世界が認める縫製技術 医療用ガウンで社会貢献
有限会社ファッションしらいし

匠の新世紀

有限会社ファッションしらいし
東京都杉並区

ファッションしらいしが製造する医療用ガウン。左が不織布を使用した厚生労働省発注のもの。右は防水加工された布でつくられた“洗える”医療用ガウン。

新型コロナの感染が増えた今年の3~4月、医療用ガウンの不足が問題となった。
中国での生産に頼っていたため、輸入が止まってしまったのだ。
緊急的に国内で生産が行われたが、それに協力した業界の1つが婦人服縫製業界だ。

医療崩壊を防ぐために医療用ガウンの国内生産を

有限会社ファッションしらいし
代表取締役 白石正裕さん

東京都杉並区の住宅街で、コロナ患者対応の医療用ガウンがつくられていると聞き、その工場を訪ねた。 
お話ししてくださったのは有限会社ファッションしらいし代表取締役の白石正裕さん。白石さんは、縫製業者による業界団体、日本アパレルソーイング工業組合連合会(以下、アパ工連)の副会長を務めており、今回のコロナ禍の中、アパ工連を主導し、厚生労働省からの依頼で医療用ガウンの生産を進めてきた。アパ工連では傘下の約60社が生産を担当、4月末までに4万5,000着を納入し、10月末までに240万着を納入する予定だ。
最初に医療用ガウンの生産について打診があったのは1月下旬、厚労省からではなく、所轄官庁である経済産業省からの打診だった。
当時白石さんは、新型コロナがこれほど大規模に感染するとは思っていなかった。
「我々のような婦人服の縫製工場ではなく、白衣などの工場のほうが向いているのではないかと話していました」
3月に入り、白石さんはパリコレから帰国し、テレビを見るとスペインで感染者が1万人以上というニュースが流れていた。
「これは大変なことになる、日本でも医療崩壊が起こるかもしれない」
と実感した白石さんはすぐに動き出す。経産省からの打診は保留になっていたため、アパ工連内をとりまとめ、医療用ガウンの製造を引き受けることを決める。さらに、知り合いの医師から医療用ガウンのサンプルを取り寄せ、それを参考にオリジナルの型紙をつくることから始めた。
「できるだけ簡単につくれるように、工数が少なくなるように考え、型紙のデータをつくりました」
4月上旬に、試作品を経産省に提出、同時にアパ工連傘下の約60社に型紙データを配布し、厚労省からの正式発注が出るのを待った(打診は経産省だが、発注は厚労省)。正式発注がなければ原材料の不織布の製造もスタートできない。このころ、全国的に医療用ガウンが不足し、大阪では雨ガッパなどの寄付の呼びかけも始まっていた。
4月20日、ようやく厚労省の認可が下り、22日から生産を開始、4月末までの約1週間で4万5,000着を納品した。

国内で減少する縫製工場

東京の受験業界で定番となったファッションしらいしのお受験服。「ヌーヴ コンフィニ(nouv confini)」というブランドで販売されている。
同社では1台のミシンに1台のアイロンが設置されている。縫う前にミシンで布に曲面をつくる処理を行ってからミシンをかける。

