伝統のカワイイを現代に活かす
株式会社柿沼人形

匠の新世紀

株式会社柿沼人形
埼玉県越谷市

カラフルな布を使った木目込の招き猫。招き猫は海外客にも人気で、通年で売れる経営の柱の1つとなっている。

江戸時代から続く伝統工芸品・江戸木目込人形。
ひな人形や五月人形などの節句人形として利用されてきた。
日本社会の少子化により、今後需要が減ることが予想される中、伝統の技術を活かしながら、時代に合った新しいアイテムで海外客にも好評なのが柿沼人形の招き猫だ。
埼玉県越谷市にある工房を訪ねた。

型から外すために丸みのある形状に

お内裏様とおひな様が一緒になった「彩音」。お雛様の概念を一新するデザイン。
五月人形「宝輝」。伝統工芸士柿沼東光とデザイナー大沼敦とのコラボ作品。
「淑景」は、源氏物語のイメージ。
株式会社柿沼人形
代表取締役社長 柿沼智徳さん

江戸木目込人形(えどきめこみにんぎょう)は、東京都東部にある台東区、墨田区、荒川区などで生産されている伝統工芸品。

木目込とは、人形の芯となるボディに溝を彫り、衣装の布地をその溝に差し込んで貼り付け、あたかも衣装を着ているように見せる技法のこと。日本人形には大きく分けて、木目込人形のほかに、実際に衣装を着せている衣装着人形の2つがある。

都内では現在、5軒ほどの江戸木目込人形の工房があるが、その一つ、株式会社柿沼人形 代表取締役社長の柿沼智徳さんにお話を聞いた。

「木目込人形は、江戸時代中期に京都の上賀茂神社の宮大工が残った材料で人形をつくり、着物を着せたように細工して参拝者に売っていたのが始まりとされています。最初は木彫りの人形だったようですが、商業が発達する中で、大量生産が求められ、桐の木の粉を糊で練り、型(釜という)に入れて成形する方法が考案されました」

型に入れて成形する場合、固まった材料を型からきれいに外すためには、欠けやすい角があるものより、円形に近いもののほうが適している。このため、木目込人形はコンパクトで丸みを帯びたものが多く、これがカワイイ雰囲気を醸し出している。

分業でつくられる木目込人形

溝に布を押し込んで糊で固定していく。
招き猫のボディはウレタン樹脂製。
桐塑を固めたボディ(右)とそれに顔料を塗ったもの(左)。
約1mmの溝を彫っていく。
型から取りだした樹脂のバリを取り除く。

柿沼人形は、1950年に荒川区で創業、柿沼さんは3代目で、本社は荒川区にあるが、埼玉県越谷市にも工房を持つ。埼玉県に工房を設けた理由は、荒川区の工房が手狭になったことと、埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)に人形の職人が多く住んでいたからだ。柿沼さんによると「伝統工芸の多くがそうであるように、江戸木目込人形も職人による分業でつくられている」のだという。

柿沼人形は「どんな人形にするか」という企画を立てるプロデューサー的な立場。顔や手などの部品は、それを専門に製作する職人に発注、社内では木目込人形の本体といえるボディに布を木目込む作業を行って、最後に顔や手を付け、仕上げまでを行っている。プロデューサーは、どれだけのバリエーションの職人に部品発注ができるかも腕の見せ所。工房を埼玉県に移転したのにも大きな理由があったのだ。

木目込人形のつくり方は、おおまかに次のような手順になる。

(1) 粘土で人形の原型をつくり、木の枠に入れて樹脂や石膏などを流し込み、型をつくる。

(2) 桐の木を粉にした桐粉(きりこ)に糊を混ぜた桐塑(とうそ)を型に詰めて、人形のボディをつくる(桐塑の代わりに樹脂を使用する場合もある)。

(3) 固まったボディを型から取りだす(ぬき)。

(4) ボディを乾燥させ、表面の割れや荒れを補修する。紙やすりなどをかけて表面を滑らかにし、白色の顔料を塗る。

(5) 布を木目込むための、1㎜ほどの溝をつくる(筋彫り)。

(6) 溝に糊を入れて、布を押し込み、衣装を着せていく。

(7) 顔や手をつけて、仕上げる。

顔を取り付け、髪も整える。
完成したひな人形。
ショールームには、試作品も含めて様々な作品が並ぶ。

時代の変化に対応しつつ革新的な提案も

江戸木目込人形の多くは、子どもの成長を願うひな人形や武者人形、いわゆる節句人形として利用される。伝統を守り続けているように見える節句人形も時代とともに変化してきた。

