楽しく楽に新境地を拓く~感謝と気づきで心を動かす「書」から「アート」へ~
渡部 肇史×武田 双雲
新春対談
J-POWER社長
渡部 肇史
書道家
武田 双雲
観る者を圧倒する一気呵成の筆さばき……。
書道家の武田双雲さんは、そこにミリ単位でせめぎ合う緻密な計算と、大きな成功のために小さな失敗の種もあえてまくという豪胆にして細心な仕掛けを埋め込んでいた。
そして今、書から現代アートへと創作の翼を広げようとするチャレンジャーの足取りは軽快で、視線はまっ直ぐなのだった。
書道家の母が技と熱いエネルギーを注入
渡部 武田さんの書は自由奔放で生命力に溢れ、心を揺さぶられます。ご自身の人となりや生き方が、そのまま文字になって躍動しているように思います。
武田 ありがとうございます。ちょっと褒められ過ぎの気もしますが、出身高校の大先輩でもある渡部さんのお言葉として素直に受け止めておきます。
渡部 年次はだいぶ離れておりますけれども熊本マリスト学園高校の同窓というのも縁を感じますね。幼少期から伺いますが熊本の生家でお母様が書道教室を開かれていて、英才教育を授けられたとか……。
武田 2、3歳から筆を持って遊んでいて、平仮名も書けたと思います。私が遊びのつもりで書いた字も、母が1ミリ単位で細かく手直しを入れてくる。そのうち私が慣れると、姿勢を正すとか呼吸を深くするとか、ひと通りの基礎を叩き込まれていた感じです。
渡部 私も学校で習字はやりましたが、例えば基本になる筆遣いの「とめ、はね、はらい」にしても、書道家としての流儀を身につけるとなると格段の修練が求められるでしょうね。
武田 技術もさることながら、母・武田双葉は雄大な阿蘇山のように燃えたぎるマグマを内に秘めた人で、単に書を教えるのでなく、明るく強くエネルギッシュに導いてくれました。だから技と一緒に、書の道で生きるエネルギーも注入されたかもしれません。
渡部 遊び盛りの年頃ですから、書道の稽古はもう勘弁してとか、別のこともやってみたいと気持ちが揺らぎはしなかったのですか。
武田 そこがまた母の巧みなところで、書道が嫌になるまでは追い込まない。ほかにも水泳、空手、少林寺拳法と好きなだけ習い事をさせて、友だちともいっぱい遊ばせてくれました。
渡部 学校へ通い始めてからは部活にも熱心だったとか。小・中学校では野球部、マリスト学園高校では強豪のハンドボール部に入り、立派な体格を生かしてさぞや活躍されたでしょう。
武田 運動神経はいい、性格も明るいからと注目されるのですが、なにせ集中力に欠けて落ち着きのない子だったので、期待外れに終わることが多かったのです。後年わかったのですが、私にはADHD(多動性症候群)という特性があって、チームと自分の動きを合わせられなかったんです。今でいう空気の読めない子で、つらい思いをした時期もありました。
感謝と気づきの波動が共鳴して人の心を動かす
渡部 大学は一転して理工学部に進まれました。一見、書道から遠ざかったようで、実はこの選択が、書の深淵に踏み込む呼び水になったそうですね。
武田 勉強も友人関係も中途半端で悶々としていた頃、たまたま読んだ漫画を通じて、相対性理論や量子力学の世界にはまりました。ホーキング博士の理論に頷き、宇宙の神秘に魅せられて、物理学や数学に傾倒した流れで東京理科大学に進学したのです。
渡部 実を言うと私も物理や生物、化学などの理系科目が好きでしたが、数学の成績が振るわず、先生から「渡部はあまり論理性がないから理系は無理だ」と言われ、かろうじて文系科目が得意だったので大学は法学部に進みました。
武田 ありがちですよね。逆に私は現代国語も古文、漢文も全然ダメだったのに書道家になりましたし(笑)。
渡部 武田さんの場合、理系の学問にのめり込んだご経験が、今のご自分にどう影響しているとお考えですか。
武田 書道がアートの一分野とすると、やはり感性をしっかり育むことが重要です。書を見てとる感受性、書に表現する感覚の源泉は、私は「感動力」だと思っています。それを高める上で宇宙やサイエンスへの興味関心が非常に役立っています。別の言い方をすると、この世とは何か、現実とは何か、心とは何なのかと突き詰めていく探究心が大事。そのために哲学も、サイエンスも、アートも総動員すべき時代が来ている気がします。
渡部 理系と文系を区分したり、サイエンスとアートを線引きしたりする意味が薄れてきていますね。最近、武田さんは書道家に加えて、アーティストとしての顔もお持ちです。
武田 そんな感性で生きていると現実社会と折り合いにくいのですが、書道家・武田双雲は2年前から「現代アーティスト・Souun♡」として異ジャンルの活動を始めて、世間とのチューニングが合ってきた感じがします。
