ウェルビーイングへの近道は脳を「幸福感」で満たすこと
青砥 瑞人

Opinion File

「最先端の脳科学から得られる恩恵を未来を託すべき若者や子どもたちに届けたい」と語る青砥さん。

脳内に積み重なっていく「記憶」には重さがある

いまや幸福への希求は個人生活にとどまらず、企業においても従業員の幸福度の向上、すなわちウェルビーイングの実現という文脈で優先度の高いテーマになりつつある。そこで、神経科学の最新理論から企業や教育の現場で、人の成長とウェルビーイングを支援する活動を展開するDAncing Einstein代表の青砥瑞人さんにお話を伺った。

まずは、人が「幸福」を感じる時に脳内で何が起きているのか、そのメカニズムから解説していただいた(下図参照)。

「脳の基本的な仕組みと、情報(=シグナル)を認知したり記憶したりする際のメカニズムを、3つのセクションに分けて考えてみます。1つ目は、自分が身の回りの世界をどう捉えていくかを方向づける『フィルター』で、人は自前のフィルタリング機能を経由してあふれる情報の取捨選択をしています」

日頃、私たちは無数の情報に取り巻かれているが、かといってそのすべてに注意を向けているわけではない。例えば、地図を頼りにようやく目的地にたどり着けたとして、道すがら何台のクルマとすれ違ったかまでは覚えていないし、覚える必要もない。一説には脳が受け入れられるのは、自分の見ている情報の1,000分の1以下とされる。

「第2のセクションが『反応』です。フィルターを通して取り込んだ情報に対して、我々の脳は何かを感じたり、思考や行動を導くような反応が起こります。とりわけ蔑ろにされやすい感情などの内側の反応にも、意識的に目を向けることが大切です」

この「反応」の特徴は、現れては消えていく一過性にあるという。

「そして3つ目が『記憶』のセクションです。フィルタリングされた情報に反応し、それがすべて記憶になるわけではありません。何を体験し、何を感じ、どういう思考・行動を促すのかということを何度も繰り返し学習することで、脳内に足跡(記憶痕跡、※1)を残します。これがミクロな細胞・分子レベルでその人の脳に変化をもたらし、身体化された記憶として積み重なっていくのです」

この記憶の足跡がどれくらいのサイズかというと、重さにして10のマイナス9乗グラム、つまりナノグラム単位。どんなに微細であろうと、記憶が物質として脳内にしっかり存在するかと思うと、学問上の知見とはいえ、自分ごととして手触りすら伝わってきそうだ。

「ハッピー」を繰り返して「ウェルビーイング」を育む

では、脳内に取り込まれた「幸福のシグナル」は3つのセクションを巡りながら、どのようにその姿を変えていくのだろうか。

図解に沿って遍歴をたどると、数多くの情報の中から「幸福のシグナル」を見つけ出すフィルタリングが行われ、それに反応してハッピーな感情や行動が誘発されると、束の間、幸福感に包まれる。このプロセスが反復されることでハッピーが記憶され、脳に常態化した「ウェルビーイング」になる。

そして、このハッピーの段階とウェルビーイングの段階の違いをよく見極めることが、自分自身を真に幸福な状態に導きたい人にはとても重要だと、青砥さんは言葉に力を込めた。

「例えば、私が大好きなコーヒーを飲んで『今、幸せだ』と感じたとします。この時私の脳内では、いわゆる幸せホルモン(ドーパミン、βエンドルフィン、セロトニン、オキシトシン、※2)が盛んに分泌されています。でも、それによる幸福感もやがて雲散霧消してしまうのは、人体が一定の状態に戻ろうとするホメオスタシス(恒常性、※3)が働くからで、脳も原状回復に向かうのです。

この幸福感を一過性の反応で終わらせないために、私はこの『今、幸せだ』を繰り返し何度も味わうことで、脳にしっかり記憶化されたウェルビーイングの状態にしていくことが重要です。そうすることで私は、いつでも幸福感を思い返しては恒常的に幸せを感じることができるのです」

そうした道筋をたどって、その場限りの儚いハッピーを、常にスタンバイ状態のウェルビーイングに昇格させるための秘訣や心掛けを教えていただいた。

「難しく考える必要はありません。私の場合、例えばコーヒーを飲んでおいしいと感じたら、ほんの10秒間、その幸福感に意識を集中させます。楽しい体験をした瞬間に、それがどんな出来事かだけでなく、どんな感情に包まれたのかも深く心に刻むのです。

