伝統を守り、未来に挑む日本企業の底力
渡部 肇史 × 山崎 洋一郎

Global Vision

J-POWER会長
 

渡部 肇史

山崎金属産業株式会社
代表取締役社長

山崎 洋一郎

創業100年を超える長寿企業が世界でも群を抜いて多いとされる日本。
その秘密は、伝統を守りながらも挑戦を続ける経営の妙技にあるのかもしれない。
そう感じさせる非鉄金属産業の老舗企業トップが語る経営の流儀を傾聴する。

挑戦する老舗企業 130年の軌跡

渡部 銅やアルミニウムといった非鉄金属製品を提供して130年以上という、大変長い歴史を持つ山崎金属産業株式会社の代表取締役社長、山崎洋一郎さんにお越しいただきました。山崎さんと私はともに東京商工会議所の資源・エネルギー部会で役員を務めておりまして、それぞれ電力の需要側と供給側ということで立場は違いますが、省エネや再エネ、脱炭素化の促進といった課題について話し合う間柄にあります。本日はそうした話題に加え、伝統ある企業の来し方や、守りと攻めのバランスの取り方についてもお話を伺えればと思っています。

山崎 よろしくお願いします。当社について簡単に紹介しますと、創業は1893(明治26)年、初代の山崎惣吉が銅や真鍮を扱う商店、いわゆる問屋を開いたのが始まりです。その頃の銅製品というのは、足袋のハトメや電球の口金といった、日常生活のちょっとした金物に使われるものが主だったのですが、その後の日本の電力産業、重工業の発展とともに工業製品としての用途が広がりました。電線類などはその最たるものです。今も当社は銅やアルミといった非鉄金属素材をはじめ、それらを使った鋳物(いもの)や電子部品などの加工品の調達・製造を生業として、その時代の求めに応じた製品をお届けしている会社です。中には80年以上もお取り引きを続けてくださっているお客様もいます。

渡部 そうした長きにわたる道のりの途中には、いろいろな転機がおありだったことでしょう。日本の資源のありよう一つをとっても大きく変わり、江戸期から輸出されていた日本の銅鉱石は、今ではほとんど輸入に頼っています。

山崎 そうですね。当社の創業者も江戸時代から続く銅の大問屋でまず修業をして、のれん分けで独立したと聞いています。当時は本家筋と同じ取引先を担いではならないという不文律があって、あちらが愛媛の別子銅山を原産とする住友系でしたから、私どもでは栃木の足尾銅山をお持ちの古河さんとのお付き合いを深めました。古河電気工業株式会社は今でも当社のメインサプライヤーです。
明治期は問屋の力が強かったので、製品の製造元、今でいうサプライヤーには価格決定権がなく、問屋同士の寄り合いで仕入れ値や供給先を決めていました。問屋が倉庫に品物を備え、そこにお客さんが買いに来るという販売方法です。それが大きく変わったのが終戦後の電気や自動車などの産業発展期で、売る側が得意先のもとを訪問するルート営業が根づいていきました。当社でも3代目の社長、私の伯父がそちらに舵を切り、店舗販売から切り替えました。

渡部 時代の節目ごとに時機を捉え、経営や販売のスタイルを変えていかれたわけですね。山崎さんが社長に就かれたのは2003年です。それと前後する時期にも製造事業への参入や脱炭素への対応、積極的な海外展開といった新しい挑戦をなさっていますね。

山崎 お客様が何を欲しているかを常に模索して、できるだけそれに近い形を追求するという、当社の昔からの姿勢の結果です。昔から付き合いのある問屋が、放漫な経営によって衰退していく様を目の当たりにしたことからも影響を受けています。受け継いでいくべきものがある以上、その資本を大きく毀損(きそん)するような無茶な投資をしてはならないと、父からもよく言われてきました。
その中でも、時代に合わせた新しい展開は必要です。私の場合、製造事業への参入決断の背景に、1990年代の半ば頃、市場経済導入期の中国で見た、ある企業の変容ぶりがあります。最初の出張時に出合った流通系の小さな会社が、翌年の訪問時には自前の工場に2台の機械を持ち、さらにその次の訪問時には巨大な製造会社へと成長していました。その頃の日本はバブル経済崩壊により、錚々(そうそう)たる大企業の「企業城下町」が町ごと元気のない状況でした。そんな先行きの見えない時代でしたから、「餅は餅屋」という旧来の発想から解き放たれた挑戦が、比較的すんなり受け入れられたのかもしれません。

