彩りある暮らし 書とサボテンの町
藤岡 陽子
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愛知県春日井市と名古屋変電所を訪ねて
J-POWER名古屋変電所(中地域流通システムセンター)は、愛知県春日井市にある。全国有数のサボテン生産地であり、また平安時代の書の名人、小野道風誕生伝説が残る個性豊かな町を旅して歩いた。
作家 藤岡陽子/写真家 大橋 愛
都市公園100選にも認定 落合公園を散策する
春日井市は名古屋市の北東に隣接し、JR名古屋駅からだと電車でおよそ20分ほどの距離にある。都会でありながら自然も残すこの町にはいくつかのシンボル的な公園があり、そのひとつ、落合公園を散策してみた。
落合公園は「日本の都市公園100選」にも選ばれ、その敷地面積はなんと24.5ha。広々とした空間には噴水や東屋、落合池に浮かぶ赤い建物「フォリー水の塔」などが点在し、癒しの時間を与えてくれる。
「フォリー水の塔」にはエレベーターで昇ることができるので、天辺まで上がってみた。そもそもフォリーは英語でfollyと綴られ、その意味は「見る者にその姿を楽しませることに存在意義をもつオブジェ」らしい。
水の塔の頂から公園内を見渡せば、日頃の忙しさを忘れ、童心に返って愉しい気分になってくる。
書で育む子どもの心 書道教室を訪ねて
書の町として有名な春日井市は、書道教室も多い。この土地には平安時代の書の名人、小野道風の誕生伝説が残り、小学生は1年生の時から書道の授業を受けるという。
春日井市の西の玄関、勝川駅から5分ほど歩いた勝川大弘法通り商店街で、偶然小さな書道教室を見つけた。書が盛んな町の書道教室をのぞいてみたくて、無理を承知で声をかければ、柴田智佳先生が笑顔で迎えてくださる。
「うちには小学生から大人の方まで様々な生徒さんがおられます。文字文化の伝承と、古典を基にした正しい字形を知ってほしいという気持ちでやっているんですよ」
柴田先生が教室を始めたのは11年前。以前は一般企業で総務の仕事に従事し、その際にイベントの式次第や書状を書いたりと「小さい時に習っていた書道が役に立った」経験があったそうだ。今は「手書きをする機会が遠のく中、子どものうちに字を書くことを好きになってほしい」という思いを胸に、週に4回、夕方4時から7時まで筆を持つ。
墨の匂いがする教室で、生徒さんたちの作品を見せてもらった。力のこもった墨の文字から、まっすぐな成長と個性が感じられる。
書道教室を出て商店街を進んでいけば、一本横道を入った路地に勝満山崇彦寺という小さな寺が見えてきた。驚いたのは大師堂の背後にそびえる高さ18mもの大弘法像。地元の篤志家が私財を投じて建立したそうだが、賑やかな商店街の片隅に、なぜこのような巨大な弘法像を? と異空間に迷い込んだ心地になった。
平安時代随一の書の名人 道風の業績を知る
書の町の由来となった小野道風とは、いったいどういう人物であったのか。
道風の業績を知るために春日井市道風記念館を訪れ、学芸員の鈴川宏美さんにお話を聞かせてもらった。
「小野一族は文人としても武人としても優秀な家系で、小野妹子や小野小町などもその系譜にあります。ただ道風の場合は、書の技量に突出し、筆一本でのし上がった人でした」
道風が生まれたのは、遣唐使が廃止された年と同じ894年。つまり中国のまねをやめて日本独自の文化、国風文化が花開いた時代であった。その中で道風はこれまでの中国の書風とは異なる「和様の書」を生み出したと伝えられている。
「道風が書いたまろやかで穏やかで、柔らかな新しい書風は、平安時代の貴族に大流行したんです」
館内には道風の作品である「屏風土代」や「玉泉帖」の複製品が展示してあるが、たしかにそれまでの中国風の書とは書風が大きく変わっていた。道風は天才でありながらたいそうな努力家だったとも伝えられ、その逸話は花札の図柄、雨の光札の「柳と蛙」にもなっている。
「現代は活字文化が隆盛し、パソコンが普及したことで、文字を書く機会が減っています。便利になりましたが、表現の部分では乏しくなったように感じます」
と鈴川さん。記念館では展覧会や特別展を開催し、書全般を扱う書道美術館として書の魅力や豊かさを発信し続けているという。
市内にある三ツ又ふれあい公園には赤と緑を基調とした「柳とカエル」のフォリーが設置され、道風を尊ぶ想いが伝わってきた。
学校給食にも出される栄養価の高いサボテン
春日井といえばサボテンの産地としてもその名を知られている。
桃山町にある有限会社後藤サボテンで、後藤容充社長に会社の成り立ちやサボテン栽培について、教えていただいた。
「サボテンづくりは祖父の代からしていましたが、今の屋号で会社を創業したのは1976年、父の代からです。当時は接ぎ木したサボテンで、こけしのような可愛い形のものをつくっていたんですよ」
