固い決意と柔軟な発想で障がい者とともに明日を拓く
神原 薫

Opinion File

従業員は19~55歳と年齢層が幅広いが、神原さんは全員が息子か娘と思って接しているという。

障がい者雇用の先達企業に泊まり込みで修業

神奈川県小田原市郊外の開けた土地に、その石鹸工房は建っている。
その存在が世に知られるようになったきっかけは、工房で手づくりされた「本物の果物 そっくりの石鹸」が大ヒット商品になったこと。形や色はもちろん香りまでリアルに再現されているため、石鹸として使うだけでなく装飾用や贈答用に買い求める人も多い。
そして、工房の名声をさらに押し上げたのは、そこに勤務する「石鹸職人」たちの大半 が心身にハンディを抱えた障がい者であり、彼らの精魂込めた仕事ぶりが驚きと共感をもって迎えられたことだ。では、障がい者雇用に特化した職場として、それほどの成果を収めるまでにはどんな経緯があったのだろうか。
事の起こりはこの職場、株式会社リンクラインが産声をあげた2010年に遡る。親会社である情報処理サービス大手のコムテック株式会社は当時、国の定める障害者法定雇用 率(※1)を満たせず、例年1千万円を超す障害者雇用納付金(※2)を計上していた。
同年4月に人事・総務部長に抜擢され、この課題に直接向き合う立場になったのが神原 薫さん。6月にはハローワークから企業名公表を前提にした指導も入る事態となった。そ こで、神原さんは、障がい者雇用の実情を把握せねばと各地の視察に向かった。
「北は仙台から南は沖縄まで、手本とすべき先行事例を訪ね歩きました。とりわけ特例子会社(※3)の設立に活路を求めたのですが、現実は甘くなかった。いずこも行政からの福祉的補助金を支えに薄氷を踏むような経営状況にあり、仕事も軽作業など補助的なものに限られていたので、障がい者の社会参加や経済的自立からは程遠いケースがほとんどでした」
静岡県で石鹸製造を手がける事業所を見学した際、ものづくりの現場で障がい者が活躍 できる可能性を知り、その先達という長野県の有限会社ねば塾にたどり着く。ここは人体に安全で環境にやさしい天然素材の石鹸づくりを通じて、障がい者、健常者が垣根を越えて「ともに働く場所」を標榜。しかも、行政の補助金に頼らず黒字経営を長年続けていると聞いて、神原さんは電光石火、ねば塾への押しかけ修業を願い出た。
「障がい者とのコミュニケーションに不安はありましたが、昼間は作業場に詰めて、彼らが生き生きと誇りを持って働き、圧倒的な就労意欲を発揮する姿に感動しました。従業員寮に泊まり込んで、朝晩の食事をともにさせてもらい、部屋に呼ばれてゲームに興じたりして感じた印象は、彼らも普通の暮らしを営むサラリーマンだということ。楽しくてためになり、あっという間に2週間が過ぎました」
ねば塾での体験を経て、神原さんは「人は働くことに純粋でいいのだ」という深い気づきを得た。そこを踏み外さない限り、どんな行動も決断も必要以上に迷わなくていい。

