創造性が目覚める上手な脳の使い方
北村 雅良×池谷 裕二

Global Vision

J-POWER会長

北村 雅良

東京大学薬学部教授

池谷 裕二

創造性とは、あまたの記憶の組み合わせから新しい価値を見出すこと。
気鋭の脳研究者の語り口は、創造的に生きたい人への実践的な示唆に満ちている。

脳に保管された記憶はどんどん更新される

北村 池谷さんは東京大学薬学部の教授を務めておられますが、もっぱら脳や人工知能(※1)を研究対象としてこられたとか。
池谷 学部に入った当初は、がんや腫瘍の薬をつくれたらと思っていたのです。4年次の研究室配属でたまたま脳の研究室に入ったら、これがおもしろくて深みにはまってしまい、抜け出せなくなった感じです。
北村 今日では、アルツハイマー病など脳神経系の病気が注目されていますが、その治療薬の開発にヒントを与えるような研究と考えればよいですか。
池谷 そうですね。私の専門は「記憶」のメカニズムの解明です。例えばアルツハイマー病で物事を覚えられなくなる原因を探るには、まず人間がどのようにして物事を覚えるのかを知る必要があります。なぜ記憶できるのか、記憶はどうやって保たれるのか、記憶の役割は何か……と根本を掘り下げていくわけです。
北村 頭の中のどこかに記憶が蓄えられていて、何かの拍子に思い出したり、消えてしまったりするのは確かに不思議ですね。
池谷 人間の記憶はコンピューターの記録とは似て非なるもので、ハードディスクに保存された情報はまったく変わらないのに対し、人間の脳に保管された記憶はどんどん変化していきます。良きにつけ悪しきにつけ、変化しつづけるのが脳なのです。
北村 池谷さんは脳の中で記憶に関係のある「海馬(かいば)」(※2)という部位に着目され、その研究をされているそうですね。
池谷 海馬が記憶をつかさどっているのは明らかです。興味深いことに、海馬の機能を失うと新しいことは覚えられなくなりますが、それ以前に記憶したことなら思い出せます。つまり海馬は、記憶の製造工場ではあるが倉庫ではない。記憶を保管する場所がほかにあるはずですから、今度は脳の別の部位を調べていくことになります。
北村 脳とは神経細胞の集合体で、一つひとつの細胞が結びついている……と大昔に習った気がします。
池谷 合っています。ただ、脳における記憶の保管方法という肝心なところがまだ解明されていません。神経細胞が何らかの形でネットワークを形成し、脳内のあちこちに分散して記憶を保持している。確信を持って言えるのはその辺りまでです。
北村 無数にある体細胞の中で、神経細胞だけは一旦壊れてしまうと再生が利かないとも言われますが。
池谷 はい。使われない神経細胞はやがて死滅し、その空きスペースに、よく使われる神経細胞が新たな回路をつくります。実は個々の細胞には際立った特徴がなく、細胞同士がどう結びついていくか、そのつながり具合の違いで脳の働きの傾向、ひいては人間の個性が分かれていくと考えられています。

身体からの情報が脳で統合され、心が生まれる

北村 人間の個性が神経細胞のつながり方に左右されているとなると、脳がいかにして「心」をつかさどっているかにも興味を引かれます。かつて会社の先輩が、心臓とこめかみの辺りを交互に指差して「ウォームハート、クールヘッドで行こう」と助言してくれましたが、学問的には、心の温もりも頭脳の怜悧さも、どちらも脳の働きと見なされるのでしょうね。
池谷 ハートもヘッドも含めて、身体中に分散している情報が最終的に脳で統合されて、心が生まれると考えたほうが正しいと思います。心が痛むとか、胸が弾んだ時に指差したくなるのは心臓で、実際、心拍数が高くなると脳は判断を変えがちです。例えば、愛を告白する時、相手の心拍数を上げておくと成功率はより高くなります。
北村 本当ですか。胸がドキドキする自分の身体状況から察して、私はこの人を好きなのかもしれないと、脳の判断が引きずられる……。
池谷 おっしゃる通りです。脳は身体の一部であり、不可分の関係にあります。よくSF的な議論で、人間の脳をロボットに移植したら心も移せるかとか、自分の身体を捨ててインターネットの世界へダイブできるかと問われますが、脳が身体と切り離された瞬間、心も消えてしまうと思います。
北村 人の心と身体はワンセットなのですね。もう1つお尋ねしたいのは、人間以外の動物に心はあるかという点です。長く犬を飼った私自身の経験から、きっと犬も1歳児ぐらいの心を持っていて、お互い気脈が通じるのではないかと感じておりましたが。
池谷 私も犬にも心はあると思いたいです。ですが、そこは専門家の見解が分かれるところで、犬に心があると思い込んで人が勝手に語りかけたり、お手やおあずけを教えたりするだけかもしれません。一説には、犬や猫のように両眼視する動物とは心が通じる気がするけれども、カメレオンみたいに人と目が合わない動物は心があるように感じないとも言われます。
北村 目は口ほどにものを言うわけですね。脳と心の関係について考えている、その行為自体が自分の脳の活動だということに気づくと、なにやら頭の中の収拾がつかなくなります。
池谷 そこが脳研究の一番のおもしろさなのです。脳を使って脳を考えるという「入れ子構造」が前提としてあります。心の問題にしても、自分の心は目に見えない幻影なのに、その幻影を使ってさらなる幻影を観察することは劇中劇のような醍醐味があります。そんな面倒はスルーしたほうが余程楽なのですが、逆にそれが研究者の特権かと思っています。

