7万年の縞々(しましま)から知る過去の地球の気候
中川 毅

Opinion File

7万年45mの年縞をステンドグラスにして展示する福井県年縞博物館のギャラリーで。

太古の眠りから覚めた「奇跡の湖」の年縞

「これは5883年前の縞です。この年縞(ねんこう)に含まれる花粉を調べたところ、この時代の景色がわかりました。現在より暖かい時代だったのです。年縞は、過去の景色を教えてくれるタイムマシーンなのです」

福井県若狭町の年縞博物館(※1)。巨大な平屋を思わせる横長の建物に足を踏み入れ、ミニシアターの映像ガイダンスに耳を澄ませる。湖の奥底深くに幾重にも堆積されて縞模様をなす地層――年縞を下へ下へとたどりつつ、その時代にこの地域で見られたであろう風景を再現した美しい映像に目を奪われる。2万985年前は極寒の景色だ。そうして実に7万年分もの年縞が、途中1年も欠けることなく残されている。その長さ45m。これほどの年縞があるのは世界でもここ、「奇跡の湖」とも呼ばれている水月湖(すいげつこ)だけだという。しかも、水月湖の年縞は、年代を測る「世界標準のものさし」としても認められている。

水月湖は、若狭湾近くに連なる「三方五湖(※2)」の一つ。面積4km2ほどの小ぶりで普通の湖だ。世界一の年縞がなぜここに? 年代測定のものさしって何? どうして太古の景色がわかる? 湧き出る疑問に答えてくれたのは、古気候学(※3)の専門家で年縞研究の第一人者、立命館大学教授/古気候学研究センター長の中川毅(たけし)さんである。

「年縞は、落ち葉やプランクトンの死骸などを含む泥の層が1年に1枚ずつ、規則正しく積もってできた特殊な地層で、主に湖の底から発見されます。季節が変わると堆積するものも変わるので、違った色の層ができる。それがこの縞々で、濃いのが夏、薄いのは冬、1組で1年です。これを上から数えて最初の縞が1年前、10番目は10年前、5883番目なら5883年前の堆積物なので、そこに含まれる遺物を精緻(せいち)に調べれば、遠い昔の出来事も1年単位で知ることができる。

だから、地質学的、考古学的に価値が高いのです。ただし、どこの湖にも水月湖のような年縞があるわけではない。奇跡的と言われるのは、それに適う条件がそろっているからです」

その条件とは、第一に季節が明確に分かれていること。性質の異なる気候が異なる遺物を生む。次に、堆積物が壊されないこと。魚類や流木、激しい風雨などが湖の底をかき乱すと、きれいな地層が形成されない。水月湖の場合、流れ込む大きな川がなく、山々に阻まれて強い風も吹かず、酸素が届かない底のほうに生き物はいない。さらに、活断層の働きで湖底が常に沈降し続けるため、堆積物が湖底に積もり続けても水深が減らないという希少条件。かくして湖底は常に静かで深まるままに、7万年もの間、1年に約0.7mmという繊細な厚さを保ちながら堆積物の縞々を描き続けてきた。

水月湖に年縞が見つかったのは1991年。当時、大学生だった中川さんの指導教官で、国際日本文化研究センター教授の安田喜憲(よしのり)さんらが発見。2年後、それが世界に類例のない45mに及ぶ年縞であることを突きとめるが、採掘した試料にほんのわずかな欠落部分があった。完全な形での採掘に成功するのは2006年。英国ニューカッスル大学にいた中川さんを中心とする国際チームが「リベンジ」を果たした。

20年かけてつくった世界標準の年代ものさし

では、欠落のない年縞にはどんな価値があるのか。それこそが「世界のLake Suigetsu」たるゆえんだ。中川さんの解説は続く。

「一般に、遺跡などから見つかる出土品がいつの時代のものか調べる時は放射性炭素年代測定法が使われます。植物や動物の体内には大気から取り込まれた放射性炭素同位体(※4)というものがあり、生物の死後、これが一定のペースで減少していく特性から、その残量を測定することで年代を逆算する方法です。ただ、放射性炭素の量は時代や場所によって異なるため、この測定法では数十年から数千年単位でズレが生じてしまう。これを補正するためには、この年代の放射線炭素の量はこれだと、正確にわかる『ものさし』が必要になるのです。出土品の測定値とものさしに刻まれた放射線炭素の量を照合して、一致した目盛りを見れば年代が特定できますよね。そのものさしが、年縞です」

