創造的であるためにアイデアは肯定的に批判せよ
渡部 肇史×道脇 裕

Global Vision

J-POWER社長

渡部 肇史

発明家、株式会社NejiLaw社長

道脇 裕

緩まないネジはつくれない――有史以来、誰も崩せなかった不文律。
自らの自動車事故をきっかけに果敢にそれへ挑んだ若き発明家は、秒速の天才と牛歩のごとき努力とで、ついにイノベーションの風穴を開けてみせた。

「緩まないネジ」が2000年の歴史を覆す

渡部 まず「発明家・道脇裕」の名声を世に知らしめた、緩まないネジ「L/Rネジ」のお話から伺います。実物のサンプルもご持参いただきましたが、普通のねじとの違いを解説してくださいますか。
道脇 ボルトのネジ山の部分をよく見てください。普通のねじには、らせん状の溝が刻まれていて、溝が右らせんなら右ねじのナットが、左らせんなら左ねじのナットが通ります。このねじ山として、僕が考案した特殊な3次元構造の山をつくり込むことによって、ネジ山の強度を高度に保ちながらも1本のボルトに右ネジと左ネジのナットを両方とも通せる構造を実現したのです。
渡部 ネジ山の形が独特で、幾何学模様のループを描いているように見えます。ここに逆回りするナットを2つ通すと、ネジが緩まなくなる理由は?
道脇 ボルトの任意の地点に、2つのナットを連結させて止めます。すると振動や熱膨張といったネジ緩みの原因が外部から加わっても、ナット同士が逆方向に回ろうとして動きが相殺され、その場に固定されたままで決して緩まなくなります。
渡部 確かに、片方だけなら指先の力で回せますが、両方のナットが噛み合うとテコでも動きませんね。
道脇 つまり、僕はボルトのネジ山に着眼し、摩擦ありきのらせん構造ではなく、2つのナットで固定するまったく新しい構造を考え出したわけです。いわば常識の外側に打開策を見出し、知力と資源を傾けた結果、今まで誰も成し得なかった「緩まないネジ」の発明にこぎ着けたのだと思います。
渡部 ねじ2000年の歴史をこの発明が覆したと評されていますが、そんな大昔からねじは使われてきたのでしょうか。
道脇 例えば、古代ギリシャのアルキメデスが考案したとされるスクリューポンプ(※1)にらせん構造の原型が見られますし、中世のレオナルド・ダ・ヴィンチはねじづくりを機械化するための旋盤に似た装置を設計しています。小さい力で大きな軸力を得たり、流体などを移動させたりするのに便利なねじが、物と物を固定する部材として本格的に使われ出したのは産業革命の頃からです。
渡部 私は映画が好きで、チャップリンの作品などを観るのですが、近代化工業の生産現場の風景として、ねじ締めのシーンはそれこそ定番中の定番ですよね。
道脇 その一方、大きなスパナを持って、ひたすらねじを締め続けるシーンは、ねじは緩むものだからきつく締めておけとの暗示でもあります。ものづくりにおいて、ねじの緩みは様々な不都合をもたらし、時として大事故の引き金にもなる。古来それを防ごうと、締めたボルトとナットにワイヤをかけたり、溶接したり、ボルト側をピン止めしてみたりと試行錯誤が繰り返されてきました。
渡部 ねじの緩みを防ぐにも苦難の歴史があったのですね。
道脇 先人たちの努力にもかかわらず、振動や衝撃、熱変動による膨張・収縮などの前に、ねじの緩みは避けられないとほぼ結論づけられています。僕の理解でも、らせん構造のねじ山に依存する仕組みである限り、緩まないねじは実現不可能でした。

