世界を面白がる物理学のまなざし
小林 晋平

Opinion File

お笑い芸人に憧れていた時期もあったという小林さん。人を楽しませることへの思いは、物理学を伝える活動にもつながっている。

「当たり前」をあらためて問い直す

重低音のビートが鳴り響き、色とりどりの光が交差するクラブのフロア。熱気に包まれたステージに立つのは、DJでもダンサーでもない。東京学芸大学教育学部教授で物理学者の小林晋平さんだ。

「夜学」と名づけられたこのイベントは、グラスを傾け、音楽に身を委ねながら、「物理学」の楽しさを体感する場だ。「物理」といえば、学校の授業で苦手意識を抱いた人も少なくないかもしれない。だが、クラブに集まった人たちは、まるで極上のエンターテインメントを味わうかのように、小林さんの言葉に目を輝かせている――。

そもそも、物理学とはどんな学問なのだろう。小林さんに尋ねると、「世界を面白がるための方法」だという答えが返ってきた。

例えば、机の上に置かれたペットボトル。物理学では、それが「じっと止まっている」こと自体が研究対象となる。重力によって下向きに引っ張られているのに、なぜ机にめり込んでいかないのか。そこには、重力と釣り合う上向きの力が働いているはずだ。そこから、机が物体を押し返す「垂直抗力」という概念が導き出される。

「普段の生活では、なぜペットボトルが止まっているのかなんて考えませんよね。でも、そうした当たり前を、当たり前のままにせず問い直してみる。それが物理学のやり方なんです」

だから、物理学がカバーする領域は、まさに森羅万象だ。物体の運動や光の性質はもちろん、経済活動や社会現象を分析する経済物理学(※1)など、この世界のあらゆる事象が探究の対象となる。ともすれば「難解な数式を駆使する学問」というイメージを持たれがちだが、小林さんいわく、数式は自然界を読み解くための「言語」のようなもの。本質にあるのは数式の暗記ではなく、「なぜ?」、「どうして?」と世界を観察するまなざしなのだ。

その幅広い領域の中で小林さんが専門とするのは、物質の最小単位である素粒子の性質を研究する「素粒子物理学」と、宇宙の様々な現象を探究する「宇宙物理学」の境界領域。特に長年、小林さんを魅了してきたのは、「ブラックホールの中はどうなっているのか」、「宇宙の始まりはどうだったのか」というテーマだ。

「実はこの2つは密接に関連していて、どちらかが解明されれば、もう一方の謎も解けるのではないかと考えられています」

ただ、ブラックホール内部の解明には高いハードルが立ちはだかる。地球からはるか遠く離れていることに加え、探査機を送り込もうとしても、強大な重力で引き伸ばされる「スパゲティ化現象(※2)」が起こり、探査機は壊れてしまうと考えられている。また、仮に探査機がブラックホールの内部に到達できたとしても、そこから情報データを外に送ることはできないという。電波は光の一種だが、強い重力によって、その光すらブラックホールから脱出できないからだ。では、いったいどのように解明していくのだろう。

「物理学者は、ブラックホールの『周り』を見るんです。直接内部を見ることができなくても、周囲を渦巻く星々の光の動きや、時空の歪みが波として伝わる『重力波(※3)』などを手がかりに、ブラックホールの中を推測することができるのです」

重力波の存在は、1916年にアインシュタインが一般相対性理論(※4)で予言していたものだ。しかし、その検出は長く人類の手の届かない領域にあった。重力波がもたらす空間の歪みは極めて小さく、地球と太陽の間(約1億5,000万km)の距離に対して、水素原子1個分がゆらぐ程度でしかないからだ。検出は不可能と思われたその微(かす)かな波を、2015年、人類は100年の時を経てついに捉えた。これを機に、ブラックホール研究は大きく前進することになった。目に見えない宇宙の深淵に挑む知の営みは、今も加速度的に進化を続けているのだ。

音楽と光が交差するフロアで、物理学を全身で楽しむ「夜学」。小林さんの講義に耳を傾け、参加者同士の語り合いも盛り上がる(写真:ご本人提供)。

好奇心の原点はひみつ道具とギリシャ神話

この果てしない物理学の世界に、小林さんはなぜ魅了されたのか。その原点は、幼い頃の読書体験にさかのぼる。

「小さい頃から『ドラえもん』が大好きで、両親によると、私は『ドラえもん』で字を覚えたそうです。タイムマシンや四次元ポケット、どこでもドアといったひみつ道具は、実はどれも相対性理論につながる話。もちろん、当時はそんな言葉すら知りませんでしたが、自然とその世界観に胸を躍らせていたのだと思います」