渡部 それまでの商社機能にプラスして、非鉄金属の加工業を2000年から開始されたのにはそうした経緯があったのですね。

山崎 今は群馬と福井の自社工場を中心に、切断や切削、造形といった多様な加工に対応するほか、食品や薬品などの粉粒体を保管から混合までトータルで行うバルクシステムの開発・製造・販売も行っています。

脱炭素ブランディングでサプライチェーンを強化

渡部 脱炭素化への取り組みも、製造事業への参入が契機になったとか。環境に配慮した製品を求める社会の流れを見越してのことですか。

山崎 当時はまだ脱炭素とまではいきませんでした。ただ、加工業務で取引先の信頼を得るためには、環境配慮や品質管理の視点から高度な製造体制・プロセスを構築する必要がありました。その証しとして、環境マネジメントシステムの国際規格である「ISO14001」の認証を取得したのが2003年です。もともと銅関連産業はリサイクルに率先して取り組んできた産業でして、戦後の需要増加とは裏腹に国内鉱山の衰退などによる原料不足とも相まって、使用済み製品を再利用する仕組みが定着しました。そのような業界の事情も後押し要因だったのだと思います。

渡部 2015年に開かれたCOP21(国連気候変動枠組条約第21回締約国会議)でパリ協定が採択され、世界の平均気温の上昇を産業革命前と比べて2℃より低くすることが国際目標とされました。それにはCO2の排出量削減が不可欠です。そして日本では2020年10月、当時の菅首相が2050年までに温室効果ガスの排出量実質ゼロを目指すカーボンニュートラルの実現を宣言しました。これと前後して、様々な業界で脱炭素への取り組みを急ぐ動きが加速しましたね。

山崎 まさにそうした流れの中で、当社における環境経営の方向性も、はっきりと脱炭素を意識するものへとシフトしました。実際、取引先から脱炭素に関する対応を問われる機会が増え、特に自動車産業のお客様の関心は高く、当社の製造工程などから排出されるCO2に関して調査を求める声が大きくなりました。こうした産業に欠かせない非鉄金属のサプライチェーンを担う立場にある企業として、脱炭素への関与は今後の事業継続にも関わる重大事です。ややもすれば、供給網から閉め出されないとも限りません。そんな危機感もあり、2022年頃から本腰を入れて取り組むことになりました。

渡部 そこで参加されたのが、脱炭素や省エネの具体的な取り組み方について専門家を交えて学んでいく、外部の勉強会ですね。どのような収穫がありましたか。

山崎 正直なところ、脱炭素といっても何から始めればいいかよくわからない状況でしたから、まずは専門家の指導を受けて体系的な知識を仕入れなければと思いました。その第一歩として大事なことは、当社がどれだけの量のCO2を排出しているのかを正しく知ることです。算定方法について勉強し、勉強会に参加する他社のデータとも比較しながら当社の立ち位置を確認しました。次に、学んだことを担当者の知識で終わらせず、社内で共有して広めること。全社員対象の勉強会を定期的に開くなどしてこれに努めています。

渡部 そのようにして全社的に意識が高まると、脱炭素の取り組みが会社の強みになりますね。「だから、あなたの会社を選びます」と取引先に言ってもらえるような。

山崎 その価値は大きいと思います。取引先が商品やサービスを選ぶ目は今や、価格や納期だけでなく、CO2排出量にも向き始めています。そこで、当社としても真剣に考え始めているのが、「脱炭素のブランド化」です。自社でCO2排出量の削減を進めるだけでなく、例えば製造工程を短く抑えるなどして、製造・販売のライフサイクルを通じてCO2排出量削減に貢献するような環境配慮型製品を積極的に出す具体策を検討しています。製品ごとに「炭素の足跡」を見える化するという、いわゆる「カーボンフットプリント」の取り組みでもあります。
そのほか、再生可能エネルギー(以下、再エネ)利用への切り替えを進めるため、群馬工場に太陽光パネルを敷設して昨年度から稼働しました。また、本社ではすべての照明をLEDに置き換えて、老朽化した空調設備のリニューアルも行いました。

