日本の食卓にフランスの身近な幸せを届けたい

Opinion File

築60年以上の民家を夫婦でリフォームした自宅キッチン。タイル風の壁はブリキの一枚板。レトロで味がある。

プロの料理人から伝説の家政婦へ

「家政婦」と聞いて、何をイメージするだろう。家事を代行するハウスキーパーか、はたまたテレビの人気ドラマだろうか。
「予約の取れない伝説の家政婦」として引っ張りだこのタサン志麻さんは、そのどちらでもない。
ミシュラン(※1)の三つ星レストランで本場のフランス料理を学び、日本でも有名フランス料理店やフレンチビストロなどで15年間、料理のキャリアを積んだ。
その後、2015年にフリーランスの家政婦に転身すると、フランスの本格家庭料理をつくり置きしてくれる凄腕として人気となり、「予約が取れない伝説の家政婦」とまで呼ばれるようになった。
その評判はメディアの目にもとまった。テレビ出演や料理本の執筆依頼があとを絶たず、食品メーカーや自治体から新商品や町おこしのためのレシピ開発を任されることもある。また、「つくりおきマイスター養成講座」(※2)と称する自身の料理教室も盛況だ。まさに時の人である。
ところが当の本人はといえば、「いえいえ、私など。料理人にはもっと素晴らしい方がたくさんいらっしゃいますから」と拍子抜けするほど謙虚だ。どうやら謙遜ではなく、自分は料理人の道をドロップアウトした「落ちこぼれ」という自戒を込めてのことらしい。聞けば、今でこそ脚光を浴びる異色の経歴についても、「自分のやっていることを親にも友達にも言えない時期があった」と話す志麻さん。
仕事が世に認められ、プライベートでは優しいフランス人の夫と0歳と2歳の2人の息子、2匹の猫と暮らす。その充実した生活ぶりは、憧れのライフスタイルにしか見えないのだが。
それにしても志麻さんは、なぜプロの料理人を辞めてしまったのだろう?
何しろ「料理界の東大」といわれる辻調理師専門学校(※3)と同グループのフランス校を卒業し、フランス校では料理に対する姿勢や、独学で身に付けたフランス語の能力を買われ、ブルゴーニュ地方のヴォナスという村にあるミシュラン三つ星レストラン「ジョルジュ・ブラン」(※4)での研修を許された数少ない日本人なのだ。
日本に帰国後も持てる時間とエネルギーのすべてをフランス料理に注ぎ、あまりの厳しさからスタッフが長続きしないことで知られる都内の有名フランス料理店に志願して、初の女性コックとして3年間みっちりと働いた。
さらに食品メーカーの研究室での勤務を経て、オーナーシェフと二人三脚で営むフレンチビストロで約10年もの間、朝から晩まで料理に没頭した。
「体力的にはきつかったし、シェフも厳しかったけれど、店のことが好きだったし、何よりもフランス料理が好きだったので、楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。それに私、体力と根性には自信があるんです」
そう言って笑う志麻さん。
だがその頃、実は人知れずフランス料理に対する違和感を抱えていたというから不思議なものだ。

本当に好きなのはフランスの“家庭料理”