ファッションしらいしは、1984年に白石さんが創業した縫製工場だ。主に、アパレルブランドの下請けとして高級婦人服の製造を行っている。
「縫製業界はバブル崩壊後に、工場の多くが中国や東南アジアなどに移転し、価格競争が激しくなりました。アパレルは、デザインを下請けに丸投げするだけで、製造段階での問題解決や、そのコストは下請けが負担するという構造です」
これでは下請けは赤字になってしまう……。白石さんの奮闘により、同社に2つの大きな転機が訪れる。
1つは、オリジナル製品の販売。2000年頃からオリジナルブランドの開発に取り組んだのだ。オリジナルデザインのウエディングドレスや婦人服をつくり、大手百貨店に持ち込むが、採用には至らない。何度もチャレンジし、試作品の数は200着を超えた。
05年12月、新宿の大手百貨店で、不採用と言われた時のこと。
「ここで断られたら、もう営業には行けないというくらい精神的に追い込まれていた」
という白石さんは、
「だったら、あなたたちがつくってほしい服をつくります」
と言い放ってしまう。その時に百貨店のバイヤーから言われたのが「お受験服」だった。
お受験服とは、私立の小中学校を受験する児童の母親が面接時に着るスーツだ。奇抜なデザインは必要なく、立っても座ってもきれいに見えることが何より重要だ。
「そういう婦人服は弊社の得意分野」と語る白石さん。「精密な服」、「性能のいい服」をポリシーに長年服づくりをやってきた。翌年、同社製品を店頭に並べると、百貨店の店員が不思議に思うほどによく売れた。同社の服を試着したお客さんは、そのまま購入する人が圧倒的だったのだ。
「弊社の服は着心地がいいんです。人体に合わせて立体的に仕上げる『クセ取り』などの加工をちゃんとやっている。こうした処理は昔からあるものですが、今のアパレル製品では省略されているんです」
クセ取りは、縫製時に布にアイロンをかけながら曲面をつくり、肩や胸のラインを美しくつくり出す作業。同社ではミシンで縫っている時間とアイロンをかけている時間がほぼ同じくらいなのだという。
同社のお受験服は、受験業界の定番となるまでに成長、同社に高い利益率をもたらす製品に成長した。
もう1つの転機が海外での展開だ。09年に米国ニューヨークの縫製工場に間借りし、スタッフ1人を派遣して現地の仕事を受け始めた。その工場にファッションブランドのトム・ブラウン(Thom Browne)が縫製を依頼していたことから、コネクションができた。
彼らは、しらいしの技術力を高く評価、11年には、しらいしのメンバーを中心に、試作品製作のための工房を現地につくった。日本ではデザイナーが現場に来ることはないが、米国では彼らも現場でともに働き、問題点をいっしょに解決していく。さらに、しらいしのスタッフにどうすればいいかというアイデアを求める。日本では、アイデアを出すと「余計なことをした」と怒られたのに……。
“下請け”ではなく、対等なパートナーとして認めたのだ。
これ以降、しらいしでは、トム・ブラウンの縫製スタッフとして、ニューヨークのアトリエで働くほか、パリのコレクションにも同行している。

腕のカーブに合わせて曲面処理が行われた袖の部分。縫う前のアイロン処理が着心地のよい服を生み出す。
トム・ブラウンのジャケット2様。右の模様は布を縫い合わせて表現されている。左は、ジャケットとスカートが縫い合わされたワンピースで奇抜なデザイン。

緊急時には業界をあげて社会貢献に取り組む

ロール状の不織布を切断する作業。医療用ガウン1着分は約3m。
縫い上がった医療用ガウンを検品しながら手作業で1つずつひっくり返す。

お受験服は1人のスタッフが1日に2着縫い上げるのが精一杯だが、医療用ガウンは1人で50~60着は縫える。高い技術力が必要となる作業ではないし、利益もほとんどない。それでも彼らは日本の縫製工場として、全社をあげ、全力で取り組んだ。それは日本のために必要なことだと思ったからだ。
白石さんは今回の体験を次のように語る。
「ものづくり産業や技術はどんな業界でも、国内からなくなっていいものはない。有事の時ほど、その存在の大切さがわかります」
縫製産業の人口は今、国内で16万人ほどに減少してしまったが、白石さんは産業として持続可能なものにしていく努力が必要だと語る。そのために様々な計画を立てていたが、今回のコロナ禍で頓挫してしまった。計画の全貌は不明だが、コロナ禍が終息したら、「直売ショップや見学できる工場などにも取り組んでいきたい」と意欲的に話してくれた。コロナ禍の早期の終息を願うばかりである。

できあがった医療用ガウンを1着ずつ畳むのも手作業だ。
型紙に合わせて不織布を切り離す。細部はカッターで。
医療用ガウンをミシンで縫う作業。1日に1人で50~60着を仕上げることができる。

取材・文/豊岡 昭彦 写真/斎藤 泉

PROFILE

有限会社ファッションしらいし

1984年創業の高級婦人服の縫製工場。アパレルの下請けのほか、お受験服のオリジナルブランド「ヌーヴ コンフィニ」を展開。従業員数27名。社長の白石正裕さんは、東京婦人子供服縫製工業組合理事長、日本アパレルソーイング工業組合連合会副会長を兼任する。