年縞がこの役目を果たすには、目盛りに当たる年代が途切れなく連続していることに加え、年代ごとに、一つひとつの縞に含まれる放射線炭素量を測定しておく必要がある。この地道な分析作業を成し遂げた結果、水月湖の年縞は2012年、放射性炭素年代の世界標準ものさしである「IntCal(イントカル、※5)」に採用。同年、チームが科学誌『サイエンス』に発表した論文とも相まって、その名を世界中に知らしめた。

中川さんが「リベンジ」と言うのには理由がある。93年に45mの年縞が確認された後、国際日本文化研究センターの北川浩之さん(現名古屋大学宇宙地球環境研究所教授)が年縞の枚数を丹念に数え、葉の化石から放射性炭素を測定する研究に着手。5年の歳月をかけて『サイエンス』で成果を発表した。だが、わずか50日の差で同様の論文を先行発表した米国の研究者が出したデータとの差異が論争を招き、結果的に水月湖データのイントカル採用が見送られた経緯があった。その苦い経験があるだけに、1年の欠けもない完全な連続性を中川さんらは求めたのだ。

イントカル採用と同時に、その学術的価値を展示する計画も進み、2018年に福井県年縞博物館が誕生する。来館者数は6年半で30万人を突破。同類の博物館としては異例の人気を博している。

2025年6月〜8月、水月湖で11年ぶりに年縞の採掘が行われた。「『暴れる気候』と人類の過去・現在・未来」プロジェクトの一環で。(写真:ご本人提供)

過去の気候を知り 人類の未来を見る

古気候学者としての中川さんの仕事は別にある。冒頭のガイドにある通り、花粉の化石から過去の気候や景色を読み解くことだ。

「年縞の中に含まれる、樹木から大量にばらまかれた花粉の種類や量を調べ、その時代の植生や気候などの自然環境を割り出すことが私のライフワークです。花粉の化石はほとんどの堆積物に含まれていて、極めて保存性が高い。そのため、花粉の化石を調べれば、かつて湖の周りに生えていた木の種類を知ることができる。植生は気候を反影して変わるので、そこから当時の気候を推定することもできるのです」

過去の気候を知ることは、未来の気候を予測することでもあると、中川さんは言う。例えば、1万1700年前頃を境に水月湖の年縞に含まれる植物の種類が変わり、大きな気候変動が起こったことがうかがえる。氷河期の終わりだ。ほどなくして、農耕生活が始まった。

「この事実だけからすれば、温暖化が文明発達の引き金になったと考えられます。ところが、氷河期でも赤道直下は温暖であったはずなのに、農耕の跡は見られません。また、氷河期の間にも何度か温暖な時期は訪れましたが、そこにも植栽の痕跡は見られない。では、何が引き金だったのか。年縞の分析から見えてきたのは『気候の安定化』でした。それ以前の氷河期は寒いだけでなく、短期間での急激な気候変動を繰り返す不安定な時代だったのです。人類にとって、今年と同じように来年の夏も暑く、雨が降る時期も変わらないと予測できることが重要だったのでしょう。そうでなければ、稲作といった『毎年似たような気候で1年のサイクルが回る』前提の営みはできません。これも、年縞研究によって年代の解像度が上がった成果の一つです」

ある地域の気候がいつ、どんな時に安定していたのか、逆に不安定になったのかを解明することで、今の人類の現在地を知り、未来に向けてどう行動するかの指針が得られるかもしれない。中川さんの研究グループは、かつて栄華を誇りながら極端な気候変動が一因で滅びたとされるマヤ文明(※6)の遺跡近くでも年縞を探し当て、水月湖と同様の調査研究を続けている。