もう一つ、小林少年の心をゆさぶったのが、父親に買ってもらった星座図鑑だ。

「私が惹きつけられたのは、星そのものの話ではなく、そこに記されていたギリシャ神話でした。世界はどう始まったのか、最初に何が起こったのか。物語を読み進めるうちに、宇宙の始まりについて興味を持つようになったのです」

中学時代にはジョージ・ガモフの『不思議の国のトムキンス(※5)』に出合い、ひみつ道具が相対性理論と結びついていることに気づいた。スティーブン・ホーキングの『ホーキング、宇宙を語る(※6)』では「宇宙は無から始まった」というフレーズに心を躍らせ、科学雑誌「Newton」に夢中になった。

「その頃から、自分はこの世界を研究する人間になるのだと、どこか確信のようなものを感じていたのかもしれません」

大学に入学した当初は天文学を志していたが、学びを深めるうちに、自分が解き明かしたい問いは、宇宙物理学のアプローチに近いと考えるようになった。

「世界がどうやって始まったのか。物理学を突きつめていけば、究極的には、『自分がなぜここにいるのか』という答えにまでたどり着けると考えました。でも、時間や空間というあまりにも巨大な入れ物を扱ううちに、学べば学ぶほど、自分という存在が消えていくような感覚に襲われて。実は、物理が嫌になった時期もあったんです」

そんな停滞した気持ちから小林さんを救ったのは、異分野で活躍する人たちとの出会いだった。博士号を取得後、講演活動などを通じて、民俗学や数学、芸術、音楽といった多様な分野の研究者と対話を重ねる中で、物理学もまた、最終的には「人」を探究する学問なのだと気づいたという。

「例えば、自分の手を見るとき、肉眼なら表面の皮膚が見えます。X線写真を撮れば骨が見えるし、赤外線で見れば温度がわかる。では、どれが本当の手なのかといえば、そこに優劣はありません。自分が何を見たいのかに応じて、使う道具を変えているだけです。

物理学も同じで、自分が何を見たいのかを定めなければ、対象にアプローチすることはできません。つまり、自分は何を知りたいのかを突きつめていく必要があるということです。物理学をやればやるほど、自分が本当に知りたかったことに近づいていくのではないか。そう思えるようになったのです」

物理学の奥深さと楽しさを体感できる小林さんの著書。難解な物理学をわかりやすく、情熱的にひもといている。

授業はライブそのもの 人と対峙する奥深さ

小林さんのキャリアをひもとく上で、物理学と並ぶもう一つの大きな軸となっているのが、「教育」への思いだ。

群馬工業高等専門学校(群馬高専)では、7年間にわたって教鞭(きょうべん)を執った。ものづくりには強い興味を持ちながらも、数学や物理に苦手意識を持つ学生が少なくなかったという。どうすればこの学問の面白さを伝えられるのか、学生たちの反応を見ながら試行錯誤を重ねた。やがて、その情熱は学生たちの心を動かし、6年連続で「ベストティーチャー」に選出された。学生たちからつけられたあだ名は「やる気の無料配布」だった。

「授業というのは、まさにライブなんです。どれだけ精密に計画を立てて臨んでも、人を相手にしているのですから、思い通りにはいきません。例えば、前の授業が水泳で、全員が眠そうにしていたら、予定していた数式なんて一切使えません。その場で実験に切り替えるなど、即興で構成を変える必要があります。人間という存在を相手にする教育の現場は、本当に奥が深くて面白いものだと実感しています」

その後、活動の場を東京学芸大学に移し、現在は物理学の研究とともに、現場の教師たちが培ってきた実践知をいかに体系化するかといった教育研究にも情熱を注いでいる。

コロナ禍には、「24時間ではしりぬける物理(※7)」という前代未聞の企画に挑戦した。高校物理の全範囲を24時間連続で講義するという試みは、延べ2万人以上が視聴。リアルタイムのチャットで質疑応答を交わすなど、オンラインならではの双方向性を活かした講義は大きな反響を呼んだ。さらに、冒頭で紹介した「夜学」は、一般の人に物理学の魅力を届けるエンターテインメントとして、回を重ねるごとに広がりを見せている。

