本と言葉が紡ぐ知識と教養と尊敬と

Global Vision

J-POWER社長

渡部 肇史

作家

阿刀田 高

古来の固有文化と折々の到来文化を融合し、世界有数の文化に育て上げた国、日本。
分断と格差が広がる世界で、異文化を背負う人々が接点を見つけ、つながり合うための道標を日本と日本人は率先して差し示すべきと、文壇きっての教養人は言葉に力を込めた。

読み手から書き手 化学から文学への転進

渡部 阿刀田さんは最近のエッセイの中で「若い頃、小説家になろうと思ったことは一度もない」と書かれています。短編小説を主に、古今東西の文物に材をとった約900編もの著作をものにされており、日本ペンクラブ会長を務めた方の述懐として、とても額面通りには受け取れませんでした。
阿刀田 いえいえ、紛れもない本心です。齢80を過ぎて来し方をふり返ってみると、今まで自分がこうだと信じてきた事柄にも、少なからず齟齬があったと気づかされます。今さらながらに、実は小説家に向いていないのではないか、と自問自答したりする。我が身を材として、人間はつくづく不思議なものだという思いをいよいよ募らせています。
渡部 幼少の頃は、お婆さまやお姉さま方とする「言葉遊び」が日課だったそうですね。やがて落語や百人一首、ギリシャ・ローマ神話などへの興味に誘われて大の読書好きになり、いつしか本の読み手から書き手に転じられたと……。
阿刀田 それも一面で正しいのですけれど、今にして思えば、言葉というものに対する関心が早くから私の中にあって、幼い自分を読書に駆り立てたと考える方がストンと腑に落ちるのです。それは例えば、生まれつき駆けっこが速かったり、歌や絵が大好きだったりするのに似ていて、私に天与の才があるとすれば、若い脳みそが、自らの能力を違わず探り当てたことだったかもしれません。
渡部 ご経歴の中で意外だったのは、阿刀田さんは高校生頃までは理系志望で、医薬系の化学者を目指しておられたとか。文系一辺倒の私などは「理数系=論理的」という先入観のせいか、化学から文学の世界へ苦もなく転身されたことに驚かされます。
阿刀田 論理的か否かで理系・文系が分かれるとは限りませんで、文学においても多分に論理が重んじられるし、言葉もすぐれて論理的です。あるいは理系の学問の中で最も芸術的なのは建築学だと私は思っていて、自宅を建てた時に、トータルデザインから細部のつくりまで設計士とプランを詰めながら、建築の仕事はなんて小説づくりに似ているのだろうと認識を新たにしたくらいです。
渡部 大まかなビジョンを描いて中心に据え、各々の部分に落とし込んでいくという方法論は、企業の経営と相通ずるところがあります。何事であれ、全体を形づくる「論理」と、それを内部に行き渡らせる「言葉」が大きな意味を持つのですね。
阿刀田 新約聖書を例に引くと、ヨハネの福音書に「はじめに言葉があった」という序文が出てきます。元は「はじめにロゴスがあった」と記されていて、ロゴスとはロジック(論理)であり、またランゲージ(言葉)にもつながる概念です。唯一絶対の神が決めたとの大原則のもと、神のロジックがそこにあって、その理路を人間に伝えるための方便が、すなわち「言葉」だというのです。

1冊を通読する厄介さが著者へのリスペクトに

渡部 そのロジックを解して、言葉を操る能力を養うとなると、やはり読書を習慣づけるのが一番ではないでしょうか。私は社員にはもっと読書しようと折々に言いますが、それは単に情報や知識を取り込むためだけではありません。
阿刀田 そこのところのわきまえが大変重要です。必要とする情報や知識の入手に注力するのと、書かれたことの意図や背景まで知るのとでは、本との接し方がまるで違う。ましてや様々な電子メディアが日常生活に浸透してくる中で、知的作業を伴いつつ通読する本の価値や有用性を見失ってはなりません。
渡部 確かに今、知識を仕入れるルートが多様化して、スマートフォンなどで手軽に用が足せる領域が広がっています。ただ私自身は、本のページを丹念に繰っていく作業に意味がある気がして、その両極端をどう使い分けたらいいのかと……。
阿刀田 私が図書館司書時代に得た知見に、リファレンスブック(参考図書)という区分があります。事典、年鑑、目録など、知りたい項目が載ったページだけを開く本のことで、この分野は電子メディアに圧倒的な強みがあると思います。その対極に、例えば新聞の株式欄を見て気落ちした後、誰それが劇的ホームランをかっ飛ばした記事を読んで溜飲を下げる……といったような素敵な偶然を楽しむ読み方があります。英語で「セレンディピティ」(※1)というのだそうで、私はこの言葉を最近知ってうれしくなりました。
渡部 辞書を引くのと小説を読むのとでは、読み手の受け止めがまったく異なります。その違いは何に起因すると思われますか。
阿刀田 1冊の本を、全体のプロセスをきちっとたどりながら通読するのは、相当厄介な作業といえるでしょう。しかしながら、その大いなる厄介を克服できれば記述した本の書き手へのリスペクトが、読み手の中におのずと醸成されてくる。それが本家本元の読書です。本から得た知識に対して尊敬の念が生じないなら、その知識の値打ちは高が知れていると思って差し支えありません。

