自然とつくる未来 只見町の挑戦
藤岡 陽子

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福島県只見町と田子倉電力所を訪ねて

田子倉ダムの貯水池となる田子倉湖。水深が深く、貯水量は国内3位を誇る。

J-POWER田子倉電力所は、福島県南西に位置する南会津郡只見町にある。日本有数の豪雪地帯だが、東北では初となる「ユネスコエコパーク」に登録された。この自然豊かな町を散策してみた。

作家 藤岡陽子/写真家 かくたみほ

「ユネスコエコパーク」 只見町を世界が認めた

雪わり街道とも呼ばれる国道252号を、只見町に向かって車で走る。六十里峠を越え、しばらくすると豊かな水をたたえた田子倉湖が見えてきた。湖を囲む山の緑には夏らしい濃さがあり、その影が凪いだ湖面に映っている。
かの大作家、司馬遼太郎さんはかつてこの土地を訪れた際、「壺中天」という中国の語を筆で記したという。その意味は「俗世界とは異なる別天地」というもの。
司馬さんの言葉通り目の前にある湖、山、空の風景は現実を忘れるほどに美しく、心が彼方に吸いこまれていく気がする。
只見町は只見川流域にある人口約4000人ほどの町で、近隣を含めた7町村を総称して奥会津と呼ばれている。
2014年には東北初となる「ユネスコエコパーク」に登録され、只見の自然が世界に認められるものとなった。
田子倉湖から町の中心に進んでいくと、町の自然を学べる「ただみ・ブナと川のミュージアム」にたどり着いた。車を停めてミュージアムを訪ねてみれば、学芸専門員の遠藤菜緒子さんとブナの木のタペストリーが出迎えてくれる。

空に向かって枝葉を広げるブナの大木。樹齢は300年から350年ともいわれる。
只見川の橋から眺めた蒲生岳と只見線の鉄橋。
縁結びの三石神社は、お社が巨岩と一体化していた。

只見町の自然や生活文化を展示・解説する「ただみ・ブナと川のミュージアム」。

同ミュージアムの学芸専門員、遠藤菜緒子さん。

館内には只見町の民具なども展示されている。

芽吹いて1~2年経たブナの幼木。

国の重要文化財になっている成法寺観音堂。

約300年前に建築された県内最古の農家、旧五十嵐家住宅。

田子倉ダムを周遊する遊覧船。

湖畔レストラン「田子倉レイクビュー」のダムカレー。

ブナとともに歩む 人間と自然の共生

「ユネスコエコパークとして認定されるには厳しい条件があるんです。そのひとつが、希少性のある手つかずの自然が残っていること。さらにその自然を持続可能な形で利用した暮らしをしていることなんです」
ユネスコエコパークとは「人間と自然の共生を実践するモデル地域」であることを、遠藤さんから教えていただく。
「戦後、只見町ではブナの大量伐採が行われました。このことに疑問を持った地域住民は、1960年代から森林を守る運動を始めたのです」
2002年、町は京都大学名誉教授の植物学者、河野昭一先生を招聘した。そして河野先生が只見町の森林の希少性を科学的に研究、証明し、運動を成功に導いたと遠藤さんは話す。一方で町は、都会的な近代化を真似るのではなく、ここにしかない町づくり、ブナを核にした地域おこしをしたいと考え、「ブナと生きるまち 雪と暮らすまち」という理念を掲げた地域振興への挑戦を始めた。
半世紀をかけて守られてきたブナ林「恵みの森」を散策した。
日盛りなのに森の中は涼しくて、川からはひんやりとした風が流れてくる。落葉でふかふかした林床に数枚の葉をつけたブナの幼木を見つけ、思わず手を伸ばす。周りの成木に比べて葉は薄く、少し力を込めると茎もすぐに折れてしまいそうだ。いまこうしてまだ弱々しいブナの幼木に触れてみれば、自然は人間が守るべきものだと気づかされる。
森を出て三石神社に向かっていると、道沿いや家の軒先に色鮮やかな花が植わっているのが目に留まった。ふと見れば「ふるさと花いっぱい運動」と書かれた看板。
優しいな、と思う。
ここは温かで明るい場所だ、と。
縁結びの神さま、三石神社に続く山道では、野に咲くヤマユリに添え木が施してあった。

