島で生きる、自分を生きる 新しい価値の創造
~広島県大崎上島と大崎クールジェンを訪ねて~
藤岡 陽子

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瀬戸内海のほぼ中央にある大崎上島町。本土と橋で繫がっていない4つの有人島(大崎上島・長島・契島・生野島)と20余りの無人島で構成されている。

J-POWERと中国電力が共同で設立した大崎クールジェン株式会社は、広島県豊田郡大崎上島町の長島にある。
瀬戸内の温暖な気候に恵まれ、農業と造船業が盛んな大崎上島町の大崎上島、長島を訪ねて歩いた。

作家 藤岡 陽子/ 写真家 かくた みほ

本土から船で大崎上島町へ 観光とは人と人との繫がり

竹原港を出発し、大崎上島(おおさきかみじま)を目指すフェリーから瀬戸内海を眺めた。 
光を反射してきらきら光る海面が、静かに揺れている。
鏡のようだ、と思った。
青緑色の海面が鏡となって、自分の心を映し出す。
(ものすごい速度で流れていく日々を、ほんの少しの間でいいから止めてほしい……)
遠ざかっていくのは本土の景色だけではなく、慌ただしい日常。島旅への期待が高まっていく。
30分ほど海を渡り、フェリーは白水港に着港した。港から歩いて数分の所に妖精が住んでいそうな前庭のある「大崎上島町観光案内所」を見つけ、中に入ってみる。
「いらっしゃい」
出迎えてくださったのは、大崎上島町観光協会事務局長の反岡(そりおか)和宏さん。観光事務局は反岡さんを含めた6人のスタッフで運営され、その全員が島外からの移住者だそうだ。写真家である反岡さんをはじめ、他のスタッフたちもイラストレーター、映像クリエーター、画家、キャンドルアーティスト、パン職人などの職業を持ちながら島の魅力を発信しているという。
「観光に訪れた方に島の楽しみ方を尋ねられたら、島の人たちに挨拶をしてみてください、島のおすすめを聞いてください、と伝えているんです。そしてまた外から来た人にも、島の良さを教えてもらいたいと思っています」
観光とは人と人との繫がりであり、相互関係で成り立っている、と反岡さんは話す。
「しんどいな、と感じた時に会いに行く人がいる。疲れた身を置きたい空気がある。島がそういう場所になることを願っています」
観光案内所の2階には誰でも利用できる休憩所があり、絵葉書、キャンドル、写真集などの土産物が並んでいる。
壁一面に大きなクジラの絵が描かれたパステルカラーの空間は、島に漂う空気そのもので、ただそこにいるだけで癒やされる気がした。

資料館を訪ねて学ぶ島の文化と海の歴史

大崎上島町観光案内所の2階。土産売り場であり、休憩もできる憩いの空間になっている。
木江ふれあい郷土資料館の外観はカラフルな船。
大望月邸の軒瓦には家名の「月」が刻まれている。

島の南東に位置する木江(きのえ)地区を歩いていると、船の外観をした「木江ふれあい郷土資料館」があり、入館してみた。
3階建ての館内には大崎上島の歴史や船に関する資料などが展示され、見て回るうちに、この島がかつて国内荷物の大量移送の航路であったことがわかってくる。
江戸時代末期から、島は海運、造船、塩田、酒造などで栄え、廻船(かいせん) 問屋として財を成した豪商がいたことを知った。
東野地区にある「海と島の歴史資料館」には廻船問屋の豪商、望月東之助の邸宅「大望月邸」が当時のまま保存され、繁栄の歴史をいまに伝えていた。

白水港のそばにある大崎上島町観光案内所。
観光案内所を運営している反岡さん(右)とスタッフの方々。
木江ふれあい郷土資料館に展示されている船の模型。
1875年に建築された大望月邸は「海と島の歴史資料館」として歴史を伝える。
木江地区にあるかもめ館。
幻想的な雰囲気が漂う上組隧道。旧東野町と旧木江町を結んでいる。
本土と大崎上島を結ぶフェリー。
白水港に立つ水原秋桜子句碑。
大崎上島と長島を結ぶ長島大橋。長島に発電所を建設するためにつくられた。