するとその体験が、脳の海馬(※4)に『エピソード記憶』として残ると同時に、脳の扁桃体(※5)に『感情記憶』として刻まれて、おいしいコーヒーの記憶が、その折のワクワク感や心地よさまで伴って思い起こせるようになります。自分自身を幸せな状態に導くために能動的、かつ意識的に行動することを『アクティブハピネス』と私は呼んでいますが、人間の脳にだけ備わったその能力を解き放ち、豊かな記憶で脳を満たしていくことがウェルビーイングへの近道と言えるでしょう」

UCLAに通った当時の青砥瑞人さん(右から2番目)。脳について学ぶには数学・統計学・生物学・化学・物理など広範な学問を修める必要があったという。
最新の神経科学の研究に基づき、人の成長やウェルビーイングの観点から人的資源の活性化などを論じる青砥さんの講演活動は、企業の社員研修などに引く手あまただ。

身の回りの強い刺激を避けささやかなシグナルに気づく

ここまで青砥さんの話を伺ってきて、ある気づきがあった。

神経科学でいうところのウェルビーイングとは、「心が満たされ、豊かさを感じている(Well)」状況が、脳内に「維持されている(Being)」状態のことだ。そこを到達点として、幸せな体験・感情の記憶化を促すべく、その前段の「反応」で現れる自分のポジティブな感情や思考・行動のあり方に気づき、それを味わう。さらに前段の「フィルター」では情報フィルタリングの指向性を調えていく。それはつまり、その人のほぼ全人格がウェルビーイングの影響下に置かれることを意味するのではないか、と。

「その通りです。脳は意識的に注意をディレクトできる仕組みがあるので、フィルターにも、反応にも、記憶に対しても、自分がありたい方向に注意を振り向けることができるし、自らの意思や嗜好でそれらを制御することもやってのけます。脳は自分でつくり上げていけるもの――そう言い換えてもいい。

したがって、ウェルビーイングを突き詰めていくと、どんな自分をつくりたいのかに行き着きます。その意味で私は『人生は自己造形だ』と考えていて、その成長過程こそが人間活動のおもしろさであり、脳を探究する上で興味の尽きないテーマなのです」

幸せな体験・感情を記憶にとどめて身体化する――そのようにして自分の脳を鍛えていけば人生を変えられるし、なりたい自分にもなれる。そこだけ注目すれば「ウェルビーイング最強説」を唱えたくもなるが、青砥さんは、人の脳に特有なこの仕組みにも弱点はあり、思いも寄らぬ落とし穴に陥らぬようにと警鐘を鳴らす。

「人間の脳は元々、ポジティブで穏やかなシグナルよりも、ネガティブな情報や強い刺激をキャッチしやすいのです。これは人類の誕生以来、常に環境に潜む危険から身を守り、生存確率を高めるために備わった性質で、神経科学では『ネガティビティ・バイアス』と呼びます。これが脳のフィルタリング機能に優位に作用すると、不安や不幸せな感情ばかりが増幅されて、幸せを感知しにくい脳に変異してしまうことがよく起こります」

日頃、メディアやネットなどの報道に接する際、より刺激的でショッキングなニュースに真っ先に目が向いて、心温まるエピソードや四季折々の風物詩などは後回しになりがちなのは、この仕組みがあるためだという。

「現代社会に充満している強いシグナルは、ウェルビーイングとの相性がよくありません。身の回りの『ささやかなシグナル』に気づき、脳に取り込む習慣を身につけてほしい。豊かさの感知能力に磨きをかけ、幸せの表面積を広げることが今後ますます重要になります」

脳から人生を変えて思う「きっかけで人は変わる」

ところで、神経科学を専門とするも一般的な研究者の道を歩まず、独自の理論を構築しその社会実装をめざす事業家でもある青砥さんの経歴はユニークだ。挫折感に苛まれていた20歳頃に脳科学と出合い、たちまち「脳の虜」になってしまい、そこから人生が大きく転換したという。

「子どもの頃から野球一筋できて、高校の部活で大ケガをしたのを機に退学。生きる目標を見失う中、昔コーチに習った丹田呼吸法(※6)や瞑想(※7)の効用を思い出し、それらが脳の働きと関係するらしいと解って、脳を詳しく知るなら医学部へ進むしかないと。そんな変則ルートは国内では無理……ならば米国へ渡ろうと一念発起して、人生で初めて猛勉強しました。そして難関とは知りつつ脳の研究が盛んだったUCLA(※8)へ進み、学費工面のため奨学金や飛び級を狙いながら、どうにか神経科学の学位を取りました」

