J POWER 電源開発

止まることなく、支え、挑む。

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2016/03/01
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PAST PRESENT FUTURE

J-POWERだからできたこと

戦後日本の復興を、エネルギー供給を通じて後押しするために誕生したJ-POWER。いわば国家的な使命を担う立場にあり、他の電力会社とは異なる役割を担ってきました。具体的には北海道から沖縄まで日本各地で発電・送電・変電設備の建設・運用を行い、各地域の電力会社へ安定的かつ低廉な電力を供給するなど、日本経済の発展を陰から支えてきたのです。
J-POWERの発展の歴史は戦後の日本経済の発展の歴史とともにありました。創立直後には電力不足を解消するために大規模な水力発電所の開発に取り組み、次に国内で産出される石炭を燃料とする火力発電所の開発に取り組みました。また、日本列島全体で電力の融通ができるよう、地域間をつなぐ送電設備や周波数変換設備を建設しました。更に、石油危機後のエネルギー政策の転換期には、海外炭火力発電所や原子力発電所の開発に取り組み、エネルギー供給の低炭素化へのニーズの高まりにあわせて再生可能エネルギーの開発にも取り組んできました。
株式会社として60年以上にわたり事業を継続しながら、電力供給という側面で国家的課題に取り組んできたことは、J-POWERにとって大きな誇りとなっています。
ここでは、J-POWERの発展の歴史を、戦後の日本経済の発展の歴史と照らしあわせながら解説していきます。

1950年代

PHASE.01

万難を排してわが国一流の人材を集めよ

その名の通り、日本中にパワーをお届けしながら60年以上にわたって事業を展開してきたJ-POWER。そのルーツは1952(昭和27)年にさかのぼります。
そもそも東京で人々に電気が供給されるようになったのは1894(明治20)年 。以来、重工業の台頭による産業の発展と歩調を合わせる形で供給量は増えていきました。ところが大正末期から昭和にかけて日本経済が低迷すると電力需要は伸び悩み、電力は供給過多の時代となります。
そして迎えた第二次世界大戦と、終戦。日本の産業施設は戦争によって徹底的に破壊され、その復興のために電力の確保が急務となりました。しかし、水力発電設備、火力発電設備ともに著しく老朽化の進んだものがほとんどで、日本の復興を支えるには心許ない状態でした。そこで政府は経済復興の柱として次々と長期電源開発計画を策定したのですが、これに要する膨大な設備資金は、発足間もない9つの地域電力会社にとって容易に調達できる額ではありませんでした。同時に、大規模開発に必要な技術力も不足していました。
そこで大規模な電源(=発電所)開発のために政府資金を投じなくてはならないとの気運が高まり、1952(昭和27)年に「電源開発促進法」が制定されたのです。これによって、電源の開発と9電力会社に電力の卸売りを行う「電源開発株式会社」すなわち現在のJ-POWERが誕生したのでした。
発足に際しては「万難を排してわが国一流の人材を集めよ」との指示が出されことからも、いかに大きな期待を背負っての旅立ちだったかがうかがえます。

