「変わりゆく熊本」の針路を見極め、人・地域・産業の未来図を描き出す
渡部 肇史 × 田中 稔彦

Global Vision

J-POWER会長
 

渡部 肇史

一般社団法人熊本県工業連合会代表理事会長
金剛株式会社代表取締役社長

田中 稔彦

熊本県に出現した「令和の黒船」は、熊本の地域や人に福音をもたらし、危機に瀕した半導体サプライチェーンを蘇生させるインパクトを持つという。
この好機から地域の活性、産業の再建と成長を紡ぎ出そうと奔走する、この方に話を伺った。

「令和の黒船」をめぐり熊本内外を奔走する日々

渡部 今、熊本県をはじめ九州の経済界は、世界的な半導体メーカーの工場進出の話題で持ちきりのようですね。お膝元の熊本県工業連合会のトップとして、田中さんは八面六臂(はちめんろっぴ)のご活躍と伺っています。どんな役回りをなさっているのでしょうか。

田中 熊本県工業連合会は県内の製造業を中心とする企業群と、行政、教育機関などの産官学が連携した組織です。現在300社ほどが加盟し、会員の約3分の1を半導体関連企業が占めている点にも特徴があります。

渡部 熊本は私が中学・高校時代を過ごした場所です。のどかで自然に包まれた田園風景が目に浮かぶ一方で、私のいた1970年代から大きな半導体工場が進出するなど、もともと先端技術分野の製造業との親和性も高いように思います。

田中 熊本が農産物にも半導体にも適する理由の一つは、水に恵まれている点です。今回、台湾の半導体企業が工場を建設した菊陽町(きくようまち)は熊本市に隣接する町で、農業や酪農が盛んな丘陵地帯にあり、阿蘇山系の地下水や町内を流れる白川の恵みも豊かです。そんな地勢を見込んで、半導体受託製造の世界最大手である「台湾積体電路製造」(TSMC)(※1)が、2021年11月に第1工場の建設を発表し、翌22年4月に着工。2年足らずの工期を経て今年2月に開所式を迎え、年内には半導体の量産が始まる予定です。

渡部 巨大半導体メーカーの進出がこれほど注目される背景には、誘致に際して熊本県のみならず、半導体産業の再興をめざす政府が「国策」として本腰を入れた経緯もあるようですね。

田中 おっしゃるとおりです。続いて着工する第2工場を含めた総投資額3兆3750億円のうち、3分の1強の最大1兆2000億円余が国からの補助金で賄われます。1980年代には世界の過半を占めた日本の半導体シェアは今日、約10%にまで低下し、超微細なナノレベルで進む最先端技術の開発競争にも後れを取っています。TSMCの熊本進出には技術立国・日本の再建と、地方経済活性化の意気込みが託されています。こうした状況から、私は行く先々で「TSMCは令和の黒船だ」と触れ回っています。

渡部 国際的かつ国家的プロジェクトが待ったなしで進捗していると。その渦中にあって、国内外の事業主体と国や自治体、地域産業界との間に立って情報交換を促し、利害調整にあたるなど、県の工業連合会が担う仕事は山ほどありそうです。

田中 私が会長職に就いたのが21年5月で、着任早々から目まぐるしい日々が続きました。私には会社経営(金剛株式会社=保管・収納機器の業界大手、本社・熊本市)という本来の職務もあるのですが、正直、今は時間の9割方を熊本県工業連合会の業務に割き、東京・霞が関の関係省庁に出向いたり、九州各地を飛び回ったりしている状況です。

飛躍的経済成長に誘うロジック半導体の生産拠点

渡部 令和の黒船が来航したことで熊本県や日本に、どのような変化が生じるとお考えですか。

田中 TSMC進出に伴う経済予測に関しては、熊本県内に限っても今後10年間で20兆円に上る経済波及効果があると試算され、この額は現時点の域内総生産の3年分に相当します。また九州全体で見ると、域内総生産は35年までに1.5倍に押し上げられると予測する専門家もいます。