100%地元産の米焼酎 「ねっか」に懸ける思い

木立をぬうように蝶が舞い、空には鳥がのんびりと羽を広げている。そんな長閑な田園風景の中に立つ蒸留所。こちらで地元の米だけを使った米焼酎がつくられていると聞き、見学させていただいた。
「会社の設立は2016年なので、今年で3年目になります。少子高齢化が進んでいく中、田んぼを守るためにどうしたらいいか。始まりはそんな思いからでした」
代表社員の脇坂斉弘さんは、南会津町の酒蔵で16年間酒づくりをしていた醸造技術者。脇坂さんと只見町の農家4人が協力し、合同会社ねっかを立ち上げた。「ねっか」とは地元の言葉で「全然」という意味。「ねっかさすけねぇー(全然大丈夫)」という前向きな思いが社名には込められている。
他県への視察、蒸留所の建設、特産焼酎免許の申請など諸々の手続きを猛スピードで済ませ、初蒸留したのが17年2月。4月には発売を実現させた。
驚くべきことに米焼酎「ねっか」は初応募した17年に英国で開催された「インターナショナル ワイン&スピリッツコンペティション焼酎部門」でシルバーメダルを受賞。18年には同コンペティションで再度シルバーメダル、初参加の香港で開催された世界大会(HKIWSC)ではゴールドメダルを獲得している。これらの快挙について脇坂さんは「私たちは地域の人にどう喜んでもらえるかを考えて動いていますから」と微笑む。地元米100%でつくった酒が評価されれば、地域の誇りになる。その気持ちが美味しい酒をつくる原動力となった。
「うちでつくった米焼酎のうち、年間3万本が只見町で売れてるんです」
人口約4000人の町で年間3万本が売れるという不思議。
「町の人たちがお土産として外に持って行ってくれてるんです。本当にありがたいことです」
会社を起こした際も「町のバックアップはとにかく素晴らしかった」と語る脇坂さん。この一体感がこの町の強さなのだと感じる。

蒸留所内ではちょうど米焼酎が瓶詰めされているところだった。

米づくりのプロたちがつくった米焼酎「ねっか」。2019年にスペインで開催された「第1回CINVE日本酒・焼酎コンテスト」で最高賞を受賞!

合同会社「ねっか」の代表社員、脇坂さん。

会津の「英雄」になった 長岡藩河井継之助

冒頭で登場した司馬遼太郎さんがこの地を訪れたのは、『峠』という作品を刊行した後だった。『峠』は幕末を生きた長岡藩の家老、河井継之助の物語だが、只見と継之助にはどのような縁があったのか。その手がかりとなる河井継之助記念館に足を運んだ。
「ここ只見町塩沢は、継之助の終焉の地なんですよ」
長岡藩の家老でありながら、なぜ只見の医王寺に墓があるのか。そんな疑問が記念館のスタッフ、新國由利さんの説明で解消される。
「北越戊辰戦争で西軍に長岡城を奪われた継之助は、会津城下に逃れようと八十里越を越えてきたんです。ですが左足に受けた銃弾の傷が悪化して、この地に立ち寄りました。村医の矢沢宗益の家で療養していたのですが回復せず、そのまま息を引き取ったそうです」
新國さんによると、継之助が只見に滞在していたのはわずか12日間。だが町の人にとって継之助は「会津のために戦った英雄」として偲ばれている。
館内には継之助が亡くなった当時のままの欄間や襖、柱を残す矢沢家の一室が移築されていた。
司馬さんが只見町をぶらりと訪れた際、「ここは継之助の眠りの地にふさわしい」と語ったそうだ。死を前にした継之助が感じていたのは無念よりむしろ、安堵だったのかもしれない。
俗世界とは異なる別天地……。
そう呟きながら帰路につき、JR只見線の車窓から遠ざかる景色を眺めた。いつかまたこの地を訪れたい。今度は冬の、雪を見に。