渡部 ジャンルを超えた表現者として、どうやって作品をつくり、どのように提示するかという、ご自身の中での心掛けや作法はあるでしょうか。
武田 例えば、日本人の好きな「一期一会」という言葉を書いてくれと私に依頼がくると、書道家としては、「一期一会」をいろんな視点で解釈したいし、深く掘り下げもしたい。そこを突き詰めていくと筆と墨と紙、依頼者との関係性や私自身の遺伝子も含めて、あらゆるものが絡み合って作品に結着します。その時間と空間の中で、いろいろな御縁が重なって奇跡的に書いている、書かせていただいているという感覚を持ったほうが、いい書が書けるんですね。
渡部 なるほど、御縁の感覚ですか。
武田 ベタな言い方ですが、感謝や気づき、筆さんありがとう、硯さんのお陰ですと、そういう波動がうまく重なると共鳴振動が起きて、人様の心を動かせる書になるように思います。それなしに、自分のエゴで書いた時は大概うまくいきません。
小さな失敗を仕掛け大きな成功を引き出す
渡部 「現代アーティスト・Souun♡」の作品を拝見して私が感じるのは、観る者を圧倒するアウトプットの力強さです。それは無論、書の作風とは趣の異なる新境地にほかならないのですが、魂というか、心象の奥底では通じ合っているような不思議な感覚に襲われました。
武田 確かに同じ根っこから、違う枝葉を繁らせようとするチャレンジなので、的の真ん中を射たご指摘だと思います。私にはアウトプットを出さないと気が済まない体質があって、多分コウモリみたいに超音波を発しながら飛び回り、その跳ね返りを感知しながら改善を図るというスタイルが血肉化している。早い話が「改善オタク」なんです(笑)。
渡部 そうですか。エイヤッと一気呵成に筆を振るっているようにお見受けしますけれども……。
武田 「失敗は成功の母」の故事にならって言えば、小さな失敗を無数に重ねながら、大きな成功につなげられたらいいなと。だから書でもアートでも、先々の改善に結びつくような失敗を常に仕掛けるようにしながら、作品に対峙するようにしています。
渡部 何か新しいことに挑戦する時、挽回可能なくらいの失敗をあえて織り込んでおくというのは、我々のビジネス界にも通じる気がします。
もう一つ、武田さんに学びたいのは、いついかなる時にもポジティブであることです。お母様の薫陶もあったかもしれませんが、明るく元気で前向きに生きられる源泉は?
武田 すべてを遊びに変えようと心掛けています。その場に立ち上がったあらゆる現象を遊び、楽しみ尽くす。25歳で会社勤めを辞めてまっさらの自分になった時、一つだけ人生の筋を決めようと、いろいろ漢字を書き出してみたら「楽」という字との相性が一番よかったのです。
渡部 ご著書によれば、その「楽」の字には、「楽しむ」と「楽をする」の二つの意味があって、しかも自らに向けてのみならず、人を楽しませ、楽にするという両面性も含まれるとか……。
武田 英単語にするとリラックスとエンジョイ、自律神経でいうと交感神経と副交感神経のバランスが取れる交点を、この人生で追い求めていこうと覚悟を決めたわけです。「楽」をマニュアル化しておけば、楽でも楽しくないことはやらないと即断できるし、あるいは、自分が出会う人々や世界中に対して、楽しませているか、楽にさせているかと常にチェックできますから。
渡部 すばらしい心掛けですね。我々凡人は、楽をしてはいけないとか、楽しんでいる場合ではないなどと言って、自分自身に重りを上乗せしてしまいがちです。
武田 自分は楽をするし、楽しむ。人にも楽をさせるし、楽しませる。いわば「楽道」という楽しい道だけを歩いて行こうと心に誓っています。
書道家の「楽」に敵う経営者の「決」や「腹」
武田 逆に、私から渡部さんにお尋ねしたいのですが、大きな組織のトップとして何を大切にし、どんなモットーをお持ちなのですか。
渡部 強いてあげるなら「主体性」という言葉が近いでしょうか。人間は本来的に選択の自由を持っていてすべて自分で決めている。仮に人が決めているようでも採用するのは常に自分自身だという感覚ですね。世界の中心に自分がいるという意味ではなく、ここで決断を下さないと逃げ場はないし、言い訳も利かないという差し迫った感じはいつもあります。
武田 何千という社員を束ねるお立場を思えば、察するに余りあるお話です。私の「楽」の一字になぞらえれば、渡部さんには「決」や「腹」といった文字がはまりそうですけども、そういう境地に立ち至った、何かきっかけになる出来事があったのでしょうか。
渡部 これまでの人生でも色々ありますが、ずっと遡ると思い当たるのは、私が熊本マリスト学園中学に入学した折、親から言われたひと言です。当時は父の仕事の関係で家族で奄美大島に住んでいて、親元を離れて熊本の私立校に進むのにはためらいもあったのですが、合格通知が来た時に親から「どうする?」と聞かれました。まだ12歳で右も左もわからないまま、結局は「行く」と返事をして、そう自分で決めたがために今日こうして、熊本マリスト学園OBである武田さんとお話をする機会にも恵まれたわけですから。
