暴れ川が時を経て エネルギーの源泉へ
藤岡 陽子

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静岡県浜松市と佐久間ダム・発電所を訪ねて

浜名湖とほぼ同量の水が溜められる佐久間ダム。写真右の白い建物は取水口。

J-POWER佐久間ダム・発電所は、浜松市天竜区にある。町を流れる天竜川はかつて水害をもたらす暴れ川であったが、現在は恵みの川へと変貌。川の中流部に位置する佐久間ダムやその周辺の町を訪ねる旅に出た。

作家 藤岡 陽子/ 写真家 竹本 りか

天竜川との格闘の歴史 治水に懸けた古人たち

青磁色、というのだろうか。
目の前の天竜川は空の青さや山の緑を川面に映しこみ、青味がかったくすんだ緑色をしている。
川辺には河津桜が咲いていて、青っぽい空気を一部、濃い桃色に染めあげていた。
清流の美しさに見惚れながらもこの川が昔、「暴れ天竜」と呼ばれ周囲の住民を苦しめていた歴史を思う。長野県の諏訪湖を源流とし、浜松市の東部、遠州灘で海にほどかれる全長213kmの一級河川。
天竜川は大雨のたびに濁流となり、静岡県の平野部での氾濫を繰り返してきた。 
1573年には当時の浜松城主であった徳川家康も川の整備に乗り出したとされるが、そう簡単に手なずけられる暴れ川ではなかったという。
そんな天竜川の本格的な治水事業を行ったのは、1832年に現・浜松市東区安間町で生まれた金原明善(きんぱらめいぜん)であった。地元の豪農の息子として生まれた金原は 33歳の時に堤防工事を、1885年には私財を投じての植林事業に着手。川の整備とともに森の保水力を高めるための植林にも力を尽くした。
そして今、川の流域にはJ-POWERの9発電所を含む55の発電所が建設され、大雨による洪水の被害は激減した。
かつての暴れ川は電力を生み出す恵みの川へと姿を変えて、穏やかに流れている。

穏やかに流れる天竜川。
国指定の名勝にもなっている龍潭寺庭園。江戸時代に造られ、作者の小堀遠州は当代一の文化人であった。

江戸時代のまま残る井伊家代々の菩提寺

春めいた暖かな日差しの中、浜松市内にある龍潭寺(りょうたんじ)を訪れた。
龍潭寺といえば戦国武将として知られる井伊家の菩提寺で、女城主、井伊直虎が出家した場所でもある。山門をくぐり清浄な石畳を進んでいくと、江戸時代の姿そのままの本堂が見えてきた。
本堂の裏側にある奥の間からは庭園が見渡せ、クロガネモチの鮮やかな赤い実が目を引く。庭園の横手には直虎の御霊(みたま)が祀られた御霊屋があり、そこから一本、道を挟んだところに井伊家代々の墓が並んでいた。
歴史にそう詳しいわけではないが、寺をゆっくり見て回れば、井伊家を近くに感じて心が浮き立つ。
寺内には徳川家康に仕え、井伊の赤鬼と恐れられた「井伊軍の赤い甲冑」など収蔵品が展示されており、戦乱の世の一片に触れる喜びがあった。

金原明善の銅像。安間町にある生家が記念館になっている。
天竜川と二俣川の間に立つ二俣城址。武田軍に備えた徳川家康の城。
龍潭寺の本堂。
龍王権現の滝。川底が見えるほど水が澄んでいる。
春野町にある巨大な天狗面。高さ8m、横幅6m、鼻の高さは4m。
秋葉神社の本殿に続く参詣道。
佐久間町にある「民話の郷 佐久間」のモニュメント。
地元で人気の浜松餃子。

