「希望の風車」とともに復興へ歩む人々の想い

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熊本県熊本市・阿蘇市・西原村ほかと阿蘇にしはらウィンドファームを訪ねて

なだらかに続く山並みは左から根子岳、高岳、中岳。山裾には野焼き前の冬枯れの草木が茂っていた。

J-POWER阿蘇にしはらウィンドファームは、熊本県阿蘇外輪山の南西に位置する西原村にある。約3年前に起きた熊本地震の被災地でもあり、いまなお復旧に挑む西原村や周辺の町を旅して歩いた。

作家 藤岡陽子/ 写真家 かくたみほ

世界最大級のカルデラ阿蘇山の麓に立つ

きりりと張りつめた朝の空気の中に立ち、うっすら雪の積もる山並みを見上げた。
なだらかに連なる山々は根子岳、高岳、中岳と呼ばれ、いま私が立っているこの場所からは見えないけれどその奥に烏帽子岳、杵島岳がそびえるという。
阿蘇山という名称はこの五岳を中心にした数個の火口岳と外輪山、火口原を含めた呼び名であることをこの旅で初めて知った。中岳から噴き上がる白い煙は遠目にもはっきりと見え、幽玄で雄大な光景にしばし心を奪われる。

阿蘇五岳の中岳からはいまも白い煙が噴き上がっている。火の国の原風景でもある。
火山群の南裾野にある白川水源。

大地震から約3年 復興への思い

俵山の尾根沿いに立ち並ぶ白い風車。

この美しい大地を震度7の大地震が襲ったのは、いまからおよそ3年前のこと。
2016年4月16日。
午前1時25分に起こった大きな揺れが、静かな日常を一変させる。
死者272名(関連死217名を含む)。負傷者2808名。避難者数19万6325名。(内閣府発表/2018年10月15日現在)
地震は多くの犠牲者を出し、後に熊本地震と呼ばれることになる。
J-POWERの風力発電所「阿蘇にしはらウィンドファーム」が設置されている西原村は特に被害の大きかった地域で、西原村役場の山田孝さんに震災時の話を聞かせていただいた。
「4月16日の本震の前に、14日にも震度6弱の揺れがあったんです。でもその時は被害はありませんでした。倒壊がなくてよかったねと言っていたんです」
ところが2日後の本震によって村内の家屋513戸が全壊。1378戸が半壊以上の損傷を受け、神社や公民館、畜産農家の牛舎、大切畑大橋や県道28号線、田畑……と春の花を散らした大地震はあらゆる場所に爪痕を遺した。
西原村役場では、復興達成の目標年数を6年間と掲げているという。現在はそのちょうど半分、約3年間を費やしたところだ。だがいまなお120世帯/342名(西原村調べ/2019年1月31日現在)が仮設住宅で生活しておられ、その方々の再建が第一課題だと震災復興推進課係長の山田さんは話す。
村役場を出ると、視線の先に俵山を背に立つ風車が見えた。
「風車の羽根が下ろされた時は、村のシンボルが消えていくのではという不安がありました。住民のみなさんも寂しい気持ちになっておられて」
と当時を振り返るのは同役場同課課長の髙本孝嗣さん。髙本さんはウィンドファームの建設に役場の職員として関わり、05年の運転開始から見守ってきた経緯がある。
「震災直後から動きを止めていた風車が1基、また1基と回り始めた時は嬉しかった、風車も頑張ってるな!」
と復旧の手ごたえを感じたのだと語ってくださった。
村役場に別れを告げる直前に、
「この村の特産物はなんですか」
と尋ねてみた。すると山田さんが迷いなく「甘藷(かんしょ)(サツマイモ)です」と教えてくださる。
甘藷は地震のあった年も例年の8割の作付けをし、出荷もできたと聞き、その生命力に驚く。

西原村は南阿蘇の玄関口でもある。
西原村役場の髙本孝嗣さん(右)と山田孝さん(左)。
阿蘇の観光名所「米塚」にも地震の影響で亀裂が見られた。
地元で飼育されている通称あかうし。
熊本市内にある水前寺成趣園。桃山様式の回遊式庭園。
夏目漱石が熊本赴任中に暮らしたという大江旧居。
漱石は第五高等学校(現熊本大学)の英語教師だった。
漱石が立ち寄ったとされる鳥越の峠の茶屋。小説『草枕』に登場。