電力安定供給の使命を帯びたネットワーク

北村 脳と身体は不可分とのお話で思い当たったのは、何かややこしい考えごとに没頭すると非常にくたびれることです。運動や作業を伴わずとも考え続けるだけで疲労困憊するし、お腹まで空いてくる。人は脳の活動を維持するために相当量のエネルギーを費やしているのではないですか。
池谷 ご明察です。運動する際に筋肉細胞を動かすためのエネルギー源が筋肉中のグリコーゲン(貯蔵多糖)であるように、脳細胞が活発に働く時は脳の中のグルコース(単糖)が大量に消費されます。頼みのエネルギーが不足すると思考力から忍耐力、モラールまで低下しますから、あめ玉で補ったり、睡眠をとったりするのが有効です。
北村 楽しい考えごとなら疲れ知らずでも、つらい考えごとだとぐったり疲れますね。もっとも運動でも、好きで楽しめることなら一向に疲れないが、いやいや動かされると思うとすごく疲れるものですが。
池谷 脳も身体も使えば使っただけ疲労がたまるのは同じです。それを楽しく感じるか、つらく感じるかで本人の受け止め方に違いが出てくるのは、それこそ心の領域に属します。例えば、意欲とか達成感といった精神性に対する問い掛けなのではないかと……。
北村 なるほど、よいご示唆をいただきました。
人体の組織と企業組織を同列に見なすのもどうかとは思いますが、電力会社の仕組みというのは電気をつくる各地の発電所だけでなく、電気を消費地まで送り届ける送電線や、各設備に制御指令を伝える通信設備などから成り立っています。それを人体になぞらえると、発電所は心臓、送電線は血管、通信設備は神経系統に相当し、脳にあたる中央給電指令所が指示を出し、止めることなく電気を送り続けているのです。
池谷 共通点はあると思います。脳神経系のネットワークは全体が遺漏なくスムーズに流れてこそ健康体が保たれるわけで、どこか1カ所でも滞りが出ればトータルなパフォーマンスに支障をきたしかねません。
北村 ですから、全国各地で現場を支える社員に私がよく言うのは、J-POWERグループは「人々の求めるエネルギーを不断に提供する」という社会的使命を帯びた1つのネットワークなのだと。それを生かすも殺すも、あなた方一人ひとりの働き方にかかっている。それぞれの職場で成果を上げることももちろん大事で、かつ、仕事に意義を感じ、元気に楽しく働いてくれたらネットワーク全体がうまく機能して、きっと全員が幸せを感じることができると思うのです。

記憶の「曖昧性」にこそ創造力の萌芽が潜む

北村 電気の話に寄り道してしまいました。今日の本題である「創造性」へと話を進めたいのですが、池谷さんは人が創造性を発揮する前提として、脳の変化、記憶の変化ということを重視しておいでのようですね。
池谷 少し詳しく言うと、私たちは学習や経験を積み重ねる中で、覚えていない状態から覚えている状態に変化します。この間で脳に変化が起こっているはずで、これを「脳の可塑性」と呼んでいます。また、保管してある記憶を呼び戻し、それを一旦忘れて新たな情報を上書きし、再び保管するという作業を「記憶の再固定化」といい、そのプロセスの中で元の記憶をうっかり消失したり、別の中身と入れ替わってしまったり、保管する場所を間違えたりもします。
北村 我が身を顧みても、記憶の混同や取り違えなどは日常茶飯事です。
池谷 そこが重要な点で、再固定化のプロセスで生じる記憶の「曖昧性」にこそ、私たち人間の発揮するクリエイティビティ、すなわち創造力の萌芽が潜んでいます。本来出合うはずのない情報同士が混じり合い、一見ありふれた情報が別の分野に放たれた途端、まったく新しい価値あるものとして生まれ変わることが起こり得るのです。
北村 創造とは無から有を生み出すことで、一部の天才的な人の専権事項のように思いがちですけれども、誰にでも起こり得るのではと……。
池谷 チャンスはあります。結局、脳の中でどんな記憶や情報が組み合わされるか、コンビネーションの妙味が問われるわけですね。料理と同じで、ありふれた食材でも組み合わせの妙で斬新なメニューに仕上げられる。料理上手になるにもコツや心得が要るように、創造上手になるためのノウハウやテクニックが存在します。
北村 いつ起こるかわからない回路の混線を待つのではなく、記憶の組み合わせの妙を見つけやすいように、自力で脳を鍛え直すのですか。
池谷 大げさに考えなくても、日頃の心がけで創造性は高められます。1つには、自分1人で考えていないで誰かとディスカッションをすること。脳には長年培ってきた記憶のパターンがありますから、自分の脳の癖と他人の脳の癖を混ぜ合わせることで創造性の喚起につなげるわけです。もう1つは、考えに行き詰まったら情報をシャットアウトすること。トイレとか風呂場にこもって外界からの情報入力を断つと、脳は内側から情報を発する性質を強めるので斬新なアイデアが出やすくなります。