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PHASE.02

J-POWERの“原点”、佐久間ダムの建設

静岡県と愛知県にまたがる天竜川中流に建設された佐久間ダム(浜松市)は、わが国屈指の巨大ダムであり、戦後日本の復興を象徴する建造物としても知られています。それは同時にJ-POWERにとって“原点”といえる存在であり、日本の土木史においても“金字塔”と讃えられるダムです。
J-POWERは、発足したばかりの9電力会社が火力を重点的に開発するのに対し、水力でそれを補完するという位置づけにありました。そこで地形が良好で交通の便もよかった天竜川中部に大規模なダムを建設することが、J-POWER発足後の最初の大事業として行われることになったのです。
しかし、これは当時の日本の土木技術では極めて難しいプロジェクトと考えられていました。しかも、完成まで10年は必要とされるところ、急増する電力需要に応えるという国家的命題により、一刻も早い完成が求められました。そこで不可能を可能にすべく執られた手段が、国際入札によって米国から大型土木機械を、その技術者とともに導入するという手法でした。当時、国内の他のダムでは大型重機の機械化工法が導入されていましたが、日本人の操作技術が追いついておらず、機械化によるメリットを最大限に活かせていなかったからです。
戦後間もない日本において、このような国際入札という手段は極めて大きなチャレンジでした。しかし、このチャレンジはしっかりと実を結び、3年という驚異的に短い期間でダムを完成させることができたのです。設立されて日も浅いJ-POWERという会社がそれを成し遂げたことは、奇跡とまでいわれたものでした。
佐久間ダムの建設が始まった頃の日本はまだ戦後の荒廃から脱しきれず、日本全体が自信喪失の状態にありました。そんな中、わずか3年で高さ155m、頂長293mという世界に誇るべき巨大ダムを完成させたことは、日本全体が大きな自信とパワーを取り戻すきっかけとなったのです。当然、日本の土木技術の近代化にも多く貢献し、あらゆる面で記録的であったこの工事は、まさに金字塔となったのでした。
ちなみに経済白書が「もはや戦後ではない」とうたったのは、佐久間ダムが完成した1956(昭和31)年のことでした。

J-POWERの“原点”、佐久間ダムの建設

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PHASE.03

戦後日本の復興を勢いづかせる

1956(昭和31)年に運転を開始した佐久間発電所。当時の年間発電量13億kWhは、逼迫していた電力需給の緩和に大きな力を発揮しました。古来より豊富な水量を有しながらも、当時の土木技術では困難とされてきた地点で大規模水力発電所を開発できたことは、まさに戦後日本の復興を勢いづかせる力となりました。
また、このような大規模水力発電所の開発によって、火力発電を電力需要の高まる時間帯に稼働させ(ピークロード電源)、燃料費のかからない水力発電を可能な限り稼働させる(ベースロード電源)ことができる様になり、安価・安定的な電力供給が実現できるようになりました。
一方で本格的な戦後復興の波に乗った日本経済は、さらに多くの電力を求めるようになりました。そうした電力需給の改善に極めて大きな役割を果たしたのが、奥只見(新潟県)・田子倉(福島県)・御母衣(岐阜県)の大規模水力発電所の建設です。この3つのダムと発電所のスケールは、いずれも佐久間と肩を並べるもので、その頭文字から「OTM」とも呼ばれています。
佐久間ダムの天竜川と並んで水力発電に適した水系とされていた只見川は、わが国屈指の豊かな電源地帯として期待されていましたが、豪雪地帯であることや交通の難所であることなどから発電所の開発は進んでいませんでした。J-POWERはこの只見川に奥只見と田子倉の両ダム・発電所を建設することを決めます。
奥只見は冬季には氷点下20度近くにもなるという酷寒の地で、雪崩の危険とも隣り合わせの難工事となりました。そのため工事には6年もの時間を要しました。一方の田子倉は用地補償交渉が難航し、豪雨で機材輸送ルートが寸断されるなどのアクシデントも加わったものの、奥只見に並ぶわが国屈指の水力発電所として1959(昭和34)年に完成しました。
そして「OTM」のM、すなわち御母衣については、地盤が弱くても建設が可能なロックフィルダム(岩石や土を積み上げてつくるダム)による建設が行われました。これはダムの型式の多様化の道を開くという意味でも意義深いものでした。
この御母衣によって「OTM」の3大発電所が完成。日本の電力需給は大きく改善され、間もなくやってくる高度経済成長期へ向けて大きな弾みをつけることになりました。