温暖化よりも怖い「暴れる気候」

湖上の台船に据え付けたボーリングマシンで掘削。最大100mの深さまで何度も掘削をくり返し、採取した年縞をモーターボートで素早く湖畔のプレハブ研究室に運ぶ。(写真:ご本人提供)

「暴れる気候」――人類が文明を維持できないほど、急激な気温の乱高下を繰り返す気候のことを、中川さんらはそう名づけた。

「今は地球温暖化といわれますが、天文学的メカニズムからすれば、実は寒冷化に向かっています。10万年に一度、数千年続くとされる温暖で安定した時代が終わり、いつ氷河期に入ってもおかしくない。ですが、現実には1万年以上も温暖な気候が続いています。本来は寒くなるはずの天文学的な力を上回るほどの強さで人間が外圧を加えているのです。原因は森林伐採や耕作地の拡大、化石燃料の使用などです。ただ、本当に恐ろしいのは温暖化そのものよりも、予測不能な暴れ方に至る最後の引き金を私たちが引いてしまうことです」

その原因に2つ以上の矛盾する力が関係しているかもしれないと、中川さんは言う。氷期のはずなのに温暖であり、さらに人為的な温暖化圧力が働いている今は、危険な境界期かもしれない。どうするか。古気候班、考古学班、気候モデル班など多様な研究者グループが集い、気候変動の意味と対応を探る大型プロジェクト「『暴れる気候』と人類の過去・現在・未来」(※7)が動き出している。

「だからこそ、精緻で膨大で圧倒的なデータが必要なのです。そのようなデータからは、かならず示唆に富んだ発見が得られます。水月湖の年縞が見せてくれる過去と未来の姿を楽しみにしています」

博物館内は、水月湖周辺環境を7万年前まで遡れるパネルなど、工夫を凝らした展示がされている。

取材・文/松岡 一郎(株式会社エスクリプト) 写真/吉田 敬

KEYWORD

  1. ※1福井県年縞博物館
    第2回日本博物館協会賞など数々の受賞歴を持つ唯一無二の専門博物館。
  2. ※2三方五湖
    福井県美浜町と若狭町にまたがる三方湖、水月湖、菅湖、久々子湖、日向湖の5つの湖の総称。2005年11月ラムサール条約湿地に登録。
  3. ※3古気候学
    主に地質学の立場から過去の気候について研究し、気候変動などのメカニズムを解明する学問。
  4. ※4放射性炭素同位体
    自然界に3種類あるとされる炭素同位体のうち、炭素14を指す。長寿命だが不安定で、5730年で半減する。
  5. ※5IntCal(イントカル)
    放射性炭素年代の測定値を正確な値に変換する換算表。国際放射性炭素会議などの合意を経て採用される。次の改定は2028年頃。
  6. ※6マヤ文明
    紀元前1000年頃から1697年にスペイン人が破壊するまで3000年近く続いた古代文明。現在のメキシコ南部からエル・サルバドルの西部にかけての地域に栄えた。
  7. ※7「暴れる気候」と人類の過去・現在・未来
    文部科学省科学研究費助成事業(2024〜28年度)

PROFILE

中川 毅
立命館大学教授
古気候学研究センター長

なかがわ・たけし
立命館大学教授、古気候学研究センター長。1968年、東京都生まれ。1992年京都大学理学部卒業、1994年同大学院理学研究科修士課程修了。1998年仏エクス・マルセイユ第3大学博士課程修了。理学博士。国際日本文化研究センター助手、英ニューカッスル大学教授などを経て、2014年より現職。専門は古気候学、地質年代学。主に年縞堆積物の花粉分析を通じて、過去の気候変動の解明に挑む。水月湖年縞プロジェクトの成果が放射性炭素年代測定法の較正曲線「IntCal13」に採用、2013年より運用開始。著書『人類と気候の10万年史』(2017年、講談社)で第33回講談社科学出版賞受賞。