特例子会社の設立を速攻でかなえた本気度

工房の「石鹸職人」たちは気さくで明るく、質問にはわれ先に答えてくれる。自らの仕事への自負と一途さがよく伝わってきた。

腹の据わった人の実行力は凄まじい。
同年8月。長野修業からの帰途、小田原駅に降り立った神原さんは、当地で特例子会社「リンクライン」を一から立ち上げることを決意。小田原は親会社のコムテック創業の地で、故郷への地域貢献という大義もある。新会社の社長は、当時36歳の自分にやらせてほしいと直談判。全国に300例(当時)近くある特例子会社に、本気の覚悟をもって臨めている社長がどれだけいるか……自分なら、そこで働く障がい者と同じ目線で関われる……そこが何よりの強みと確信したからだった。
10月。会社設立の準備を急ピッチで進め、規定どおり公共職業安定所を通じて従業員を 募集。この期に及んでもハローワークは特例子会社の条件クリアを真に受けてくれず、まず本社雇用で数人採ってみてはと諭されたという。だが、翌11月に予定どおり、障がい者16人の採用を決めてから潮目が一変。12月17日付で特例子会社の認定が正式に下される。
「越年も覚悟していただけに、うれしさも格別でしたね。異例のスピード決裁だったそうで、認定を申し渡された席で所管の所長から『ちょっと早いお年玉をありがとう』と労をねぎらう言葉をかけられ、思いが通じたと目頭が熱くなったのを覚えています」
さて、着想から半年足らず、ロケットスタートを決めたリンクラインだが、出だしから万事が円滑に運ぶはずもない。採用した16人は就労経験のない人たちばかりで、喧嘩したり泣いたり逃げ回ったり、全員が自分の席に落ち着いていた試しがない。そんな喧騒も、とにかく元気で明るい会社にしようと誓った社長の目には、微笑ましく映った。
「本当にしんどかったのは、仕事がなく、販路もなく、今日は何をしようかと考える日が続いていた頃。親会社から事業転換の打診もありましたが、助け舟に乗って肝心の仕事が補助的業務に収まってしまうのは避けたかった。そんな調子で3年間は大赤字。製造委託した石鹸の半完成品に磨きをかけて光沢を出す仕事、包装して出荷する仕事などをひねり出し、日々の糧としました。なんとか行き着いたのが、長野のねば塾と共同開発した無添加石鹸『小春日和』でした」
この「小春日和」は純石鹸分100%など明確な優位点を持つが、そのぶん値が張るた め市場で苦戦を強いられた。「障がい者がつくった石鹸」という人の情にすがるような付加価値づけに傾いてしまっては、遅かれ早かれ行き詰まるだろう……。そこで、思い悩んだ神原さんが仕掛けた戦略が「障がい者がつくる」を消費者に甘える文脈ではなく、どこにもない市場価値として消費者に支持される道筋に繰り上げようという、大逆転の発想だった。

意識変革をもたらした自社ブランド

逆転ホームランはいかに放たれたか。
障がい者雇用の実践場を訪ね、寝食もともにした神原さんは、彼らに特異な才能や抜き ん出た技量が備わっているのを熟知していた。
「例えば、うちの従業員16人に『バラの花を思い浮かべて』と出題したら、色、風合い、花びらの形などが一人ひとり異なる、個性豊かな16通りのバラを描きます。そういう彼らの得難い能力、センスを商品開発にぶつけて、つくり手の数だけ、色もデザインも香りも違った石鹸をつくるのはどうだろうと。人に地球にやさしい天然素材で、ロット数など気にせず、全工程をハンドメイドで……」
この構想により、リンクラインは枠にとらわれない自由なデザイン力と、機械工業品に は真似できない極小ロット生産を武器に、誰もが手に取ってみたくなる「手づくりアートソープ」の商品化に成功。箱根の観光客向けにつくった富士山の形の石鹸が、観光庁主催の「魅力ある日本のおみやげコンテスト」地域部門賞を受賞。東京スカイツリーや有名キャラクター、消火器の形に至るまで他にはない石鹸商品のOEM(※4)受注を軌道に乗せた。
2016年、神原さんはとっておきの策を打つ。創業以来の念願だった自社ブランド 「li'ili'i(リィリィ)」(※5)の立ち上げである。
社業が発展、従業員が力をつける中で「フルーツキャンディバーソープ」などのヒット商品が誕生。業績を一気に押し上げ、有名雑貨店などへの販路拡大も牽引した。
「ご覧のように、手にした方が『これが石鹸?』と驚くほど本物そっくりにつくっています。
中のパーツを削り出したり色を塗り重ねたりする作業は、まさに職人芸。彼らはフルーツの並びにまでこだわって、実はまったく同じデザインのものは2つとありません」
OEM主体の頃、リンクラインの存在が世に認知される機会はほぼなかったが、これ以 降は商品企画から製造・出荷・販売を一貫して「リィリィ」ブランドの下で行える。社内の意気が上がらぬわけはない。
「いわば黒子から主役に躍り出る、その意識変革は従業員たちに仕事への愛着と責任感を植えつけました。自分のつくる商品をお客様が待ち望んでくれる、社会の一員として人の役に立てている手応えを得て、ものづくりを心から楽しめるようになった。おかげで商品開発のスピードにも拍車がかかり、累計のアイテム数は100品種に達しました」