西原村特産物の甘藷 人気のシルクスイート

野田さんが手がける人気の品種「シルクスイート」。焼きいもにしていただくと口の中で甘くとろけた。

村役場でお話を聞いた後、甘藷農家を営む野田仁士さんに会いに行くことにした。JA阿蘇西原甘藷部会の部会長を務める野田さんに地震のことや、その後の農家の状況などを聞かせていただく。
「地震が起こった時期はちょうど作付けの準備をしていた頃でね。畑に蒲鉾型の畝をつくって、土はビニールで包んであったんですよ」
だが地震で畑は波打ち、灌漑用水のパイプが壊れ水浸しに。畑や土手が崩れたり、作物の貯蔵庫が破損した農家がたくさんあった。
「地震直後は村道を直したりと、周りのことに手いっぱいでね。自分の畑を見に行けたのは地震の後、2週間ほど経ってからです」
だが野田さんはその年の収穫を諦めなかった。作業ボランティアの手も借りて5月には作付けを始め、9月の出荷に繋げた。
野田さんがつくるシルクスイートという品種は日本全国から注文がくる人気商品。手間はかかるが収益率は高く、安定収入に繋がっている。
「うちは88歳の母親と2人きりでやってますからそうたくさんはつくれません。でもシルクスイートは村の特産物ですからできる限り頑張らないと」
と野田さんは話す。野田さんにとっての復興はこれまでと変わらぬ甘藷づくりであり、西原村の名産を絶やさないことなのだと知る。

収穫した甘藷を保管する貯蔵庫。
野田さんに畑を案内していただく筆者。畑はちょうど収穫が終わり、春を待っていた。

江戸時代の味を継ぐ熊本名物からし蓮根

懸命な復旧工事が進む熊本城。地震で石垣や小規模な櫓が崩壊した。

熊本を発つ最終日は、熊本名物のからし蓮根を製造販売している森からし蓮根有限会社の森久一郎さんを訪ねた。
からし蓮根の歴史は古く、製造の始まりは1632年、江戸時代に遡る。熊本城主であった細川家初代、忠利公の健康食として献上されたのが始まりだとされる。
「ゆがいた蓮根に、麦みそと和からしを合わせたものを詰めています。添加物も調味料もいっさい使わないつくり方は江戸時代から変わらず、これからもこの手法を守りたいと思っています」
3年前の地震では、熊本市内の旧城下町、新町にある森さんの会社も大きな被害を受けた。電気、ガス、水は止まり、作業が再開できるようになるまで2週間がかかった。作業ができない期間は従業員たちと避難所を回り、冷蔵庫に保管してあったからし蓮根を「食べてください」と配って歩いた。
子どもの頃から当たり前のように眺めてきた頑健な熊本城の石垣が崩れ落ちているのを見た時は「涙が出ました」と話す森さん。だが森さんはすぐに再建に向けて立ち上がる。先代が社長を務めていた1984年に県内の同業者が食中毒事件を起こした影響で、からし蓮根がまったく売れなくなった時期が十数年も続いたことがある。事件当時高校2年生だった森さんは「会社が潰れるかもしれない」と恐れたが、先代が転業することはなかった。江戸時代から続いた看板を支えに製造を続け、やがて「元祖からしか商品を買わない」という業者が次々に現れ、会社は持ち直した。
「私はうちのからし蓮根の味を百年先、千年先にも残したいと思っています。この場所に生まれたことを誇りに思っていますから」
復興への歩みは人それぞれ違い、その人なりの方法で前を向いているのだと森さんに出会って思う。ただ熊本で暮らす人たちの想いはみんな同じ、以前のように美しい熊本を取り戻すことだ。
熊本空港へ向かう途中の道から、遥か遠くの山に立ち並ぶ白い風車が小さく見えた。ああ、あそこが西原村……。
風車が1基、また1基と回り始めた時は嬉しかった、風車も頑張ってるな!
そんな声が薄暮れの風に乗って聞こえてきた。