脳の不思議に魅入られてからの数年間、青砥さんに起きた変化は何だったのだろう。

「自分のやりたいことはこれだ!と悟って、自らが理想とする自分へ向けて邁進できました。きっかけ次第で人は変われることをリアルに体験できたし、その理由が『脳の仕組み』にあることを同時進行で学べました。脳に対して能動的に働きかけ続ければ、自分の成長を促せるのはもちろん、人生さえ変えられることを、身をもって示せたと思っています」

そういった経験があるからこそ「人と脳」を熱く語る一言一句にリアリティが籠っている。

UCLAで学位取得後、青砥さんは研究者生活を続けるか、蓄えた知見を活かせる「現場」に立つかで迷い、結局、後者を選んで帰国し、2014年に会社を設立。満を持して「脳×教育」の可能性を拓く観点から学齢期児童の教育支援事業や、企業向け社員研修制度の刷新などに取りかかった。

「人に脳がある以上、あらゆる人間活動に脳が深く関わっているのは明白です。とりわけ『人の成長に脳が大きく関与する』という文脈に沿って、最先端の脳科学から得られる恩恵の数々を、未来を託すべき若者や子どもたちに届けられたらと願っています」

ちなみに、ユニークな社名「DAncing Einstein」は直訳すれば、踊るアインシュタイン……設立者が敬してやまない天才科学者も浮かれるほど、楽しくて意義の深い成果を生み出したい、という意味である。実は頭文字の「DA」は、幸せホルモンの代表格ドーパミンの略称で、そんな隠し味からも幸福のシグナルを感知できそうだ。


取材・文/内田 孝 写真/竹見 脩吾

KEYWORD

  1. ※1記憶痕跡
    記憶に関して脳内に形成される生物学的な構造を指す。情報の符号化、保持、想起などの過程で脳内の各所を記憶痕跡が移動していき、記憶が固定化される。
  2. ※2幸せホルモン
    脳内で主に幸福感の発現に関わるとされる神経伝達物質の通称。脳の報酬系に作用して記憶や学習意欲を促すドーパミン、抗ストレス作用などを担うβエンドルフィン、情動を安定させ睡眠にも関わるセロトニン、仲間意識やスキンシップにより分泌されるオキシトシンの4つを指すことが多い。
  3. ※3ホメオスタシス(恒常性)
    生物が生き続ける上で欠かせない根源的な性質の1つで、生体内部の環境を、外部の環境因子の変化にかかわらず一定の状態に保ち続けようとする傾向のこと。
  4. ※4脳の海馬
    脳の大脳辺縁系を構成する器官で、長期記憶や空間学習能力などに深く関わる。
  5. ※5脳の扁桃体
    やはり脳の大脳辺縁系の一部で、情動的なエピソードに紐づいた記憶の形成と貯蔵において主要な役割を担う。
  6. ※6丹田呼吸法
    横隔膜を鍛えることで心の安定化や活性化を図り、スポーツや武芸などの上達を促す効果を狙った呼吸法の一種。
  7. ※7瞑想
    心を鎮めて無心になり、何かに集中すること。感情の制御、集中力の向上、気分高揚といった効能が期待される。
  8. ※8UCLA
    米国のカリフォルニア大学ロサンゼルス校の略称。5学部、7大学院で構成され、4万人超の学生が在籍。1919年創立で、過去に14人のノーベル賞受賞者、230人以上の五輪メダリストを輩出した名門大学。

PROFILE

青砥 瑞人
株式会社DAncing Einstein代表
応用神経科学者

あおと・みずと
1985年、東京都生まれ。高校中退後、米国のコミュニティカレッジを経てUCLAに入学し、神経科学学部を飛び級で卒業。2014年、株式会社DAncing Einstein を設立。脳神経科学をベースに心理学や教育学を結合した独自の理論を応用し、未就学児童の教育現場から企業の人材育成まで幅広い対象に向けて、人の成長やウェルビーイングのヒントを与えるための活動を展開している。著書に『最新の脳研究でわかった! 自律する子の育て方』(共著、2021年、SBクリエイティブ)、『HAPPY STRESS ストレスがあなたの脳を進化させる』(2021年、SBクリエイティブ)など。