栄枯盛衰の歴史を語る関門海峡に臨む港町
~北九州市と下関市、関門連系線を訪ねて~
藤岡 陽子
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九州と本州をつなぐ関門連系線は、J-POWERグループによって運営・管理されている。関門海峡を渡る送電線と、それぞれの始点となる北九州市と下関市の歴史や文化を知る旅に出た。
作家 藤岡 陽子/ 写真家 大橋 愛
寒村が特別輸出港に指定 急発展を遂げた旧門司村
いまから135年前の1889年、関門海峡に臨む一つの村に奇跡が起こった。
その村とは福岡県北九州市にかつてあった門司村のことで、当時は製塩と漁業で生計を立てる寒村だったという。
門司村に起こった奇跡というのが、国の特別輸出港に指定されたことだ。
指定後は門司港と呼び名を変えて築港作業がすすめられ、2年後の1891年には門司駅(現在の門司港駅)から高瀬駅(現在の玉名駅)の区間に九州鉄道が開通した。
さらに筑豊炭の輸出が増加すると石炭の積出港としても重要視され、特別輸出港の指定を受けてから27年後の1916年、門司港に出入りする船舶数は日本一に。時代が明治から大正へと向かう中、天に龍が昇るかのように門司港は発展を遂げていくのである。
全盛期から100年を経て門司港は人気の観光地に
この場所に確かにあった栄華に思いを馳せながら、関門海峡を眺めていた。淡い銀色に輝く海には貨物船や客船など、大小様々な船がひっきりなしに現れる。
関門海峡の幅は、最も狭いところで約650m。流れが速く、しかも1日4回、およそ6時間ごとに潮流を変える気難しさだ。
それでも昔と変わらず重要な海路であり、いまも国際航路として使用されている。
ひとしきり海を眺めた後は、門司の街を歩いてみた。潮風を感じながら、遠い日の喧噪を想像してみる。
エメラルド色の銅板葺き屋根が素敵な門司港駅。
赤レンガや御影石の外壁が美しい旧門司税関。
中国大連市で生産されたレンガを輸入し、ドイツ風建築物を模して建てられた大連友好記念館。
街に残る歴史的建造物の数々が国際貿易港として名を馳せた明治、大正時代の絢爛(けんらん)を伝えてくる。
そして全盛期から約100年の時を経て、いまこの場所は門司港レトロと呼ばれる人気の観光スポットとなり、国内外の観光客の目を愉(たの)しませていた。
大正時代の街並みを再現 タイムスリップを楽しむ
海沿いに立つ「関門海峡ミュージアム」では門司の自然や歴史、文化を学べると聞き、訪れた。
大型客船をイメージした館内を案内してくださったのは末吉春香さん。門司港共創プロジェクトチーム共同事業体の広報・PR・イベント責任者として、地域の魅力を発信している。
「まず初めに、こちらにご案内したかったんです」
と末吉さんが連れていってくださったのは、関門海峡が一望できる展望デッキ。海の上をまっすぐに渡る関門橋が真正面に見え、青のグラデーションで彩られた絵画のようだ。関門海峡の両岸にある北九州側のめかり山と下関側の火の山も、絵画の中に美しく収まっている。
「ここはもともと国際港だったので、中間地点としていろいろなものが入ってくるのがおもしろいんです。人も物も固定化されていないというか」
門司の魅力について尋ねると、末吉さんが迷うことなく答えてくれる。古代、近代における門司の歴史を深く知ってもらいたい。そうすることで門司の魅力がよりいっそう伝わるのでは、と笑顔で話す。
5階建ての広々とした館内には、全盛を極めていた大正時代の門司の街並みを再現したエリアもあった。路面電車が走り、バナナを売る行商人の声が響く。門司港はバナナ輸入船の寄港地でもあり、傷みかけたものをさばくためにバナナの叩き売りが発祥したらしい。
「門司の海は、どこにでもある海とは違います。なぜ関門海峡がおもしろいかを知ってもらって、きれい、お洒落を越えた良さを伝えたいと思っています」
末吉さんの言葉通り、歴史や文化を知ることで、目の前の景色が意味を持ち、よりいっそう魅力あるものとして感じられる。
数年先にはめかり山と火の山の間、開門海峡の上空に約1.8kmのジップラインをつくる計画もあるそうで、夢が膨らんでいった。
大正時代に始まった酒づくり ニッカウヰスキー門司工場
門司区大里元町の国道199号線沿いに、趣のあるレンガ倉庫が立ち並んでいた。こちらのニッカウヰスキー門司工場では、アサヒビールグループの主要焼酎の製造を行っている。
一般の見学は受け付けていないところを特別に許可をいただき、工場長の滝澤宗禎さんに話を聞かせていただいた。
「うちの工場ができたのは1914年のことです。当時、日本一の年商を誇る商社、神戸の鈴木商店の、大里酒精製造所として始まりました」
