混迷の時代に地域社会と向き合う意義
菅野 等 × 先﨑 彰容

Global Vision

J-POWER社長

菅野 等

日本大学危機管理学部教授

先﨑 彰容

明治維新からの近代化と戦争の時代、そして戦後の高度経済成長期を経て今日に至る日本。
出口の見えない混迷期には「近代化とは何か」を問い直し、「コミュニティや共同体の再生から手を着けよ」と指南する気鋭の思想家に、企業が地域社会に貢献する意義などを尋ねた。

「近代化とは何か」を問う西郷隆盛の内なる矛盾

菅野 先﨑さんの著書に最初に触れたのは、書店で『未完の西郷隆盛』を見つけた時でした。実は私、西郷さんには一方ならぬ思い入れがありまして。

先﨑 ありがとうございます。あの本は副題に「日本人はなぜ論じ続けるのか」とあるように、明治の近代化に先鞭をつけた西郷の思想信条を読み解くことが、時を経て今日、混迷を深める日本社会について考える糸口にもなろうと上梓したものです。

菅野 私は山形県の庄内地方の出身です。幕末期、庄内藩は会津藩とともに東北における佐幕派の盟主であり、戊辰戦争(※1)では薩摩・長州・土佐藩など新政府軍との激戦の末に敗残しました。その敵将・西郷隆盛が、なぜか庄内地方では今もって人望を集めていて、私なども少年の頃から『南洲翁遺訓』(※2)に触れていました。

先﨑 その書物自体、旧庄内藩士が西郷の遺徳を後世に伝えるために編纂したもので、彼らの中に仇敵であるはずの西郷を、心のどこかで受け入れたい気持ちがあった。なぜかと言うと、同じく戦に敗れた会津藩には解体・流刑という厳罰が下されたのに対し、庄内藩はより軽い処分に留められました。その経緯に、新政府軍を統(す)べる西郷の温情があったわけです。

菅野 その時の恩義がよほど身に染みたとみえて、後年、鹿児島へ戻った西郷が決起した西南戦争(※1)に際しては、旧庄内藩士が徒党を組んで加勢に駆けつけています。

先﨑 ドラマチックな展開ですね。西郷は軍事・政治の両面で日本の近代化に先鞭をつけて死んでいった人ですが、福沢諭吉の著作に親しむなどして近代化を肯定する半面、そこからこぼれ落ちていく事象にも目を向けました。短兵急に進む近代化になじめない市井の人たちを視野に捉えつつ、欧米式の近代化を阻もうとする勢力と戦わざるを得なかった。結局は、農民たちに犠牲を強いることにもなり、そうした折々に西郷なりの温情が発現したのだと思います。

菅野 そのような西郷の持つ二面性に照らしてみることで、今、私たちが直面する解決困難な課題への対処や向き合い方が見えてくると……。

先﨑 キーワードを1つ挙げるなら「近代化とは何か」という問い掛けです。西郷は旧体制を打倒して近代化の扉を自らこじ開けながら、一転して、時代に取り残された人たちを伴って新体制にも刃を向けた。なぜ新旧の政体と戦わねばならなかったのか、言い換えるなら西郷の内なる矛盾は、日本人の一筋縄ではいかない心性そのものだろうと思います。

菅野 その部分、ご著書の中では「死生観の仮託」と書いておられますが、我が身に照らしても、現代日本人の多くに風儀として備わっている気がします。

先﨑 おっしゃる通りです。明治の近代化、戦後の経済成長を通じて形づくられたこの国が、出口の見えない混迷期に足を踏み入れています。その今、「近代システムとは何か」と改めて自問するならば、この苦境を切り抜ける道筋がきっと見えてくるはずです。つまり思想家・西郷隆盛について論考を重ねることは、これからの日本の国づくりを考え、さらには国際情勢を考えるに際しての、確たる価値基準を見つけることにつながるのです。

ロシアや中東にも及んだウエスタンインパクトとは

菅野 日本ばかりか国際社会が混沌とし、閉塞感に覆われている中で、そこからの出口をどう探り当てたらよいか……西郷さんの遺徳から学べるものがあるなら、お尋ねしないわけにいきません。

先﨑 ペリー来航に端を発する明治の近代化は、日本人の生活様式や価値観を根底から覆しました。この一大変革をもたらした「ウエスタンインパクト」は、よく考えてみると、アジアの盟主を自認する戦前の日本が、欧米列強の帝国主義に対して仕掛けた戦争に敗れたことで、戦後の経済成長を呼び寄せもしたのです。その都度、為政者のみならず広く民衆にも西洋化や民主化との軋轢や葛藤が生じて、一筋縄ではいかない国民性が育まれたと言えるかもしれません。

菅野 よく日本人は「外圧」に弱いとか、流されやすいと言われますけども、近代システムの概念まで含んだウエスタンインパクトと捉えたほうが、よほど話の筋目が通ります。

先﨑 そう捉え直してみることの汎用性は高く、例えば、昨今のロシアと西側諸国との対立構造を吟味し、イスラエルとパレスチナの紛争の歴史を理解する手助けにもなります。米国主導の西側陣営による資本主義や議会制民主主義に基づいた国際秩序を、冷戦終結後、緩やかに受け入れるかに見えたロシアが一転、そうした近代システムに反旗を翻す形で離反し、対立を深めながら新たな紛争を引き起こしています。

