大自然の力が人を癒やし、育む
藤岡 陽子

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岐阜県高山市・白川村と御母衣発電所を訪ねて

御母衣ダム湖畔の中野展望台にある荘川桜。

J-POWER御母衣(みぼろ)発電所は、岐阜県大野郡白川村にある。高山を出発し、庄川沿いの荘川町、世界遺産に登録された白川郷など、自然豊かな山間の町を旅して歩いた。

作家 藤岡陽子/ 写真家 かくた みほ

先人の想いを伝える樹齢450年余の荘川桜

そばの里 荘川に設置されている五連水車。一番大きなものは直径13mで、五連水車として日本最大級。
荻町城跡展望台から見下ろした白川郷の合掌造り。

その桜は、御母衣ダムを見下ろすように枝を大きく伸ばしていた。
その桜とは、樹齢450年余の2本のアズマヒガンザクラ。国道156号線沿いの展望台に咲く老桜は、「荘川桜」と呼ばれ、毎年多くの人々が薄紅色の美しい花を愛でにこの地に訪れると聞く。
なぜこんなにも立派な桜が、山間の国道沿いに植わっているのか。
それには次のような物語がある。
御母衣ダムはいまから61年前の1957年、本体工事が着工された。その際に、ダム建設予定地となっていた荘川村と白川村の一部は水没することになる。日本の経済成長を支えるため、大規模な電源開発が全国各地で実施された時代の話だ。
そうしてダム建設が始まるわけだが、電源開発株式会社(J-POWER)の初代総裁高碕達之助氏は、荘川村の寺に咲く見事な桜に心奪われたという。  
そして、なんとかこの桜を生かす手立てはないだろうかと、前例のない大規模な移植に踏み切ることを決意した。桜がいまの場所に移されたのは、発電所の運転が始まる1年前、1960年のことである。
こうした物語を知ってから荘川桜を見上げれば、ダム湖を背にして咲く花の健気さに、いっそう胸を打たれる。ダムの底に沈んだ村への郷愁も、荘川桜に託された先人たちの想いも、どちらも不思議と近しく感じるのである。

甘みが魅力の地元産そば 職人が守る、荘川の味

水車小屋に設置された巨大な石臼。
「心打亭」でそばを打つ清水克敏さん。
岐阜県北部から日本海へと流れる庄川。
合掌造りの屋根の裏側部分。釘を使わず縄で固定することで弾力をもたせている。

荘川桜に別れを告げ国道156号線を走っていると、巨大な五連水車が目に留まった。看板には「そばの里 荘川」とある。
広々とした駐車場に車を停め、「そば処 心打亭」と看板の出ている古民家風のお店を訪ねてみると、中では荘川町出身の清水克敏さんが開店に向けてそば打ちのまっ最中。お忙しいところをおじゃまして、その作業を見せていただいた。 
「標高が800m以上あるこの場所は、昼夜の寒暖の差が大きく、そばに甘みが出るんです。全国から荘川のそばを食べに来てくださるお客さんにがっかりされないよう、プレッシャーを感じながらそばを打っています」 
いま心打亭でそば打ちを担うのは、清水さんひとり。多い日は1日400食、午前1時半から11時までそばを打ち続けるという。熟練の技を間近に見ながら、この土地でそばづくりを続けるということは、荘川という土地を守る意味もあるのだと気づかされる。

白川郷の合掌造り 世界遺産を散策する

白川郷の合掌造り集落で最大規模を誇る和田家。江戸時代中期の建築といわれる。

156号線を北上した先には、世界遺産の白川郷がある。江戸時代から受け継ぐ茅葺屋根の合掌造りが建ち並び、田畑の周りに水路が流れる光景は、まさに日本の原風景。あまりにも長閑(のどか)な時が流れているので、私もまた穏やかな気持ちになって、太陽の光にきらめく小川をのぞきこんだり、肌をかすめるほど近くを飛んでいく蝶を追ってみたり。
いまも茅葺屋根の民家で暮らす住人の方に「こんにちは」と温かな声を掛けられ、白川郷の懐の深さに時間を忘れる散策となった。