1960年代~1980年代

PHASE.01

日本のために大局的な視点で取り組んだ火力発電

戦後の復興期を経て、日本経済は力強さを取り戻し、いよいよ高度経済成長期へと向かいます。
1950年代後半には、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が“三種の神器”として宣伝され、本格的な消費革命の時代が明けようとしていました。1960(昭和35)年には当時の内閣が「所得倍増計画」を発表。これは国民総生産・国民所得を倍増させようという計画で、人々はやがてやってくる豊かな生活を夢見て、日々を過ごしていました。こうした社会の変化に伴い、電力需要も高まっていったのです。
このような電力需要増に応えるためJ-POWERでは全国で水力開発を進める一方、1963(昭和38)年、初めての火力発電所を立ち上げました。若松火力発電所(北九州市)です。J-POWER第1号の火力発電所がこの地に建てられたのは、近隣に筑豊炭田があることが大きな理由でした。ここから産出される石炭は低カロリーで、これまで燃料として利用されていませんでした。若松火力発電所は未利用エネルギーの有効活用を目的として建設されたものであり、ここで培ったノウハウはその後のJ-POWERの石炭火力技術の礎となりました。
一方でこの頃に始まった産業構造の変化は、古い産業の衰退に拍車をかけることにもなりました。その代表が石炭産業です。1960年代、国際石油資本が日本のエネルギー市場に進出。安価な石油が大量に日本に輸入されるようになると、石炭から石油へとエネルギー源の転換が進み、それに伴ってわが国の石炭産業は急速に衰退の道をたどっていったのです。特に雇用への影響は深刻で、1940年代に最大45万人以上いた炭鉱労働者数は1960年代には10万人前後に減少していました。
この石炭産業の急速な衰退を防ぐことが政策課題となり、1962(昭和37)年に閣議決定されたのが「石炭対策要綱」です。これによって国内の産炭地で消費しきれない石炭を船で運び、電力の大消費地で発電を行う方式が国策として採用されたことから、J-POWERは磯子(横浜市)・竹原(広島県)・高砂(兵庫県)の3ヵ所に国内炭を使用する火力発電所を建設しました。
衰退する石炭産業の保護という国の動きに応じて進められた形の火力発電所の建設でしたが、これはJ-POWERにとって意義深いことでした。というのも、水力発電の専門技術者が火力発電にも取り組むことになった結果、社員の間に「国の役に立つことなら自分の専門にとらわれず何でも挑戦しよう」という気概が醸成されたからです。こうした大局的な視点に立った思考・行動は、J-POWERならではのものといえるでしょう。

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PHASE.02

電気を人々のもとへ届けるためのチャレンジ

当然のことですが、電気は発電しただけでは使えません。消費地へ送る、つまり人々のもとへ送り届けることで、初めて利用されるのです。従って送電ネットワークの構築も、電力会社の重要な使命です。
戦後の復興期から高度経済成長期にかけて電力需要が急増するにつれて、地域によって電力供給力に差が生じるようになりました。また、電気料金も地域間で格差が発生するようになりました。こうした状態を解消し、地域間で電力の融通ができるよう、1958(昭和33)年、電力会社各社とJ-POWERは「広域運営に関する協定書」を締結し、より効率的な電気事業運営を目指した広域運営が発足しました。
これによってJ-POWERは異なる電力会社同士を結び、地域と地域の電力融通の役割をも担うことになったのです。
具体的には、J-POWERは、自社の発電所から消費地へ電気を送る基幹送電線に始まり、北海道、本州、四国、九州をつなぐ連系線の建設と運用を行うことで、日本全国の電力の融通を実現したのです。
東日本と西日本ではそれぞれ50Hzと60Hzに周波数が分かれており、東日本地域と西日本地域を直接送電線で繋ぐことはできません。この問題を打開するために建設されたのがJ-POWERの佐久間周波数変換所であり、完成には多くの困難を伴いました。
人体に喩えれば、心臓から送り出された血液が血管を通じて全身くまなく巡るように、J-POWERの送電線と周波数変換所によって、電気が日本全国を駆け巡るようになったのです。