ダム見学での大興奮が知的好奇心の原点に

1956年運転開始の佐久間ダム。この雄大な景観との出合いが池谷教授の知的好奇心の原点になったという。
中地域流通システムセンター(愛知県)のパラボラアンテナ。神経系統に相当する情報通信網の要のひとつだ。

北村 脳の持つ癖を利用して、内なる創造性に活路を与える。そうした観点を我々の仕事の現場に落とし込むとすると「チームワークを大切に」とか、「三人寄れば文殊の知恵」といった言い方になろうかと思います。
池谷 AIの分野では最近、アイデアを出したり発明をしたりするAIが現れましたが、これはタイプの異なるAIを2つ組み合わせているのです。一方がアイデアを出し、もう一方はダメを出します。ランダムに意見を発したり、ダメ元で提案をしたり、そういう土壌でこそ発明や芸術が育まれることを示唆しています。
北村 ダメでもいいから口に出して言ってみる。それが議論を呼んで、誰も思いつかなかったアイデアに結実するということですね。
池谷 加えて、AIが進化しても人間の足元にも及ばないものに「直感」があります。プロの棋士を破るような将棋ソフトでは、コンピューターはすべての可能性をしらみ潰しに調べて答えを出しますが、人間は最初から絞り込む直感力のおかげで、いきなり正解に着地する場合があります。人間は多くの経験や学習を積む中で直感に磨きをかけることが大切だと思います。
北村 私はよく「五感を使って仕事をしよう」と言いますが、直感は五感の集積・統合と言えるかもしれませんね。直感も脳が生み出すものなのですか。
池谷 直感は脳の中の「線条体」がつかさどる感覚で、若い頃よりむしろ年齢を重ねてから冴えを見せます。直感は長年にわたる蓄積の成果として発現するので、これを意識して磨くことがクリエイティビティを高めるためのポイントとなるでしょう。
北村 大変ためになるお話をたくさん伺えました。研究者としてのご見識の高さと、旺盛な知的好奇心には敬服するばかりです。
池谷 実は、静岡県に住んでいた小学生時代にJ-POWERの佐久間ダムを見学して「うわー、すごい!」と大興奮しました。私の好奇心に火をつけたきっかけのひとつですね。それまでは人工物よりも自然物のほうが優れていると思っていたのに、雄大なダムの景観があまりにも格好よくて、人間の創造したものも自然の一部なのだと考えを改めるきっかけにもなりました。
北村 そうでしたか。J-POWERは全国に60カ所以上水力発電所を持っていますが、その中でも、佐久間ダム・発電所は弊社起業のきっかけとなった設備で、一般の水力発電分野において現在でも日本トップクラスの年間発電電力量を誇ります。それが池谷さんの知的好奇心の原点になったというのも何かの縁でしょう。お目にかかれて本当によかったです。
池谷 こちらこそ、ありがとうございました。

構成・文/内田 孝 写真/吉田 敬

KEYWORD

  1. ※1人工知能(AI)
    記憶や学習など人間の知的活動をコンピューターに代替させることを目的とした研究や技術。今日では推論、認識、判断といった高度な知的領域にも及んでおり、池谷教授が主宰する薬品作用学教室ではAIを用いた薬物の副作用予測などにも成功している。
  2. ※2海馬
    ヒトの海馬は、両耳の奥深くに位置する大脳辺縁系(海馬体)の一部をなす。
    20世紀中頃に記憶や学習に関与することが知られてから多方面で研究が進み、近年ではアルツハイマー病でいち早く病変が出ることから治療薬研究の主要ターゲットになっている。

PROFILE

池谷 裕二(いけがや・ゆうじ)

東京大学薬学部教授。専門は神経科学および薬理学で、脳の成長や老化、人工知能などを研究している。1970年、静岡県生まれ。1998年、東京大学大学院薬学系研究科にて薬学博士号取得。2002~05年、コロンビア大学客員研究員。主な著書に『海馬』(共著、2005年、新潮文庫)、『進化しすぎた脳』((2007年、講談社ブルーバックス)、『受験脳の作り方』(2011年、新潮文庫)など多数。最新刊は『パパは脳研究者 子どもを育てる脳科学』(2017年、クレヨンハウス)。