アイデア出しに数秒、ものづくりに十有余年

渡部 その不可能をひっくり返してみせた、「L/Rネジ」の発明には何かきっかけがあったのですか。
道脇 僕が19歳の年に3度も自動車事故に遭い、走行中にねじが緩んでハンドルやタイヤが外れることがあるという事実に衝撃を受けました。自分の生きる意味はこれだと直感し、緩まないねじをつくれば同種の事故は防げるし、ねじの概念を根本から変えられると確信しました。
渡部 L/Rネジの事業化に踏み切った時は30歳を過ぎていたとお伺いしました。あのネジ山にたどり着くのが容易ではなかったということでしょうか。
道脇 いえ、実は構造自体は考え始めて数秒で思いつきました。この案件に限らず、日頃から僕は頭の中に発明のアイデアを何万件もストックしてあり、世の中のニーズや商品価値などに照らして出番待ちの状態に留めてあります。アイデア出しなら際限なくできて、それをどう現実社会に落とし込んで結実させるかに、発明家の力量が問われるのです。
渡部 アイデアに数秒、ものづくりには十有余年と、成功への道のりは決して平坦ではなかったのですね。
道脇 前例がない以上、つくり方から発明する必要がありました。特に、ネジ山のオリジナルパターンを刻むのに超高精度な加工技術が要求され、切削加工と塑性加工(※2)の両方で製造装置を新開発し、削り出し用の刃物も、その刃を研ぐための砥石まで自作しました。そこまでやってL/Rネジの成形にこぎ着けたものの、今度はネジの緩みが生じないことを確かめる検査装置がどこにも見当たらない。そこで目的ごとの測定器を自社開発し、強度試験、耐久試験、破壊試験などを徹底的に繰り返しました。
渡部 気の遠くなるようなお話です。しかし、そこまでつくり込んだからこそ完成品を世に出せたし、L/Rネジという前代未聞の規格を確立できたのかもしれません。
道脇 そう思います。発明すると想定外のことも諸々起きます。L/Rネジがあまりに揺るまないので規格外の衝撃振動試験を実施すると140デシベルという破壊的な金属の衝接音を発するので、市販の防音室では用が足りませんでした。これも自社開発して100デシベル未満に抑えることに成功しました。また、実はネジの緩みの「緩む」に関しての明確な定義づけが存在せず、僕自身で64通りの「緩む」を定義し、それを基準にしてネジの性能・品質を厳密に検証しています。
渡部 電撃的な着想のあと、本当に地道で根気のいる研究開発のプロセスを踏んで、L/Rネジを市場に本格投入できたのが2年前。どんなお気持ちでしたか。
道脇 各分野のエキスパートが揃った当社の皆が知恵と労力を惜しまず、高い技能・技術を結集して頑張ってくれました。僕自身も寝食を忘れて仕事に没頭できて、それがかけがえのない開発チーム、かけがえのない財産になったと思います。

「L/Rネジ」の実物サンプル。特殊な3次元構造のネジ山を持つボルトに、右ネジのナットと左ネジのナットを連結して止めると、右ネジのナットが緩んでも左ネジのナットが逆方向の締まる方向に動き、決して緩まない。