「物理は本来、誰もが自由に楽しめる学問です。だからこそ、わかりやすく簡略化するのではなく、難解さも含めて物理そのものの面白さを届けたい。クラブという非日常の空間で、音楽に身を任せながら物理を全身で浴びてもらいたいと思っています」

フロアには研究室の学生や研究者も控えていて、参加者が彼らと自由に議論できる時間を設けている。小林さんはこの場を「サファリパーク」と呼ぶ。「研究者を〝珍獣〞として外から眺めるのではなく、同じ空間で直接触れ合ってほしい」という思いがあるからだ。

生成AIが一般化し、与えられた問いに瞬時に「解答」が示されるようになった現代。人と出会い、問いを交わすことの意味があらためて問われる中、小林さんは今の社会をどう見ているのだろうか。

「物理の語源は、古代ギリシャ語の『ピュシス』で、これは論理(ロゴス)とは対照的に、湧き上がる現象そのものを意味する言葉です。つまり、論理よりも身体感覚のようなものが先立つのが物理の世界なのです。私は今、そういった感覚の重要性を強烈に感じています。ともすれば効率やわかりやすさを追い求める傾向がありますが、言葉にならない感覚や違和感まで切り捨ててしまってはいけない。自分の主観を大切にするところから、本当の問いが生まれるのではないでしょうか」

不確実な時代にあっても、人は知恵を寄せ合い、前へと進んできた。「人間って、捨てたものじゃない」と微笑む小林さん。世界を面白がるまなざしの先には、まだ誰も見たことがない面白い未来が待っている。

取材・文/脇 ゆかり(株式会社エスクリプト) 写真/吉田 敬

KEYWORD

  1. ※1経済物理学
    物理学の分析方法や理論を用いて経済や社会の現象を分析する学問。市場データや人々の動きを巨大な物理現象と見なし、その背後にある法則性や仕組みを読み解く。
  2. ※2スパゲティ化現象
    ブラックホールなどの極めて強い重力場に物体が近づく際に、物体にかかる重力の差によって、スパゲティのように細長く引き伸ばされる現象のこと。
  3. ※3重力波
    巨大な天体が動く際に、重力の影響で生じる時空の歪みが波となって伝わる現象。現在、宇宙が始まった頃の重力波の検出を目指し、「ライトバード衛星計画」などが進められている。
  4. ※4一般相対性理論
    アインシュタインが発表した重力の理論。1905年に発表した「特殊相対性理論」を拡張し、重力とは物体同士の「力」ではなく、質量によって生じる「時空の歪み」であると解明した。
  5. ※5『不思議の国のトムキンス』
    ビッグバン理論の提唱者、ジョージ・ガモフによる科学読み物。主人公が夢の世界を冒険する物語を通して、相対性理論や量子力学など難解な物理学の概念をわかりやすく解説する。
  6. ※6『ホーキング、宇宙を語る』
    物理学者スティーヴン・ホーキングが、宇宙の起源からブラックホール、時間の始まりまでを平易に解説。難解な理論を身近な問いに置き換え、宇宙論の魅力を一般読者に伝えた世界的ベストセラー。
  7. ※7「24時間ではしりぬける物理」
    2020年3月にYouTubeで生配信された、高校物理の全範囲を24時間で網羅する小林さんの特別講義。配信を通じて募った68万円の寄付金は、子どもの貧困解消に取り組む団体へ寄付された。

PROFILE

小林 晋平
東京学芸大学教育学部教授

こばやし・しんぺい
東京学芸大学教育学部教授/学長補佐。1974年、長野県生まれ。京都大学理学部卒。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。東京大学ビッグバン宇宙国際研究センター研究員、日本学術振興会海外特別研究員(カナダ・ウォータールー大学、ペリメーター理論物理学研究所)、国立群馬工業高等専門学校准教授を経て現職。「夜学」や「大人の科学バー」など一般向け講演会の講師も務め、2025年7〜9月放送のNHK Eテレ「3か月でマスターするアインシュタイン」では相対性理論などをわかりやすく解説して話題に。著書に『宇宙の見え方が変わる物理学入門』(2021年、ベレ出版)など。