標高866m山頂近く 火の神を祀る秋葉神社

秋葉神社の本殿。

龍潭寺を出てから車で山道をしばらく走り、秋葉山(あきはさん)本宮秋葉神社へ向かった。秋葉神社は秋葉山の山頂に位置する上社と、山麓に立つ下社の2つがあるが、まず下社を参り、その後で上社を目指す。
山頂の上社へは、「せっかくだから車ではなく歩いて行ってみては」と地元の方に背中を押され、途中から車を降りて参道を徒歩で上がっていく。
参道は緩やかなつづら折りの石段になっていて、その両端に石造りの常夜灯が設置されている。
標高866mの秋葉山には天狗信仰が残るというが、この静かな山になら天狗が住んでいても不思議はない。
息を切らしようやく参道を上がりきると黄金の鳥居に出迎えられ、その奥に火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおみかみ)を祀る本殿が建っていた。
J-POWERの火力発電所の関係者も毎年安全祈願でこの神社を参拝されると聞いたので、私も、「今年一年、火災などなく安全に過ごせますように」と祈願する。
参拝をすませ晴れやかな気持ちで境内から浜松市内を一望すると、天竜川がはるか先に白く霞んで見えた。

水窪川にかかる鉄橋を走る飯田線。

天才技術者の郷里 本田宗一郎伝承館を訪ねて

天竜浜名湖鉄道二俣本町駅のすぐ近く、山に囲まれた静かな場所にひっそりと立つモダンな建物。こちらは「本田宗一郎ものづくり 伝承館」といい、天竜区で生まれ育った本田氏の貴重な資料が展示されていた。
本田氏といえば日本を代表する自動車メーカー、本田技研工業株式会社(HONDA)の創業者で昭和を代表する技術者でもある。
館内を案内してくださった三室正夫さんは特定非営利活動法人(NPO)「本田宗一郎夢未来想造倶楽部」の副理事長を務め、「本田さんが郷土の一員であることを忘れないように、功績を後世に残したい」という思いで、伝承館の運営に携わってきたという。
館内には本田氏が39歳の時につくって大ヒットしたエンジン付き自転車などが展示され、「ものづくりの神様」の原点を知ることができる。「自動車が村に訪れるたびに追っかけ回した」、「学校を無断で休んで遠方の会場まで飛行機のショーを見に行った」などという彼の少年時代のエピソードにはくすりと笑わされるが、後の大成を思えばその熱狂こそがエネルギーの源であったのだと納得する。
「新しい技術や理論を求める仕事というものは99%が失敗である」とは館内に掲げられた本田氏の格言。浜松市が生んだものづくりの神様が後世に伝えたものは、技術だけではなかったのだと気づかされる。

本田氏が昭和20年代に開発し、大ヒットしたエンジン付き自転車。エンジンが赤いので「赤カブ」と呼ばれていた。
ホンダスポーツカブC111(1960年製)など伝承館に展示されるバイクの数々。

地元に産業を興したい あわびの養殖に懸ける

みんなで汗をかく。共助の精神。
佐久間町にはこの2つを理念に掲げて設立された「がんばらまいか佐久間」というNPOがある。
組織の目的は主に地域の活性化だが、その事業の一環として「あわびの養殖」に挑戦していると聞き、見学させていただいた。
「養殖は佐久間に産業を興したい、という思いから5年前に始まりました」
事業について話してくださるのは事務局長の河村秀昭さん。養殖の場には使用しなくなった給食センターを再利用しているという。
「初めはわからないことだらけで水質を維持するのも難しかったんです。今およそ2000匹のあわびを養殖してるんですが、採算がとれるようになるには1万匹は必要だと考えています」
2年前に高性能の濾過(ろか)装置を導入したが、現在確保しているスペースでは多くて5000匹が限界。産業化を目指すにはまだ多くの課題が残っている、と河村さんは厳しい表情で水槽を見つめた。
「将来的にあわびが安定供給できるようになったら、地元の料理屋で出してもらい、佐久間のあわびを食べにたくさんの人が町に来てくれる、地元に雇用も生まれる、そうなるといいですね」
と語る河村さん。何度も壁にぶち当たり、事業は今も夢の途中ではあるが、諦めない気持ちがその言葉に滲んでいた。
いつか佐久間が「あわびの町」として名を馳せたなら、美味しいあわび料理を食べに来ようと思う。
情熱とは何か──。
今回の浜松市の旅ではその答えをもらった気がする。