大好きなフランス料理をとことん追究してきた志麻さんは、味や火の通り具合、盛り付けなどあらゆる面で完璧を求められる洗練されたフランス料理を手がける一方で、素朴なフランスの家庭料理にもひかれていた。違和感の正体はこれだった。
きっかけは辻調理師専門学校のフランス校にいた19歳の時、ホームステイ先で招かれた一般家庭の食卓だった。
「あの時の衝撃は今でも忘れられません。まずソファに座って、アペリティフ(前菜)をつまみながらシャンパンなどの食前酒をいただきます。そこですでに1~2時間。そうこうしているうちにメインのお料理ができ上がるので、今度はテーブルに移動して、さらにワインや会話を楽しみながら、ゆっくり食事をいただくのです。私、辻調理師専門学校時代から料理だけでなく、フランス文化にすごく興味があって、フランス文学や映画を山ほど見ていたので、『これ、本や映画で見たシーンだ!』とうれしくなってしまいました」
彼女が目を見張ったのはそれだけではなかった。女性だけでなく男性も料理に参加していたことにも感銘を受けた。
「私の実家ではお母さんが台所に立ちっぱなしで料理をして、後片付けをするのもお母さん。だから家族全員で食事をする時間が短いんです。日本の家庭には多いですよね。ところがホームステイ先のお母さんは一緒に食事やお酒を楽しみながら、時々キッチンへ行って煮込み料理の鍋やオーブンの中を覗き、お父さんも盛り付けをしたり料理を運んだり、後片付けも手伝ったりして、いい文化だなと思いました」
志麻さんはフランス人の会話にも感心したという。
「夫の実家もそうですが、フランスでは家族や親戚が集まって食事をすると、大人も子どもも関係なしに言いたいことを言って、互いの意見を認め合い、みんなで笑う。一方、自分の育った日本の家庭は厳格な祖父がいて躾にとても厳しかったので、食事をしながら会話を楽しむことなんてありませんでした。身近な食卓にそんな幸せがあるなんて、とてもうらやましく思います」
料理は会話を楽しみながらリラックスして食べると、より美味しくなる。それには手のかかる料理よりも、煮込み料理やオーブン料理など、ある程度放っておいてもできるメニューのほうが相応しい。それを大皿でどんと出す。取り皿も1枚だけで、皿についたソースはパンで拭って食べてしまえば洗い物も少なくて済む。そうすれば皆でゆっくりと会話を楽しむ時間ができる。
この体験以来、志麻さんは高級レストランの厨房で毎日ストイックに料理をしながら、自分が追い求めているフランス料理はきらびやかなレストランの料理ではなく、家族でほのぼのと囲むフランスの家庭料理だということに気付いていったという。

じゃがいものピュレの肉巻き(左)と鶏手羽元のポトフ(右)は仏家庭料理の定番。
撮影:三木麻奈

人生を一変させた家政婦の仕事

足掛け15年に及ぶ料理人生活の最後はフランス人が多く集う日本の飲食店だった。そこで一緒に働いていた、後に夫となるロマン・タサンさんと出会う。
ロマンさんもそうだが、店で知り合ったフランス人たちは、自分も相手もそれぞれに違うのが当たり前という感覚で、志麻さんが料理人を辞めて家政婦になった時も「それがあなたの考えなのね」と、すっと受け入れてくれたという。
だが、料理人の仲間たちは「なぜ?」、「どうして?」という反応ばかり。
「プロの料理人の目指すところは、シェフになって自分の店を持ち、成功させることですから無理もありません。私はシェフを目指せなかった落ちこぼれです」と志麻さんは言うが、周りの誰よりもフランスが好きで、フランス料理を究めたい気持ちをずっと持ち続けていながら、それを家庭料理という形で表現する方法が見つからなかっただけだ。
しかし、料理人の世界は狭く、一度離れてしまうと戻れない道。前に進む道も見えない不安の中で、志麻さんは15歳下なのに思いやりがあり、それでいて自分の意見をしっかりと持っているロマンさんにひかれ、彼からのプロポーズを受ける形で結婚。その後、妊娠を機に身重でも体調を見ながら働けるベビーシッターをしようと、インターネット検索をしていて見つけたのが家事代行マッチングサービスだった。
これが伝説の家政婦への第一歩だったわけだが、当時35歳で料理人を辞めた志麻さんは家政婦になったことをなかなか人に話すことができなかったという。特にフランスまで料理の勉強に行かせてくれた両親には申し訳なく思い、「いったい自分は何をやっているんだろう」と後ろめたさを感じたそうだ。
ところが、その家政婦の仕事こそが志麻さんの人生を一変させる。当初は掃除の依頼がほとんどだったが、プロの料理人だった志麻さんのつくる本格的なつくり置き料理が評判となり、料理の依頼が殺到。フランス料理はもちろん和食や中華もお手のもので、「多い時には3時間で15~16品をつくることもあります」と志麻さんは言う。
食材はその家庭にある物だけを使い、調理器具や調味料も一切持ち込まない。つくり置き料理は時間が経っても美味しく手軽に食べられることが必須のため独自の工夫も必要だ。
それらのハードルを見事にクリアし、どんなキッチンでもクオリティの高い料理をつくり出す。志麻さんの技術はまさに神業。プロフェッショナルな仕事ぶりが多くの人を感動させる。

