた。だから羽根を下ろした姿なんて、翔平には想像できない。
「修理しても採算が取れるかわからんけん、運転停止になるかもしれんかったとよ。所長から『復旧を目指すことが決まった』って言われた時は、ほんとに嬉しかった……」
復旧作業のスタートは、風車の基礎を確認するところからだったとゴッチが話す。土を掘り、ヒビが入っていないかを目視で確認するのだが、基礎を掘り起こすのに2日から3日がかかった。それから測量に7日ほど費やして……。一基の基礎を確認するだけで少なくとも10日は必要だったと、ゴッチが風車を見上げる。
「嫌にならなかったのか? そんな果てしない作業」
「気が遠くはなったばってん、嫌にはならんかったよ。西原村や大津町の人が『風車の復旧が、震災からの復旧のシンボルだ』って言ってくれたとよ。諦めるわけにはいかんかった」
毎日淡々と一つずつ。確実にやっていけばいつかたどり着く。
長丁場になるだろうから急がずいこう。所長にはそう励まされたのだと、ゴッチが当時を思い出したのか、眩しそうに目を細める。
震度7の熊本地震は、村の姿を大きく変えた。
家屋だけでなく神社や公民館、畜産農家の牛舎までもが倒壊し、県道28号線も、まるで薄氷が割れるかのように砕けてしまった。畑は灌漑用水のパイプが破損して、水浸しになった。サツマイモの貯蔵庫は、煙突が折れて中に雨が滲み込んでいた。
「バカでかか狂暴な生き物に、踏みつけられた気分だった」
ゴッチの顔に、暗い影が落ちる。
「ごめんな。おれ、そんな大変な時に帰りもしないで……」
「そんなことはよかと。ただ、翔平にも村の人たちの働きを見てほしかったたい。倒壊した家屋の屋根に穴を開けて、被災した人を救助したり。重機を運転して崩れた土砂を直したり。たくさんの人が、村の再建を考えて、懸命に動きよらした。おれはそんな村の人たちを見てて、自分のせなんことがわかったと」
「自分の……せなんこと?」
「自分のせなんことは、風車を元の姿に戻すことだと思った」
1号機だけは修復不可能と判断されたが、他の9基の風車はいま、元の姿を取り戻している。復旧作業が終わったのは2018年の12月21日。震災からの2年8か月は、自分の人生で一番苦しくて、でも特別な時間だったのだとゴッチが視線を下げ、翔平を見つめてくる。
「復旧作業をしている期間、おれの楽しみは、『スポーツ日報』を読むことだったとよ」
翔平の記事を読んで、他の記事にも目を通して、世の中はちゃんと動いているのだと安心した。人の気持ちを強く明るくする。今日も一日頑張ろうという、楽しい気分にさせる。それがスポーツ新聞社に勤める人の役割だろ、とゴッチが笑いかけてくる。
「おれは、電気を安全に供給するために働いとると。それはどこの部署であろうと変わらん。翔平にしたって運動部であろうと、販売部であろうと、新聞をつくる目的は同じじゃなかかな」
熊本空港に続く県道206号線を、ワゴン車は走っていく。つい3時間ほど前にここを通った時の重苦しい気分は、少しだけ軽くなっていた。
「ゴッチ、そんな飛ばさなくていいって。まだ時間あるし」
翔平は窓から顔を覗かせ、遠ざかっていく俵山に別れを告げる。
「そう? じゃあちょっとここで、休憩しよか」
ゆるゆると速度を落とし、ゴッチが路肩に車を停めた。ドアを開けて外に出て、翔平にも降りるように言ってくる。
だがドアに手をかけ、自分も外に出ようとしたその時、ダウンジャケットのポケットの中でスマホが震えた。
かけてきたのは小出デスクだ。
「もしもし……甲斐です」
『なんだおまえ、どうして会社に来ないんだ、電話にも出ないし』
「……すんません。熱が出て寝込んでたんで……」
『熱? ほんとかよ。ま、いいわ。それよりおまえ、販売部に異動する前に、原稿を一本書いてくれ』
「原稿? なんの原稿ですか」
いまさらなんの、と言いそうになってぐっとこらえる。
『実はな、稲森一也の本を、うちの出版局から出すことになった』
「稲森の本……ですか」
『そうだ。衝撃の引退後、初の自叙伝。うちの独占取材だ』
「あの……でもそんな大事な原稿を、おれが書いていいんですか。おれなんか、上からまったく信用されてないんじゃ?」
『いや、実は稲森から直接電話があってな。他の出版社からも自叙伝を出さないかとオファーがきてるが、おまえに書いてもらいたいらしい。甲斐記者は自分との約束を守ってくれた。だから『スポーツ日報』から出したいんだと』
これは話題になるぞ、いまどこにいるんだ、すぐ会社に上がってこい、とわめく小出デスクの声を遠ざけるように、耳からスマホを離した。翔平はそのままそっと車から降り、ゴッチの隣に立つ。遠くを見るゴッチの視線の先には、白く光る風車があった。
「この場所から風車を眺めると、村を出る時は『行ってこい』と見送られ、帰って来た時は『おつかれ』って出迎えられとる気がするたい。今日は『頑張れ』って、翔平を励ましとる」
そう言って背中を叩くゴッチに礼を告げようとして、口をつぐんだ。涙声になってしまいそうで、ただ頷くだけにしておく。自分の生まれた土地には風車が立っている。6号機をのぞき、一度はすべての動きを停めてしまったけれど、でもいまはまた、真っ白い羽根をまっすぐ空に伸ばしている。
風車を回したのは、人の気持ち。
前に進むことを諦めない、強い気持ちだった。
翔平はまぶたの裏に、俵山に立つ風車の姿を焼きつける。空港に背を向けて、なだらかな山の稜線を見つめていると、冬の冷たい風が熱い体を吹き抜けていった。
※この作品に登場する人物や団体は、実在の人物や団体などとは一切関係ありません。
阿蘇にしはらウィンドファーム
所在地:熊本県西原村
認可出力:1,750kW×10基
運転開始:2005年2月
Focus on SCENE 郷土の誇り、修復進む熊本城
2016年4月に発生した熊本地震。2度にわたる最大震度7の大きな揺れとその被害の大きさに日本中が衝撃を受けた。城づくりの名手といわれた加藤清正が戦国時代に築城し、日本三大名城(諸説あり)の一つとして知られる熊本城だが、すべての建築物が被害を受け、なかには全壊した建物もあった。写真は2019年2月に撮影したものだが、天守閣の瓦工事をしている様子がうかがえる。修復工事はちゃくちゃくと進み、2020年6月には見学路が設けられ、城内にある二の丸広場や加藤神社から、天守閣を見学できるようになった。
文/豊岡 昭彦
写真 / かくた みほ
PROFILE
藤岡 陽子 ふじおか ようこ
報知新聞社にスポーツ記者として勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年『いつまでも白い羽根』で作家に。最新刊は『きのうのオレンジ』(集英社)。その他の著書に『手のひらの音符』、『満天のゴール』など。京都在住。本誌では、38号(2014年7月発行)より、「Home of J-POWER」を執筆。