江戸時代の味をそのまま受け継ぐからし蓮根。
森久一郎さんの先祖、森平五郎さんは藩の賄方としてからし蓮根を藩主に献上したという。森さんは初代から数えてなんと18代目にあたる。
蓮根に詰めるのは麦みそと和からしを合わせたもの。1本1本手作業で丁寧につくっている。

風車は村のシンボル 2年半続いた復旧作業

俵山の裾野から風車を見上げた。天気が良ければこの場所から有明海や島原が臨める。

標高約1,100mの俵山の裾野に「阿蘇にしはらウィンドファーム」の風車は立っている。こちらの風車は2005年に運転を開始して以来、総出力1万7,500kWを発電し、年間およそ7,100世帯分の電気を供給してきた。
しかし風車も地震の影響で停止。発電不可能な状況に陥ったという。
「10基ある風車のうち被害を免れたのは6号機だけでした。被害状況を点検していくうちに、ちょっとやそっとのことでは復旧はできないだろうと感じましたよ」
当時の様子を説明してくださったのは平田和也所長。地震当日から出所し、毎日1つずつ確実に復旧作業を続けてきたと話す。
「当初は迂回路しかありませんでしたが、道路が通れるようになると風車のブレード(羽根)を下ろし、基礎の土を掘り起こしてクラック(ひび)がないかなどの点検を始めました。ところが1カ所の基礎を掘り起こすのに2、3日、さらに測量に7日間ほどがかかる。長丁場になると思いました」
見通しのつかない日々の作業の中、力になったのは地元の方の励ましだったと語るのは西原村で生まれ育った所員、松永友和さんだ。
「風車は村のシンボルだぞ、頑張れよ、って村の人に励まされて……」
点検、補修、試験を繰り返す地道な復旧作業は地元の応援に背中を押された。そして地震発生から約2年半が経った昨年12月21日、作業はようやく完了した。
力強く青空をかき回す風車を見上げながら「とにかく風車を回す。そう言い聞かせながらここまでやってきました」と平田所長が笑う。その横顔を見ていると、風車が供給しているのは電気だけではないことに気づかされる。西原村が元の日常に1日でも早く戻れるよう、白い羽根に祈りを込めた。

変電所から約2㎞の送電線が走っている。
長さ33mのブレードが回る様子は壮大である。
風車の入り口に立つ平田所長と筆者。
変電所に掲げられている看板。
事務所内で働く所員の方々。
発電設備が収納されているナセルと呼ばれる部分。
変電所に設置されている変圧器。ここで電圧を変えて送電線に電気を送る。
送電鉄塔も地震で7基中3基が損傷を受けたという。
西原村出身の所員、松永友和さん。
変電所の監視制御室内の様子。
赤いマークが山裾に立ち並ぶ風車。風車の場所を結ぶと「?」の形になる。

阿蘇にしはらウィンドファーム
所在地:熊本県西原村
認可出力:1,750kW × 10基
運転開始:2005年2月

Focus on SCENE 悲恋の伝説が残る白糸の滝

流れ落ちる水が白い糸を垂らしたように見えることから「白糸の滝」と名付けられた滝は日本各地にあるが、こちらは熊本県西原村にある白糸の滝。兵部という男が寄姫という美しい娘と結ばれたが、その娘が実は大蛇の化身だったという寄姫伝説が残るため、別名「寄姫の滝」とも呼ばれる。落差は約20m。滝壺の前にある大岩に立ち、滝に向かって両手を広げて3回深呼吸をすると、滝のパワーをもらえるというスポットにもなっている。夏にはマイナスイオンと涼を求めて、多くの観光客が訪れる。

文/豊岡 昭彦

写真 / かくた みほ

PROFILE

藤岡 陽子 ふじおか ようこ

報知新聞社にスポーツ記者として勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年『いつまでも白い羽根』で作家に。最新作は『海とジイ』。その他の著書に『手のひらの音符』『満天のゴール』がある。京都在住。