知らないことに備えて臨機応変にふるまう

渡部 我々ビジネスの世界で昨今、情報や知識に振り回されないために、もっと教養を重視してはとの指摘がなされます。やはり読書が教養を身につける第一歩になりますか。
阿刀田 無論そう思いますが、教養についてフランスの哲学者モンテーニュ(※2)はこう言っています。「物知りは知らないことは知らない。教養のある人は知らないことについても教養がある」と。人間、知っていることに比べれば知らないことの方が余程多いのですから、知らないことについての対処を常々準備し、臨機応変にふるまえること。それが教養であると私は考えています。
渡部 仕事上の対外折衝などでも、知らないことは知らないと自覚し、謙虚になることが大事だと改めて思います。特に海外に出ていって、未知の文化や生活習慣、言語も含めて、知らないことの方が多い地点からスタートせねばならない場面ほど、会社や我々一人ひとりに備わった教養が試されることになります。
阿刀田 ひとつ突拍子もない話をすると、常々私はフランスの国旗を尊敬しているのです。あの三色旗は自由、平等、博愛を表していますが、そもそも自由と平等はぶつかり合う局面が多く、博愛を加えることで帳尻を合わせている。あの国旗を見るたびに、愛などというとりとめのないものに命運を託す、フランス人のしたたかな教養を感じます。
渡部 広い意味での博愛もありますし確かに全部思い当たる節があります。さらに飛躍して、文学や芸術における人工知能(AI)の可能性とか、人間とAIの違いについてはどのようにお考えでしょう。
阿刀田 技術面でAIを論ずる立場にありませんが、結局、人間は死ぬことができる点においてAIよりも優れていると私は思うのです。文学や芸術活動には、死を意識することで中身を濃くし、ひときわ輝きを放つところがある。だからAIが自ら滅びる術を手に入れない限り、人間を凌駕することはないと思います。「花は散るために咲く」という言葉を私は愛していて、作家人生の仕上げにこの世に何かを残すとするなら、それを主題にと願っています。

日本の文化的達成にもっと自信を持つべし

渡部 話を元に戻しますが、知識に対する尊敬や、未知のものへの謙虚さは、いわば教養という鏡に映し出される人間の資質なのですね。先生は多くの渡航歴を通じた経験をいろいろな書籍に著されていますが、異なる国、言語、文化を背景に、共通する部分や接点があるとすればどういったものが挙げられるでしょうか。
阿刀田 手始めに、地球上の文化という大枠に照らして、それぞれの国や地域に固有の文化がどう位置づけられ、どんな役割を果たしてきたか、教養の鏡に映して眺めてみるといいでしょう。私の見立てでは、これまで欧米の文化が地球をリードしてきたことは率直に認めざるを得ない。
それに対して日本の文化の際立った特徴は、古来の固有文化と折々の到来文化をうまく折衷させて世界有数の文化に育て上げた、たぐいまれな成功例だということです。
渡部 自前に固執せず、良いと思えば他との折衷もよしとする感性は、日本人に特有のものでしょうか。
阿刀田 その最たる例が日本語です。古来の大和言葉に漢語や外来語を加えていき、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットを組み合わせて、しなやかで豊穣な表現が可能な言語に磨き上げました。
もちろん各国の各言語に優劣をつける筋合いにありませんが、この先、地球上の文化が融合するにつれて言語も形を変えていくならば、究極的には日本語に似た変遷をたどるだろうというのが私の予見です。
渡部 それは言語の変化に限らず、文化の融合それ自体の方向性として、折衷を旨とする日本の文化がお手本になる可能性を示唆してはいないでしょうか。
阿刀田 そう。50年先か100年先になるか分かりませんけども、地球上にコスモポリタン(※3)をつくっていく上で、日本の文化こそが理想形とされるかもしれないし、日本が先頭に立ってその任に当たるよう求められないとも限りません。その意味でも、日本人は自分たちの文化的達成にもっと自信を持つべきだと、私は声を大にして言いたいのです。
渡部 我々企業が海外に出かけて日本という出自を背負う時、ちょっとしたリスペクトをもらえたらと感じることが間々あります。そうなるためには、第一義に会社も社員も教養を身につけることだと思いますが、ほかに何かできることは……。
阿刀田 この国には世界第一級の文化が根づいていると、あらゆる機会を捉えて訴えていくことです。観光立国や日本食のアピールも悪くありませんが、もっと効き目があるのは、日本の文化について日本人自身がより深い知見を得ることでしょう。
英国人にシェイクスピアを語るよりも『源氏物語』について説く方が、彼らを日本のファンにするのに余程実があがりますからね。