調理師学校の仲間と撮った写真。葛藤しながらも料理を学ぶ毎日が楽しかった時代。

「家庭の食事」をテーマにフランスの食文化を伝える

家政婦になって約5年。志麻さんはフランスの食文化を日本の家庭に広く伝える仕事にやり甲斐を見出している。
「フランス料理を家庭で味わってもらえて、子どもたちにも本場の味を知ってもらえるのがうれしいし、私がつくり置きをすることで、共働きのお母さんやお父さんが子どもと一緒に食事を楽しむ時間が増えてくれれば、さらにうれしいです。それから料理を取り巻くフランス人の価値観や生活を本で伝えられるのも、家政婦を始めた頃は考えられない、夢みたいなことです」
こう語る志麻さんをラッキーだと思う人もいるだろう。だが、確かな料理の腕とフランスの食文化の知識、それを広めたいというあふれんばかりの情熱が運を引き寄せたのだろう。今でも料理とフランス語の勉強を欠かさない努力の人でもある。
本人いわく「好きなことがあると熱中してしまうタイプで不器用なだけ」とのことだが、なかなか真似できることではない。
余談になるが、キング・オブ・ポップと呼ばれた世界的なアーティストのマイケル・ジャクソンが亡くなった10年前、彼の熱狂的なファンだった志麻さんは、あまりのショックで胃痙攣を起こし救急病院に運ばれたそうだ。その後、美容院へ行き「マイケルと同じ髪型にしてください」と言ってパーマまでかけたのだとか。「友達や家族にも引かれました」と志麻さんは笑うが、物事をとことん突き詰める彼女の性質を物語るエピソードである。
「家政婦の仕事を始めて、いろいろなご家庭にお邪魔し、たくさんの方と出会って世界が広がりました。厨房にこもって料理をつくっていた頃にはわからなかった自分のやりたいことも見えてきて、ようやく私はこういうことをやっていますと言えるようになった」と志麻さん。心配をかけた実家の両親も今日の活躍を喜んでくれているという。
「家庭の食事」をテーマにこれからもフランスの家庭料理を追究していきたいという志麻さんは、楽しい会話と笑顔があふれる食卓の伝道者となって、日本のあちこちに家族の団欒を広げていくことだろう。19歳の時、ホームステイ先で見た、あの温かいフランス家庭のような世界を。

取材・文/高樹 ミナ 写真/大橋 愛

フランスの食文化を探究する一本芯の通った志麻さんの言葉には力がある。

KEYWORD

  1. ※1ミシュラン
    フランスの大手タイヤメーカーが出版する『ミシュランガイド』のこと。世界の都市のレストランを覆面調査で三つ星評価する歴史あるグルメ本。
  2. ※2つくりおきマイスター養成講座
    野菜ソムリエ協会主催の料理講座。基本的なつくり置き料理12品を2時間でつくることを目標に、献立の組み立てから調理の段取り、盛り付け、保存方法まで基本的なスキルをマスターできる。
  3. ※3辻調理師専門学校
    学校法人辻料理学館運営の辻調グループ校のひとつ。大阪市阿倍野区が拠点。創設者の辻静雄氏が1960年に辻調理師学校を開校後、規模を広げ、1980年にフランス校も開校。西洋料理、日本料理、中華料理、製菓を学べる「料理界の東大」との異名を持つ。
  4. ※4ジョルジュ・ブラン
    ブルゴーニュ地方・マコン近郊のヴォナス村にある三つ星レストラン。家業を継いだジョルジュ・ブランがシェフを務める。他にもビストロやスパホテル、ブティック、パン屋、ケーキ屋などが軒を連ねる一帯は通称「ジョルジュ・ブラン村」と呼ばれる。

PROFILE

タサン 志麻
家政婦

たさん・しま
1979年、山口県生まれ。大阪あべの・辻調理師専門学校と同グループのフランス校を卒業し、ミシュランの三つ星レストラン「ジョルジュ・ブラン」で研修を修了。その後、日本の有名フランス料理店などで15年働く。2015年、フリーランスの家政婦として独立。「予約が取れない伝説の家政婦」と呼ばれるようになる。2017年『沸騰ワード10』(日本テレビ系)で一躍話題となり、翌年『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK)で上半期最高視聴率を記録。著書に『志麻さんのプレミアムな作りおき』(2017年、ダイヤモンド社)、『厨房から台所へ――志麻さんの思い出レシピ31』(2019年、ダイヤモンド社)などがある。