島の食文化を支える岡本醤油のこだわり

醤油づくりについて教えてくださる岡本さん(左)と筆者。

白水港のすぐそばに、紺地の暖簾(のれん)がはためく家屋があった。近づいてみると、暖簾には白抜きの文字で「岡本醤油醸造場」とある。こちらは島で唯一醤油づくりをしている、岡本醤油醸造場株式会社。
「こんにちは、おじゃまします」
と暖簾をくぐると、岡本康史社長が出て来てくださり、醤油づくりについて話をしてくださった。
「醤油づくりにおいてうちが大切にしているのは、しっかりとした原料を使うこと。原料から醸される味を残すことです」
原料の大豆や小麦は広島を中心に北海道や北陸から仕入れ、塩は香川。こだわり抜いた原料を、温暖な気候の中で丁寧に醸す天然醸造は、創業以来変わることがない。
高校卒業まで島で育った岡本さんだが、大学では県外へ出た。島を離れて初めて「これまで島で当たり前に食べてきた食材がどれだけ美味しかったか」を知り、わが家でつくっていた醤油の香ばしさに思いを馳せたという。
「大学では農学部に所属し、食品や発酵に関することを学びました。大学院に進んでからは香りの研究をしていたんです」
大学院を卒業した後、家業を継ぐことを決意。25歳で島に戻り、醤油づくりに向き合った。
「醤油は食文化、郷土料理を形成するものです。島の方たちが、うちの醤油じゃないと料理ができない、そう言ってくださるのが嬉しいんです」
祖父・岩都さん、父・義弘さんから引き継いだ暖簾を、いまは弟の哲也さんとともに守っている。島内はもちろん、島外でも人気を得ている岡本醬油は、これからも島の食文化を彩り続けていく。

島が誇る伝統の味、岡本醤油。瀬戸内の気候が醸す風味は全国に広がっている。
1934年(昭和9年)創業の岡本醤油。唯一無二の手づくり醤油が郷土料理を支えている。

西日本初ブルーベリー栽培 神峯園48年間の歴史と挑戦

神峯園の創業者である横本正樹さんと恵子さんご夫婦。「夫婦は無二の同志です」と正樹さん。

島を巡っていると至る所にレモンやみかんが木になっている。そんな柑橘の町ではあるが、ブルーベリー栽培も盛んだと聞き、神峯園(しんぽうえん)の横本正樹さんを訪ねて行った。
「私がこの島でブルーベリー栽培を始めたのは48年前のことです。西日本では初めてのことでした」
横本さんが栽培を始めた1976年、世間にはブルーベリーの存在が知られていなかった。3年後の1979年には無事に30kgの果実を収穫できたが、買い取ってくれる業者がなく、途方に暮れた。
「広島市内の洋菓子店や果物店を回ったんですけど、これはなんだ? 粒が小さい、と断られ続けました。でも最後に飛び込んだアンデルセンという洋菓子店が30kg全部買い取ってくれたんです」
横本さんに話を伺っている間にも、土間を改造した調理室では妻の恵子さんがレモンをジャムにする作業に集中していた。
調理室を見学させていただくと6個の鍋が並び、ぐつぐつとレモンの皮を茹でているところだった。
「今朝は5時半からレモンの果実と皮を分ける作業をしています。いまは皮を刻み、苦味を抜くために鍋で茹でているところです」
茹で終えた皮は果実と合わせ、グラニュー糖を加えて再び鍋で煮るという。こうした工程をすべて手作業で行っている恵子さん。恵子さんがジャムづくりを始めたのは1981年で、ブルーベリーの美味しさを知ってもらい用途の可能性を伸ばし、夫の挑戦を支えるため、たったひとりのスタートだった。
「いろいろ苦労もありましたけど、継続は力なりです」
と穏やかに語る横本さん。その隣には長年連れ添ってきた恵子さんが優しく微笑む。
現在、島には約60軒のブルーベリー農家があり、長男・悠樹さんが代表理事を務める神峯園は、ブルーベリーを買い取って加工する製造・販売業を担っている。
島を旅して感じたのは、この土地では人の生き方が際立つということ。迷いなく、自分はこう生きるのだという潔さが、島で暮らす人々から伝わってきた。
大崎上島のシンボルでもある神峰山(かんのみねやま)に帰っていくのか、鳥たちが鳴きながら夕空を渡っていく。
そろそろ島の一日が終わろうとしていた。