NejiLaw 社内での引張強度試験。社名は新しいネジの法則体系(Neji's Law)確立への意欲の表れだ。

L/R ネジの開発初期段階で衝撃振動ネジ緩み試験を行った際、ネジより先に試験装置が破損したという。

アイデアから発明へ そしてプレイノベーション

渡部 道脇さんの頭脳に累積しているアイデアと、それが湧き出す源泉はどんな様子なのか、いちど覗いてみたい衝動に駆られます。
道脇 アイデアの出所には無自覚で、脳がどんどん考えて、勝手に出てくる感じでしょうか。発想法はいくつかあって、回数を積み重ねることによってスピードが速くなったり、質が良くなったりします。また、ある発明案件の依頼が来ると、その場で「これだ!」というアイデアが浮かびます。ただし、それを鵜呑みにはせず、とりあえず実現に至らしめるための問題点や解決策を要素ごとにすべて分解してみます。そして分解した各要素を網羅的に組み合わせ、例えば数千万通りにパターン分けできたら、一つひとつ検討を加えて段階的に候補を絞り込みます。その絞り込んだ答えが多くの場合、最初に僕が思いついたアイデアとイコールなのです。
渡部 なるほど。いかに発明家として経験を重ねようとも、直感に引きずられることなく、物事の本質にはかった上で正解にたどり着こうとなさるのですね。そうすれば、先人たちが積み上げてきた科学技術の理論や手法に背かない、道理にかなった結論を導き出せるでしょうから。
道脇 今あるものを土台に、次なるものが創造される。これは歴史にも技術にも通じる真理です。例えば、明治維新を機に日本は劇的な変容を遂げましたが、それは西洋式の社会制度や科学技術が、不毛の地に舞い降りた所産ではない。それ以前の日本に、科学でいえば物理学や化学はないに等しかったが、数学は「和算」として存在し、しかも庶民の幅広い層に浸透していました。そろばんや和算をベースにした技能・技術も相当に高度でしたから、異国から持ち込まれた学問や技術の体系を瞬く間に翻訳し、吸収してキャッチアップできたのです。
渡部 かねて鉄砲や大砲を見よう見まねでつくった技量が日本人に備わっていればこそ、維新後ほどなくして製鉄所も鉄道も橋梁も立派につくることができたのだと。ちなみに世界初の石炭火力発電所は1882(明治15)年にエジソンがニューヨークにつくり、そのわずか5年後には日本初の石炭火力発電所が東京につくられています。
道脇 まさに偉業としか言いようがありません。この国に固有の本質的なベースがあり、そこに新奇で魅力的な要素が流入するが早いか、国民総出でイノベーションを起こしにかかるような気風が当時はあったと思います。そこから学ぶべきは、イノベーションは突然やってきはしないこと。構造的変化を生じせしめる社会的環境が必ずあって、僕はそれを「プレイノベーション」と名付けて非常に重要視しています。
渡部 プレイノベーション……なんとも示唆に富んだ言葉ですね。私が社内外の人間を見ていて、この人は新しい発想やアイデアがあると思うのは、ニーズを心得ており、誰よりも未来が見えていると感じさせる人です。つまりはプレイノベーションに自覚的であることが、アイデアを発明の次元に繰り上げる要件と考えてよろしいでしょうか。
道脇 現状に対する不満が膨らんできて、それを解決する技術なり手段なりが新たに提示され、広く認知されて主流を占めるようになる。それがイノベーションの道筋ですから、僕は常日頃、自分のアイデアが世の中の潮流をしっかり捉えたものか、さらには大衆心理の中から真のニーズをすくい上げているかについて自問自答を繰り返しています。

肯定的な批判でアイデアを評価する

渡部 アイデアや発明の方法論を、これほど理詰めに考えたのは初めての経験です。そうした論理的アプローチが大事なのを承知の上で、生身の人間としての感性もまた重要であると、私は折に触れて社内の人間、ことに電力事業の現場を支える社員たちに訴えています。頭を使って知恵を振り絞るのと同じくらい、五感を駆使してその場の色や音や匂いなどの変化に気づくことの大切さを認識してほしいからなのですが。
道脇 アイデアや発明も、その元になる要素や情報を自分の脳にインプットするに際して、五感をフルに動員すべきなのは同じです。ただその時点で、個々の要素・情報はどんな価値や可能性を秘めているかが不鮮明で、具体的な解決課題がもたらされて初めて有機的につながったり、新しい価値や有用性が発見されたりするのです。そして脳内でそのスパークが起きる刹那に、別個の要素・情報が論理を超えた感性で結びつくことが珍しくありません。
渡部 そのスパークを組織内で起こすには、アイデアや発明の元になるものを、論理も感性も含めて豊富にプールしておくこともひとつでしょう。それで私も、社内のそうした機運を高めるにはどうすべきかを思案するのですが、その道の達人からアドバイスを頂戴できないでしょうか。
道脇 僕自身の経験で言えば、アイデアのストックをつくることはさほど難しくありません。現に企業や自治体などが報償付きでアイデア募集をするような例は珍しくないし、それに応じる人も少なからず現れます。大事なことは、どうやってアイデア出しを促すかではなく、出されたアイデアをどう活かすかに尽きると思うのです。
渡部 どんなグッドアイデアも、それが実行されて、好ましい変化や影響をもたらさなければ意味を成しませんからね。寄せられたアイデアを真っ当に評価し、きちんとフィードバックせよということでしょうか。
道脇 そこまで視野に入れて、いわば「アイデア出しの仕組み化」ができれば理想的でしょう。ただ、僕が人間性のより深い部分で懸念するのは、我々にはとかく他人の意見や考えを受け入れたがらない性分があることなのです。それも学歴や地位の高い人、会社組織でいえば役職が上の方ほど、その傾向が強いというのが僕の実感です。
渡部 なるほど……多少耳が痛くもありますが、傾聴に値します。
道脇 「物事は肯定的に批判せよ」というのが僕の遺言、僕の座右の銘です。もともと「批判」の字義に否定の意味はないのだから、肯定的な気持ちでまず受け入れて、分析的に考えましょうと。そういう立場に自分を置くと、他人から出されたアイデアも建設的に評価できて、安直なダメ出しなどできなくなります。
渡部 1つの欠点でアイデアすべてを棄却するのではなく、少しでも良いところを取り入れようと。
道脇 そうです。初めから万能なアイデアなどありませんから、使えそうな部分を足し算したり、掛け算したりして解決策に仕立ててもいい。