電気を人々のもとへ届けるためのチャレンジ

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PHASE.03

電力危機や石油危機を乗り越えて、さらなる安定供給体制を築く

高度経済成長を経てわが国が米国に次ぐ世界第2位の経済大国となったのは、1968(昭和43)年のことでした。それより一足早く、1964(昭和39)年に電力の消費量は世界第2位となっていました。
そしてこの頃から電力需要のピークは冬から夏に移行。夏の電力需要の伸びは関係者の予想をはるかに上回るもので、電力の需要に供給が追いつかない“電力危機”が忍び寄ってきたのです。もちろんその対応策として大型の火力発電所の建設が行われましたが、建設の反対運動が盛んになってきたこともあり、思うように計画は進みません。そこで期待されるようになったのが、大規模な揚水式水力発電所でした。
そこでJ-POWERは、水力発電の豊富な実績を活かし、新豊根(愛知県)、沼原(栃木県)などに大規模揚水発電所を建設しました。
時を前後し、1973(昭和48)年、第1次石油危機が発生しました。国民の間にはパニックが起こり、トイレットペーパーの買い占めなどが発生。石油価格は高騰を続け、産業界の成長にもブレーキがかかり、日本は戦後初めてのマイナス成長に直面することになったのです。こうした事態を受けて石油依存からの脱却が強く主張されるようになり、さらに1979(昭和54)年の第2次石油危機を経て、脱石油への流れは加速していきます。
このような流れを踏まえてJ-POWERでは、海外から輸入した石炭によって大規模な発電を行う海外炭発電プロジェクトに着手。その第1号として松島火力発電所(長崎県)を建設しました。
海外炭のプロジェクトで大きな壁となったのが、石炭をどこから輸入するかという問題でした。燃料炭の長期取引は、国際的にも前例のない事業だったからです。J-POWERのプロジェクトメンバーは、この難題にも臆することなく挑戦。苦労の末、オーストラリアからの輸入を実現させました。松島火力発電所が運転を開始した翌年1982(昭和57)年にはオーストラリアのブレアソール炭鉱の権益を取得するなど、安定的な燃料調達を実現させています。
時代の要請に応じて着々と水力発電所と石炭火力発電所の開発を進めてきた結果、現在のJ-POWERの発電設備出力規模は約1700万kW(水力860万kW+火力840万kW)まで拡大し、水力発電については国内第2位の規模を、石炭火力発電については国内第1位の規模を誇っています。

1990年代~2000年代

PHASE.01

再生可能エネルギーの拡大

再生可能エネルギーは国内の未利用のエネルギー資源を有効活用できるため、古くから開発が進められています。J-POWERも大規模水力発電所を皮切りに、再生可能エネルギー開発に積極的に取り組んできました。
例えば地熱発電所の開発です。地熱発電は年間を通じて安定的に発電ができる特長があるため、従来から有望な電源として着目されており、J-POWERは1975(昭和50)年から宮城県で地熱発電所の運転を行っています。
更に、1990年代に入ると、世界的に地球温暖化問題への関心が高まり、発電にあたってCO2を排出しないという点にも脚光が集まるようになりました。特に1997(平成9)年に京都で開催された「地球温暖化防止京都会議」は大きな話題となり、ここで締結された京都議定書はその後の地球温暖化対策活動に大きな影響を与えるようになりました。
特にCO2排出量の多い石炭火力発電所を多く保有するJ-POWERにとってCO2排出対策は喫緊の課題でしたが、風力発電やバイオマス燃料を利用した発電などの技術的な目途が立ったことから、再生可能エネルギーの利用拡大に力を入れるようになりました。
例えば風力発電です。J-POWERは2000(平成12)年に風力発電事業を開始。現在は国内20地点で合計約40万kWの風力発電所が営業運転をしており、国内第2位の規模を誇っています。また、北九州市で洋上風力発電の研究も行っています。
また、バイオマス燃料の製造や利用も進めています。具体的には低温炭化技術を用いた広島市・熊本市・大阪市での下水汚泥燃料化事業、国内林地残材を利用した宮崎県での木質ペレットの製造事業、長崎県での一般廃棄物を原料とした炭化燃料製造事業にも取り組んでいます。
これらバイオマス燃料はJ-POWERが保有する石炭火力発電所で燃焼させることで、CO2排出原単位(1単位の電力を生み出すのに必要となるCO2排出量)の低減だけでなく、安定的な電力供給につなげています。
このように、再生可能エネルギー事業の取り組みは地球温暖化対策の点で意義深いだけでなく、J-POWERの新たな事業展開にもつながっているのです。