渡部 なるほど。今すぐできることから手を着けて、段々と大きくしていくことが大切なのですね。

日本の産業の支えとなるエネルギー安定供給を

渡部 GX(グリーントランスフォーメーション)への取り組みには初期投資が付き物です。長い目で見ればビジネス上の利点があり、エネルギー使用量の低減などによるコストメリットも期待できるとされていますが、足元で加速する資源調達難やエネルギー価格の高騰も無視できません。そうした厳しい状況下で、御社の工場では日々大量の電力を消費され、しかも電圧や周波数の変動が少ない品質の良い電気を必要とされています。そのような立ち位置から見て、電力を取り巻く最近の事情や、電力供給側に対してお考えはありますか。

山崎 ひと言で申し上げれば、エネルギー供給の安定化を望む、これに尽きるように思います。そのことの重要性を多くの経済人が嫌というほど味わったのが、東日本大震災と福島原子力発電所の事故による電力供給制限でした。災害直後、首都圏では計画停電が行われましたが、これは我々のような電力の大口需要家にとっては死活問題です。例えば、電解銅箔といって、電気分解によって非常に薄い銅板をつくる方法があるのですが、これなどは製造途中で1回でも稼働を止めたらつくっていた製品がすべて駄目になってしまう。コストの問題ではなく、事業存続の問題なのです。当社のあるサプライヤーは計画停電を機に、電解銅箔の製造ラインを海外に移転されました。
そういうことを考えると、エネルギーの安定供給は国家の産業競争力を左右する一大事であることが、身に染みてわかります。

渡部 本当にそうですね。地政学的リスクが高まる中でエネルギーの安全保障をどう守るか、多様な電源をどう確保するかを考えつつ、再エネの拡大をはじめとするカーボンニュートラル実現のための設備投資を急ぐ必要もありますし、電気料金の低減・安定化に向けた工夫にも努めなければなりません。それら諸々を同時に追求しながらの安定供給が必要です。

山崎 かつては地域ごとの電力会社が中心となって安定供給を支えてきましたが、電力自由化の大きな流れの中で発電・送配電の分離や電力小売りが進み、電気料金の引き下げやサービスの拡充が図られてきたことは承知しています。電気を使う側の選択肢が広がり、利便性が上がったことも事実でしょう。日本の電力システムの最終形が具体的にどうあるべきかはわかりませんが、混沌としているように見えるこの状態が早く収束し、誰もが安心して電気を使えるようになってほしいと思います。

渡部 供給側として重く受け止めなければならないご意見です。自由化・脱炭素化などの課題が顕在化したこの10〜20年の間、J-POWERも様々な取り組みにトライしてきてはいるのですが、将来に向けてのより良い着地点を模索しているのが今の状況です。

山崎 再エネの利用や脱炭素電源へのシフトについて言えば、私たち需要家が主体的にそれらを選択することも大切だとは思うのですが、電気を使えば半ば自動的にカーボンニュートラルに近づけるというような、そんな仕組みがあればありがたいですね。今はまだどう行動すべきかよく見えず、皆さんが横並びで様子見のような状況ですから、今後の見通しについてもぜひ、供給サイドからの啓発に期待したいところです。

渡部 ぜひそのような需要家と供給側が交わる場づくりにも努め、いろいろな業種の方々のご意見をお聞きしたいと思います。

堅実かつ大胆に挑む 守りと攻めの二刀流

山崎金属産業福井工場(福井県坂井市)にて。
アルミ板の切断や溶接を行う最新鋭の加工機を見学。

渡部 ところで、先だって御社の福井工場と小松事業所を見学させていただいた際、植物水耕パネルの洗浄機という一風変わった機械が小松事業所にあるのをお見かけしました。あれは植物工場とかで野菜などを育てるのに使うパネルを洗うためのものですか。銅やアルミの加工場には似つかわしくない印象でしたが……。