渡部 これまで地域産業として育んできた半導体の種子から大輪の花が咲き、熊本や九州に飛躍的な経済成長をもたらそうとしているのですね。

田中 おっしゃるとおりです。そして東アジアに視野を広げ、半導体の広域サプライチェーンのあり方を考えると、生産拠点を九州に置いて、ここを起点に同心円を描いたエリア――日本国内から台湾、韓国、場合によっては中国まで含めて増大する需要に応えることが、理に適っていることがわかります。

渡部 なるほど。昨今の慢性的な半導体不足が工業製品生産の足かせになっているのを見ても、より高性能な半導体を量産し、絶え間なく供給することの重要性が理解できます。TSMCの新工場で生産するのは「ロジック半導体」(※2)という頭脳の役目をするタイプの半導体で、実は、記憶系のメモリー半導体が主流の日本は不得意な分野なのだとか……。

田中 日本は半導体製造装置や素材分野では世界的優位を保っているものの、ロジック半導体の担い手が育っていません。この分野で大きく先行する台湾メーカーを招き入れ、日本の弱点を補うとともに、広域サプライチェーンの一角をしっかり支えていく。そのために、先に開所したTSMCの第1工場は、主に自動車や画像センサー向けのロジック半導体を供給し、続いて同じ熊本県内に建設する第2工場では、AI(人工知能)関連機器や自動運転車などに用いる超高性能なロジック半導体を製造する予定です。

渡部 今後、私たちの生活に情報技術が溶け込むデジタルトランスフォーメーション(DX)が進むことを思えば、今回のプロジェクトがどれほど有意義であるかがわかります。立ち入った話になりますが、TSMC誘致に手を挙げたライバルも多かったのではないですか。

田中 事の詳細は差し控えますが、冒頭で触れたように産官学が連携し、関係各位の持てる力を結集して、熊本県が金星を射止めたのは確かです。いくつかポイントを挙げるなら半導体産業の素地が既にあり、用地確保から設計・施工、稼働までを最短期間で進められ、人的交流や人材確保などソフト面の支援でも優位に立てたことが大きかったと思います。

TSMCの進出で加速する熊本のグローバル化

渡部 ソフト面の支援に関連して、熊本の人たちにとって台湾企業は地理的にも心情的にも親近感を覚えやすいと思います。熊本県工業連合会としても、この案件が舞い込む以前から台湾側との交流を温めてきたそうですね。

田中 これは私どもと大分県の業界団体とで、主に半導体関連の台湾企業を対象に情報交流会や商談会を続けてきています。昨年、交流10周年を祝う会合を現地で催したところ、九州ローカルの活動にもかかわらず、台湾行政院の首脳が駆けつけてくださり、期待の大きさを実感しました。

渡部 台湾には親日家が多いですから、工場進出に伴う人的交流も円滑に進み、親密なパートナーシップが築けそうな気がします。

田中 その点でちょっとおもしろいのは、熊本県のマスコットキャラクター「くまモン」が台湾でも大人気で、現地の皆さんの熊本への好感度アップにひと役買ってくれています。そんな追い風を感じながら、地域の差し迫った課題として、台湾企業とその従業員を受け入れる態勢づくりも万全です。象徴的な例では、従業員の子弟が英語で学べるインターナショナルスクールの開設を急ピッチで進め、まもなく数校がオープンできそうです。

渡部 その迅速さは、私がよく知る「のどかな熊本」とは隔世の感があります。また、巨大な半導体工場ができれば地域に新たな雇用機会が生まれて、若く優秀な人材を熊本に引き寄せる効果も大きいでしょう。

田中 雇用規模は第1工場と第2工場(※3)で各1,700人が見込まれ、早くも地元・菊陽町ではマンションやアパートの建設ラッシュが起きています。加えて道路網の再整備とか、空港・鉄道アクセスの改良など大掛かりなインフラ整備も進んで、TSMC進出をきっかけに域内での人々の動線が変わり、住民の意識や価値観にも徐々に変化が見られるようです。