拡大から縮小への問題解決に尽くしたい

渡部 話は変わりますが、道脇さんご自身のオフィスには何か際立った特徴がありますか。
道脇 よそと違っているのは、仕事場の壁という壁がすべてホワイトボードになっていることでしょうか。
渡部 頭の中にある無数のアイデアを一部始終、そのホワイトボードに書き出されるのですか?
道脇 僕自身はあえて必要ないのですが、周りの人と共有する必要がある時には、それが一番手っ取り早いのです。僕の考えを説明しながら板書したものを出力すると、そのまま特許明細書や企画書、提案書の雛形になる。そこに専門のスタッフが体裁を整えたり、図画を書き加えたり、3Dプリンターで模型をつくったりすれば、完成度の高い事業計画ができます。
渡部 オフィス中が案件で埋め尽くされているのを想像すると、まるで発明の見本市のようで、私までワクワクしてきます。最後に、いま道脇さんが関心を寄せていることや、発明家として成し遂げたいことなどがあればお聞かせください。
道脇 やはり自分が生まれ育った日本の社会をベースにして、その行く末を左右するような事象から目を逸らさず、多少なりとも問題解決に尽くしていけたらと思います。とりわけ今後、GDP/人口グラフ上に、正比例関係から一転してヒステリシス的現象が生じます。人口減少が急速に進む中で生産性をどう確保し、社会を維持していくのか。1億3千万人用に構築されてきた社会システムや生活インフラを、将来的に8千万人用にリメイクする必要があって、今すぐにも着手しなければならない課題が山積しているのです。
渡部 それは我々電気事業者にとっても重要なテーマです。実は2つの方向性があって、人口減少に比例して電力需要も減少していくとする見方がある一方、高齢化だけではなく社会全体に利便性や安全性へのニーズが高まり、電気使用量が増えるとする見方も成り立つのですね。
道脇 戦後一貫して拡大路線で進んできたこの国が一転、縮小に向かうとなれば、これまでとはまったくロジックの異なるイノベーションが必要になるのです。そのための新たな発明が希求され、次代を見据えたアイデアが求められる。だから我々発明家は惰眠を貪ってはいられません。
渡部 お話の趣旨がよく飲み込めました。ご示唆に富んだエピソードの数々に、目から鱗が落ちる思いです。本当にありがとうございました。
道脇 こちらこそ、お招きいただいて感謝いたします。

取材・文/内田 孝 写真/大橋 愛

KEYWORD

  1. ※1スクリューポンプ
    空洞の筒の中に入れたスクリューを回転させて水などをくみ上げる装置として、紀元前から灌漑等に用いられたとの記述が残る。
  2. ※2切削加工と塑性加工
    前者は切削工具類を用いて対象物を切り削る加工方法。後者は材料に大きな力を加えて目的とする形状に変形させる加工方法。

PROFILE

道脇 裕(みちわき・ひろし)

1977年、群馬県生まれ。小学校にほとんど通わず、大学教員の母親の研究室で電子工作や科学実験などに没頭。中学・高校も休学して見習い漁師やとび職を経験。一念発起して大検に挑み、米国の大学に留学するも5日で自主的に退学。2009年、緩まないネジ「L/Rネジ」の規格化・商品化へ向けてNejiLaw設立。2011年グッドデザイン賞金賞などの各賞に輝き、12年経済産業省の戦略的基盤技術高度化支援事業に採択、2016年から市場への本格投入を開始。