命をつなぐドクターヘリが地域を変える
今 明秀

Opinion File

地域医療を変えたサンダーバード作戦

青森県にある八戸市立市民病院の救命救急センター(八戸ER)。ドクターヘリ(※1)の出動回数は年間500件、ドクターカー(※2)の出動件数は1500件、両者を合わせた人口当たりの件数は日本一と、日本屈指の救命救急医療体制が整っている。ドクターヘリや「移動緊急手術室」を搭載したドクターカー、そしてこれらを使いこなす若手医師の育成システムには、全国から注目が集まっている。この救命救急医療体制をゼロから立ち上げたのが、同病院院長の今明秀さんである。
「20年前、埼玉県川口市立医療センターで救急医療に携わっていた頃、ドクターヘリの活躍を知りました。ドクターヘリを使えば、医師による治療開始時間が格段に早くなり、その結果多くの『防ぎ得る死や病症の重篤化』を減らせます。患者さんの社会復帰も早くなるし、医療費も節約できます。ドクターヘリはすごいものだと感じました」
ドクターヘリの華々しい活躍を目にした今さんは、国民健康保険大間病院(青森県大間町)に勤務していた日々を思い出した。当時、青森県にドクターヘリはなく、大間町から青森市内の病院へ患者を搬送するのに、救急車で3時間を要した。救急隊員も医師、医療スタッフも皆大変な思いで奮闘していたが、残念ながら手遅れとなってしまうケースも多かった。
「青森県は防災ヘリコプターを導入しましたが、発着場所などの制約があったため、それが使えるのは大間町と青森市の間(約150km)、つまり超長距離の場合に限られていました。大間町とむつ市(約49km)、あるいはむつ市と野辺地町(約58km)などの中距離の搬送には使えなかったのです。その点、ドクターヘリなら、長距離も中距離もカバーできます。救急の現場にはドクターヘリが必要だと思いました」
その後、今さんは八戸市立市民病院の救命救急センター所長として赴任。さっそく、ドクターヘリの導入に向けて動き出したが、その道のりは容易ではなかった。
病院内だけでなく、地域を含む新しい救命救急医療体制をつくり上げなくてはならない。医療スタッフや救急隊員の指導・育成、八戸市役所や青森県庁との交渉、さらには厚生労働省や国会議員への働きかけなど、越えなければならない山はいくつもあった。
「一番大切なのは、患者本位ということ。『市民のため』という義の旗を背負い、何度でも繰り返し声を上げ続けました」
青森県初のドクターヘリ運航が実現したのは、2009年3月。今さんがドクターヘリの導入を訴え始めてから5年目のことだった。
次に、今さんはドクターカーの導入に着手した。ドクターヘリの出動は天候に左右されるし、運航時間も8時30分から日没前までと決められている。また、場所によっては着陸できない場合もある。ドクターヘリだけでは対応できない空白の時間や地域に一刻も早く救命救急医を投入するために、ドクターカーがどうしても必要だと考えたのだ。
「救急の現場では、速さが重視されます。手当てが早ければ重症にならずに済むケースも多々あります。ドクターヘリとドクターカー、つまり空路と陸路を使って、医師がより早く患者さんのもとに駆け付け治療を開始することが大切なのです」
名付けて「サンダーバード作戦」。これによって、さらに多くの命を救い、より多くの患者の社会復帰が可能となった。

「移動緊急手術室」で救命率が劇的に上昇

2009年に運航が開始された青森県初のドクターヘリ。消防から出動要請が入ってから約4分で出発する。

「サンダーバード作戦」の次に今さんが目指したのは、病院と同じような手術を可能にする「移動緊急手術室」の実現だった。ワンボックスカーに人工心肺装置などの手術用医療器具を搭載し、医師を同乗させて事故や災害の現場に急行し、その場で手術を開始しようと考えたのだ。
しかし、手術は設備の整った「病院の手術室」で行うのが当然とされており、現場で人工心肺の手術を行うことを前提とした手術室付きのドクターカーは前例がなかった。今さんは、またもや前例主義の壁を打ち破るべく奮闘。16年、厚生労働省の許可を得て、実現にこぎつけた。日本初の「ドクターカーV3」の誕生である。
「子どもの頃に憧れた特撮テレビドラマ『仮面ライダーV3』にちなんで、名付けました。これまでの空陸同時出動のサンダーバード作戦に加え、ドクターカーとV3、救急車による陸の合同サンダーバード作戦も可能になり、救命率が急激に上がりました」
例えば、119番通報があった場合、まず直近の消防の救急車が出発、八戸ERからは医師を乗せたドクターカーが現地に向かい、V3は十分な手術スペースが確保できる中継地点へと向かう。救急車とドクターカーが合流したら、患者を収容した救急車に医師が乗り込み、患者の治療を行いながらV3の元へと向かう。V3に合流した後、医師はすぐに人工心肺などの救命措置を施し、その後、病院へと搬送するのだ。
心肺停止した患者の生存率(※3)は、心肺停止時間が長くなればなるほど、低くなっていく。10分を過ぎると、生存は絶望的になる。つまり、機動力を上げていかに迅速に救命措置をとるかが、患者の生死を分けるポイントとなる。
「今後、『移動緊急手術室』をもっと改良していきたいと考えています。今のV3のような車でなくてもいいのです。例えば、プレハブや廃校などを利用して、医師が手術できる前線基地をつくるという考え方もあります。そういう基地、いわゆるアジトが複数あれば、病院から遠い場所での救急措置がさらに効率よく行えるでしょう。ただし、これは現在の医療法の壁がありますから、どう乗り切っていくか、考えていかなければなりません」