神峯園のブルーベリージャムとマーマレードジャム。グラニュー糖以外の添加物は入っておらず、驚くほど美味しい。
神峯園のジャムは自宅併設の加工場で、手作業で一つずつ製造されている。

大崎クールジェンが挑む 脱炭素社会への貢献

大崎上島町の長島に設立された大崎クールジェン。革新的低炭素石炭火力発電の実現を目指すプロジェクトが進められている。

大崎クールジェン株式会社では、革新的低炭素石炭火力発電の実現を目指して、2009年の設立以降プロジェクトが行われてきた。
今回の見学ではその内容や成果について、菊池哲夫社長に詳しく教えていただいた。
「プロジェクトは2012年に開始されました。これまで第1から第3プロジェクトの実証試験が終了し、商用化を待つところまできています」
過去12年間に実施されたプロジェクトは3段階あり、まず第1段階では石炭をガス化炉でガス化して発電し、経済性を有した優れた発電方式であることを実証した。
そして第2段階は、ガス化ガス中の炭素分をCO2として分離・回収する装置の実証試験。こちらも90%以上の回収効率を実現。
さらに第3段階として第1、第2段階の設備に燃料電池設備を組み合わせ、発電効率をさらにアップさせる実証試験を行い成果を出した。
「2023年度から、石炭にバイオマスを加えてガス化する実証試験をスタートしました」
と菊池社長。脱炭素時代に「石炭の立ち位置を変えていく」ことが重要だと話していただく。
プロジェクトに挑み続ける重責について菊池社長に尋ねると、
「良くも悪くも一喜一憂しないように努めています」
という真摯な言葉が返ってきた。
大崎クールジェンで実証した成果は今後、長崎県の松島火力発電所で予定される「GENESIS松島計画」に移され、2028年に商用運転が開始されるという。
脱炭素社会が声高に唱えられる現代で、どうすれば時代に沿った発電が実現できるか。何十年もかけて研究開発し、実証試験を繰り返す歩みに希望を感じた。

高効率な発電を実現する複合発電設備。
プロジェクトの指揮をとる菊池社長(右)と筆者。
石炭ガス化設備(左)と長島のシンボル的な煙突。
大崎クールジェンの概要などが学べるモニター。
石炭灰はスラグとして排出されセメント原料等として有効利用される。
バイオマス混合ガス化試験に使用されるブラックペレット。
排ガス中の炭素分を二酸化炭素として回収する二酸化炭素分離回収設備。
排ガスの中の不純物を除去するガス精製設備。
水素リッチガスを燃料として発電する燃料電池設備。
空気を酸素と窒素に分離する空気分離設備。
屋内貯炭設備。


大崎クールジェン株式会社

設立:2009年7月
所在地:広島県豊田郡大崎上島町中野
出資企業:中国電力株式会社、J-POWER(各50%)

Focus on SCENE 船の安全を守る小さな無人灯台

高さは地上から5m、白く小さなボディが印象的な灯台は、瀬戸内海に浮かぶ大崎上島(おおさきかみじま)南端にある中ノ鼻灯台。1894年(明治27年)に建造、日本初の無人灯台で、それ以来島海峡周辺を通る船の安全を見守り続けている。前に回り込んでレンズをのぞき込むと、縦長の赤いアクリル板が設置されている。通過する船から灯台を見て赤い光が見えたら、そこは危険水域ということ。周辺の浅瀬を知らせるための工夫が施されているのだ。

文/豊岡 昭彦

写真 / かくた みほ

PROFILE

藤岡 陽子 ふじおか ようこ

報知新聞社にスポーツ記者として勤務した後、タンザニアに留学。帰国後、看護師資格を取得。2009年、『いつまでも白い羽根』で作家に。最新刊の『リラの花咲くけものみち』で第45回(2024年)吉川英治文学新人賞受賞。京都在住。