渡部 そういえば、現地採用の大卒初任給が28万円というニュースが流れて、日本企業の相場との乖離が話題になりました。

田中 当初、地元企業の水準から10万円も上積みされたら、とても太刀打ちできないといった声が大半でした。しかし、これが台湾や欧米先進国のスタンダードなのだとの認識が共有されるにつれ、対等に経済成長するには避けては通れません。目の前で起きているダイナミックな動きを、むしろ歓迎しようと考える人が増えてきました。

渡部 企業経営側からすれば相当な覚悟を要する局面かと思います。これを機に世界標準のビジネスカルチャーが押し寄せて、新たなグローバルスタンダードが浸透するかもしれませんね。

田中 今、私たちは熊本の地で「台湾発の国際化」という大波を受け、急激な変化への対応を迫られています。それは決してネガティブなことではなく、これから日本社会が変わろうとするフロンティアに立っているのだと、そう捉えれば前向きに進んで行けます。

地域や人との共存共栄が事業の継続性を担保する

渡部 TSMC進出のインパクトは、「令和の黒船」級という言葉に納得がいきました。ただ私が思うに、どんな企業体にとっても地域社会との共生関係が成り立たなければ、経営の要ともいえる事業継続性が維持できません。全国に展開する当社はある意味ではその典型で、全国各地にある事業所が、それぞれに依って立つ地域との共存共栄を図ることが最重要課題の一つになっています。

田中 J-POWERは熊本県内でも水力と風力の発電所を営んでおられますね。そうした進出企業が地元の自治体や地域住民との交流を大切にして、地元企業と同じ目線で共存を図ってくださるのは本当にありがたいことです。

渡部 我々も思いは同じです。例えば、風力の「阿蘇おぐにウィンドファーム」(※4)は運転開始から17年目と比較的歴史は浅いものの、数年内には設備更新の時期を迎えます。水力の「瀬戸石発電所」(※5)に至っては66年の長きにわたって働き続け、部品交換によって、さらに50年働き続けることも可能です。そういう世代を超えた事業であるからこそ、地域社会に根を下ろし、人々の生活に溶け込んだ存在にならなければ、企業として生き残れないと考えています。

田中 地域あっての企業、企業あっての地域という、持ちつ持たれつの関係性を長く保つことが肝要ですね。今後、熊本とTSMCの共生関係を築いていく指針ともなる、示唆に富んだ助言と受け止めました。

渡部 熊本県のように地域一体となって成長や発展へのチャンスをつかみ、まちづくりや人づくりを未来志向で進めておられるのは素晴らしいと思います。

田中 熊本もご多分にもれず、少子高齢化や労働人口減少などの問題に直面しています。決して先々を楽観できる状況にはありませんが、県工業連合会として「変わりゆく熊本」の針路を見極め、人・地域・産業が調和する未来図を描いていく必要があると考えています。

渡部 田中さんご自身も、会社経営において地域や人との絆がいかに重要かを再認識したエピソードをお持ちだそうですね。

田中 ええ。2016年4月の熊本地震で被災し、当社の生産工場が壊滅的打撃を受けました。工場再建には莫大な設備投資が必要でしたので、半ば諦めかけた時に背中を押してくれたのが地域の皆さんや行政であり、周りの企業であり、一緒に働く社員たちだったのです。我々は孤立してはいない、必ず地域社会とつながっていると勇気づけられ、会社を立て直すことができました。

渡部 いいお話ですね。我々の電気事業も地域の皆さんにご理解いただき、受け入れていただいて初めて成り立ちますので、その町や人の役に立ちながら、地域の一員として末長く定着していきたいとの思いを強くしました。

本年2月、熊本県工業連合会が台日産業技術合作促進会と半導体関連で相互協力協定を結んだ際の田中さん(右から2番目)。
金剛ブランドの代名詞、軽い操作感で扱いやすい「丸ハンドル式移動棚」の設置例(九州学院中学・高等学校)。写真:金剛株式会社提供