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PHASE.02

グローバルカンパニーとしてのJ-POWER

J-POWERは創業間もない頃から海外にも目を向けて、国際的に事業を行ってきました。
海外での事業として最初に取り組んだのが、海外コンサルティング事業です。
創業後すぐの時期にわずか3年で佐久間ダム・発電所を完成させたJ-POWERは、その技術力の高さで諸外国からも注目されるようになり、1960(昭和35)年頃から、海外からの要請に応じて社員が技術協力のために各国へ赴いていました。その後、海外技術協力に関する部門が発足し、本格的な海外コンサルティング事業が始まりました。
以来、発電所開発のマスタープランの作成や発電所建設の実現可能性調査、設計、建設工事の施工監理といった各種コンサルティング事業を世界各国で行ってきました。その数は64ヶ国・地域の349件に達しています(2015年3月末現在)。また、海外からの研修生の受け入れにも積極的に取り組み、人的ネットワークを通じて国際的な信頼関係を広げています。
次に、海外での発電事業への参画です。J-POWERでは、長年にわたる海外コンサルティング事業で獲得してきたノウハウや人的・組織ネットワークを強みとして、1990年代後半から海外で発電所を建設または買収し、その国で電力を供給する海外発電事業に取り組んでいます。
世界の電気事業は民営化・自由化が進んでおり、IPP(Independent Power Producer:民間による発電事業)方式が主流となっています。そこでJ-POWERでは、電力需要の伸びが見込まれるタイ、中国などのアジア地域をはじめとして、海外発電事業に積極的に参画しています。特にタイでは、電力供給の約1割はJ-POWERが支えています。また、最も電力市場の自由化が進展している米国でも積極的にプロジェクトを獲得しており、現在10の発電所を保有しています。特に、オレンジ・グローブ発電所プロジェクトはJ-POWERが米国で発電所を一から建設した画期的なものでした。
現在、海外での稼働中の発電所は36件。現在建設・計画中のプロジェクトが営業運転を開始すれば持分出力合計は約800万kWになる見通しです。さらにアジアを中心に、世界中で高効率・環境配慮型の発電事業を展開していきます。

グローバルカンパニーとしてのJ-POWER

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PHASE.03

J-POWERの、第二の創業

J-POWERは戦後の復興期を支えるという国家的命題から発足したこともあり、元々は政府が株式の大半を保有する特殊法人でしたが、電気事業の自由化の流れを見据え、民営化によって自らの創意工夫で経営していくことを決定。2003(平成15)年の電源開発促進法の廃止を経て、2004(平成16)年に東京証券取引所第一部市場に上場し、政府保有株式を全て売却し完全民営化を果たしました。
また、J-POWERの企業理念を、
『人々の求めるエネルギーを不断に提供し、日本と世界の持続可能な発展に貢献する』
と定めたのもこのときでした。
民営化当時のJ-POWERを取り巻く事業環境は、国内人口の減少とそれに伴う電力需要の伸び悩み、電気事業の自由化の進展、地球温暖化問題の深刻化など、これまで経験したことの無い不透明なものでした。そのような中、「我々は今後誰のために、何のために仕事をしていくのか」と問い直し、全社を挙げて議論した結果、「エネルギーの安定供給」と「世界の発展」を実現していくことこそがJ-POWERの存在意義であると改めて定義したのです。
この企業理念を制定してから10年が経過し、その間にもリーマンショックや福島第一原子力発電所の事故を契機とした電気事業の構造改革の動きなど、企業理念を制定した時には予想もしなかった大きな変革を迎えています。しかし、この企業理念は色褪せることなく、J-POWERの進むべき道を示し続けています。