戦前は裕福な家庭でしか購入されなかったため、ひな人形なら7段飾りのように人形の数も多く、何代にもわたって引き継がれるようなものが多かった。戦後の高度成長期には、多くの家庭が購入するようになったが、この時代でも人形数の多い大型のものが人気だったという。その後、核家族化が進み、マンションに住む人が増えると、収納しやすいコンパクトなものが好まれるようになった。

「今は、大きなものよりはコンパクトにしまえるものが喜ばれます。また、選択権は親にあるものの、お金は祖父母が出す場合が多いようです」

こうした要望に応えるために、柿沼人形が開発したのが「itowa ~いとわ~」というシリーズ。掌(てのひら)に納まるコンパクトなサイズ感とやさしく愛らしい顔立ちが特徴だ。

「当社は伝統を大切にしながらも、時代に合わせて革新的なアイテムを開発してきたという歴史があります」

その代表が現会長が30年ほど前に開発した桜の下で宴を楽しむ「祭遊(さいゆう)」というひな人形セットだ。ひな祭りの時期だけでなく、通年で楽しんでもらえるものはできないかと試行錯誤して開発したものだ。

柿沼さんが3代目の社長を継いだ時に、課題としていたことが2つあった。それは少子高齢化への対応と、閑散期をなくしたいということだ。

江戸木目込人形の多くは、ひな人形や武者人形、いわゆる節句人形として利用される。そのため、少子化が進行すれば、需要が減っていくことは容易に予想される。また、節句人形は3月と5月が需要期で、それ以外の時期にはどうしても閑散期ができてしまう。

こうした課題を解決するアイテムの一つが「招き猫」だ。

「最初は、有名百貨店のバイヤーだった藤巻幸大さんが運営されていた藤巻百貨店からお話をいただき、木目込人形の招き猫を出品させていただきました。藤巻百貨店は『日本』をテーマにした通販サイトで、そのコンセプトに招き猫という素材や、高級感のある木目込人形がとてもフィットし、高い評価をいただきました」

その後、東京オリンピック・パラリンピックの開催に合わせて東京都が伝統工芸を海外に発信する目的で2015年に始めた「東京手仕事」プロジェクトにも参加。海外の展覧会に出品するなどして知名度を高めた。日本をアピールするキャラクターとして招き猫が海外のネコ好きにも受け入れられていった。

「招き猫は海外客にも好評で、空港のショップなどでの取り扱いが増えました」

同社では、こうしたプロジェクトに参加する過程で、これまで木目込人形には使われてこなかった海外の布やスワロフスキーなどの素材も取り入れ、様々なデザインの招き猫を開発してきた。その評判が浸透し、アニメキャラとのコラボ、有名企業のキャンペーンなどに利用されることも増え、国内外に認知されるようになってきた。

「招き猫自体は、日本人には目新しいものではありませんが、新素材を使うことで新しい需要が生まれ、海外客にも好評です。今や、招き猫が経営の一つの柱にもなっています」

と柿沼さん。長年の課題だった閑散期の解消にも役立っているという。

コロナ禍で海外客が減ったこの3年間は当然売り上げも減った。

「今後は海外客も増えると思うので、これからに期待しているところです」

伝統の技術を大切にしながら、時代に合わせて、革新的な商品開発にも挑戦、日本のカワイイを世界に発信する柿沼人形のこれからに期待したい。

現会長の2代目柿沼東光(正志)さんが受章した旭日単光章の勲記と、その作品。

取材・文/豊岡 昭彦 写真/斎藤 泉

PROFILE

株式会社柿沼人形

1950年、東京都荒川区で創業した江戸木目込人形の工房。ひな人形や五月人形などの節句人形を中心に、時代の変化に合わせて、革新的なアイテムを開発してきたことで知られる。埼玉県越谷市に工房兼ショールームがある。