武田 まさに渡部さんの人生の分岐点で、右か左か決めるしかない瀬戸際だったわけですね。しかも親御さんは「行け」とは言わず、「どうする」と任せてくれたのが大きいですね。
渡部 私に決めさせてくれたのがありがたかった。それが原体験になってと言えばこじつけになるかもしれませんが、会社の中でも各人に判断する余地を残して「どんどん決めてくれていいよ」というスタンスでいきたいと思っています。
武田 組織のリーダーになる方には、目には見えない筋というか、いい意味での頑固さや決して譲れない美意識があると思うのです。その大本をたどると家庭の躾や学校教育に行き着いたりするので、私が自分で決めたと思い込んでいる「楽」の道も案外、親の影響かもしれませんね。
基本と応用の往還が人と技術を成長させる
渡部 主題を元に戻して、書やアートの世界とビジネス界の接点になりそうな「基本と応用」についてぜひ伺ってみたいと思っていました。私は前々から仮説を立てておりまして、まず技の基本ができていなければ応用に進めないのは当然として、応用に打ち込んでばかりでもさらなる発展や成長は望めないのではないか。つまり、基本と応用の間を自在に往還できて、初めて技を極める境地に届くと思うのですが、いかがでしょう。
武田 それはもう書道、茶道、柔道、剣道と「道」のつく世界すべてに共通します。「道」の概念は老荘思想から来ていて、技能を守り、破り、離れる「守破離(しゅはり)」という言葉に集約されます。これがイコール「基本・応用・創作」なのです。だから、まず基本をしっかり身に付け、それを巧みに応用して、さらにもう一歩出て、より以上の成果物を得る。この「守破離」をずっと繰り返す人が成長していくのが「道」の世界であって、ビジネス界も含めてすべての人が成長するための根本ではないかと思います。
渡部 明確な回答で腑に落ちました。我々の日々の仕事は、どちらかというと応用が多いのですが、基本がしっかり身に付いていると信頼に足る良い仕事ができる。だから、基本をおさえつつ応用もできる。この繰り返しで力がついていくように思います。
武田 書道に興味が尽きないことのひとつは、基礎に終わりがないことです。書道家になって20年経ち、今45歳なりの気づきがあって基礎の解釈がより深まってきました。80歳、90歳になる先輩たちがそれと同じことを言いますから、どこまでも続く果てなき「道」を、私は永遠の「改善オタク」として歩いていけると信じています。
渡部 最後に、2021年の年頭にあたって、これからの若者たちに向けて、ポジティブの伝道師たる武田さんから激励のメッセージを頂戴できますでしょうか。
武田 私がよく激励の言葉として書に書くのは「君はすばらしい」とか「あなたはすばらしい」といった率直な言葉です。自分の仕事はもちろん、今いる国や時代を誇りに思ってほしいし、目いっぱい楽しんでほしいのですが、それ以上にまずは自分自身をあまり責めないでほしいんですね。親譲りの遺伝子から今までの成功や失敗まで全部ひっくるめて自分の実力であり、能力であると信じて、まずは自分自身を好きになってほしいと思います。
そして、好きになった自分という個性を、どうやったら現在の枠組みの中で生かせるかと考える。言い換えると、身の回りのすべての人への感謝の気持ちを携えた、自分自身の人生の愛あるプロデューサーになってほしい。それが私の言いたいことです。
渡部 心に響く、すばらしいメッセージですね。本当にありがとうございました。
武田 こちらこそ、縁深い席にお招きいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
構成・文/内田 孝 写真/吉田 敬
PROFILE
武田 双雲(たけだ・そううん)
1975年、熊本県生まれ。3歳から書道家の母・武田双葉に師事。熊本マリスト学園高等学校、東京理科大学理工学部情報科学科卒業。NTT東日本に入社して2年半勤務後に書道家として独立。NHK大河ドラマ「天地人」や世界遺産「平泉」、スーパーコンピューター「京」などの題字・ロゴを手がけて脚光を浴びる傍ら、書道教室「ふたばの森」を主宰して門下生を指導。活動の場は世界へ広がりロシア、スイス、ベルギーをはじめ、各国で個展や書道ワークショップを行い、2013年からは文化庁の文化交流使として日本文化の発信を続けている。著書に『ポジティブの教科書』(主婦の友社)、『波に乗る力』(日本文芸社)など多数。2021年春、活動拠点を米国に移す予定。