2010年代~

PHASE.01

CO2削減に向けた次世代技術の創造

J-POWERが保有する石炭火力発電所は石油火力発電所やガス火力発電所に対して価格競争力を持つ一方で、CO2排出量が多いという弱点があります。そこでJ-POWERは、石炭を燃料としながらCO2排出量を低減させる、次世代の石炭火力発電技術を研究しています。
具体的には、石炭を蒸し焼きにしてガス化することで一酸化炭素(CO)と水素(H2)を主成分とするガスを取り出し、それを燃料に用いて発電するという「石炭ガス化複合発電(IGCC)」や、IGCCに燃料電池を組み合わせて更なる高効率化を目指す「石炭ガス化燃料電池複合発電(IGFC)」といった技術開発です。
J-POWERは、1995(平成7)年から福岡県北九州市の自社の研究施設で石炭ガス化複合発電の研究を実施しており(EAGLEプロジェクト)、現在ではEAGLEプロジェクトの知見を活かしてIGCCを商用化すべく、出力16万6千kWのIGCC実証プラントを中国電力(株)と共同で広島県大崎上島町に建設しています(大崎クールジェンプロジェクト)。
また、発電時に発生したCO2を地中へ閉じ込めるCO2回収・貯留(CCS)技術に関わる研究を、発電所実機での実証試験によって展開。オーストラリアのクイーンズランド州のカライドA石炭火力発電所では、CO2回収から輸送・貯留までを一貫して行う世界初の試みにも参画しました。
「エネルギー」と「環境」をキーワードとしたこれらの新たな試みは次の世代へと受け継がれ、新しい事業の創出にもつながっていくものと期待されています。

NEXT PHASE

PHASE.02

さらなる電力安定供給へのチャレンジ

東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故以降、現在も日本の電力需給は予断を許さない状況が続いており、電気事業者には電力安定供給へのさらなる努力が求められています。J-POWERも全国に保有する発電設備や送電線、周波数変換所などのネットワーク設備を設備能力一杯まで稼働させることで、低廉かつ安定的な電力供給に最大限の貢献をしています。
現在、環境負荷に配慮しながらの安価・安定的な電力供給という社会的要請に応えるために注力しているのが、経年化した石炭火力発電所の更新プロジェクトと石炭火力発電所の新設プロジェクトです。具体的には竹原火力発電所新1号機(広島県)・高砂火力発電所(兵庫県)の2つの更新プロジェクトが進捗しています。新設については、新日鐵住金(株)との共同プロジェクトとして新日鐵住金(株)鹿島製鉄所構内に新たな石炭火力発電所を建設する計画を進めているほか、大阪ガス(株)、宇部興産(株)との共同プロジェクトとして山口県宇部市にも石炭火力発電所を建設する計画を進めています。
また、現在J-POWERが青森県で建設を進める大間原子力発電所は、新しい安全基準に基づいて建設される安全性・信頼性の高い発電所となる予定であり、電力の安定供給と原子燃料サイクルの一翼を担うことが期待されています。立地地域のご理解をいただきながら、より安全な発電所となるよう全力で取り組んでいきます。

さらなる電力安定供給へのチャレンジ

NEXT PHASE

PHASE.03

日本と世界の持続可能な発展のために

このように、J-POWERは創業当初から国内外の様々なフィールドで発電所・送電線の建設や技術協力にチャレンジしてきました。
J-POWERは、これから電力業界にどのような環境変化が起きようとも、諸先輩から受け継いできた「電力供給への誇りと使命感」を持って、人々の求めるエネルギーを不断に提供し、日本と世界の持続可能な発展に貢献していきます。

1950年代

1960年代~1980年代

1990年代~2000年代

2010年代~

FEATURE

BUSINESS FIELD

水力発電

60年以上にわたり、電力の供給によって日本の経済発展と国民生活の向上に貢献してきたJ-POWER。
J-POWERはこれまで、全国で水力発電所の建設・運転を行い、現在その数は60ヵ所、総出力は約860万kWに達します。シェアでみれば、実に日本のすべての水力発電設備の2割近くになります。
水力発電と聞くと、“昔ながらの発電方式”というイメージを持たれる方もいるかもしれません。しかし、出力調整能力に優れた水力発電は、昼と夜で電力消費量が大きく異なる現代において、重要性が一層高まっている電源。発電時にCO2を発生しないという利点も見逃せません。