デジタル社会を見極めて「棚と半導体」をマッチング

渡部 後先になりましたが、田中さんが社長を務められている金剛株式会社についてご紹介くださいますか。

田中 ひと口に言えば、本や書類を収納する書架、棚などをつくる専門メーカーで、図書館や倉庫のほか、企業や役所、官公庁の資料室などで「金剛」のブランドを目にする機会が多いかと思います。とはいえ、文書管理のデジタル化やペーパーレス化が進む中、旧来のビジネスモデルが通じなくなってきたのも事実です。そんな時に私が半導体の世界に深く関わる機会を得て、デジタル社会の先行きを見極めやすい立場にいられるのを、むしろありがたく感じています。

渡部 図書館で蔵書を検索する、保管庫から資料を探し出す、商品の在庫管理や出荷作業の効率化を図るといったニーズを思い浮かべると、デジタル化の進展につれて「棚と半導体」のマッチングがより高い次元で進むのではないかと、素人ながらワクワクしますけども……。

田中 まさにそこを突破口にして、デジタル技術を駆使した新しいものづくりに挑み、プラスアルファの付加価値を生み出していきたいと思います。一見して棚や書架の形をとりながらも、先端半導体がもたらすロボット技術や自動運転システムなどが組み込まれた、SF映画に出てきそうな新製品をつくり出すことも夢ではないでしょう。

渡部 この先、高性能な半導体が世にあふれ、身の回りのDXが極限まで進んだとします。その時に人々は財布を持たなくなるかもしれませんが、本や書類がすべてデジタルに置き換わるとは、私には思えません。金剛さんにはぜひ「棚と半導体」のベストマッチを探り当てていただきたいですね。

田中 自分たちの生き残りをかけてチャレンジしていきたいと思っています。

渡部 本日はありがとうございました。

(2024年2月5日実施)

構成・文/内田 孝 写真/吉田 敬

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  1. ※1台湾積体電路製造(TSMC)
    Taiwan Semiconductor Manufacturing Company。台湾新竹市に本拠を置く世界初かつ最大の半導体受託製造企業。TSMC製の集積回路は補聴器から人工衛星まで幅広い電子機器に採用。日本では子会社のJASM(Japan Advanced Semiconductor Manufacturing)が運営する。
  2. ※2ロジック半導体
    電子機器の「頭脳」の役割を担う半導体。パソコンやスマートフォンには中央演算処理装置などとして搭載され、入力装置や記憶装置などから受け取ったデータを制御・演算する。
  3. ※3第1工場と第2工場
    TSMCの第1工場は、今年2月に完成し、年内の量産開始をめざしている。世界的に需給が逼迫している300mmウエハーのロジック半導体を、月産55,000枚製造可能。第2工場は年内に着工予定。第1工場の回路幅12~28ナノメートルを超え、6~7ナノメートルの先端半導体を製造。生産能力は300mmウエハー換算で月産10万枚以上。
  4. ※4阿蘇おぐにウィンドファーム
    2007年3月に運転開始。発電所出力8,500kW。阿蘇くじゅう国立公園内に位置し、周辺環境への影響を低減させた5基の風車で構成されている。
  5. ※5瀬戸石発電所
    1958年より運転。最大出力20,000kW。熊本県芦北町の球磨川流域、瀬戸石ダムの水量により発電。下流域の水利などに細心の注意を払っている。

PROFILE

田中 稔彦(たなか・としひこ)

1960年、佐賀県生まれ。1982年に熊本大学工学部を卒業後、熊本県民テレビに入局し、報道制作局、編成企画室長、営業局次長などを歴任。2008年、保管・収納機器大手で義父が創業者の金剛株式会社に入社し、取締役開発本部長兼管理本部長などを経て2009年10月、代表取締役社長就任。「安心と先進で社会文化に貢献する」を理念とする新経営戦略を推進する。2021年5月に一般社団法人熊本県工業連合会代表理事会長に就任。以降、半導体受託製造世界最大手「台湾積体電路製造」(TSMC)の新工場誘致・建設を受けて産官学を通じた受け入れ態勢づくりに奔走する。