山崎 ちょっと不思議に思われますよね。実はアルミ板の用途拡張、販路拡大といったテーマで食品系のお客様を訪ねた時、水耕パネルの洗浄に手を焼かれているというお話を耳にしまして。表面に凹凸があって洗いづらく、一枚一枚手作業のため効率も悪いと。それなら、当社が開発したバルクシステムに用いる設備が応用できそうだと気づいて試作を重ねたところ、手差しと自動送りの両方に対応可能な洗浄機が完成したというわけです。本筋とは離れた製品ではありますが、手間暇が軽減したとお客様には好評です。
やはり、自分たちが売りたいものをただ売り込むだけでは駄目で、相手のお困りごとに耳を傾け、解決に力を尽くしてこその信頼関係です。そうすれば、やがて本筋の製品にも道が開けていくものでしょう。

渡部 同感です。既存の技術や設備に手を加え、新たな価値を持たせる、あるいは別の用途へと応用する。そうやって相手の課題解決を手伝うというのは素晴らしいことだと思います。
福井工場では、アルミ長尺板を誤差1ミリの精度で切断する最新設備も拝見しました。国内では御社だけが保有する加工機だそうですね。そうした「攻め」の姿勢に、伝統企業が長く続けられていることの理由を見る思いがしました。

山崎 ありがとうございます。守りと攻め、創造と破壊。いろいろな言い方ができると思いますが、伝統を守るだけでは衰退していくのは間違いありません。外見は古めかしくても一歩中に入れば新しい魅力にあふれている、そんな老舗旅館のような企業でありたいと思っています。そのために、私が経営者として定めている基本姿勢は次の3つです。
一、独立専業経営
一、経営方針の継続性
一、量より質を重視
お客様との利益相反を排除して、銅とアルミを中心に、その範囲内での成長を目指すこと。また、長く続く企業であるがゆえに、安定した経営方針のもとで築かれる信頼関係を大切にしたい。そして、無闇に裾野を広げようとせず、適正なサービスと品質を維持することを守ります。

渡部 守るべきものを守ったうえで挑戦する。これは日本企業に共通する美徳のようにも感じます。御社の工場内は整理整頓が行き届き、すれ違う社員の皆さんが礼儀正しいこととも無縁ではないでしょう。

山崎 J-POWERもそうだと思いますが、現場を持つ企業にとって安全の源泉はそういうところにあるのだと思います。余談ですが、私の恩人で、かつて古河電気工業の社長・会長を務めた日下部悦二さんが、ある経済誌に寄せて「徳のある会社、国に近づけるには、リーダーたる者の人格教養が重要」だと記しています。徳を身につけるには「恕(じょ)」が大切であり、それは人の心をもって自分の心とすること、すなわち相手の立場に立つということだと。
35年も前の言葉ですが、私には今も新しい、何ごとにも拠り所となる信条となっています。そこにはこんな一文もあります。
「対象とすべき相手をずっと広げ、今までの得意先、消費者、従業員といった直接的なものとの共生からもっと広く社会、世界、地球環境との共生をも考えようということだと思います」
今でもまったく色褪せていませんよね。

渡部 我々の胸にも刺さる言葉です。その土地その土地の自然の恵みを力に変えて電気を生み出す事業者として、地域社会との共生は事業の根幹に関わるテーマですから。山崎さんが地元の神田明神の氏子総代を務めておられるのも、そうした信条の表れなのでしょうね。

山崎 祖父、叔父、父から継いで私が4人目の総代です。その界隈の皆様の軒先を借りて商いをさせていただくわけですから、地域との調和を忘れてはいけません。町会の神輿(みこし)を預かり、神田祭には社員も担ぎ手として参加しています。
渡部 まさしく、地域と社会を支える要の役割ですね。私たちもあやかれるよう頑張ります。

(2026年2月20日実施)

構成・文/松岡 一郎(株式会社エスクリプト)  写真/山本 嵩

PROFILE

山崎 洋一郎(やまざき・よういちろう)

山崎金属産業株式会社代表取締役社長。1964年生まれ。住友銀行(現 三井住友銀行)を経て、1992年山崎金属産業入社。営業副本部長、専務取締役などを経て2003年5月より現職。1893年創業の東京地区きっての老舗流通企業5代目社長となる。山崎情報産業株式会社取締役会長、埼玉伸管工業株式会社取締役、山本産業株式会社取締役、株式会社シンセイ取締役、西田金属株式会社取締役を兼任。東京・神田神社(神田明神)氏子総代を務める。