鈴木商店は酒の他にも製糖所、製粉所、製塩所、製鉄所など多数の工場を営み、大里臨海部に鈴木コンツェルンを形成していたとされる。
昭和金融恐慌の影響を受け、経営が悪化し、鈴木商店の名は失われたが、所有者を変えながらもいくつかの工場はいまも稼働し続けている。
「門司工場では主に焼酎の製造、瓶詰め、リキュールの製造、合成清酒の製造を行っています。太宰府天満宮のお神酒は梅酒なんですが、その梅酒もこちらの工場でつくっているんですよ」
滝澤さんに工場内を案内していただきながら、酒づくりについて学んでいく。焼酎の製造工程を見学するのは楽しく、工場内に漂うバナナっぽい甘い匂いに魅了された。甘い匂いは醗酵中のもろみの香りで、主力商品となる麦焼酎「かのか」の香りでもある。
1万7561坪もの面積を持つ敷地には桟橋があり、関門海峡を渡ってきた船が、積み荷を直接運び込めるようになっている。桟橋に立つと、川のように速い流れが肌で感じられる。
「このエリアに工場が集中していたのは、原料などを海からそのまま出し入れできたからでしょう」
所有者を変えながらも、100年以上続いてきた大里の門司工場での酒づくり。「美味い酒をつくり、安全に届ける」という思いはいつの時代も変わらずに継承されているのだと知った。
偶然か、必然か……。
取材に訪れた日、関門橋は開通50周年を迎えたという。
人々の往来や物流の運搬を担ってきた橋も、半世紀ぶん、年を取った。時が進むスピードを、過去と未来が交差する世界屈指の海峡の流れに重ねてしまう。
これから世界はどうなるのか。
先が見えないことへの不安も、正直ある。でも、自分ができることをするしかないと思うのだ。
先人がそうであったように、この地で出会った方々が教えてくださったように、ただ今日を全力で生き抜こうと思える旅となった。
海峡をつなぐ関門連系線 1980年に運転を開始
町や山間部では普通に見慣れた送電線も、それが海の上を渡るとなると、また違った景色に見える。
関門海峡の上空を走る関門連系線は、九州と本州を結ぶ唯一の送電線だ。その歴史や設備、管理について知りたいと思い、電源開発送変電ネットワーク株式会社福岡送変電事業所の山室剛視所長にお話を聞かせていただいた。
「J-POWERが関門連系線の運転を開始したのは1980年です。1981年には長崎県に松島火力発電所が運転を開始する予定であり、その電力を中国・四国方面に送電すると共に西日本の500kV連系計画の一翼を担う送電線として建設が計画されたのです」
海峡横断部の送電線は998mの長さがあり、50万Vの高圧電力を送ることが可能だという。
海に近いため管理が難しいのでは、という私の質問に対して、
「そうですね、塩分による錆が進み、電線の腐食も他の地域よりは早いと思います」
と山室所長が答えてくださる。
実は運転開始から34年経った2014年から2017年までの3年間で、すでに一度、海峡横断部の4径間分の張り替え工事をすませているという。つまり、93号鉄塔から96号鉄塔にかけての電線は、新しいものに替わっている。
「次に海峡横断部の電線の張り替え工事をするのは40年後か50年後か……」
新しい電線は従来のものより耐久性があるため、次回の設備更新はずっと先になるはずだと、山室所長が話す。
40年後か50年後……。
遠い未来の話を、自分の仕事として語る山室所長を見つめながら、これが技術の継承なのかと納得する。送電のプロは、何十年先も電気を健全に送り続けるため、今日の仕事に向かうのだと感じた。
関門連系線
回線数・電圧:2回線50万V
区間:
北九州変電所(九州電力送配電株式会社)
新山口変電所(中国電力ネットワーク株式会社)
運転開始:1980年5月
Focus on SCENE 50周年を迎えた関門橋
2023年11月14日、関門海峡を挟んで本州と九州を結ぶ関門橋は開通から50周年を迎えた。これに合わせて、ライトアップ用設備を白熱電球からLEDに更新する工事が約1年半にわたって行われ、12日からライトアップが再開された。関門海峡には海底トンネル3本、橋1本があるが、関門橋は唯一の高速道路で、物流の大動脈となっている。全長1,068mの吊橋で、1973年の開通当時は“東洋一のつり橋”と言われ、明石海峡大橋など日本の長大橋の先駆けとなった。
文/豊岡 昭彦
写真 / 大橋 愛
PROFILE
藤岡 陽子 ふじおか ようこ
報知新聞社にスポーツ記者として勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年、『いつまでも白い羽根』で作家に。最新刊は『リラの花咲くけものみち』。その他の著書に『満天のゴール』、『おしょりん』など。京都在住。