アート×テクノロジーでウェルビーイングを実現する
スプツニ子!
Opinion File
課題解決のスピードにもジェンダーギャップ
鏡の前のスツールに腰をかけたタカシは、メガネを外して丁寧にメイクを施し、オレンジ色のウイッグをつける。洋服を着替え、ファーを首に巻き、腰に金属製のマシーンを装着すれば完成だ。変身したタカシは友だちと街へ繰り出し、プリクラを楽しみ、そして生理痛に顔を歪める――。
「生理マシーン、タカシの場合。」と名づけられたこの映像作品は、女の子になりたいタカシがファッションだけでは飽き足らず、生理を経験してみたいと「生理マシーン」を開発して装着する様子が描かれる。重厚なマシーンには下腹部に鈍痛を与える電極が埋め込まれ、経血が出る仕組みになっている。この作品を2010年に発表し、世の中を驚かせたのはアーティストのスプツニ子!さんだ。
「私が学生の頃、月経というのは完全にタブー視されるトピックでした。生理がくるとお腹が痛くて具合も悪くなって、世の中の女性は毎月こんなに大きなインパクトを受けているのに、社会では隠し事のようにされていて、この辛さを解消する選択肢も語られていない。これは本当におかしいと感じていたんです」
毎月ひどい生理痛に苦しみながら少女時代を過ごし、大学でイギリスに留学した際に医師に相談したところ、ピルをすすめられた。ピルといえば避妊薬というイメージがあるが、月経困難症を和らげる効果もある。実際に飲み始めると、生理痛が軽くなり体調も良くなった。こんな革命的な薬をなぜ知らなかったのだろうと疑問に思って調べてみると、思わぬ事実に直面する。
「日本でピルが承認されたのは1999年。これは国連加盟国の中で最も遅く、多くの先進国が承認して約40年が経過してからのことです(※1)。議論自体は1955年から始まっていたにもかかわらず、男性中心の委員会では、女性がピルを悪用して性生活が乱れるのではないかなどと懸念されていたのです。一方で、男性のED(勃起障害)治療薬であるバイアグラはわずか半年で承認されています(※2)。
私はそれまで、テクノロジーやサイエンスによる課題解決のスピードは人類みんなにとってフェアなものだと思っていたんです。でも、そうではなかった。課題解決の順序やスピードは、そのとき社会で誰が決定権を持っているかにものすごく左右されるのだと知りました。テクノロジーが発達しても、そこに多様性がなければマイノリティの課題解決まで多くの時間を要することになる。そんなことを考えたときに、生理マシーンのアイデアが浮かびました」
生物学的男性が生理を体験できるデバイスをつくって映像にすれば、この問題はもっと広く議論されるのではないか。そんな期待を込めて制作した作品は、ネットを通じて世界で話題となった。賛否両論を巻き起こし、少なからず批判もあったというが、時を経て現在、生理に関する議論は開かれつつある。
「うれしいことに、学生時代にスプさんの作品を見ました、私も生理に関するプロダクトをつくっています、などと声をかけていただくことがあります。最近はフェムテック(※3)の領域も盛んですよね。当時は過激だと言われましたが、私は人口の半分を占める女性が抱える問題に取り組むのは至極真っ当と思っていました。現在は生理の話題をメディアで多く見るようになり、社会は変わるのだと、実感しています」
幼い頃から感じていた「当たり前」への違和感
スプツニ子!さんは日本人の父と英国人の母の間に生まれ、両親がともに数学者という家庭に育った。幼い頃から数学とコンピューターと絵を描くのが大好き。とてもシャイで人見知りで、学校ではいじめられっ子だったと語る。
「数学がすごく好きだったり、コンピューターが得意だったり、必ずしも万人とお友だちになれるタイプではないです(笑)。日本の学校では『ガイジン』といじめられたりしました。でも、いじめられた経験があったからこそ、『これが普通』だとされている社会のルールを疑うことの土壌ができたのかもしれません」
子どもの頃、日本のメディアで語られる女性像といえば「女は愛嬌、男は度胸」、「結婚出産こそが女の幸せ」、といった価値観に満ちていた。でも、大学教授の英国人の母を見ていたので、そうではない世界を知っている。子ども心に、海外と比較すると日本では女性の選択肢がすごく限られているのだと痛感した。日本の公立小学校に通っていた頃は「ガイジン」と言われ、英国に住んでいた頃はアジア人差別を受け、辛い思いをした。そういった違和感は、のちに社会を変えていきたいという原動力につながっていく。
「社会の当たり前に傷ついた経験があると、他の何かに傷ついている人にも共感しやすくなるものかもしれません」
高校を1年飛び級したスプツニ子!さんは、英国の理系大学インペリアル・カレッジ・ロンドンへ。数学とコンピューターサイエンスを専攻したが、同時にデザインへの思いも強くなっていく。
「“ゼロイチ”がすごく好きだったんです。高校生の頃から、テクノロジーを使って何かクリエイティブなことができないかと考えていました。テクノロジーによって社会が変わったり、私たちの生活や価値観が変わったりすることに興味があったんです」
大学卒業後はフリーランスのエンジニアとしてデザイン系プログラミングの仕事に携わっていたが、「型を破るために型を知ろう」と英国王立芸術学院(RCA)に進学。本格的にデザインの道にのめりこんでいった。先に紹介した「生理マシーン、タカシの場合。」はRCAの卒業制作として発表した作品の一つだ。
ダイバーシティの本質は「昭和」vs「令和」
