伝統の鋳物技術を現代に活かす
伊藤鉄工株式会社

匠の新世紀

伊藤鉄工株式会社
埼玉県川口市

溶かした鉄(溶湯)を砂型に流し込む工程。温度は約1500℃にもなる。

約1000年の歴史を持つといわれる鋳物の町 埼玉県川口市。
今ここで、これまでの常識を覆す“軽い”鋳物鍋がつくられている。
その技術の秘密と、ものづくりに対する思いについて聞いた。

自社オリジナルのものづくりへのこだわり

伊藤鉄工株式会社代表取締役社長
伊藤光男さん

埼玉県川口市は約1000年の歴史を持つといわれる鋳物の町だ。江戸時代に、大消費地に近かったことから大きく発展。第二次世界大戦後も高度成長の波に乗って鋳物産業が活況を呈し、1970年(昭和45年)には鋳物に関わる企業が600社以上あったという。現在も減ったとはいえ120社以上の企業があり、企業数では日本一だ。
伊藤鉄工株式会社は、この川口市で1931年(昭和6年)創業の老舗の鋳物メーカーだ。最初につくったのは薪や石炭を燃やすストーブ。なぜ、ストーブをつくったのか。その動機について代表取締役社長の伊藤光男さんは次のように語る。
「鋳物は、金属を溶かし砂型に流し込んで、これを冷やして成型するという金属加工法です。木型などで容易に自由な形がつくれるため、他の金属加工に比べて、投資金額も少なく、製品の単価も比較的安価にできるという特徴があり、機械の部品などをつくるのに適しています。そのため、鋳物企業では、自動車や機械産業などの下請けが多いんです。そうした中、私の祖父は“自分でつくって販売する”というビジネスをしたいと、兄が経営していた会社から独立してこの会社をつくりました」
“自分でつくって販売する”とはつまり、メーカーの下請けとして部品をつくるのではなく、自分たちで開発したオリジナル商品をつくるということだ。それが当時はストーブだった。戦前に同社で生産されたストーブは、国内だけでなく、満州や朝鮮半島にも販売され、国内有数のストーブメーカーとなっていた。

川口ブランドを象徴する軽くて強い鋳物鍋

ダクタイル鋳鉄を使ったフェラミカの鍋は肉厚が約2mmと薄い。
フェラミカの鍋とフライパン。赤い取っ手は鉄とゴムから選べる。

こうした同社のものづくりのDNAはその後も引き継がれた。戦後の高度成長期には、門扉、フェンスなどのエクステリアや、建築関係のパイプの継手、マンホールなどの開発と販売に乗り出し、この分野でも日本有数のメーカーとなった。建築用マンホールは現在も関東地方で約6割、全国でも約2割のシェアを持つ同社の大きな柱となっている。
そんな伊藤鉄工が2010年に発売したのが鋳物のキッチン用品「フェラミカ」シリーズ だ。ちょうど日本ではフランス製の鋳物ホーロー鍋がその熱伝導率と保温性の良さ、そしてデザインがかわいいとブームになっていた。
08年、伊藤鉄工は川口商工会議所が主催するジャパンブランド事業「KAWAGUCHI i-mono」に参加した。これは鋳物の町である川口を世界にアピールするための製品をつくろうというプロジェクトで、市民の人々の意見を取り入れながら開発したのがフェラミカだ。
鋳物鍋は、「煮物が上手にできるが重い」というのがこれまでの常識。50人以上の主婦の意見を聞き取り調査し、その意見をもとに、軽さと強さを両立した鋳物鍋をつくりあげた。
その秘密は「ダクタイル鋳鉄」。マグネシウム合金を加えた強度の強い材料を用いた鋳物で、鍋の厚みを約2mmに抑え、従来の鋳物鍋の約40%の重さを実現することができた。実はこの技術、伊藤鉄工がパイプの継手用に02年から開発してきた技術だった。
ダクタイル鋳鉄には、溶かした鋳鉄が細部まで流れないなどの製造上の難点があったが、鋳鉄の成分を調節し、なんとか世界初の鍋をつくりあげることに成功した。

伊藤鉄工のマンホール。「I.G.S.」と刻印されている。
砂型から取り出した製品は、機械で砂を落としたあと、手作業でバリなどを撤去し、その後塗装して仕上げる。
鉄を溶かすキューポラ(溶解炉)の煙突。
砂型は機械で自動的につくられる。穴から溶湯を流し込む。

技術の連鎖が生み出す新しい製品と価値

発売したフェラミカは好評を得て、10年の日本鋳造工学会の技術賞を受賞したほか、同年のグッドデザイン賞も受賞。伊藤鉄工の技術力とともに、そのデザインも高い評価をることができた。
このダクタイル鋳鉄には課題もあると、伊藤さんは言う。
「ダクタイル鋳鉄は製造が難しいうえに、ホーローをかけることが難しいという難点があります。日本国内のホーローメーカーに相談しましたが、どこもできませんでした」
そこで同社が目を付けたのが台湾。
「台湾は世界中からホーローの仕事を受けていて、技術が非常に進んでおり、日本では難しいものもちゃんとできるんです」
同社は今、フェラミカのカラー化と製造の安定化に向けて技術開発を進めている。
さらに伊藤さんは、こう続けた。
「技術というのはおもしろいもので、1つの技術を開発すると、それがいろいろなものに応用できるんです。先ほど、フェラミカのダクタイル鋳鉄は、パイプの継手の軽量化のために開発した技術だったと言いましたが、フェラミカで学んだガラス質を鋳物にコーティングする技術が、今度はパイプの継手に活かされて、化学薬品などにも腐食しにくい継手が開発されています」
未体験の領域に挑戦し培った技術が、今度は本業に活かされている。新しい技術に挑戦することの大切さと、技術の連鎖が生み出す奥深さを垣間見ることができた。

取材・文/豊岡 昭彦 写真/斎藤 泉

PROFILE

伊藤鉄工株式会社

1931年(昭和6年)創業の鋳物メーカー。マンホール、パイプ用継手、フェンス、屋外モニュメントなどを得意とし、特に建築用マンホールは関東地方で約6割のシェアを持つ。光学機器メーカー向けの低膨張鋳鉄「NEZTEC」の開発にも成功。