屋根裏に展示されていた養蚕の糸を紡ぐ道具。
高山市の名所「古い町並み」を散策するには人力車も人気。
宮川に架かる中橋。赤い欄干は古い町並みのシンボルでもある。
江戸時代の城下町として栄えた「さんまち」。

老舗メーカーが目指す「家族のような家具」

飛騨産業の工場でつくられた椅子。筆者も腰掛けてみたが、あまりの座り心地の良さに驚いた。
本母雅博さんに工場内を案内していただく。
組み立ての工程。工場には女性の姿も多く見かける。

1920年に生まれた飛騨産業株式会社は、高山市内にある家具メーカーである。今回はその工場を訪ね、本母(ほのぶ)雅博さんのご案内で家具づくりの現場を見せていただいた。
「会社が創業した頃は、椅子で生活している家庭なんてほぼありませんでした。そんな時代に洋家具の会社を立ち上げたんだから、いまでいうベンチャー企業ですよ」
気さくな本母さんの後ろについて、広大な工場を歩いて回る。工場内は椅子ライン、テーブルラインなど家具の種類によってチームが分かれ、職人さんたちが真剣な表情で作業に取り組んでいた。
ラインといっても単なる流れ作業ではなく、一つひとつの作業にかなりの時間と手間がかけられている。パーツを組み合わせる接着の工程では、職人さんが手に刷毛を握り、手作業で接着剤を木に塗っていたのが印象的だ。最終工程にはさらに人を多く配置して、座った時に手が優しくあたるかどうかなど、丹念に調整していく。
「昔はコンベアを使用していましたが、品質のためにやめたんです」
と本母さん。工場では見込み生産をしておらず、注文先のオーダーに合わせてつくるのだという。椅子だけで年間5万脚以上。届ける相手を想いながらのものづくりは、安定した経営に結びついている。
「私たちは、一生使ってもらえる家具づくりを目指しています。家族の一員になれるような家具を届けたいんですよ」
家族のような家具。本母さんの素敵な言葉を、すかさずノートに書き留めておいた。

自然學校で非日常体験 持って帰るのは「自信」

旅の最後に訪れたのは、白川村の山林の麓に建つ、トヨタ白川郷自然學校。いったいなにを教えてもらえるのか、名前を聞いただけで、わくわくしてしまう。
「かたい言葉で説明すると、環境への意識を高めてもらうための環境教育をしています。でも簡単に言えば、自然を楽しんでもらうということです。ここにある非日常を、意味と価値のあるものと思ってもらえたらそれでいいんです」
學校長の山田俊行さんの言葉に、なるほどと頷く。白川村で目にする風景、風の感じ、肌に触れる温度、そうしたものを一生の記憶として持ち帰れたなら、それがなによりの学びなのだと教わる。
52万坪もの敷地内に建つ茅葺屋根の民家で、私も火おこし体験をさせてもらった。囲炉裏に炭と火を入れ、火吹き竹で吹く。単純な動作なのにかなり時間がかかり、でもそのぶん炎が上がった瞬間は、自分の頑張りに拍手喝采だ。
「いまの火おこしもそうですが、自然の中では自分のやったことがそのまますぐ結果になって、返ってくる。だからみなさんここで自信をつけて、帰って行かれますよ」
火おこしの指導をしてくださった加藤春喜さんは、自然を学ぶ意味についてそう語ってくださった。
人間は自分が理解したいがために、物事を整理したがる。でも「なんでもあり」なのが自然。自然に触れることによって、人生の複雑さも受け入れることができる。
これも加藤さんの言葉である。
IT(情報技術)、AI(人工知能)、仮想通貨……。
現代の社会には、新しい技術や概念が次々に現れてくる。それはとても便利で重要なことなのだけれど、時々そのスピードについていけず、疲れてしまうことがある。 
だからたまには、人力だけを頼りに生きていた時代に還り、人間本来の強さを取り戻したくなるのかもしれない。なぜ人は自然を求めるのか。今回の旅が、その答えを教えてくれたような気がする。