菅野 まさに西側からのインパクトをはね返そうとする図式ですね。

先﨑 そして、日本の戦後の経済成長とほぼ同時期に、中東のイスラム圏にウエスタンインパクトが押し寄せてイスラエルが建国され、パレスチナ難民が生じてしまった。この対立に双方を支援する親米勢力とアラブ諸国などを巻き込みながら、長らく「怨讐(えんしゅう)の連鎖」を断ち切れないまま今日の惨状を呈しています。

菅野 確かに近代化の切り口で日本や世界を眺めてみると、視界がぐっと開けてきます。
実は先﨑さんのお姿を最初にお見かけしたのは、あるテレビ討論会でした。その番組の中で強く私の印象に残ったのは、「今後の日本社会に必要不可欠なのはコミュニティや共同体の再生である」との点で、そこまで意見がほぼ合わなかった論客と共鳴したように見えたことです。

先﨑 あれは決して机上の論戦ではなく、東日本大震災の後、私自身が福島県いわき市に住んで、被災地域での暮らしや復興過程を目の当たりにしながら確信を得た問題意識にほかなりません。被災体験との関連で言うと、震災時の原子力発電所の事故によって現地周辺のコミュニティや共同体の被った痛手が倍加したのは紛れもない事実。ただし、矛盾に満ちた戦後の近代化の中で、豊かな国をつくる基盤として原子力発電が必要とされ、一筋縄ではいかない現実と折り合って、地域社会がそれを受け入れてきた経緯からも目を逸らすべきではないと思います。

菅野 それこそ近代システムとしての電源構成のあり方と、災害リスクを含めて地域社会にかかる負荷の大きさを、我々電気事業者は片時も忘れず理解・認識し、自問自答を繰り返さねばなりません。その決意を当社では「地域共生」という言葉に託し、組織ぐるみの課題として常に地域社会と向き合い、社員一人ひとりが地域の一員になるとの覚悟をもって事業に取り組んでいます。

「地域共生」を旗印とし「地方創生」に尽くす責務

先﨑 御社の地域共生への思いを伺いながら、私の脳裏にふと浮かんだのは「地方創生」(※3)です。これは急激な人口減少に歯止めをかけ、持続可能な地域社会づくりのために、政府が大臣ポストを新設してまで注力した政策課題ですが、ご承知の通り、10年経った今も進捗状況は芳しくありません。特に、安定した雇用や人流の創出といった目標の到達度は、東京圏とそれ以外の地方とでむしろ格差が広がる傾向にあって、そもそも各自治体や民間企業、住民といった地域の主体者に施策の推進を委ねた制度設計に無理があったのではないかと思えてなりません。

菅野 地方創生に関しては、しばしば「消滅可能性自治体」(※4)という刺激的な呼び名の推計とセットで語られて、各自治体が産業振興や雇用創出に努める動機づけになる一方、自治体間で人口獲得を競い合っても国総体の人口増には結びつかないと成果をいぶかる声も耳にします。我々企業は地域の主体者の一員としての責務があると自覚し、各地域で機会を捉えて積極的に参画していく所存です。

先﨑 その心意気やよしとして、ここで私が言いたいのは、末端の自治体や民間に地方創生政策を丸投げするかのような近代システムに頼っていては、持続可能な地域づくり、国づくりはできないということです。つまり、地方自治体の長か国のどちらが適切なのかわかりませんが一定程度の公的強制力を持たせた上で、地域住民の合意のもとに地方創生に向けた事業を進められる制度に改める必要があります。こう言うと、あくまでも市民の自治権が尊重され、公権力を介入させるべきでないといった原則論を持ち出す人がいますけれど、それは短絡というものです。

菅野 少し話が逸れるかもしれませんが、地方創生の一方向性として「コンパクトシティ」(※5)が全国各地で構想されて、一部の地方都市では自治体主導で都市機能が集約され、小さくまとまった街に姿を変えつつあります。ただ、高齢化や過疎化が著しい地方で、例えば郊外に住む高齢者に中心市街地への転居を促すとなると一朝一夕にはいかず、個別の案件ごとに地域住民の合意を取りつけていく難しさが、こうした構想のネックになっていると思います。

先﨑 地方の古い市街地などに行くと、空き地や空き家が虫食い状に連なるスポンジ化が目立っています。そういう中でも住民の生活環境や利便が損なわれないために都市機能をコンパクト化し、行政サービスも効率化するというアプローチは至極まっとうです。その意味で私は「地域をたたむ」という発想を持つことが大事だと思っていて、古き良き時代の夢を追うのではなく、この地域を孫子の代まで持続可能な形につくり替えるための「たたみ方」を考えてほしいと思います。