この地でサボテンづくりが盛んになったのは、59年の伊勢湾台風の後。それまではリンゴや葡萄など果実をつくる農家が多かったが、農作物が台風の被害に遭い、それをきっかけに比較的丈夫なサボテンづくりが広まったそうだ。
園内のハウスを案内していただくと、出荷を待つサボテンたちが所狭しと並べられていた。背丈より高いものから、寄せ植えに使われる手のひらサイズのものまで。びっくりしたのは食用のサボテンがあるということ。その団扇のような形をした「ノパル」を生で食べさせていただくと、酸味のあるリンゴのような味がした。
「メキシコでは、サボテンは普通にスーパーで売られているそうです。栄養価が高くてスーパーフードともいわれてるんです」
後藤さんが食用サボテンの栽培を始めたのは10年前。春日井の特産物を知ってもらおうと商工会議所などと協力し、サボテンプロジェクトを立ち上げた。
サボテン園では約250m2のビニールハウスを2棟使って食用サボテンを栽培し、契約したレストランなどに出荷している。この10年で、市内の小学校の給食にサボテンが出されるようになり、名古屋市内のホテルでも、サボテンを使った料理が提供されているという。
苦味もなければ青臭さもない。葡萄の皮のような、お漬物のような……意外にも美味しいサボテンの味に感動しながら、後藤サボテンに別れを告げた。
書を愛し、サボテンを食す。
あたりまえにあるこの町の日常が、遠方から訪れた自分にとってはとても新鮮に映る旅となった。
家に戻ったら、家族にサボテン料理を出して驚かせてみようか。
それとも受験生の子どもたちに真心のこもった手紙を書いて、励ましてみようか……。
そろそろ町を去る時間が迫ってきた黄昏時、ふと見上げた夕空に、影絵のように美しい鉄塔と送電線が浮かんでいた。
運転開始は1956年 受け継がれる現場の技術
名古屋変電所は市街地にあり、周りを住宅地に囲まれていた。
「こちらの変電所では天竜川水系、九頭竜川水系で水力発電された電力を、中部地区に供給しています。運転を開始した1956年当時は、この辺はまだ森だったんですよ」
そう教えてくださるのは中地域流通システムセンター長の安部秀行さん。運転をスタートさせた時は送電線1回線、変圧器3台のみの施設だったそうだ。
だがその後、時代の流れに乗って電気の需要も増えたため、変電所は増改良工事を繰り返していく。所内を見学すれば、限られたスペースで増設していったことがとてもよくわかる。地上から15m上方にあるアルミパイプの、さらにその上に断路器が設置されるなど、増設の工夫が随所に見られた。
現在、所内の送電線の本数は27万5000V、15万4000V、7万7000Vがそれぞれ6本ずつで計18回線。変圧器は27万5000Vを15万4000Vに降圧するものが3台、同じく27万5000Vを7万7000Vに降圧するものが2台、計5台設置されている。
「ここ数年は経年による更新工事が忙しいですね。通常なら年に1回程度の大きな作業を、最近は年に5、6回することもありました」
と安部さん。「それは大変ですね」と筆者がため息をつけば、「こうして現場の技術が繋がっていくんですよ。電気を絶対に停めてはいけない、他に迷惑をかけてはいけない、そう思ってやっています」 と真摯な言葉が返ってきた。
運転開始から63年。今回は歴史ある変電所の歩みを学んだ。
敷地に立って見上げた送電線が自分たちの暮らしの生命線として目に映り、職員の方々への感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
名古屋変電所
認可出力:140万kVA
運転開始:1956年4月
所在地:愛知県春日井市十三塚町
Focus on SCENE 尾張氏の祖先を祀る神社
春日井市内津町にある内々神社は、平安時代の「延喜式神名帳」にも記録の残る由緒ある神社。尾張氏の祖先の建稲種命が主神。東国の平定を終えた日本武尊が峠に差し掛かった際に、副将軍の建稲種命が駿河の海で水死したことを知り、「ああ、うつつかな」と嘆き、その霊を祀ったことが内々神社の始まりとされる。神社の裏手にある庭園は、庭内を散策できる廻遊式林泉型。鎌倉・南北朝時代の禅僧、夢窓国師の作といわれ、愛知県指定名勝に指定されている。
文/豊岡 昭彦
写真 / 大橋 愛
PROFILE
藤岡 陽子 ふじおか ようこ
報知新聞社にスポーツ記者として勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年『いつまでも白い羽根』で作家に。最新作は『海とジイ』。その他の著書に『手のひらの音符』『満天のゴール』がある。京都在住。