石炭火力発電

石炭火力発電は、安定的に一定の電力を供給し続けるベースロード電源と位置づけられています。これは、石炭が石油やガスと比較して安価であり、また広く世界中に埋蔵されているため安定的に調達できるという特性によるものです。J-POWERは石炭火力発電所を全国7ヵ所に建設し、運転しており、その設備出力は約840万kW、国内第1位です。
J-POWERは、石炭火力発電のトップランナーとしてCO2排出抑制のための技術開発や環境保全への対策などの取り組みを続けています。

原子力発電

エネルギー資源の少ない日本にとって、電力の安定供給という点で原子力発電は重要なエネルギー源の一つです。また、発電時にCO2を発生しないので、地球温暖化問題への対応という点でも有効です。
しかし福島第一原子力発電所事故を踏まえて、その安全管理に対しては従来以上に慎重に取り組む必要があります。J-POWERは、安全確保を最優先に、2008年から大間原子力発電所(青森県)の建設を進めています。大間原子力発電所は最新鋭の技術を導入した安全性・信頼性の高い発電所であり、日本の電源構成において大きな役割を担うことが期待されています。

送変電

東日本は50Hz、西日本は60Hzと、日本は東西で電力の周波数が異なりますが、この違いは、東西の地域をまたいで電力を融通しあう際に大きな障壁となります。そこでJ-POWERは佐久間周波数変換所(浜松市)を建設し、スムーズな電力融通を実現しました。また、J-POWERが保有する送電線は亘長約2,400kmにおよび、本州と北海道・四国・九州のそれぞれの地域をつないでいます。
J-POWERはこれらの送変電設備によって、異なる電力会社同士の供給エリアをつなぎ、日本全体の電力安定供給に貢献しています。

情報通信

全国に点在するJ-POWERの電力設備をつなぎ、安定的・効率的な発電を行うため、J-POWERは北海道から沖縄まで広いエリアをカバーする情報通信ネットワークを自社設備として保有し、メンテナンスを行っています。
主にマイクロ波無線と光ファイバーによる情報通信ネットワークからなるこのシステムが、全国の電力設備の安定運用を支えているということもできます。例えば発電所や変電所などを結ぶマイクロ波無線中継局。地震や台風などの自然災害においても通信が途絶することのないよう、高い信頼度を有しています。

海外展開

電力事業はドメスティックなイメージを持たれがちです。しかし、J-POWERは早くから海外事業を展開。活躍の場を世界各地に広げてきました。
その一つが、海外事業に関するコンサルティング事業です。1960年代には既に社員を海外に派遣していました。もう一つが、海外での発電事業への参画です。今後電力需要の高い成長が見込めるアジア地域を中心に、自らの資本や技術を投下して長期にわたり電力を供給する発電事業に取り組んでいます。
海外での発電設備出力が約800万kwであるJ-POWERにとって、今や海外事業は国内事業と並ぶ2本の柱。今後もグローバル展開を着実に進めていきます。

再生可能エネルギー

再生可能エネルギーは、国内で生産できるためにエネルギー安全保障への貢献が期待され、また発電時にCO2を排出しないクリーンなエネルギーとして注目されています。J-POWERは、いち早くその利用を推進してきました。1975年には地熱発電事業に着手し、鬼首地熱発電所(宮城県)の運転を開始しています。さらに風力発電、バイオマス燃料の有効利用と、様々な再生可能エネルギー資源の開発にチャレンジしてきました。特に風力発電の分野では、全国 20カ所に約40万kWの発電設備を保有。発電設備出力で国内第2位となっています。

技術開発

半世紀以上にわたる発電事業の経験で培われたノウハウと技術を活かし、J-POWERは新たな技術開発に積極的に取り組んでいます。
例えば従来の石炭火力発電について、さらなる高効率化に向けた最先端技術の開発を推進しているほか、発変電設備の寿命を正確に評価することで発電機の停止リスクの低減等につなげる研究や、ダム建設等に使用され高度の安全性・信頼性が求められるコンクリートの性質を、数十年単位で評価するといった研究に取り組んでいます。その成果は電力の安定供給に活かされ、さらには新事業の創出など、J-POWER自身のイノベーションにもつながっていくものです。

WORK

RECRUIT