「山奥にドキドキしながら来る。それだけで意味があるんですよ」と語る山田俊行さん。
加藤春喜さんが見守る中での火おこし体験。
炎を上げる松脂(まつやに)。白川郷の人々は、高価なろうそくの代わりに、山で拾える松脂を日々の灯りに使っていた。

高度経済成長期を支えた 大規模なロックフィルダム

高さ131mのダムの頂きから見下ろす御母衣発電所。

御母衣発電所は、高度経済成長の最中、1961年に運転が開始された。体積795万m3におよぶロックフィルダムは当時、東洋一の規模を誇ったという。
「庄川には、周辺の山々からの膨大な雪解け水が流れてきます。御母衣ダムを建設する前は、その大量の水を無駄なく受け止められるダムがなかった。それで大規模なダムがつくられることになったんです」
足立健治所長(当時)に建設当時の状況を伺いながら、発電所内を案内していただいた。まずは地下100mに設置された、2台の発電機の見学に向かう。
「こちらに乗ってください」
促されるまま、地上と地下を往復する、人生初のインクラインに乗り込み、地下へ潜っていく。真っ暗なトンネルを静かに滑っていく感じが、タイムマシンのようでもある。
タイミングが良いことに、発電機の設置場所に着いたと同時に、発電が始まった。ダムの水が水圧鉄管から水車に流れこむ地響きのような音が、鼓膜に響く。
「発電機2台で、1年間に5億から6億kWhの電力をつくります。これは約15万世帯が使用する電気の、約1年分に相当します」
水車の回転数は1分間に225回転。流れ込む水の量は1秒間に最大130トン。その回転の速さと水の容量の大きさを目と耳で体感する。
5月から8月までは、取水口に角落しという板を入れ、ダムの水面から高さ5m付近の水しか取水しないと聞いた。理由は、ダム下方の水は温度が低いので、冷たい水が川に流れ、農作物や魚に悪影響を及ぼすのを防ぐためだという。
荘川桜の物語もそうなのだが、電気を供給する事業の背景には、どんな時も人や自然への気配りが存在しているのだと感じ入った。

足立健治所長(右)、原口繁樹所長代理(左)と水圧鉄管を見上げる筆者。
岩石と土で築かれたロックフィルダム。
ダムに設置された取水塔。
「御母衣ダム」と刻んである石碑。
地上と地下100mを往復するインクライン。
発電所内に2機設置されている発電機。
通路の壁に並ぶ密閉母線。地上の変圧器に電気を送る導体が収納されている。
発電機を回転させるための水車が、黄色い部分カバーの下に設置されている。
配電盤室で説明してくださる足立所長。
御母衣電力館のある「MIBOROダムサイドパーク」。
冬季の点検に使用されるヘリコプター。

御母衣発電所
所在地:岐阜県大野郡白川村
認可出力:215,000kW
運転開始:1961年1月

Focus on SCENE 春、白川郷から白山連峰を望む

白山連峰は、岐阜、石川、福井、富山の4県にまたがる標高2700m級の山々。古くから山岳信仰の対象として修験道でも知られた存在だ。豪雪地帯でもあり、周辺の嶺々から流れ出る雪解け水は、長良川、庄川、手取川、九頭竜川などに姿を変え、現在も流域の田畑を潤おす。そのひとつ庄川は、合掌造り集落として有名な岐阜県の白川郷や富山県の五箇山を通り、富山湾へとそそぐ。桜が咲きほこる春、もうすぐ田植えが始まろうかという季節に、なお雪を抱き光り輝く姿は“神の山”と呼ぶにふさわしい。

文/豊岡 昭彦

写真 / かくた みほ

PROFILE

藤岡 陽子 ふじおか ようこ

報知新聞社にスポーツ記者として勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年『いつまでも白い羽根』で作家に。最新作は『満天のゴール』。その他の著書に『海路』『トライアウト』『手のひらの音符』がある。京都在住。