黒字達成はみんなが自立して生きられる証し

不思議なもので「リィリィ」の認知度アップにつれてOEMの引き合いも増大し、著名な企業やキャラクターとのコラボ事業などが相次いで実現。一時は供給能力の10倍の需要が押し寄せて、親会社の若手社員を動員して急場をしのぐほど活況を呈した。
そしてこの年、リンクラインは経営目標に掲げた売上高1億円と、補助金や雑収入を除く本業ベースでの営業黒字を達成。神原さんにとって忘れ得ぬメモリアルイヤーとなった。
「いや、私よりも従業員にとって黒字化の意味は大きいのです。だって、彼らが稼ぎ出すお金で、彼ら自身が食べていける目算が立ったことの証しだから。それが心底うれしくて、お祝いにバスを仕立て、みんなが行きたがっていたテーマパークへ繰り出しました(笑)」
そして2020年2月現在。
リンクラインで働く34人のうち、障がい者は23人だが、石鹸工房を中心に全員で作業を分担しあっている。各人の経験や能力に応じて就業時間は6?7時間に分かれているが、意外なことに製造工程の部署ごとに決まった人員を配置することはしていないそうだ。
「全員にすべての作業を覚えてもらい、その日ごとに忙しくなる工程に人員を重点的に割り振れる態勢をとっています。第一義的には生産効率を上げるためですが、みんなの働く意欲を引き出したり、スキルアップを図ったりする上でも、その方が効果的であることが試行錯誤の末にわかってきました」
生産性の向上は言うまでもなく従業員の自活に直結する要件だ。
10年前の創業時、月間200個程度だった石鹸の生産能力は現時点でおよそ100倍に達しているという。事ここに至っても神原さんは、自社を特例子会社の成功事例とするには時期尚早と考える。
「バックオーダーを解消しきれていない現状を従業員たちも自覚していて、さらなる向上心や仕事への使命感を掻き立てているようです。私としても、いつか特例子会社の『特例』が外れ、子会社の『子』も取れる日までこの会社を見届けたいと願っています」

取材・文/内田 孝 写真/竹見 脩吾

人気の「フルーツキャンディバーソープ」。純植物性石鹸生地を用いた化粧石鹸で、香りもナチュラル。
石鹸パーツの成型時に出るバリ(はみ出し部分)をナイフで丁寧に削り取る。
型枠内にフルーツをきれいに配置したら石鹸液を流し込む。
成型を終えた石鹸を1つずつ手作業でラッピングしていく。

KEYWORD

  1. ※1障害者法定雇用率
    障害者雇用促進法の定めにより、原則として従業員を45.5人以上雇用している民間企業には、全従業員のうち2.2%以上の割合で障がい者を雇用することが義務付けられている。
  2. ※2障害者雇用納付金
    障がい者の雇用促進と安定を図るために設けられた制度。法定雇用率が未達成の企業から納付金を徴収し、それを主たる財源として達成している企業に助成金などを支給する仕組み。
  3. ※3特例子会社
    障がい者の能力や就業条件に応じた環境整備などに特段の配慮を行い、一定条件を満たした場合に公共職業安定所長が認定する子会社。特例子会社の雇用数は親会社に合算できる。
  4. ※4OEM
    Original Equipment Manufacturer。相手先ブランド。発注元企業の名義やブランド名で販売される製品を製造すること。製造だけでなく企画や設計、デザインなどの段階から請け負う場合はODM(Original Design Manufacturer)。
  5. ※5「li'ili'i(リィリィ)」(R)
    リンクライン社のギフト石鹸を中心としたバスアイテムブランド。ハワイ語で「小さくて愛らしい」の意。障がい者の社会的自立という大きな夢をつかむ、との含意もある。

PROFILE

神原 薫
株式会社リンクライン
取締役会長

かんばら・かおる
1973年、東京都出身。帝京大学経済学部卒業。2010年4月、コムテック株式会社の人事・総務部長に就き、10月に株式会社リンクラインを設立して代表取締役に就任。12月に当局より特例子会社の認定を取得。デザイナー兼原型師も務めて商品開発や販路開拓を牽引し、創業6年目に黒字転換。2019年6月、立ち上げ10年目を機に現職に就き、コムテック取締役を兼任。系列の福祉サービス事務所「こころね」所長として障がい者の社会的自立を促す教育訓練にも力を注ぐ。