すべては地域住民のために 救急医療からつながる未来

八戸市立市民病院には、救命救急医療を学ぶために全国から若い医師が集まっている。今さんは、彼らの育成にも力を注いでいる。
「ドクターカーで現場に行って人工心肺の手術をするには、技術が必要です。まずは設備の整った病院でたくさん経験することが基本ですが、その機会はそれほど多いわけではありません。そこで、人形を使って練習したいという声が上がりました。今では、若手を中心に週1回、人形を使ってV3のシミュレーション訓練を実施しています。おかげで経験値が低かった若い医師はもちろん、皆の技術が上がってきました」
カッコいいドクターヘリやドクターカーで救急医療の研修ができると集まってくる若手医師たち。報道やドラマなどでも救命救急の「カッコのよさ」はさかんに取り上げられ、今さんもあえて「サンダーバード作戦」、「ドクターカーV3」といった派手なネーミングで人目を引く作戦を展開している。八戸ERがマスコミで取り上げられる機会が多くなれば、若手医師へのアピールとなり、地方都市の医師不足解消にもつながると考えてのことだ。
しかし、もちろんそうした「カッコのよさ」だけでは救命救急医は育たないし、実際の仕事も務まらない。今さんは、八戸ERの教育体制をしっかり整え、十分な研修ができて実力をつけられる学びの場として充実させたいと考えている。
「救急医療は守備範囲が広いのが特徴で、子どもからお年寄りまで幅広い年代の患者さんを診るし、肉体的な病気やケガだけでなく、精神病の患者も診る場合もあります。あれもこれも診たことがある、こういうケガは何例手掛けた……と、そういう経験の広さが勲章であり、救命救急医の価値でもあります。何しろ、突然、運ばれてくる患者さんに対応しなければなりませんから」
救命救急医療体制がしっかり機能している病院は、実は医療全体の質がよく、充実しているという今さん。なぜなら、救急医療グループ(ER)が様々な患者を引き受けることで、内科や外科、消化器科、耳鼻科などの専門医は自分の専門分野にパワーを集中することができるからだ。
「うちの病院では、ERは頼れる存在だと思います」
現在、今さんが目指しているのは、社会全体を診る「大医」だという。
「古い時代の中国の言葉らしいのですが、『小医は病気を治し、中医は患者を治す、大医は社会を治す(※4)』という言葉があります。救命救急医も、若い頃は目の前の患者さんの病気やケガを治そうと努力します。それが小医です。やがて経験を積んでくると、患者さんの病気だけでなく、その背景にあるものにまで心を砕く中医になります。さらに一段階進み、社会全体の医療について深く広く考え、必要な新しい仕組みやルールをつくろうという方向に目を向けるようになる医者が大医であると、私は解釈しています」
今さんは、医者の全員が中医になるわけではないし、大医を目指すわけでもないという。それでも、若手の医師には「中医になれ」とアドバイスしている。
「例えば、患者さんの背景について思いを巡らせれば、何がきっかけだったのか、どういう経緯でそうなったのか、本人や家族の話をじっくり聞くことになります。担当するすべての患者さんに中医として接するのは現実には不可能です。ですから、『今回のこの患者さんに関しては、中医として向き合ってみなさい』と声をかけています」
今さんは自ら見本を示すことで、中医とは、大医とはどういうものか理解して、後輩が続いてくれると信じ、願っている。
どうしたら医師不足の問題から脱却できるのか。どうしたら少ない人数の医師団で充実した医療体制をつくれるのか。救命救急医としてドクターヘリで空を飛びつつ、大医としての視点で地域医療を見つめる今さんの挑戦は、今日も続いている。

取材・文/ひだい ますみ 写真/斎藤 泉

「防ぎ得る死をなくすことが第一目標。重症な人も何とか助けたい」と今さん。
「移動緊急手術室」で懸命に治療する医師とスタッフ。時間との闘いが続く。
今さんの背中を見て、多くの若手医師やスタッフが育っている。

KEYWORD

  1. ※1ドクターヘリ
    救急医療用の医療機器等が装備されたヘリコプターで、医師および看護師が同乗し救急現場等に向かい、現場から医療機関に搬送するまでの間、患者に救命医療を行える。1995年の阪神大震災をきっかけに導入が検討され、日本では2001年から運用開始。2019年9月現在、43道府県、53機が運航中。
  2. ※2ドクターカー
    救急専門医と看護師を乗せ、救急車との待ち合わせポイントや救急現場へ向かう専用の車。
  3. ※3心肺停止時間と生存率
    1分なら97%、3分なら75%、4分なら50%、5分では25%まで低下する。
  4. ※4「小医は病気を治し、中医は患者を治す、大医は社会を治す」
    出典は諸説あり、はっきり分かっていないが、中国の六朝時代の陳延之の著書『小品方』に 「上医医国、中医医民、下医医病(=上医は国をいやし、中医は人をいやし、下医は病をいやす)」という語句に由来すると考えられる。唐代の名医・孫思邈の著書『千金方』巻一「診候」にも同様の表現が見られる。

PROFILE

今 明秀
八戸市立市民病院 院長

こん・あきひで
1958年、青森県生まれ。自治医科大学卒業後、青森県立中央病院での臨床研修を経て、倉石村診療所、野辺地病院、六戸町国民健康保険病院、国民健康保険大間病院、川口市立医療センターに勤務後、2004年に八戸市立市民病院の救命救急センター所長として赴任。2009年、念願のドクターヘリ運航、その後、ドクターカー、「ドクターカーV3(移動緊急手術室)」の運用も開始。2017年4月に同病院院長となった後も、第一線に立ち、後進の指導・育成に力を注いでいる。著書に『青森ドクターヘリ 劇的救命日記』(2014年、毎日新聞社)など多数。
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