水槽の中のあわびを見せてくださる河村さん。大切なのは「毎日貝と会話すること」。
伝承館を案内してくださった三室さんと筆者。
2、3cmのあわびの稚貝。出荷する大きさに育つまで約3年かかる。
試行錯誤を繰り返した末に完成した自動濾過装置。養殖には水質の維持がなにより難しく重要だという。

全国8位の総貯水量を誇る戦後復興を担った大型ダム

佐久間ダムの真下に立って見上げた155.5m先の洪水吐ゲート。

ダムの真下に立って青空に滲む堤頂を見上げた。高山の切り立った崖のようなこの迫力は、実際に目にしなければわからない。高さ155.5m。堤頂長293.5m。総貯水容量3億2685万m3。戦後の復興を担って1956年に建設された佐久間ダムは、現在でも全国8位の総貯水量を誇る重力式コンクリートダムであった。
「建設工事には国内では初めて、米国から導入した大型重機が使用されました。このダムを完成させた技術がその後の大型ダムの建設にも繋がったんでしょう」
佐久間電力所の芳賀浩一所長の説明を聞きながらダムと発電所を見学して歩く。
発電所内には4台の発電機があり、毎秒306m3の水が発電機に流れ込む。最大出力は35万kW、今でも年間発電電力量は国内最大級だという。見学した日は3、4号機の更新作業のまっ最中で、取り外された4号機の固定子(ステーター)を目にすることができた。
ダムの位置が静岡県と愛知県をまたいでいるという立地もあり、「佐久間発電所でつくられた電気は、東西の両地域へ送電しています」
と芳賀所長に教えていただく。
日本の電力系統の周波数は静岡県の富士川を境に西側が60Hz、東側が50Hzと分かれているが、佐久間の発電機はどちらの周波数にも対応可能。2018年には発電電力量が累計900億kWhを突破し、これは国内2位の記録となった。
「毎年4月になると水力系の新入社員たちがここへ研修に訪れるんですよ。佐久間ダム・発電所はJ-POWER大規模水力発電の出発点で、その象徴のようなものですから」
との芳賀所長の言葉に深く頷く。
佐久間ダム・発電所は私たちの暮らしの要でもあると感じた。

発電機の前に立つ芳賀所長と筆者。
4号機は更新作業中で、固定子(ステーター)が取り外されていた。
ダムの堤頂から見た洪水吐ゲート。
佐久間発電所のネームプレート。今年は運転開始から65年目となる。
佐久間ダムの洪水吐ゲートは全部で5門ある。
運転中の2号機の軸。
2号発電機。
1、2号機は運転中、3、4号機は更新作業中のため停止を表示している。
発電所内にある配電盤。現在は無人になっていて運転は遠隔操作されている。
27万5000Vに昇圧する主要変圧器。
構内にある開閉所。発電所と送電線を繋ぐ開閉器。

佐久間ダム・発電所
発電所出力:35万kW
運転開始:1956年4月
所在地:静岡県浜松市天竜区佐久間町

Focus on SCENE 火防の神を祀る美しき神社

東海随一の霊山とも言われる秋葉山(あきはさん)。その山頂に立つ秋葉山本宮秋葉神社上社は、秋葉山をご神山として、709年(和銅2年)に創建されたと伝わる。火災を防ぐ「火防(ひぶせ)の神」として知られ、全国に数百以上もあると言われる秋葉神社の総本山だ。祭神は、火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおみかみ)といい、火の主宰神であるとともに、光や熱、エネルギーの神でもある。黄金に輝く「幸福の鳥居」は、駐車場からの400段を超える石段を登った先にそびえ立ち、遠州平野を見下ろし、遠く遠州灘を望むことができる。

文/豊岡 昭彦

写真 / 竹本 りか

PROFILE

藤岡 陽子 ふじおか ようこ

報知新聞社にスポーツ記者として勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年『いつまでも白い羽根』で作家に。最新作は『海とジイ』。その他の著書に『手のひらの音符』『満天のゴール』がある。京都在住。