長岡藩が所有していたガトリング砲。継之助は家老として抜群の経済センスを発揮。1門が当時約3億円するものを2門所有していた。

館内を案内してくださる新國さん(右)。只見を「助け合いの町」と仰っていたことが印象に残る。

継之助が息を引き取ったとされる終焉の間。

福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶJR只見線。豪雪地で暮らす人々の貴重な移動手段になっている(現在、一部不通区間あり)。

運転開始60周年 一般水力で発電出力国内2位

田子倉電力所の冨永博所長の案内で、田子倉発電所を見学させていただいた。
「この辺りは豪雪地帯なので水力発電にはとても適しています。只見川、阿賀野川水系でおよそ224万kWの発電ができるんですよ」
田子倉電力所では田子倉発電所、只見発電所、滝発電所、黒谷発電所と只見町を中心に4つの発電所を管理している。中でも田子倉発電所は最も規模が大きく、揚水式を除く一般水力では国内2位の出力を誇る。
「田子倉発電所は今年で60周年を迎えるんですが、発電機、水車、変圧器など主要設備は8年間をかけて一括更新されています」
12年に一括更新を終えてからの発電量は、1基あたり9万5000kWから10万kWにアップ。所内の4基を合わせると、総出力は38万kWから40万kWに増えた。また、今回の一括更新は当時「コロンブス計画」と呼ばれ、国内他地点にも展開中だということも教えてもらう。
パワーアップした発電機、4号機を見せていただく。近づけば1分間で188回転する水車の迫力を体で感じることができた。
「4号機は来年分解してオーバーホールする予定です」
大規模な一括更新に定期的なメンテナンス……。電気の安定供給には日々の点検、管理が欠かせないのだと改めて気づかされる。
さらに雪国にあるこの発電所では冬期に資機材を所内に運び込めず、作業は4~6月と9~11月に集中するという。その労力を思えば自然と感謝の気持ちが湧きあがり、自身の暮らしを見直す機会にもなった。
所員の方々のたゆまぬ努力があってこそ、私たちは電気を安全に使うことができる。そのことを決して忘れてはいけない。

美しい景色に溶け込む田子倉ダム。約195万m3の重力式コンクリートダムで国内有数の規模。
冨永所長(左)と発電機の前に立つ筆者。
堤高145mの田子倉ダムを真下から見上げる。
ダムの堤体内部にある管理用の通路「監査廊」。

発電機は4台あり、カラフルな絵柄で春夏秋冬が表現されている。

発電機の3号機には地元小学生の手形でカニが描かれている。

発電機の主軸。1分間に188回転する。

田子倉ダム堤頂から見下ろす。下流には只見ダムがひかえる。

田子倉発電所内にある配電盤室。

只見ダムのダム堤。運開から今年で30年を迎えた。

上流から見た只見ダム。背後には蒲生岳がそびえる。

只見発電所のガイドベーン(右側)とディスチャージリング。

田子倉発電所
最大出力:400,000kW
運転開始:1959年5月
只見発電所
最大出力:65,000kW
運転開始:1989年7月
所在地:福島県南会津郡只見町

Focus on SCENE ブナと暮らす町が守る自然林

「ブナと生きるまち 雪と暮らすまち 心豊かに生きるまち」。福島県南会津郡只見町の第7次振興計画の基本理念だ。只見町は福島県の西南、新潟県に接する山間にある。豪雪地帯で町の9割をブナを中心とした山林が占め、古来人々は山の恵みを共有し、自給自足の生活を送ってきたという。2014年、ユネスコエコパークに登録された同町を代表する自然林が「恵みの森」。せせらぎや滝などの多くの水辺と、植生豊かなブナ林を楽しみながら歩けるハイキングコースとなっている。

文/豊岡 昭彦

写真/かくた みほ

PROFILE

藤岡 陽子 ふじおか ようこ

報知新聞社にスポーツ記者として勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年『いつまでも白い羽根』で作家に。最新作は『海とジイ』。その他の著書に『手のひらの音符』『満天のゴール』がある。京都在住。