作品を通して世の中に新しい視点や価値観を提示するスプツニ子! さん。2022年に起業した「Cradle」もまた、作品の一つといっていいかもしれない。
「私は起業家の友人が多かったのですが、彼らは未来のあり方を提示し、資金調達し、メンバーを集めてプロダクトをつくる。そのプロセスが私の作品制作のプロセスに似ていると感じていました。生理や更年期、不妊治療など蔑ろにされがちな女性の健康課題を解決できるプロダクトやサービスをアートの枠を超えて提供できないか、そう考えたのが起業のきっかけでした」
Cradleは企業のDEI(※4)推進を支援するサービスを提供する。オンラインセミナーやヘルスケアサポートを通して女性特有の身体の悩みに寄り添い、働く人たちの選択を増やすことで誰もが輝ける社会の実現を目指している。
「日本でもDEIに取り組む企業が増えてきて、とても喜ばしいことだと思っています。ただ、どこから手をつけていいのかわからない企業が多いのも実情です。こうした企業を効率的にサポートできるシステムをつくりたいと考えました」
もともとは女性の健康課題の解決を軸にしていたが、最近では男性の更年期や男性不妊、睡眠やメンタルヘルスなどの課題も取り扱い、男性ユーザーの方が多いそうだ。Cradleが発信するLGBTQやアンコンシャスバイアス(※5)などのラーニング動画を男性が見ることで、企業の変革が加速されることを願っているという。
こうした取り組みを続けるスプツニ子!さんは、日本のダイバーシティの現在地をどのようにとらえているのだろうか。
「数百社と話していると、時には考えが異なることがあるのも事実ですが、それでも、多様性は大事だという共通認識は浸透しつつあると思います。実際にここ数年でDEI関連の部署を立ち上げる企業が増えています。ダイバーシティは“男性vs女性”という図式で考えられがちですが、それは違います。日本で多様性を妨げていた要因は“スーパー長時間労働”だったと思うんです。こうした働き方では共働きの男性も働きにくくなります。上の世代は奥さんが専業主婦で、家事も育児も介護もすべて丸投げという男性の労働者が多く、彼らを基準に働き方がデザインされてきたわけですが、今の若い世代は共働きがマジョリティ。男性も女性も協力して家事や育児をやりくりしています。ダイバーシティの本質は、“昭和の働き方”から“令和の働き方”にアップデートするということ。男性vs女性ではなく、昭和vs令和、世代の話なんです」
常に新しいことに挑戦し、自らの成長を感じていないと退屈で倒れてしまうと笑うスプツニ子!さん。今興味があるテーマの一つは、エネルギーだという。
「AIもブロックチェーンもデータセンターも、ものすごい量のエネルギーを消費します。2歳の子どもがいるのですが、この子が大人になる頃、地球は危機的な状況になりかねません。早急にエネルギーの解決策をつくるためにも、早く勉強しなければと思っています。アイデアや仕組みをつくったり人を巻き込んだりすることが好きなので、エネルギーや環境分野で何か良いアイデアを貢献できないかなと探っています」
世の中には厳しい課題が山積しているが、今何ができるのか、常に知恵を絞り続けることが大事だと考えている。そして、より多くの人のウェルビーイングを実現したい――稀代のアーティストの願いは、すこぶる平明だ。
取材・文/脇 ゆかり(エスクリプト) 写真/竹見 脩吾
KEYWORD
- ※1ピルの承認
アメリカでピルが承認されたのは1960年。日本では「ピルを認可するとエイズが蔓延するのではないか」などの理由により認可が下りず、アメリカから40年近く遅れての承認となった。 - ※2バイアグラの承認
バイアグラは申請から半年という異例のスピードで承認されたにもかかわらず、ピルが承認されていない状況に国連から批判を浴びた日本。バイアグラ承認の半年後にピルも認可された。 - ※3フェムテック
FemaleとTechnologyを掛け合わせた造語で、女性特有の健康課題をテクノロジーで解決するための製品・サービスのこと。日本におけるフェムテック市場は2021年で約643億円。 - ※4DEI
ダイバーシティ(多様性)・エクイティ(公平性)・インクルージョン(包括性)の頭文字を取った略語。それぞれの個性を最大限発揮することが、企業の価値の創造につながるという考え方。 - ※5アンコンシャスバイアス
無意識の思い込みや偏見。育つ環境や所属する集団のなかで知らず知らずのうちにつくり上げられる固定観念のこと。バイアスの対象は、男女、人種、貧富などさまざま。
PROFILE
スプツニ子!
アーティスト
株式会社Cradle代表取締役CEO
東京藝術大学准教授
すぷつにこ!
アーティスト、株式会社Cradle代表取締役CEO、東京藝術大学美術学部デザイン科准教授。1985年、東京都生まれ。2006年、インペリアル・カレッジ・ロンドンの数学科および情報工学科を卒業、英国王立芸術学院(RCA)入学。マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ助教、東京大学大学院特任准教授を歴任。2016年、第11回「ロレアル‐ユネスコ女性科学者 日本特別賞」受賞。2017年、世界経済フォーラム「ヤング・グローバル・リーダー」、2019年、TEDフェローに選出。2019年、DEIの推進を掲げてCradleを設立し、代表取締役CEOに就任。著書に自身の半生を綴った『はみだす力』(2013年、宝島社)。