言葉の奥まで読み解き「つながる世界」へ

渡部 まずは日本人としての足元を固めよとの箴言と受け止めましたが、もうひとつ、多くの人がぶつかる言語の壁という問題があります。昨今、英語の早期教育が叫ばれていることに、阿刀田さんはいくばくか懸念を抱いておられるそうですが。
阿刀田 私は、あと10年もしたら、英語を簡単上手に翻訳できる機械が登場すると踏んでいるのです。ただ、それをもって英語教育に終止符が打たれるわけではなく、平易な読み・書き・会話は機械に任せて、より深いレベルの語学力を各人が求めるようになる。相手の発する言葉を根本から理解し、言葉の奥に潜む文化まで読み解くような英語教育にシフトされるのではないでしょうか。
渡部 つまり、日本語と外国語と、異なる言語間の溝は翻訳機に極力埋めてもらって、むしろ自国と相手国の置かれた情況とか歴史・文化に対する見識を深めることの方に、語学教育のウエートが移っていく……。
阿刀田 それが道理というものです。言語の壁を越えて、言葉とそれを支える深い見識を授ける教育というものが広く一般化するならば、国と国、人と人の相互理解が見紛うほど促されて、まさに「つながる世界」の実現に大きく前進するはずです。これも未来予測に類する持論に過ぎませんけれども、そんな日が来るのを楽しみに待ちたいですね。
渡部 当社の社員とも何気ない会話をしながら、彼らが専門外の本もよく読んでいると感じることがあります。本を読み込んで得た知識が、言葉を操る力にも厚みを持たせるのでしょうね。
阿刀田 1つひとつの言葉の持つ微妙な意味合いは、人間の心理と深く関わっています。どういう言葉づかいをするかは、その人の人間性の表れでもあるのです。
渡部 最後にお願いがありまして、阿刀田さんのような読書好きになるためのコツや秘訣のようなものがあれば、ご紹介願えませんでしょうか。
阿刀田 おもしろそうな本を気楽に読んで、ああ、おもしろかったと……読書はそれで完結するものですが、ちょっとだけ努力すると奥深い見識や教養に触れられる、とっておきの策をお教えしましょうか。
渡部 ぜひお願いします。私自身がまっ先にお尋ねしたい(笑)。
阿刀田 通読に向く本なら分野は問いません。自分が一番興味を持てる本を1冊選び、1ページ目から読み進めながら、受けた印象や感じたことを本の余白にどんどん書き込んでいく。この作業(マージナリア)を1冊丸々完遂すると、本の著者が何をどう考えてこれを書いたのか……思考を巡らし論理を組み立て、困難を乗り越えて結論に至るまでのプロセスが、手に取るように見えてきます。題して「1冊のマージナリア」、試してみてください(笑)。
渡部 著者とサシで向き合いながら、本を読み通すという趣向ですか。そういう形で「つながる世界」も知的刺激があっておもしろそうです。
今日はありがとうございました。
阿刀田 こちらこそ、愉快に楽しくお話をさせてもらいました。

構成・文/内田 孝 写真/吉田 敬

KEYWORD

  1. ※1serendipity
    何かを熱心に探しながら、別の価値あるものを見つける能力。掘り出し上手。万有引力の法則やペニシリンなど主に科学分野で起きた偶発的発見や、発見者の才能を称揚した呼び方。
  2. ※2ミシェル・ド・モンテーニュ
    豊富な知識で人間性を深く探求した、16世紀フランスを代表する哲学者。主著『エセー(随想録)』はモラリスト文学の先駆けとして後世に多大な影響を残した。
  3. ※3cosmopolitan
    国籍・民族などにとらわれず世界的視野や行動力をもつ人、そのようなさま。

PROFILE

阿刀田 高(あとうだ・たかし)

1935年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部文学科仏文学専修卒業。国立国会図書館に司書として勤務後、1972年文筆家として独立。1979年『来訪者』(別冊小説新潮)で日本推理作家協会賞、同年『ナポレオン狂』(講談社文庫)で直木賞。1995年『新トロイア物語』(講談社文庫)で吉川英治文学賞。2003年紫綬褒章、2009年旭日中綬章、2018年文化功労者に。直木賞選考委員、日本ペンクラブ会長、文化庁文化審議会会長、山梨県立図書館長などを歴任。近著に『ローマヘ行こう』(文春文庫)、『老いてこそユーモア』(幻冬舎新書)など多数。