菅野 地域社会と折り合いをつけながらプロジェクトを進める点において、我々事業者にも相通ずる部分があります。まず地域の状況や課題をよく把握して、私どもが新たにつくる電力インフラが地域社会にどんな変化をもたらし、住民の方々の生活環境に将来にわたってどう関わり合うかというビジョンを提示して、皆さんの理解と同意を得ることが何よりも大切です。

先﨑さんの最新刊の『本居宣長 ――「もののあはれ」と「日本」の発見』(右)と『未完の西郷隆盛 ―― 日本人はなぜ論じ続けるのか』(左)。
西郷隆盛の座右銘「敬天愛人」は『南洲翁遺訓』に登場し、広く知られた。写真は鶴岡市にある石碑。

地域の未来への夢を語り 持続的発展に投資する

先﨑 骨の折れる仕事であるのは確かですね。話の角度を変えて、震災や風水害によって広範囲のインフラが断たれたような時、その復旧にあたっては住居が数軒しかないような過疎の集落でも電気を通さねばならない。コンパクトシティの話にも通じますが、正直、もう少しまとまって住んでもらえたらという声が、現場から上がってきませんか。

菅野 それもまた、一筋縄ではいかない住民感情として受け止めて、粛々と仕事に精を出すのが我々の任務と考えます。ただ、私たち自身が地域の一員となり、地域社会づくりに主体的に関わっていくのであれば、単に電力インフラを提供する一事業者のままでいてはいけません。当社の地域共生にかける思いを具現化する何らかの施策を打ち出そうと、今あれこれ知恵を絞っているところです。

先﨑 興味をそそられる案件です。その施策とはどのようなものですか。

菅野 当社が設備をつくり、事業を営んでいる地域において、地域のニーズに対して一企業市民として何かお役に立てることができないかと頭を悩ませているところです。言葉としてはまさに地域共生だと思っているのですが、その新機軸として、例えばそれを原資に若年層への人的投資を行う仕組みを設けてはどうかと……。

先﨑 なるほど、ありふれた箱物行政的発想とは一線を画していますね。

菅野 さらに、どうすれば持続可能な地域づくりに貢献できるのか、と様々なアイデアが出ています。

先﨑 地域に根差して活動する企業が地域社会に何をもたらすのか、住民に未来の地域社会への夢を語り、そしてそれが人を動かし、ある程度の納得感を持って、住民自らの公共心が触発されることの意義は大きいと思います。

菅野 その公共心の触発が大事なポイントで、常日頃、地域住民の方々との協議や交渉を進める過程で、相手にも、我々自身にも等しく公共心が湧き出るような親身の語らいを心がけています。また、そうでなければお互いに納得のいく妥結点は見出せないし、実のある合意形成には至らないと思っています。

先﨑 何事につけ、一筋縄ではいかない問題に対峙するには、どこに価値基準を置くかが問われます。それを踏まえて、コミュニティや共同体の再生に尽くしてくださることを願ってやみません。

菅野 大いに勉強になり、励みにもなりました。本日はありがとうございました。

(2024年5月22日実施)

構成・文/内田 孝 写真/吉田 敬

KEYWORD

  1. ※1戊辰戦争/西南戦争
    薩摩・長州藩が主の新政府軍と、幕府および東北の佐幕勢力が戦ったのが戊辰戦争。勝利した新政府軍に薩摩など西国の不平氏族が決起し、鎮圧されたのが西南戦争
  2. ※2『南洲翁遺訓』
    西郷隆盛の遺訓集で、遺訓41条、追加2条、問答と補遺から成る。為政者の基本姿勢から開化政策、財政や会計、外交、君子の心得まで事細かに綴られている。
  3. ※3地方創生
    急激な人口減少に歯止めをかけるべく首都圏への一極集中を是正し、地方の活力向上を促すことを目的に、2014年に政府主導で着手された一連の政策のこと。
  4. ※4消滅可能性自治体
    合計特殊出生率の低さや若年女性の流入不足のため30年後の存続が危ぶまれる(減少率が半数以上になる)自治体。2014年は896、2024年は744が該当した。
  5. ※5コンパクトシティ
    主に地方都市などで居住地域が郊外に拡散するのを抑制し、生活圏をコンパクトにまとめた中心市街地に居住者を誘導する街づくりの実践やその構想を指していう。急激な人口減少が進む中で、都市機能を集約して行政機能を効率化する意図がある。

PROFILE

先﨑 彰容(せんざき・あきなか)

1975年東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒。東北大学大学院文学研究科日本思想史博士課程を修了、博士(文学)。この間、文部科学省政府給費留学生としてフランスの社会科学高等研究院(EHESS)国際日本学専攻に留学。2016年から日本大学危機管理学部教授。専門は近代日本思想史、日本倫理思想史。著書に『本居宣長 ――「もののあはれ」と「日本」の発見』『未完の西郷隆盛 ―― 日本人はなぜ論じ続けるのか』(ともに新潮選書)、『国家の尊厳』『バッシング論』『違和感の正体』(いずれも新潮新書)、『鏡の中のアメリカ ―― 分断社会に映る日本の自画像』(亜紀書房)など。